|
このアルバムの収録曲中1〜11はオリジナル版に収録されていた曲で、12〜14はCDでのボーナス・トラックです。初CD化の際は12・13の2曲がボーナス・トラックでしたが、1993年に「ザ・ポール・マッカートニー・コレクション」シリーズでの再発売に合わせて、14が追加されボーナス・トラックは3曲となりました。12・13はこのアルバムと同時期の、14は前作『バック・トゥ・ジ・エッグ』と同時期のセッションで録音され、いずれもシングルに収録された曲です(14のクレジットはウイングス名義)。全曲がポール本人による作曲ですが、リンダやデニー・レインとの共作名義を一切含まないアルバムはソロ・デビューアルバム『ポール・マッカートニー』(以下、『マッカートニー』と表記)以来でした。
【時代背景】
全英ツアーと「カンボジア難民救済コンサート」で'70年代の有終の美を飾ったウイングス。その成功を追い風に、ポールは1980年をワールド・ツアーの年にしようと考えていました。そして、次のコンサートは多くのファンが待ち望む日本で行うことに決めます。ウイングスの日本公演は1975年にも計画されていましたが、この時は大麻不法所持の前科を重く見た法務省の判断でポールの入国が拒否されたため実現しませんでした。1月21日の日本武道館公演を皮切りに東京・名古屋・大阪で計11公演が組まれ、チケットは瞬く間に売れてゆきました。
1980年1月16日、ポールはウイングスを率いて成田空港に降り立ちます。ロビーでは大勢のファンやマスコミが出迎え、ポールが現れるのを待っていました。しかし、その直後に悲劇は起こります。税関で調べられたポールのスーツケースから219グラムのマリファナが見つかり、大麻取締法違反のかどでポールが現行犯逮捕されてしまったのです。この日以降ポールは麻薬取締部による取り調べを受ける傍ら、外部から隔絶された留置場生活を送ることとなります。翌17日には日本公演の中止が発表され、21日にはウイングスのメンバーもリンダを残して離日。ポールとなかなか面会できず、不透明な先行きにリンダは「二度と日本には来ないわ!」と苛立ちを見せました。日本社会に与えた影響も大きく、報道は連日のように過熱し、留置場の前には大勢のファンが押しかけポールの釈放を求めて泣き叫びました。最高で7年の刑が科せられる可能性もありましたが、入国手続きの完了前に逮捕されたことや、大麻の危険性について軽く考えていたことへの反省の態度が見られたことを踏まえ、1月25日にポールは起訴猶予となり当日中に英国へ強制送還されました。
「他の囚人たちとは片言や歌を通じて打ち解けたし、看守もみんな親切だったよ」と語ってはいたものの、異国の地での10日間に及ぶ拘留にポールは大きなショックを受け、帰国後はサセックスの自宅に引きこもってしまいます。一方で、ウイングスを支え続けてきたデニー・レインは、ポールの不注意による日本公演中止で多くのファンを悲しませ、自らの収益も絶たれたことに不快感を示し、「ジャパニーズ・ティアーズ」という曲を急遽書き上げソロ名義でシングル発売しました(1980年5月)。こうしてウイングスの活動は白紙となりましたが、そんな折にポールは昨年の夏にレコーディングを済ませていた楽曲をソロ・アルバムとしてまとめようと思い立ちます。
【アルバム制作】
『マッカートニーII』に発展することとなるレコーディングが行われたのは、ウイングスのアルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』発表後の1979年夏です。ポールは当時、ウイングスがアルバム制作とコンサート・ツアーの繰り返しに陥っていることにマンネリ感を覚えていました。自信を持って送り出した『バック・トゥ・ジ・エッグ』が折しも予想外の苦戦を強いられていたこともあり、いったん足を止めて今後グループと自分がどうあるべきか見つめ直す時間が必要でした。思い悩んだ末に「何か全く別のことをしてみたかった」ポールが行き着いたのは、9年前のソロ・デビュー作『マッカートニー』と同じ構図の、文字通りの「ソロ」セッションでした。
