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このアルバムの収録曲中1〜9はオリジナル版に収録されていた曲で、10〜13はCDでのボーナス・トラックです。初CD化の際は12・13と「カントリー・ドリーマー」(シングル「愛しのヘレン」B面)の3曲がボーナス・トラックでしたが、1993年に「ザ・ポール・マッカートニー・コレクション」シリーズでの再発売に合わせて、「カントリー・ドリーマー」はアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』のボーナス・トラックとなり、代わりに10・11の2曲が追加され、ボーナス・トラックは4曲となりました。いずれも同時期のセッションで録音されシングルに収録された曲です(10・11・13のクレジットは「ウイングス」名義)。
全曲がポール本人による作曲で、ポールとリンダの共作名義となっています。曲想やアドバイスを与えてくれるリンダの多大な貢献にポールは深く感謝しており、このアルバムを含め前作『ウイングス・ワイルド・ライフ』から1976年頃までの自作曲をすべてリンダとの共作名義で発表しています。
【時代背景】
アルバム『ウイングス・ワイルド・ライフ』(1971年12月発売)でデビューを果たしたポールの新しいバンド、ウイングス。ポールはビートルズの成長と崩壊を教訓に、ウイングスの音楽活動の中心をライヴに据えます。そして、最初はマスコミへの事前告知なしにコンサートを行うことにしました。すべてが「元ビートルズ」という肩書きを前提として批評される傾向にあった中、ウイングスが色眼鏡なしに評価されるには、過去の栄光にすがらず一から出直す必要があったのです。結成時のメンバー(ポール、リンダ、デニー・レイン、デニー・シーウェル)にグリース・バンドのギタリストだったヘンリー・マッカロクを新たに加えた5人編成で年明けからリハーサルを重ねた後、メンバーや家族それにロード・マネージャーを2台の車に乗せ、ウイングスは英国中を放浪する初のコンサート・ツアーに旅立ちます。それが、行き当たりばったりに各地の大学を回ってその場で交渉、許可が下りれば翌日にコンサートを開くといういわゆる「大学ツアー」です。1972年2月9日のノッティンガム大学を皮切りに23日まで全11ヶ所を回ったこのツアーでは、『ウイングス・ワイルド・ライフ』の新曲やオールディーズ(「ルシール」「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」など)、当時は未発表だった「アイルランドに平和を」や2・12などが演奏されました。また、リンダやデニー・レイン、ヘンリーの曲も取り上げられ、決してポールだけが主役のバンドではないことを示しました。一方で、セットリストにはビートルズ・ナンバーは1曲もありませんでした。
大学ツアーでの観客の反応に好感触を持ったポールは、抜き打ちでないコンサート・ツアーの最初の舞台をヨーロッパに決めます。英国や米国をあえて外したのは、「少し批判的だから」とのこと。前回以上に十分なリハーサルを行った後、ウイングスは計9ヶ国・全26公演にわたるヨーロッパ・ツアー(1972年7月9日〜8月24日)を敢行しました。今回も家族やロード・マネージャーを引き連れ、カラフルに塗ったツアー・バスで各都市をドライヴするという奇抜な移動手段が使われました。セットリストは、『ウイングス・ワイルド・ライフ』収録曲や「アイルランドに平和を」、この時点でも未発表の2・12、ポール以外のメンバーの曲など大学ツアーでのレパートリーに加え、発売されたばかりのシングル「メアリーの小羊」や、ソロ・アルバムから「恋することのもどかしさ」、そしてこのツアーのために書かれた「ソイリー」や11といった新曲など20曲前後。