ウイングスの紹介ページ

 

 このページではウイングスについて紹介してゆきます。ポール・マッカートニーの全キャリアについては「ポール・マッカートニーのページ」を、ウイングスのアルバムの詳細については「ディスコグラフィ」をごらんください。

●'70年代を駆けたバンド、ウイングス

 ウイングスは、1971年から1980年(解散は1981年)の間活動したバンドです。ビートルズ解散後のポール・マッカートニーが、妻のリンダと共に音楽を作っている時に、もう一度バンドを組んでライヴ活動をやろう、と思うようになったのがそもそものきっかけでした。ポールにとって常に「ミュージシャンはパフォーマー」であり、「パフォーマーはバンドの一員」であったのでした。

 かくして1971年8月3日、ポールは新しいバンドの結成を発表します。メンバーには元ムーディ・ブルースのデニー・レイン(ギター)デニー・シーウェル(ドラムス)ポール自身(ベース)の他にリンダをキーボード奏者として入れました。リンダは演奏経験はなかったのですが、いつもそばにいて支えてくれたリンダと一緒にポールはステージに立ちたかったのです。この4人が第1期メンバーとなります。バンド名「ウイングス」は、ポールに生まれる子供の名前を考えていた時浮かんだ「天使の翼」という言葉から名づけられたものです。そして12月には早くもデビュー・アルバム「ウイングス・ワイルド・ライフ」を発表します。しかしこの時、評論家たちは3日で完成させたこのアルバムの荒削りな様を批判します。ポールは早くツアーがやりたかっただけなのに・・・。

 まもなくヘンリー・マッカロク(ギター)が加わり、ポール、リンダ、2人のデニーと合わせて5人となったウイングス第2期メンバーは1972年2月、コンサート・ツアーを開始します。といっても、家族や機材をバスに乗せてあちこちの大学を回り、その場で交渉しては予告なしに演奏するという、元ビートルズのポールからしては到底考えられないどさ回りのツアーでした。当初は耳を傾けてくれる人は少なかったものの、だんだんとそのステージは受け入れられるようになります。またレコードでは「アイルランドに平和を」「メアリーの子羊」と、(評論家の非難にあったものの)積極的にシングルを出しました。夏にはヨーロッパで本格的なツアーを開始し、シングル「ハイ・ハイ・ハイ」は(放送禁止を食らったものの)ヒットしました。翌年1973年にはシングル「マイ・ラヴ」と007映画の主題歌「死ぬのは奴らだ」が大ヒットし、ウイングスの名前は徐々に知られてゆくようになります。5月発売のアルバム「レッド・ローズ・スピードウェイ」も全米1位と大健闘しました。

 しかし、次のアルバムのレコーディングのためナイジェリアへ飛ぼうとしていたウイングスから、ヘンリーとデニー・シーウェルが相次いで脱退してしまいます。結局ナイジェリアの地を踏んだのは残されたポール、リンダそしてデニー・レインだけでした(第3期メンバー)。しかし3人はこれにくじけることなくアルバム制作を続けます。もともとマルチ・プレイヤーのポールはドラムスやギターも演奏し、リンダやデニーも力になりました。この時のレコーディングから発売された「愛しのヘレン」「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」の3枚のシングルとアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」(1973年12月)は世界中で大ヒットとなり、アルバムは「ウイングス最高傑作」とまで評されます。

 1974年、次なる目標を全米ツアーに掲げたポールはメンバーの補充を図ります。それまでのポール、リンダ、デニーの3人にジミー・マッカロク(ギター)ジェフ・ブリトン(ドラムス)が加わり(第4期メンバー)、早速米国・ナッシュビルでレコーディングします。この時のレコーディングからシングル「ジュニアズ・ファーム」がヒットします。しかし、このラインアップはジェフの脱退により短命に終わってしまいます。ニュー・アルバムのレコーディング中のことでした。

 代わりのドラマーにジョー・イングリッシュを迎えたウイングス(ポール、リンダ、デニー、ジミー、ジョー)のラインアップは絶頂期を体験することとなります(第5期メンバー)。まずやりかけだったアルバム「ヴィーナス・アンド・マース」を完成させ1975年5月に発表。英米ともに1位を獲得したほか、シングル「あの娘におせっかい」がヒットします。続いてワールド・ツアーに出ますが、日本公演が中止を余儀なくされたため、その余暇を利用してニューアルバム「スピード・オブ・サウンド」を制作、1976年3月に発売します。このアルバムとシングル「心のラヴ・ソング」が大ヒットしている中、初の全米ツアーを敢行。大反響を呼び、このライヴ音源を収録した「ウイングスUSAライヴ!!」も全米1位を獲得します。