ウイングスの活動が落ち着くとポールは、サセックスにある自宅スタジオに録音機材を導入しました。旧知の仲であるエンジニアのエディ・クラインによって、16トラックのテープ・マシーンにミキシング・コンソールを経由せずマイクを直接つなぐという『マッカートニー』の手法を採用した手作りのセットが設置されます。そこからはポールの独壇場で、すべての楽器を1人で演奏する形でマイペースに多重録音を進めてゆきました。演奏のみならずプロデューサーもエンジニアもポールが兼任し、リンダが11で、リンダと友人たちが未発表曲「ミスター・H・アトム」でコーラスを入れている以外は他の誰も参加していません。曲作りも行き当たりばったりで、まずリズム・トラックを録音し、その場でメロディや歌詞を構築してゆくという通常とは逆のスタイルがほとんど(あらかじめ書かれていた曲は4のみとポールは発言している)。ポールいわく「研究室にいる狂った教授のような」セッションは、途中からスコットランドの農場にある自宅スタジオに場所を移し数週間続けられました。
一連の自宅セッションが終わり、9月〜10月にロンドンのアビイ・ロード・スタジオやレプリカ・スタジオでエディ・クライン立ち会いのもとミキシングが行われると、プロジェクトは放置されます。元々が気分転換を目的としたお遊び要素の強いものだったため、ポール本人も公式発表するつもりはなかったのですが、音源を聴いた友人たちが気に入ったことから考えを改めます。そこに前述の逮捕劇が起きウイングスが暗礁に乗り上げたことでアルバム化は現実味を帯びます。エディ・クラインがまとめた19曲入りのマスター・テープを基に当初は2枚組にする予定でしたが、結局は全11曲収録の1枚組に絞られ、一部の楽曲(1・6・8・10)は編集で演奏時間を短くされました。収録漏れになった曲のうち、「ワンダフル・クリスマスタイム」はアルバム発売前に、12・13はアルバム発売後にそれぞれシングルで発表されました。残る「オール・ユー・ホース・ライダーズ」「ブルー・スウェイ」「ミスター・H・アトム」「ユー・ノウ・アイル・ゲット・ユー・ベイビー」「ボギー・ウォブル」の5曲は長いことお蔵入りになっていましたが、2011年に『マッカートニーII』が「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された際にボーナス・トラックとして陽の目を浴びました。
ポールにとって2枚目のソロ・アルバム(1971年の『ラム』はリンダとのデュオ名義)であることや、『マッカートニー』との類似性を強調するためタイトルはシンプルに『マッカートニーII』と名づけられました。不安そうな表情のポールを写したアルバム・ジャケットはリンダの撮影で、前年にウイングスのフォト・セッションで撮られていました(リンダやデニーなど他メンバーのヴァージョンも存在する)。見開きジャケット内側の写真もリンダによるもので、休暇中にジャマイカで借りた家のプールにたたずむポールの姿がメインになっています。インナー・スリーブの片面にはサセックスの自宅スタジオでの写真(長男ジェイムズがポールのシャツを引っ張っている)が、もう片面には収録曲の歌詞が印刷されています。これらアートワークのデザインはロジャー・ハゲットが手がけました。
【発売後の流れ】
ひと夏のソロ・レコーディングからは、まず「ワンダフル・クリスマスタイム」がシングル発売されました(1979年11月)。ポールがソロで新曲を発表するのは実に8年半ぶりのことであり、ウイングスがライヴ活動を再開する直前のリリースはリスナーにとってはやや唐突に感じられるものでした。そのせいか米国ではチャート・インしませんでしたが、それでも全英6位を記録しています。年が変わり、ウイングスが活動休止してから最初の新譜となったのは1で、1980年4月にシングル発売されました。この曲は前年末にウイングスの全英ツアーで先行披露されていて、B面にはそのライヴ・ヴァージョンが収録されています。ポールの去就が注目されていたこともあり全英2位・全米1位のヒットになりましたが、米国ではライヴ・ヴァージョンの方が人気だったためそちらがA面扱いに。さらにレコード会社のCBSコロムビアはヒットしたライヴ・ヴァージョンをアルバムに収録するようポールに働きかけます。「ソロ・アルバムにウイングスの演奏は収録しない」とポールは拒否しますが、妥協案として米国・カナダのみライヴ・ヴァージョンを収録した1曲入りシングルをアルバムと抱き合わせで発売することで落ち着きました。