ここでも、ポールの意地でビートルズ・ナンバーは1曲も演奏されませんでした。スウェーデンに滞在中ポールとリンダ、デニー・シーウェルが大麻不法所持のかどで逮捕される事件がありましたが、ツアーはおおむね順調に進行しました。このヨーロッパ・ツアーの模様をライヴ・アルバムや映画「ブルース・マックマウス・ショー」としてまとめるつもりで、各公演で録った音源のミキシング作業がツアー後に行われていますが、この計画は立ち消えになります(12のみシングル「マイ・ラヴ」B面で公式発表された)。
コンサートを重ねてゆくにつれ、バンドの一体感は安定し、メンバー間の結束も固くなりました。また、ビートルズを知らない世代を中心にポール目当てでなく純粋にウイングスを見に足を運ぶ観客も増え、人気も徐々に上がってきます。しかし、肝心の音楽作品に関しては相変わらず評論家たちの酷評を受けていました。唯一のアルバム『ウイングス・ワイルド・ライフ』は粗削りな作風をつつかれ、1972年に入ってから発表したシングル「アイルランドに平和を」「メアリーの小羊」も「一貫性がない」などの非難を浴びたのです。その影響もあって、チャートでも伸び悩みの状態が続きました。ウイングスの名誉挽回のため、ポールは誰をもうならせる隙のないニュー・アルバムの制作に迫られていました。
【アルバム制作】
アルバムのレコーディングは、大学ツアーを終えた直後の1972年3月にロンドンのオリンピック・スタジオで始まりました。たった3日で完成させたがゆえに詰めの甘さが露呈してしまった前作の失敗を反省したポールは、満足行く仕上がりになるまで1曲1曲じっくり時間をかけて完成させることとしました。幸い、ポールの創作意欲は旺盛で、精力的に次々と新曲を書いてゆきます。セッション当初はグリン・ジョンズ(ビートルズの未発表アルバム『ゲット・バック』などを担当)がサウンド・エンジニアに招かれていましたが、ポールとの意見の相違によりほどなくして現場を去ります。その後いったん曲作りも兼ねて休暇を取り、それから先述のヨーロッパ・ツアーを行い、再びスタジオに戻ってきたのは9月のこと。ロンドンのアビイ・ロード・スタジオ、エア・スタジオ、モーガン・スタジオなどを使い、他の予定を気にすることなくレコーディングに集中して取り組みました。この時のサウンド・エンジニアには前作から続投のアラン・パーソンズや、ビートルズのセカンド・エンジニアも経験したリチャード・ラッシュの名が挙げられます。途中ジョージ・マーティンを共同プロデューサーに迎え映画「007/死ぬのは奴らだ」の主題歌にも挑戦しつつ、セッションは12月まで続けられました。
ポールの努力が実り、結局は実に20曲以上もの新曲が録音されました。さらに前年のアルバム『ラム』のセッションでお蔵入りになっていた3・5・13にオーバーダブを加えて完成させたので、もはやアルバムが2枚余裕で作れる状況でした。現に、12月に仮のアセテート盤が制作された際には全20曲、1月末時点では全18曲収録の2枚組でした(この段階で既に収録漏れになった曲がある上に、ヨーロッパ・ツアーの音源を複数含んでいる!)。本来であればこの形でそのまま発売するつもりでしたが、2枚組では高価になって売れなくなると考えたレコード会社のEMIが待ったをかけます。デニー・レインが歌う自作曲「アイ・ウッド・オンリー・スマイル」などポール以外のメンバーのヴォーカル曲が収録されていることにも難色を示されました。選曲は見直され、最終的に発表されるアルバムは全9曲収録(うち1曲は4曲のメドレー)の1枚組に絞られました。