|
このアルバムの収録曲中1〜12はオリジナル版に収録されていた曲で、13・14はCDでのボーナス・トラックです。初CD化の際にはボーナス・トラックがありませんでしたが、1993年に「ザ・ポール・マッカートニー・コレクション」シリーズでの再発売に合わせて、同時期のセッションで録音され先行シングルになった13・14(クレジットは「ポール・マッカートニー」単独名義)の2曲が追加されました。
収録曲の半数(4・5・7・8・9・10)がポールとリンダの共作で、残り(1・2・3・6・11・12)がポール1人で作曲した曲です。アルバムの半数と先行シングル13をリンダとの共作名義にしたことに対しては、当時の版権管理会社ノーザン・ソングスが「リンダに作曲能力などない」と難癖をつけ(本音はロイヤリティが半減するのを阻止するため)、裁判沙汰にまでなっています。リンダはこの出来事に触発され、後のソロ・デビュー曲「シーサイド・ウーマン」を独力で書き上げます。また、ポールは自身の楽曲を管理する版権会社(現在のMPL)を立ち上げ、1976年頃までの自作曲をすべてリンダとの共作名義で発表することとなります。なお、このアルバムの収録曲の版権は現在ポールとリンダの共作曲がMPLの、残りがノーザン・ソングスを経てソニー/ATVの管理下にあります。
【時代背景】
1970年4月10日の「ビートルズ脱退宣言」を表明して以来、ポールは「ビートルズを解散させた男」としてメンバーのジョン・レノンやジョージ・ハリスンはもちろん、マスコミや音楽評論家さらには世間の非難を一斉に浴びることとなります。元々4人の中で一番のビートルズ存続派だったポールが、新マネージャーのアラン・クレインの強権からグループを救うために下した苦渋の決断だったとはいえ、裏事情を知らない人たちはポールを一方的に悪者とみなしました。同年12月31日にビートルズを法的に解散させるための訴訟をポールが起こし、「ポールがジョン、ジョージ、リンゴを訴える」という異常事態になったことも悪評の原因となりました。そこに追い打ちをかけるように、発表したばかりのソロ・デビューアルバム『ポール・マッカートニー』(以下、『マッカートニー』と表記)はワンマン・レコーディングによる粗削りな仕上がりが災いして「はっきり言って二流だ」「全然いい所がない」と評論家からけなされてしまいます。ジョンのアルバム『ジョンの魂』や、ジョージのアルバム『オール・シングス・マスト・パス』が軒並み高い評価を得ていたのとは対照的です。
一方で、ポールはビートルズの解散が確定したことを受けて「肩の荷が下り、少し楽になった」そうです。『マッカートニー』発売後は特に目立った音楽活動をせず、自然豊かなスコットランドの農場でリンダや娘たちと家庭の団欒を満喫していましたが、そうした環境はポールに心の余裕をもたらしました。家族を愛し、羊の毛を刈り、乗馬を楽しみ、質素ながらも誰にも干渉されない自由な田舎暮らしを過ごす中で、やがてポールの頭に新曲が次々と生まれてゆきます。
【アルバム制作】
前作『マッカートニー』は基本的に自宅で録音したものをスタジオに持って行って仕上げるというスタイルで、演奏も全部ポール1人で行っていましたが、『ラム』ではしっかりとしたスタジオと数名のミュージシャンを使いじっくりと制作されました。1970年10月、ポールはリンダと共にニューヨークへ渡り、まずは一緒に演奏するミュージシャンのオーディションを行いました。その結果、ドラマーにデニー・シーウェル(翌年ウイングスの初代ドラマーとなる)が、ギタリストにデヴィッド・スピノザとヒュー・マクラッケンがそれぞれ起用されます。レコーディングはこの3人とポール、そしてコーラスにリンダという顔ぶれで(当初はスピノザが参加し、都合により後にマクラッケンに交代した)同月のうちにCBSスタジオで開始されました。ここで新曲の大半を録音すると、続いてA&Rスタジオ(ニューヨーク)に移り、各曲にオーバーダブが施されました。この時サウンド・エンジニアをつとめたフィル・ラモーンは、1987年にポールの未発表アルバムをプロデュースすることになります。また、5・10・12にニューヨーク・フィルハーモニックによるオーケストラが加えられ、そのスコアはビートルズ時代のプロデューサー、ジョージ・マーティンが手がけました。1971年3月からは、サウンド・レコーダーズ・スタジオ(ロサンゼルス)で最終的なオーバーダブとミキシングが行われ、アルバムは完成しました。