アルバム『マッカートニーII』は5月に世に送り出され、これまた逮捕劇の話題性が後押しして英国で2週連続1位・米国で最高3位という好成績を収めました。ウイングスと共に時間をかけて制作した意欲作『バック・トゥ・ジ・エッグ』が不発に終わったのに、1人気ままに作ったこのアルバムがそれを上回ってしまったのは皮肉なことです。ちなみに、日本では抽選で4万人に幻のウイングス日本公演のツアー・パンフレットが当たる特典付きでした。この後、アルバムからの第2弾シングルとして4が、第3弾シングルとして2が発売されていますが(後者は英国のみ)、この頃にはマッカートニー・フィーバーも退潮し(特に米国では)アルバムは一気にチャートから姿を消しました。
【管理人の評価】
所属していたバンドが行き詰まった時に自宅にこもって(一部リンダの手を借りつつ)すべてをポール1人で賄って制作した点や、発売直後にバンドが解散して結果的にポールの音楽活動の1つの区切りになった点(ウイングスは『マッカートニーII』の翌年に新曲を出さないまま空中分解した)など、このアルバムはソロ名義での前作『マッカートニー』と多くの共通点があります。しかし、10年前と大きく異なるのがサウンド面で、全体を通してシンセサイザーなどのキーボードを多用しているのが特徴です。シーケンサーによるリフを基調にした2やインスト・ナンバーの6・8、ほぼキーボードのみで構成されたバラード4・7辺りが特に顕著で、自宅セッションを機に当時憧れを抱いていたシンセを使っていろいろ試してみたかった・・・というポールの好奇心がその背景にあります。加えて、クラフトワークやYMOなど'70年代末に流行の最先端にあったテクノ・ポップの影響を受けたとの指摘もあります。また、『マッカートニー』は4トラックでの録音でしたが、このアルバムでは16トラックに増えアレンジ面に余裕を持たせることも可能になりました。そのため、ポールが多重録音でヴォーカルを幾重にも入れている曲が多く、しかも素っ頓狂なものも含め様々な声質を駆使した「1人複数役」に挑戦していて、コミカルな要素が強調されています(1・5・9・10など)。
前述したシンセ中心の無機質な(その割に斬新でもない)音作りや実験的な試み、ポールには珍しいストレートなブルース(3・5)の存在など、このアルバムはポールの諸作品で最も「普段のポールらしくない」1枚と言えます。また、公式発表するつもりがなかったゆえに思い切りお遊び方面に振れた曲も少なくないほか、全体的にデモ・テープを聴いているかのような仕上がりでチープさは否めません。事実、『マッカートニー』の時と同様にチャート・アクションはよかったものの評論家たちからは「元ビートルのソロ作品で間違いなく最も受け入れられていない1枚」(レコード・ワールド誌)などと厳しい意見が相次ぎました。こうした理由から、現在ではポール・ファンからも敬遠されているアルバムの1つになってしまっています。
これからポールのソロを聴こうとしている方にとっては優先度を落とさざるをえない内容ですが、「元々リリースするつもりはなかった」「お遊び目的のアルバム」という前提で聴けば十分に楽しめると思います。むしろ、バンドという枠にとらわれず1人純粋に演奏を楽しむポールのありのままの姿を発見でき、音楽面・詞作面でいろんなものに影響を受けつつもそれを自分なりに消化してゆく類稀な才能に驚かされることでしょう。本格的なテクノ・ポップには程遠い、薄っぺらでアナログ的なテクノ「もどき」の曲が並びますが、あえて模倣しないことでポールだけにしか作れないユニークさを引き出しています。2を筆頭に、21世紀のクラブ・シーンでカルト的な人気を得ているのはそれが秘訣かもしれません。普段のポールが恋しい人でも、美しいバラードが数曲(4・7・11)収録されているので無視できません。1がベスト盤に収録されているからと、このアルバムを避けて通るのはもったいないですよ。個人的にはなぜかお気に入りの1枚で、1・2・4・8〜10(ボーナス・トラックだと12・14)が特に好きです。このアルバムを真夜中に真っ暗な部屋(まさにダークルーム)でヘッドホンで聴くと、今にもお化けが出てきそうなくらい不気味に感じられるのも何だか面白いです(苦笑)。
なお、このアルバムは2011年にリマスター盤シリーズ「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」の一環としてヒア・ミュージックから再発売されました。初登場の未発表音源がたっぷりのボーナス・ディスクが追加されているほか、関連映像を収録したDVDも付いてくるので(一部仕様のみ)、今から買うとしたらそちらの方がお勧めでしょう。解説はこちらから。
アルバム『マッカートニーII』発売30周年記念!収録曲+aを管理人が全曲対訳!!