この措置について、デニー・レインやヘンリーは「ガッカリした」と回想しています。アルバム未収録に終わった曲のうち、10・11はアルバム発売前に、「007/死ぬのは奴らだ」と13はアルバム発売後に、それぞれシングルとして世に送り出されました。また、「カントリー・ドリーマー」と「ママズ・リトル・ガール」はシングルB面で、リンダが歌う「シーサイド・ウーマン」は彼女のソロ・シングルとして後年陽の目を浴びます。その他の未発表曲に、「トラジェディ」「ナイト・アウト」「サンキュー・ダーリン」や、12のスタジオ・ヴァージョンなどがありますが、ここで大量のお蔵入りが発生したことはポールが未発表曲集『コールド・カッツ』の構想を抱くきっかけになります。
アルバム・タイトルは、ポールの家のハウスキーパー、ローズにヒントを得て『レッド・ローズ・スピードウェイ』と命名されました。アルバム・ジャケットはバイクを前にタイトル通り赤バラを口にくわえたポールを写したもので、撮影はリンダ。主にリンダが撮影したポールやステージの写真、アラン・ジョーンズとエドゥアルド・パオロッツィが手がけたアートワーク、各曲の歌詞と演奏者クレジットを載せた全12ページのブックレットが付属しました。裏ジャケットの点字はスティービー・ワンダーへのメッセージで、「We Love You Baby」と書いてあります(「エボニー・アンド・アイボリー」でポールとスティービーが共演することになるのは周知の通り)。アーティスト名はデビュー以来「ウイングス」でしたが、グループの知名度がまだ低いと考えたポールと、ポールを主役に置きたいEMIの思惑が一致し、このアルバム以降しばらくは「ポール・マッカートニー&ウイングス」名義に変更されました。
【発売後の流れ】
『レッド・ローズ・スピードウェイ』セッションからは、まず11と10が両A面シングルで発売されます(1972年12月)。歌詞が猥褻と判断された11が放送禁止となるものの、全英5位・全米10位とウイングスでは過去最高位を記録しました。続いて、アルバムからの先行シングルとして2が発売されました(1973年3月)。英国では9位止まりでしたが、米国では4週連続1位を記録するヒットでウイングス初の全米No.1となりました。ここですぐにアルバムを出したい所でしたが、ビートルズの『赤盤』『青盤』と発売時期がかぶるのを回避したいアップル・レコードの要望により、『レッド・ローズ・スピードウェイ』は4月末(米国)〜5月(英国)まで待たされることとなります。しかし、そうしたハンディをよそに英国で5位・米国で3週連続1位とチャートで大健闘し、アルバムでもウイングス初の全米No.1を獲得しました。ビートルズ解散以来ポールの音楽をこき下ろし続けてきた評論家たちも、このアルバムを聴いてウイングスに対する見方を変えてゆきます。「才能豊かなミュージシャンと作曲家による完璧なアルバム」「ビートルズ崩壊以後の最高の出来」など賞賛の言葉が相次ぎ、苦難続きだった「ウイングスの第1章」は輝かしく結ばれようとしていました。
アルバム発売前の4月16日には、英国ATV制作のTV特別番組「ジェイムズ・ポール・マッカートニー」が全米で放送されました(英国での放送は5月10日)。ウイングスによる演奏シーンを中心に、マッカートニー・ナンバーをフィーチャーした映像がプロモ・ヴィデオのように次々と登場する構成で、ポールのエンターテインメント性が強調された仕上がりでした。ここでは、1・2・12・「007/死ぬのは奴らだ」といった新曲のほかに、ビートルズ・ナンバー(「イエスタデイ」「ブラックバード」「ミッシェル」)をソロになってから初めて人前で披露しています。一方でアルバム発売直後には、ウイングス3度目のコンサート・ツアーとなる全英ツアー(1973年5月11日〜7月10日・全19公演)が始まっています。この時のセットリストは『レッド・ローズ・スピードウェイ』セッションの総決算とでも言うべき内容で、アルバムからは1・2・7の3曲が、シングルからは10・11・12・「007/死ぬのは奴らだ」の4曲が取り上げられました。またもやビートルズ・ナンバーは1曲もありませんでしたが、ツアーは大成功に終わり、急遽追加公演も組まれたほどでした。