『ラム』セッションでは実に25曲を超える新曲が取り上げられ、ポールの創作意欲の高さをうかがえます。その中から12曲がアルバムに収録され、13・14が先行シングルのA・B面となりました。ウイングス時代に発表されることとなる「リトル・ウーマン・ラヴ」「ゲット・オン・ザ・ライト・シング」「リトル・ラム・ドラゴンフライ」「アイ・ライ・アラウンド」や、2003年にようやく陽の目を浴びた「ア・ラヴ・フォー・ユー」もこの時期の録音です。ポールのセカンド・アルバムですが、クレジットは「ポール&リンダ・マッカートニー」と夫妻のデュオ名義となっています。プライベートだけでなく、音楽面でもリンダをパートナーにしたいというポールの強い意志であり、その思いはやがてウイングスを結成する原動力になります。
アルバム・タイトル『ラム』はリンダとのドライヴ中にポールが思いついた言葉で、「雄羊」と「押し進む」のダブル・ミーニング。それを受けてか、アルバム・ジャケットには農場で羊の角を押さえつけるポールの写真が採用されました(なお、このジャケットを当時仲の悪かったジョンがアルバム『イマジン』付録のポストカードで「豚の耳を押さえつけるジョン」として痛烈にパロディしている)。見開きジャケット内側を含め写真は主にリンダが撮影し、デザインはポール自ら手がけています。ジグザグ模様の中に書かれている「L.I.L.Y.」はポールいわく「Linda, I love you(リンダ、愛してる)」の略。
【発売後の流れ】
アルバムに先駆け、まず13がシングル発売されました(1971年2月)。これはポールにとって初のソロ・シングルであり、全英2位・全米5位とチャートの上位に入ります。これに自信をつけた所で、『ラム』は5月に発売されます。アルバムの宣伝のため短い曲とインタビューから成るプロモ盤『ブラング・トゥ・ユー・バイ』を制作するという力の入れようでした。チャートでは英国で2週連続1位・米国で2位を記録し、『マッカートニー』に次ぐミリオン・セラーとなりました。また、米国でシングルカットされた5はNo.1ヒットとなり、さらに最優秀編曲部門(ヴォーカル)でグラミー賞を獲得しています。英国では12が、ドイツ・日本では9がシングルとなり、それぞれマイナー・ヒットとなっています。
しかし、大健闘にもかかわらず評論家たちの反応は散々なものでした。ジョンやジョージのアルバムと比較する者もいれば、「'60年代ロックの腐敗のどん底」(ローリング・ストーン誌)と言う者まで現れたほどです。後にポール自身が分析しているように、彼らは中身の音楽以前にポールを「ビートルズを解散させた悪者」という一面的な見方でしか評価できず、またビートルズという「ものさし」でポールを測り、ともすればビートルズと比較しがちでした。肝心の音楽を十分に聴かずに、先入観のみで不当に評価していたのです。アルバムを一緒に完成させたリンダについても、「ビートルズ解散の原因」「ポールを田舎に引きずり込んだ」といったいわれなき非難を受けました。そこに元ビートルも、「グレートなアーティストだと信じてたのに、お話にならない」(リンゴ)、「リスナーとして話すなら、あんな曲を演奏させられなくてよかったと思うよ」(ジョージ)とこき下ろす始末。こうして、本来の魅力そっちのけで『ラム』には「駄作」という不当な汚名が長年ついて回ることとなりました。とはいえ、チャートが示すように当時からリスナーの間では好評でしたし、ビートルズ解散のわだかまりが解けて何10年が経過した現在においては純粋な音楽作品として再評価を受けることとなり、ポール・ファンでもこのアルバムをお気に入りに挙げる人も多くなりました。ポールもお気に入りのようで、アルバム発売のわずか1ヶ月後には収録曲全曲をビッグバンド風にアレンジしたインスト・アルバム『スリリントン』を制作しています(『スリリントン』自体は1977年になって変名で発表するに至る)。
【管理人の評価】
短期間でのワンマン・レコーディングゆえに詰めの甘さや散漫な印象が見られた『マッカートニー』と比べると、このアルバムのサウンドは見違えるほどタイトになっています。また、オーケストラを取り入れた5・10・12や、複雑なコーラスワークが展開される4など凝ったアレンジで聞かせる曲が増えました。曲調もお得意のポップやバラードからロックンロール、ブルース、シャッフル、カントリーとバラエティの幅も広がっています。アルバムを通して特徴的なのが、アコースティックな楽器がメインの曲が多い点。元々スコットランドの農場でギター1本で書かれた曲ばかりなせいか、田舎の香りが感じられるリラックスした雰囲気を楽しめます。リンダは前作では数曲のみでの参加でしたが、このアルバムではほぼ全曲にわたってコーラスを入れており、これが曲のイメージを決定付けるアクセントになっているケースが多いです(2・6・9など)。この2点があいまって、全体的に音作りはポジティブで陽気です。