1.カミング・アップ
単純なコード進行とキャッチーなメロディを持つポップ・ナンバー。左右から聞こえるブラス・セクションはシンセによるもので、曲にコミカルさを与えている。ポールの風変わりなリード・ヴォーカルはテープの回転速度を変えることで実現。「よりよい未来が必要なんだね」「花のように咲いてゆく」など、来る'80年代に向けた希望あふれる詞作も光る。ポールによると、主夫時代のジョン・レノンはこの曲を聴いて音楽活動の再開を決めたという。アルバムが2枚組だった頃はラスト・ナンバーで、演奏時間も5分半だった。
アルバムからの先行シングルとなり、英国で最高2位・米国では3週連続1位に輝いた。ウイングスの1979年全英ツアーと「カンボジア難民救済コンサート」では未発表だったこの曲が演奏され、グラスゴー公演(12月17日)の模様はシングルB面に収録されている(米国ではA面扱い)。ソロになってからも2003年まではすべてのコンサート・ツアーで取り上げられたほか、サウンドチェックでは今でも定番となっている。10人のポール(ザ・シャドウズのハンク・マーヴィンやスパークスのロン・メイル、ビートルズ時代のポール自身などに扮している)と2人のリンダによるバンド「プラスティック・マックス」が登場するプロモ・ヴィデオはファンの間で高い人気を誇る。『オール・ザ・ベスト』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』(以上は英国盤)と『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』の各ベスト盤にもスタジオ・ヴァージョンが、米国盤『オール・ザ・ベスト』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』にはライヴ・ヴァージョンが収録されている。私の大好きな曲の1つです。
2.テンポラリー・セクレタリー
当時ポールが所有していたシーケンサーによるリフから発展してできた曲で、作中で最もテクノ・ポップの影響を感じさせる。抑揚のないメロディもテクノの機械的なイメージを意識したものか。とはいえ、イントロにアコースティック・ギターを配するなどポールらしい一工夫も見られる。歌詞は臨時雇いの秘書を派遣するようマークスさん(ロンドンに実在する派遣会社のアルフレッド・マークス氏がモデル)に依頼するという非常に面白い内容で、発売後にマークス氏の会社から曲を宣伝に使用したいと申し出があったとのこと(ただしポール側が拒否)。
英国では1980年9月にアルバムからの第3弾シングルとなり、25,000枚限定の12インチシングルで発売された(チャート・インせず)。近年はクラブDJの間で好評の1曲で、2003年には「レディオ・スレイヴ」ことマット・エドワーズによるリミックスが制作されている。また、コンサートのプレショーで流した所反響がよかったことから、2015年の「アウト・ゼアー」ツアー途中からセットリスト入りし、2016年〜2017年の「ワン・オン・ワン」ツアーでも引き続き演奏された(一部公演のみ)。ベスト盤『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(デラックス・エディションのみ)にも収録。これも大好きな曲ですね。
3.オン・ザ・ウェイ
渋いカウントで始まるオーソドックスなブルース・ロック。ベースとドラムスを録音して1ヶ月放置した後、アレクシス・コーナーが出演したブルースの特集番組を観て感化されたポールが翌日エレキ・ギターを追加した。使用楽器は2本のギター、ベース、ドラムスのみと超シンプルで、スカスカになりそうな所をヴォーカルに強めのディレイをかけて穴埋めしている。エンディングのフェードアウトぎりぎりの所で、2枚組当初の曲順で次曲にあたる未発表曲「ミスター・H・アトム」の冒頭部分がかすかに聞こえる。
4.ウォーターフォールズ
エレクトリック・ピアノ弾き語りの上に様々な音色のシンセを加えた神秘的なバラード。この曲のみセッション前に書かれていて、ウイングスとしてレコーディングするつもりだった。当初のタイトルは「I Need Love」。比喩を多用して普遍的な愛を歌った詞作が美しい。「白熊を追いかけないで」という一節は書き直されそうになったが、友人たちが気に入ったのでそのまま残された。ポールは後年「もっと発展させることができた」とたびたび口にしており、その証拠に1980年7月には未使用に終わったもののフィアチュラ・トレンチにオーケストラ・アレンジを依頼している。