【管理人の評価】
短期集中型のレコーディングが仇になってクオリティがないがしろになってしまった前作『ウイングス・ワイルド・ライフ』と聴き比べると、じっくり腰を据え、スタジオでの入念な作業を経て完成に導かれたこのアルバムは1曲1曲が洗練されています。前作の欠点だった、繰り返しが無駄に多くだらだらした聴きづらさもありませんし、何よりライヴ活動を通じて培われたメンバー各自の成長が著しく、それが演奏においてもコーラスにおいてもバンド全体の一体感として安定的に表れています。それを踏まえた上で、ポールのキーボードがメインとなる曲を増やしたり、曲によってメンバーが担当楽器を変えたりと新たな試みに挑戦していて、そのことは各曲のバラエティの豊かさにつながっています。
シングルになった11や「007/死ぬのは奴らだ」のような派手なタイプの曲が収録されなかったため、全体的にこじんまりとした、悪く言えば地味な流れが続き、アルバムを通してのメリハリには欠けますが、その分2を代表するような美しいバラードや小粋なポップが多く収録されています。バンドのノリを前面に押し出した『ウイングス・ワイルド・ライフ』に比べ、ポール本来のメロディ・メイカーとしての側面を十二分に堪能することができます。『ラム』セッションのアウトテイク3・5もこうした系統の曲なので、アルバムのカラーによくマッチしています。ラストに登場する9は、(ビートルズの『アビイ・ロード』には遠く及ばないものの)ポールのアレンジャーとしての力量が余すことなく発揮された4曲メドレーとなっていて、これも注目に値します。わずかなロック・タイプの曲も、ファンキーな1にムーグを多用した実験的なインスト8と個性的です。詞作面でも、ビートルズ解散の影響を引きずった内容は影を潜め、ポールお得意の「前向きで、大衆的で、物語風」な世界がひさしぶりに戻ってきていますが、こと本作では甘い(というよりいつも以上にアマアマな)ラヴ・ソングばかりとなっています。
2を除いてシングル・ヒットや有名な曲がないため地味な1枚ですが、ベスト盤に未収録の曲も実はポールらしい佳曲たっぷりです。特に5・7辺りは隠れファンも多くお勧めです。刺激を求めると物足りなく感じられるかもしれませんが、ポールの甘いバラードやキャッチーなポップがお気に入り、あるいはそういうポールが聴きたいという方には最適です。決して2だけのアルバムではありませんよ。ちなみに、私は2〜5・8・9(ボーナス・トラックだと10〜12)が特に好きです。
なお、このアルバムは2018年にリマスター盤シリーズ「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」の一環としてキャピトルから再発売されました。初登場の未発表音源がたっぷりのボーナス・ディスクが追加されているほか、関連映像を収録したDVDも付いてくるので(一部仕様のみ)、今から買うとしたらそちらの方がお勧めでしょう。解説はこちらから。
アルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』発売40周年記念!収録曲+aを管理人が全曲対訳!!