一方の詞作面では、『マッカートニー』の流れをくんで極めて私的な側面が強いです。アナログ盤A面には、1を筆頭に攻撃的なメッセージと取れるものが多く、それらはビートルズ解散後険悪になっていたジョンへの当てつけではないかと当時から話題になりました。ポール自身はジョンに関係する曲は1だけとしていますが、当時ポールが置かれていた状況が少なからず反映されているのでは?と思える例が少なくありません。その反面、B面ではリンダを念頭に置いたラヴ・ソングが中心で、A面の殺気立った詞作とは一線を画しています。攻撃的なA面と温厚なB面との詞作の二面性が味わえますが、ポールが歌詞に自分の内面をさらけ出すことは少ないので、その点貴重な作品です。
このアルバムの収録曲には、まだ少しビートルズ・ナンバー(特に『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』の頃)の名残が感じられることから、ビートルズ・ファンでポールのソロへ手を伸ばす際には馴染みやすい1枚だと思います。もちろんそうでない方にも、このアルバム特有ののんびりした雰囲気はとっかかりとしては十分でしょう。華やかなサウンドを求めている人や、ハードロックを期待している人には物足りなさが残るかもしれませんが・・・(汗)。ちなみに、私は1・4・6・9・12(ボーナス・トラックだと14)が特に好きです。
なお、このアルバムは2012年にリマスター盤シリーズ「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」の一環としてヒア・ミュージックから再発売されました。初登場の未発表音源がたっぷりのボーナス・ディスクが追加されているほか、関連映像を収録したDVDも付いてくるので(一部仕様のみ)、今から買うとしたらそちらの方がお勧めでしょう。解説はこちらから。
アルバム『ラム』発売40周年記念!収録曲+aを管理人が全曲対訳!!
1.トゥ・メニー・ピープル
リズム・アレンジ・歌詞共に、ビートルズ時代の「ベイビー・ユーアー・ア・リッチマン」のポール版と言えそうな骨太ロック。ポールは力強いシャウトからファルセットまで七変化のヴォーカルを聞かせる。世間のいろいろな人々を皮肉った詞作が痛快だが、「たくさんのヤツらが説教をしてくる」という一節は平和運動に邁進していたジョン・レノンを指したものではないかと噂になった。ポールもそれを認めており、「僕が説教を受けるいわれはないと感じていたことについて歌った」と語っている。「君がそのチャンスをぶち壊したんだ」というくだりも、ビートルズの脱退を最初に考えたジョンへの当てつけと取れる。
米国ではシングル「アンクル・アルバート〜ハルセイ提督」のB面でもあった。『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(後者はデラックス・エディションのみ)の各ベスト盤にも収録。2005年の全米ツアーで、「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」とのメドレーでライヴ初披露となった。狂気渦巻くエンディングが私のお気に入りポイントです。
2.3本足
アコースティック・ギターで書かれたブルージーな曲。ポールのヴォーカルに対してリンダが掛け合いコーラスを入れる。ここでもジョンのビートルズ脱退を意識した歌詞で、「僕の犬は3本足、だけど走れやしない」と3人ではビートルズは成り立たないことを暗に示している。ポールとリンダが乗馬を楽しむ様子を映したプロモ・ヴィデオが存在する。しかしシュールな雰囲気の曲ですね。
3.ラム・オン
ポールが弾くウクレレをフィーチャーした小品で、実質的なタイトル・ソング。最後には口笛まで飛び出す楽しげな曲だが、それとは裏腹に「ぶち壊せ、お前のハートなんか誰かにくれちまえ」という歌詞が強烈。2010年以降、ライヴでも稀に(実際にウクレレを弾きながら)演奏することがある。
4.ディア・ボーイ