 その人気の裏で、絶頂期を迎えていたウイングスの舵取りにポールは悩んでいました。どうしてもポールを中心に物事を考える世間に、ウイングスがポール中心のバンドではないと伝えようといつも腐心していました。たとえば、1973年以来レコード会社の意向で「ポール・マッカートニー&ウイングス」にしていたバンド名を1975年以降「ウイングス」に戻したり、アルバムに他のメンバーのヴォーカル曲、作曲曲を入れたり。ライヴでもビートルズナンバーを最小限に抑え、他メンバーのヴォーカル曲を増やすなど、見えない所でポールは成功の喜びと共に苦労を味わっていたのでした。

 1977年、ニューアルバム用の曲を西インド諸島に浮かぶヨットで録音したウイングスは、しばらく休み時間を与えられます。その結果ジミーが脱退し、さらに英国で大ヒットシングルとなった「夢の旅人」のレコーディングを最後にジョーも脱退、ウイングスはまたもやポール、リンダ、デニーの3人になってしまいます(第6期メンバー)。残る3人はなんとか未完成だったアルバム「ロンドン・タウン」を1978年3月に発表し、ベスト盤「ウイングス・グレイテスト・ヒッツ」で区切りをつけます。

 気分を変えて、ポール、リンダ、デニーローレンス・ジュバー(ギター)スティーブ・ホリー(ドラムス)を迎えたウイングス(第7期メンバー)は、1979年にシングル「グッドナイト・トゥナイト」をヒットさせます。同年6月にはアルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」をリリース。このアルバムにはポールの呼びかけで集まった20人以上の豪華ミュージシャンによるセッション「ロケストラ」での演奏も含まれています。このロケストラは12月には「カンボジア難民救済コンサート」でも演奏しています。しかし、ウイングスにとって「バック・トゥ・ジ・エッグ」が最後のアルバムに、「カンボジア難民救済コンサート」が最後のライヴとなってしまいます。

 1980年1月、日本公演のため成田に降り立ったウイングス。しかし、ポールが大麻不法所持で逮捕されコンサートは中止になります。ショックを受けたポールはしばらく自宅に引きこもった後、かねてから1人で録音していた曲をソロ・アルバム「マッカートニーII」としてリリースします。それに追いうちをかけるかのように、その年の12月ポールの無二の親友だったジョン・レノンが暗殺され、ポールはウイングス用に用意していたアルバムをソロ・アルバムとして制作することを決めます。そんな中1981年4月27日、結成時からずっとバンドにとどまっていたデニー・レインがグループを脱退、これでウイングスは空中分解の形で解散となりました。しかし、あれから20年以上も経つ今でもウイングスの音楽は愛され続け、2001年にはウイングスの活動を追ったドキュメンタリー「ウイングスパン」が制作され、ベスト盤「夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜」が発売となり、ウイングスの音楽を知るための入門編となっています。

 

●ウイングス・ディスコグラフィ(画像をクリックするとアルバム・レビューに飛びます)

 

●ウイングスのメンバー

[第1期ウイングス]左からポール、リンダ、デニー・シーウェル、デニー・レイン。「Wings Wild Life」、『Tomorrow』など。

 

[第2期ウイングス]左からヘンリー・マッカロク、デニー・シーウェル(上)、デニー・レイン(下)、ポール、リンダ。「Red Rose Speedway」『My Love』『Live And Let Die』など。

 

[第3期ウイングス]左からポール、リンダ、デニー・レイン。「Band On The Run」『Jet』『Helen Wheels』など。

 

[第4期ウイングス]左からデニー・レイン、リンダ、ジェフ・ブリトン、ポール、ジミー・マッカロク。『Junior's Farm』『Letting Go』、Country Hams名義のシングルなど。

 

[第5期ウイングス]左からジミー・マッカロク、ポール、リンダ、ジョー・イングリッシュ、デニー・レイン。「Venus And Mars」「Wings At The Speed Of Sound」「London Town」『Listen To What The Man Said』『Silly Love Songs』『Let 'Em In』『With A Little Luck』など。ウイングス絶頂期のラインアップ。

 

[第6期ウイングス]左からデニー・レイン、リンダ、ポール。「London Town」『Mull Of Kintyre』(プロモ)など。

 

[第7期ウイングス]左からローレンス・ジュバー、ポール、スティーブ・ホリー、リンダ、デニー・レイン。「Back To The Egg」『Goodnight Tonight』「ロケストラ」など。

 

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