1.ビッグ・バーン・ベッド
アルバム『ラム』(1971年)に収録された「ラム・オン」のリプライズでわずかに聴くことのできる一節を発展させて作った曲。ポールにしては珍しくファンキーな曲で、独特のグルーヴと徐々に重厚になってゆくコーラスが楽しい。1973年の全英ツアーで2曲目に演奏されたほか、TV番組「ジェイムズ・ポール・マッカートニー」ではオープニングに起用された。ベスト盤『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(デラックス・エディションのみ)にも収録。
2.マイ・ラヴ
初期ウイングス、そしてポールのソロ・キャリアを代表するバラードの傑作。アルバムに先行してシングル発売され、英国で最高9位、米国では4週連続1位を記録するヒットとなった。ポールにとって「アンクル・アルバート〜ハルセイ提督」以来の全米No.1だが、それを首位から蹴落としたのはジョージ・ハリスンの「ギヴ・ミー・ラヴ」だった。シェールやブレンダ・リー、アンディ・ウィリアムスなどカヴァー・ヴァージョンも多く、いまやスタンダード・ナンバーとなっている。元々は'70年代初頭に書かれた曲で、リンダに捧げた愛あふれるストレートなラヴ・ソング。甘美なオーケストラ・アレンジはリチャード・ヒューソン。間奏のギター・ソロはヘンリー・マッカロクで、レコーディング中にその場で思いついたフレーズが採用された。このソロについてポールは賛美のコメントをたびたび寄せている。
プロモ・ヴィデオはスタジオ・ライヴ風の内容で、ポールとリンダのダンスも登場する。ライヴでは公式発表前から取り上げられており、ウイングス最初の大学ツアーから1976年まではすべてのコンサートで演奏されている。その後も1993年のニュー・ワールド・ツアー、2002年〜2003年の一連のツアー、2009年の「サマー・ライヴ09」ツアーなどで演奏された。『ウイングス・グレイテスト・ヒッツ』『オール・ザ・ベスト』『ザ・グレイテスト』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』の各ベスト盤にも収録。個人的には、初めて聴いてから数年は苦手な曲でしたが(汗)今では結構お気に入りです。
3.ゲット・オン・ザ・ライト・シング
『ラム』セッションで録音されたアウトテイクに手を加えて完成させたもの。そのため、ギターはデニー・レインではなくデヴィッド・スピノザが弾いている。間奏にはギターの逆回転サウンドも登場する。楽観的なラヴ・ソングで、リンダのコーラスがとっても楽しい。ポールの七変化するヴォーカル・スタイルを堪能するにはうってつけの曲でもある。
4.ワン・モア・キッス
ポールが甘〜いヴォーカルで歌う、カントリー風の甘〜いナンバー。ポールはアコースティック・ギターに専念し、デニー・レインがベースを、リンダが電子ハープシコードを弾いている。歌詞はさらにアマアマな気分が味わえるラヴ・ソング。私がこのアルバムで一番好きな曲で、歌詞をすぐに覚えてしまったほどです。
5.リトル・ラム・ドラゴンフライ
この曲も『ラム』セッションのアウトテイクを引っ張り出してきたもの。ギターはヒュー・マクラッケン。改めて取り上げた際にデニー・レインのコーラスがオーバーダブされた。冒頭でリード・ヴォーカルを取っているのはデニー・シーウェル。歌詞は農場で飼っていた羊の死を悼んで書いたものだが、「僕はいまだに君を慕っている」「どうして僕らは間違ってしまったのだろう」など『ラム』当時のポールの心境を反映してジョン・レノンに向けたような節もある。ストリングスや「ラララ〜」の繰り返しなど感動的なアレンジが光る曲で、この曲を聴いてじんと来てしまった、涙を流した方も多いのではないでしょうか。アナログ盤はここまでがA面。
6.シングル・ピジョン
ポールお得意のピアノ弾き語りの小曲。ポールとリンダの掛け合いコーラスが微笑ましい。ブックレットのクレジットによると、デニー・シーウェルがベースを、デニー・レインがドラムスを演奏している。わずかにトランペットも登場する。
7.ホエン・ザ・ナイト
不思議な拍子を持つロッカ・バラード。ピアノを弾きながら歌うポールのソウルフルなヴォーカルが聴き所。リンダがベース音をキーボードで再現しているのがユニーク。間奏にはカズーが使用されている。リンダやデニー・レインによる追っかけコーラスもどこか不気味ながら印象に残る。1973年の全英ツアーで難しい曲調ながら演奏されたが、イントロのピアノ・ソロはカットされていた。