暗い雰囲気漂うピアノ・バラードで、幾重にもオーバーダブされたポールとリンダのコーラスが緻密に絡み合う。リード・ヴォーカルはなぜか右側に大きく片寄っている。歌詞はジョンの「悟り」に対するアンサー・ソングだと言われてきたが、実際にはリンダの夫だったジョセフ・メルビル・シー・ジュニアがいかにリンダの魅力に気づいていなかったかを歌ったものだった。地味ながらファンの間で人気の高い曲で、ポールもベスト盤『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』に収録している。
5.アンクル・アルバート〜ハルセイ提督
全く毛色の異なる2曲をくっつけたメドレーで、米国でのみシングルカットされポールにとってビートルズ解散後初のNo.1ヒットとなった。アレンジャーとしてのポールの才能を思う存分堪能できる。ジョンが気になっていた曲らしく、自身の31歳の誕生日で歌う音源が残されている。『オール・ザ・ベスト』(米国盤のみ)『ウイングス・グレイテスト・ヒッツ』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』の各ベスト盤にも収録。
前半の「アンクル・アルバート」はスローなバラードで、オーケストラをフィーチャー。タイトルの「アルバートおじさん」はポールの叔父の名前で、歌詞はジェネレーション・ギャップをテーマにしている。歌詞の展開に合わせて雷鳴のSEが入ったり、電話越しに歌っているかのようなエフェクトがかかったりと凝ったサウンドだ。後半の「ハルセイ提督」は行進曲風の朗らかな曲調で、途中でテンポがくるくる変わって楽しい。それに合わせてポールの歌声もめまぐるしく変わってゆく。タイトルの「ハルセイ提督」とは太平洋戦争時に日本軍と戦った米海軍のウィリアム・ハルゼー提督のこと(「艦これ」のことではありません)。
6.スマイル・アウェイ
シャッフル調のリズムで引っ張るロックンロール。ポールのソロ・ナンバーではムーグ・シンセを使った最初の例である(バリバリとした低音がそれ)。リンダによるバッキング・ヴォーカルがビートルズの「レボリューション1」みたいで楽しい。「笑い飛ばせ」というタイトルは非難されることが多かった当時の心境を歌ったものか。ウイングスは1972年のツアーでこの曲をレパートリーにしている。ドイツや日本で発売されたシングル「イート・アット・ホーム」のB面でもあった。アナログ盤はここまでがA面。
7.故郷のこころ
ポールの田舎暮らしを歌った、このアルバムのカラーを代表するような1曲。動物好きのポールの農場には実際に馬も羊もいた。ミドルでアコースティック・ギターのフレーズに合わせるスキャットが面白い。「3本足」と同じ頃に制作されたプロモ・ヴィデオは、スコットランドで自然に囲まれて暮らすポールとリンダの姿を映したもの。リンダが設立した食品会社のキャンペーン・ソングとして2013年に再レコーディングされている。英国ではシングル「バック・シート」のB面でもあった。『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』の各ベスト盤にも収録。
8.モンクベリー・ムーン・デライト
鬼気迫ったポールのヴォーカルに圧倒される曲で、リンダと娘・ヘザーのコーラスの陽気ぶりとのコントラストが狂気を醸し出している。メロディやギター・フレーズがどこか東欧の民謡っぽい。意味を成さない歌詞と「尽きせぬ喜び」を意味するタイトルから、ドラッグ・ソングではないかと言われたが、ポールいわく「夢のミルクセーキについて歌ったもの」とのこと。R&B歌手のスクリーミン・ジェイ・ホーキンスが1973年にカヴァーしているが、これがあらぬ方向にぶっ飛んでいて面白くて仕方ありません(笑)。
9.イート・アット・ホーム
エルビス・プレスリー風のヴォーカルを聞かせるオールド・スタイルのロックンロールで、ドイツや日本でシングルカットされた。そのため、ベスト盤『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』では日本盤のみこの曲がボーナス・トラックに追加されている。当時の邦題は「出ておいでよ、お嬢さん」。リンダが大半でツイン・ヴォーカルに近いコーラスを入れているのがほのぼのしていて微笑ましい。ウイングスの1972年ヨーロッパ・ツアーではオープニング・ナンバーとして演奏された。
10.ロング・ヘアード・レディ