1980年6月にアルバムからの第2弾シングルとして発売され、英国で最高9位まで上昇したが、米国ではなぜか106位止まりだった。プロモ・ヴィデオは幻想的な歌詞の世界を再現していて、北極を思わせる氷原のシーンではポールは本物の白熊をバックに歌った。隠れた名曲で、ベスト盤『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(デラックス・エディションのみ)にもフル・ヴァージョンが、『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』にはDJエディットが収録されている。私も大好きです。
5.ノーボディ・ノウズ
これもアレクシス・コーナーの番組にインスパイアされて書かれた。典型的な12小節のブルースに余分な小節を不規則に挟んでいる。場末の酒場で歌っていそうな乱暴な歌い方が底抜けに楽しいものの、アルバム全体に共通する不気味さも内包しているような・・・。アナログ盤はここまでがA面。
6.フロント・パーラー
シンセによるメロディ・ラインがかわいらしいテクノ風のインスト・ナンバーで、タイトルは自宅スタジオの古い居間で録音したことに由来する。アルバムが2枚組だった頃のオープニング・ナンバーで、元々は1分半も長かった。エンディングは突如マイナーに転じる。どこかゲーム・ミュージックにありそうなサウンドですね。
7.サマーズ・デイ・ソング
「ウォーターフォールズ」に続きキーボードがメインのスロー・バラードで、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と同じフルートの音をしたメロトロンが印象に残る。当初はインスト・ナンバーだったが、1979年10月にレプリカ・スタジオでポールのヴォーカルがオーバーダブされた。非常に短い歌詞は当時の社会に対するメッセージにも取れ意味深。
8.フローズン・ジャパニーズ
ポールいわく数日前にTVで観たYMOに影響されて作ったインスト・ナンバー。日本人に対する蔑称「Jap」がタイトルになったことで大いに物議を醸し、さらに発表のタイミングが逮捕事件の後だったため日本への恨みから書いたのでは、と憶測を呼んだ(日本では配慮により「Frozen Japanese」に変更されている)。実際には逮捕される半年前にレコーディングは済んでいて、ポールは「雪化粧の富士山のイメージから何気なく思いついたもので悪意はなかった」と説明している。クリスタルっぽい高音のキーボードと、力強いドラム・ソロが聴き所。いかにも西洋人から見た日本といった曲調が微笑ましいですが、デニー・レインの「ジャパニーズ・ティアーズ」はさらに強烈で、思い切り日本を曲解した中華風サウンドが実に面白いです(笑)。
9.ボギー・ミュージック
架空の地底都市に住むボギーマンという小人たちを題材にしたレイモンド・ブリッグズ作の小説「Fungus The Bogeyman」にヒントを得て書いた曲。人間・音楽・清潔を嫌う旧世代に対抗し始める若いボギーマンたちの姿にロックンロールっぽさを見出したポールは、彼らにぴったりな'50年代のブギー・スタイルに仕上げた。ドタバタしたドラミングと、エルビス・プレスリー風の多重ヴォーカルが楽しい。『マッカートニーII』セッションではもう1曲、「ボギー・ウォブル」というインストも録音されたが1枚組に再編された際にオミットされてしまった。
10.ダークルーム
留置場を連想させるタイトルが話題となったが、歌詞に特に深い意味はない。ワン・コードから成る即興的な内容で、元々は4分近くあったのを編集で短くしている。暗い部屋をイメージしたストリングス系のシンセと、多様な声質を駆使したコーラスが不気味。この曲を聴くと、白いシーツをかぶったようなお化け(西洋に典型的な、あれ)が大小たくさん踊り回りながら暗い部屋へ誘っている光景が思い浮かんでしまいます(苦笑)。2005年のリミックス・アルバム『ツイン・フリークス』にはクールなダンス・ヴァージョンが収録されている。