8.ループ(ファースト・インディアン・オン・ザ・ムーン)
後にウイングスを象徴するサウンドの1つとなるムーグ・シンセサイザーを多用した実験的なインスト・ナンバー。シャッフル気味のリズムとうなるようなコーラスに信号音のようなシンセが乗っかるという異様な雰囲気の曲で、タイトルが意図するように宇宙旅行をしているようなサウンドだ。中間部はジャズ風に展開する。ポールのリズミカルなベース・プレイにも注目!2005年のリミックス・アルバム『ツイン・フリークス』収録の「オウ・ウーマン、オウ・ホワイ」で、この曲の素材が面白い形で使用されている。どこか時代劇のサントラにありそうなのと、2'50"辺りでリンダの“one”というかすかな声が絶妙なタイミングで入ってくるのがツボで、妙に好きな曲です(苦笑)。
9.メドレー:ホールド・ミー・タイト〜レイジー・ダイナマイト〜ハンズ・オブ・ラヴ〜パワー・カット
ビートルズのアルバム『アビイ・ロード』のB面を飾るロング・メドレーをほうふつさせる、全4曲・11分以上に及ぶメドレー。「マイ・ラヴ」と並びこのアルバムのもう1つの顔と呼べる存在で、1972年9月から10月にかけてレコーディングされた。
「ホールド・ミー・タイト」はアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(1963年)収録のビートルズ・ナンバーとは同名異曲。ピアノ・ソロで静かに始まるもののすぐに楽しげなポップ・スタイルとなる。跳ねたリズムと風変わりなメロディのコーラスが印象に残る。「レイジー・ダイナマイト」は力強いドラム・ビートとコーラスが特徴だが、なぜかリンダとデニー・シーウェルが演奏者にクレジットされていない。デニー・レインがムーディー・ブルース時代からお得意のハーモニカを披露している。ストリングス風のメロトロンはポール。
前曲にポールのスキャットが乗っかった後に始まる「ハンズ・オブ・ラヴ」は、ポールとリンダが終始デュエットする手作り感覚のアコースティック・ナンバー。ギター・ソロは珍しくデニー・レインが弾いている。間奏のマウス・サックスや、一目ぼれした気持ちをつづったアマアマな歌詞が聴いていて楽しい。個人的には本メドレーで一番好きな曲です。クロスフェードでつながる「パワー・カット」はピアノを基調にした曲で、間奏のチェレスタがきれい。ベースの音が明らかに入っているが、前曲共々ベーシストがクレジットされていない。そして、最後はその「パワー・カット」にメドレーの他の曲がエレキ・ギターのワン・フレーズとして絶妙に重なりながら登場。思わず各曲歌ってしまいそうになりますが、この効果を生み出すために4曲をわざわざメドレーにしたポールの才能に脱帽してしまいます。
〜ボーナス・トラック〜
10.C・ムーン
1972年12月1日に「ハイ・ハイ・ハイ」との両A面シングルとして発売された曲で、「ハイ・ハイ・ハイ」が放送禁止となったためラジオ局はこちらを盛んに流した。タイトルはサム・ザ・シャムの「ウーリー・ブーリー」で歌われている「L7」(字形から四角四面で頭の固い人の意)の対義語としてポールが考えた造語で、「物分かりのいい人」のこと。ポールとリンダお気に入りのレゲエ・アレンジで、ポールがピアノ、デニー・レインがベース、ヘンリー・マッカロクがドラムス、デニー・シーウェルがトランペットを担当するという変則的なバンド・スタイルとなっている(プロモ・ヴィデオでもその様子を確認できる)。途中から入るシロホンが楽しい。当初はリンダの合いの手が入っていたが、ボツとなった。
ポールが大変お気に入りにしている1曲で、『オール・ザ・ベスト』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』の各ベスト盤にも堂々と収録している。また、コンサートのリハーサルやサウンドチェックでは定番中の定番となっている。本番でもたまに演奏されることがあり、1973年〜1975年のウイングスのツアー(「リトル・ウーマン・ラヴ」とのメドレー形式)、2002年の「ドライヴィング・USA」ツアー、2007年のミニ・ライヴなどで取り上げている。2018年に「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された『レッド・ローズ・スピードウェイ』にも引き続きボーナス・トラックとして収録されている。