「長い髪をしたお嬢さん」とはずばりリンダのこと。断片的にできていた3つの曲を組み合わせているが、複雑さは感じさせない。リンダがここでもコーラスで活躍している。後半は「ヘイ・ジュード」のような長いリフレインとなり、複数パターンのブラス・セクションとコーラスが絶妙に絡み合うという、ポールらしい展開で大団円を迎える。
11.ラム・オン
「ラム・オン」のリプライズ。3トラック目とは同一のテイクで、実は3トラック目のフェードアウトぎりぎりの部分がそのままリプライズの冒頭につながっている。また、最後にテンポ・アップして歌われる一節が、2年後にウイングスのアルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』の冒頭を「ビッグ・バーン・ベッド」として飾ることとなる。それにしてもこの曲、音頭にしたら楽しそう。
12.バック・シート
オーケストラを派手に使ったやや大仰なバラードで、作風にはブライアン・ウィルソンの影響を感じさせる。元々はビートルズの「ゲット・バック・セッション」の頃に書かれた曲であった。テンポ・チェンジが激しいため最初は「なんだこりゃ?」と思うかもしれませんが、聴いてゆくうちに不思議と好きになってくる、そんな曲です。私も当初は「?」でした。事実ファンの間では人気の高いナンバー。ポールとリンダの決意表明とも取れる「僕らは間違ってなんかない」の繰り返しに渾身のシャウトとリード・ギターで締める終盤はさすがとしか言いようがない。そんでもって「ハロー・グッドバイ」のようなコーダが唐突に現れるのだから・・・!
EMIの要求で、英国でのみシングルカットされたが最高39位と振るわず。それでもポールの思い入れの強い曲で、『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(後者はデラックス・エディションのみ)の各ベスト盤にも収録。ライヴでもリハーサルで取り上げたようだが、いまだ人前でフル・コーラス歌ったことはない。
〜ボーナス・トラック〜
13.アナザー・デイ
1971年2月19日に発売されたポールのソロ・デビューシングルで、英国で最高2位・米国で最高5位。日本ではポールのソロで最も売れたシングルだ。「ゲット・バック・セッション」の頃書き始めたものをリンダと2人で仕上げた。ポールがリンダと初めて共作した曲であり、『ラム』セッションで最初に取り上げられた曲でもある。カントリー・フレーバーあふれるエレキ・ギターはデヴィッド・スピノザ。リンダの美しいコーラスが曲の持つせつなさを引き出している。歌詞はポールお得意の物語風で、OLの日常生活を淡々と描いたもの。ジョンにとっては苦手な部類だったようで、ポールをこき下ろした「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ(眠れるかい?)」でも引き合いに出している。
ライヴでは1993年のニュー・ワールド・ツアーと、2013年〜2015年の「アウト・ゼアー」ツアーで演奏されている。『ウイングス・グレイテスト・ヒッツ』『オール・ザ・ベスト』『ザ・グレイテスト』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』の各ベスト盤にも収録。2012年に「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された『ラム』にも引き続きボーナス・トラックとして収録されている。
14.オウ・ウーマン、オウ・ホワイ
シングル「アナザー・デイ」のB面だった曲。こちらはポールが単独で書いた(版権もソニー/ATVが所有している)。ポールが大好きなレゲエ・アーティスト、ボブ・マーリーの代表曲「ノー・ウーマン、ノー・クライ」にタイトルが似ているが気のせいか?デニー・シーウェルのドラム・ソロで始まり、ポールが終始シャウト交じりのヴォーカルで歌う。SEとして銃声が使われているが、さて何回鳴ったでしょう?歌詞は四面楚歌の状態にあった当時の心境を歌ったものと思われる。初CD化の際には次作『ウイングス・ワイルド・ライフ』のボーナス・トラックに収録されていた。2012年に「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された『ラム』にも引き続きボーナス・トラックとして収録されている。2005年のリミックス・アルバム『ツイン・フリークス』にはとっても面白いヴァージョンが収録されています。