11.ワン・オブ・ディーズ・デイズ
このアルバムで最も普段のポールに近い曲で、アコースティック・ギターとヴォーカルのみによるシンプルで穏やかなバラード。作中で唯一リンダのコーラスを聴くことができる曲でもある。ただし、ギターとヴォーカルを複数パターン重ね、その一部にエコーをかける辺りは『マッカートニーII』ならでは。いろんな場所を長年旅して、ようやく出発地に戻ってきたらそこは廃墟と化していた・・・といった感じの妙な違和感が漂っています。ポール自身の心情を吐露したかのような内省的な詞作にも注目。当初は「Breathe Fresh Air」という副題が存在した。
〜ボーナス・トラック〜
12.チェック・マイ・マシーン
シングル「ウォーターフォールズ」のB面だった曲。2011年に「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された『マッカートニーII』にも引き続きボーナス・トラックとして収録されている。自宅セッションの序盤に録音機材のチェックを兼ねて即興でレコーディングされ、多分にお遊び要素が強い。9分も続いた演奏をシングル収録にあたり6分に縮めている。その長いキャリアにおいても最大限に「ぶっ壊れた」ポールを堪能できる1曲で、テクノとレゲエと日本の音頭をミックスしたような何でもありのリズムと、終始ファルセットのヴォーカルが異様。お囃子っぽいシンセがバンジョーと絡み合うサウンドもぶっ飛んでいる。白眉である冒頭のやりとりはルーニー・テューンズのアニメ「たのしい動物園(Tweet Zoo)」(1957年)から拝借したもの。好き嫌いが大きく分かれそうですが、あまりに面白くて私は大好きです(笑)。もっと過大評価されてもいいと思っています!
13.シークレット・フレンド
12インチシングル「テンポラリー・セクレタリー」のB面だった曲で、シングルが限定生産品だったため発売後しばらくは入手が超困難なレア・アイテムであった。『マッカートニーII』と同じセッションで取り上げられ、ポールの全公式発表曲でも最長クラスの10分半に及ぶ演奏時間を誇る。この曲でもシーケンサーが使用され、幻想的なシンセ・ストリングスと多彩なパーカッションをフィーチャーしたワールド・ミュージック風に仕上がっている。2011年に「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズで再発売された『マッカートニーII』にも引き続きボーナス・トラックとして収録されている。
14.グッドナイト・トゥナイト
ローレンス・ジュバーとスティーヴ・ホリーを新メンバーに迎えたウイングス最初の新曲で、1979年3月23日にシングル発売され英国・米国共に最高5位のスマッシュ・ヒットとなった。1978年初頭にポールが1人で作った未完成のデモを、アルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』のレコーディング中にウイングスと一緒に仕上げたもので、当時流行っていたディスコ・ミュージックをポールなりに解釈している。イントロのスパニッシュ・ギター、間奏での2本のリード・ギターの掛け合い、熱いリード・ヴォーカルとコントラストを成すキャッチーなコーラスなど聴き所いっぱい。中でもポールのベース・プレイは絶品で、かつての相棒ジョンも珍しく褒めていた。
シングル収録にあたって短く編集されていて、約7分のフル・ヴァージョンは同時発売の12インチシングルに収録された(未CD化)。プロモ・ヴィデオではディスコ・サウンドとは逆に'30年代頃の衣装を着たウイングスが登場した。ウイングスの1979年全英ツアーでセットリスト入りしたほか、2012年にデーモン・アルバーンが企画したアフリカ・エクスプレスのライヴにポールが飛び入り参加した際にも披露された。『オール・ザ・ベスト』(アナログ盤と米国盤のみ)『ザ・グレイテスト』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』の各ベスト盤にも収録。私が指折りに大好きなマッカートニー・ナンバーですが、なぜ時期が全く異なる『マッカートニーII』のボーナス・トラックなんでしょう・・・?