11.ハイ・ハイ・ハイ
ウイングスのサード・シングルで、英国で最高5位・米国で最高10位。しかし、歌詞がセックスやドラッグを連想させるとして英国BBCから放送禁止を食らってしまった。ポールはセックスとの関連性について否定しているが、「スイート・バナナ」しかり「ボディ・ガン」しかり、猥褻な表現が暗示されていて明らかに狙ってやったとしか思えない(苦笑)。シャッフルのリズムが刺激的なロックンロールだが、公式発表前の1972年夏のヨーロッパ・ツアーでは「ザ・メス」に似た8ビートのストレートなアレンジで演奏していた。エンディングのテンポ・アップも楽しい。プロモ・ヴィデオは「C・ムーン」と同時に撮影された。
ウイングスのライヴでは定番曲で、1976年までは必ず演奏されていた。特に1976年全米ツアーのアンコールでの熱気あふれる模様はライヴ盤『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』や映画「ロックショウ」でハイライトとなっている。ウイングス解散後は2013年〜2015年の「アウト・ゼアー」ツアーと2016年〜2017年の「ワン・オン・ワン」ツアーでセットリスト入りしている。『ウイングス・グレイテスト・ヒッツ』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(後者はデラックス・エディションのみ)の各ベスト盤にも収録。2018年に「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された『レッド・ローズ・スピードウェイ』にも引き続きボーナス・トラックとして収録されている。
12.ザ・メス
シングル「マイ・ラヴ」のB面だった曲。初期ウイングスの息の合ったバンド・サウンドを堪能できるロック・ナンバーで、「バンド・オン・ザ・ラン」を予期させる複雑な展開を持つ。シングルやこのアルバムのボーナス・トラックに収録された音源は、1972年のヨーロッパ・ツアーより8月21日オランダ・ハーグ公演でのライヴ・ヴァージョンである。元々はライヴ・アルバムを制作するために録音したもので、スタジオでオルガンなどのオーバーダブが行われたほか、編集で曲構成を大幅に変更している(MCの一部もカットされた)。翌日のベルギー・アントワープ公演で演奏された未発表曲「ベスト・フレンド」にも手が加えられ、この2曲は2枚組だった当初の『レッド・ローズ・スピードウェイ』の収録曲候補に挙がっていた。
アルバム・セッションではスタジオ・ヴァージョンも録音されているがお蔵入りとなってしまった(現在はリマスター盤『レッド・ローズ・スピードウェイ』のボーナス・トラックに収録)。ウイングス最初の大学ツアーから1973年までのすべてのコンサートで演奏されている。また、TV番組「ジェイムズ・ポール・マッカートニー」では白熱したスタジオ・ライヴを見ることができる。2018年に「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された『レッド・ローズ・スピードウェイ』にも(冒頭のMCがカットされているものの)引き続きボーナス・トラックとして収録されている。
13.アイ・ライ・アラウンド
1973年6月1日に発売されたシングル「007/死ぬのは奴らだ」のB面だった曲。『ラム』セッションの頃にポールが書き、ベーシック・トラックも録音したもののしばらく放置されていた(ポールがヴォーカルを取るヴァージョンが残されているという説あり)。『レッド・ローズ・スピードウェイ』に収録するため引っ張り出してきた際に、デニー・レインのリード・ヴォーカルが加えられた。ウイングスの作品でデニーのヴォーカル曲が発表されるのはこれが初めてだったが、本来はデニーの自作曲「アイ・ウッド・オンリー・スマイル」(1980年にデニーのソロ・アルバム『ジャパニーズ・ティアーズ』で陽の目を浴びる)もアルバムに収録される予定だった。
ビートルズの「グッド・デイ・サンシャイン」を思わせるコーラスや屋外の効果音、そしてデニーのへろへろヴォーカルが気だるくていい感じ。一方で歌詞はビートルズ解散問題やジョンとの決別を暗示しているように取れる。2018年に「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された『レッド・ローズ・スピードウェイ』にも引き続きボーナス・トラックとして収録されている。