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アルバム『フレイミング・パイ』の制作過程などの解説はこちらをごらんください。
全英2位・全米2位のヒットとなり、「'90年代ポールの名盤」との呼び声も高いアルバム『フレイミング・パイ』(1997年)のリマスター盤。2007年にヒア・ミュージックに移籍したポールは、過去に発表したアルバムを「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」というシリーズとしてヒア・ミュージック(2017年からはキャピトル・レコード)から再発売するプロジェクトに着手していますが、この『フレイミング・パイ』はその第13弾にあたります。『フレイミング・パイ』の大規模な再発売は今回が初めてとなります。
【発売形態】
今回の再発売では、『フレイミング・パイ』は3種類の仕様で登場しました。1つは、アルバム本編を収録したCDと、アルバム未収録曲やアウトテイクを収録したボーナス・ディスクによるCD2枚組の「スペシャル・エディション(Special Edition)」。次に、アルバム本編に加えて「スペシャル・エディション」のボーナス・ディスク収録曲とさらなるアルバム未収録曲やアウトテイクを3枚に分けて収録したボーナスCDと、ポールがスタジオを案内するオーディオ・ドキュメンタリーを収録したCD、アルバムに関連する映像を集めたDVD2枚が付き、128ページに及ぶブック(ポールの愛妻リンダ撮影の貴重な写真や、アルバム制作過程の完全解説などを掲載)とノート(レコーディング・データを記載)、様々な付録を収納した2つの封筒をケースに収めたCD5枚組+DVD2枚組の「デラックス・エディション(Deluxe Edition)」。そして最後に、「デラックス・エディション」の内容に加えてアナログ盤4枚(アルバム本編とデモ・テイク、「ザ・バラード・オブ・ザ・スケルトンズ(骸骨のバラード)」を収録)が付き、リンダ撮影のシルク印刷写真6枚を大理石模様の紙挟みに収めたCD5枚組+DVD2枚組+LP4枚組の「コレクターズ・エディション(Collector's Edition)」(全世界3,000セットの完全生産限定盤)です。「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」は、インターネットを介して高音質楽曲データをダウンロードできる特典付き。CDは、すべてのCDプレイヤーで再生可能な高音質CDであるSHM-CDが採用されています(日本盤のみ)。
【収録内容】
では、「デラックス・エディション」を基に収録内容を見てゆきましょう。まず全仕様共通のCD 1には、1997年に発売されたオリジナルの『フレイミング・パイ』が収録されています。全曲がロンドンのアビイ・ロード・スタジオにてデジタル・リマスタリングされていて、過去の再発盤に比べて音質が向上しています。
続いて、「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」のボーナス・ディスクであるCD 2には、『フレイミング・パイ』収録曲のデモ・テイクを11曲収録しています。CD 1と同じくデジタル・リマスタリングが施されていますが、全曲これまで公式では未発表だった音源です。CD 1収録曲と異なり、ブックレットには歌詞(日本盤は対訳も)は掲載されていません。「スペシャル・エディション」ではCD 2にシークレット・トラックを除く全曲が収録されています。
11曲のデモ・テイクのうち、スタジオで録音された「ビューティフル・ナイト」以外の10曲はポールが自宅で録音したホーム・デモです。子供たちの話し声や電話が鳴る音、雨音までもが一緒に収録されてしまっているのが生々しいですが、そのほとんどが作曲の過程で制作されていて、「ザ・ワールド・トゥナイト」「フレイミング・パイ」といったおなじみの楽曲のまさに生まれたての姿を知ることができます。4拍子のパートが登場する「ザ・ソング・ウィ・ワー・シンギング」や、当初のタイトルが残されたままの「ヤング・ボーイ」ではポールの試行錯誤が手に取るように分かり興味が尽きません。いずれもアコースティック・ギターまたはピアノのみを使用したシンプルな演奏で、公式テイクとは一線を画したアレンジなのも特徴。「ザ・ソング・ウィ・ワー・シンギング」「スーヴェニア」のホーム・デモは、ポール自らお気に入りを公言しているヴァージョンでハイライトです。なお、「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」のCD 2には「グレイト・デイ」の1974年ヴァージョン(ブートでは聴くことができた)が、クレジットのないシークレット・トラックとして追加収録されています。
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」のボーナス・ディスクであるCD 3には、『フレイミング・パイ』セッションのスタジオ・アウトテイクを10曲収録しています。こちらもすべてデジタル・リマスタリングが施されています。CD 2収録曲と同様、ブックレットには歌詞(日本盤は対訳も)は掲載されていません。「スペシャル・エディション」ではCD 2に6曲のみ収録されています。自宅スタジオで制作した「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」のカセット・デモ以外はレコーディング・セッションが本格化してからのもので、CD 2のデモ・テイクよりも磨き上げられたアレンジで聞かせます。「ビューティフル・ナイト」のリハーサル・テイクではリンゴ・スターのドラムスをフィーチャー。真新しい未発表曲「カモン・ダウン・カモン・ベイビー」も飛び出します。一方、「ザ・ソング・ウィ・ワー・シンギング」など4曲はラフ・ミックスを収録。どの曲も公式ヴァージョンとの違いを見つけるのは容易です。CD 2もCD 3もシークレット・トラックを除く全曲がブートですら出回っていなかった完全初登場の音源で、コアなファンであっても喜びはひとしおです。スタジオ・アウトテイク最大の聴き所は、公式発表されたものとは何から何まで異なる「ホール・ライフ」の初期ヴァージョンでしょうか。本ボーナス・ディスクの最後には「ビューティフル・ナイト~ユーアー・ア・バスタード」というおふざけ(映像作品で聴くことができた)が、クレジットのないシークレット・トラックとして追加収録されています。なお、今回の再発売に合わせて、ポールの公式サイトでは「カリコ・スカイズ(‘イン・ザ・ワールド・トゥナイト’キャンプファイヤー・アコースティック)」「サムデイズ(ウィズアウト・オーケストラ)」「ビューティフル・ナイト(1986)」という3曲の未発表音源が無料公開されていて、こちらも注目です(「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズには未収録)。
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」のボーナス・ディスクであるCD 4には、『フレイミング・パイ』の関連楽曲を11曲収録しています。全曲が既発表の音源で、すべてデジタル・リマスタリングが施されています。これまたブックレットには歌詞(日本盤は対訳も)は掲載されていません。「スペシャル・エディション」ではCD 2に4曲のみ収録されています。まず「ルッキング・フォー・ユー」「ブルームスティック」「ラヴ・カム・タンブリング・ダウン」「セイム・ラヴ」はシングルのB面/カップリングに回され、アルバムと同時期に発売された曲です。これらは今までシングルでしか聴くことができませんでしたが、格段に手に入れやすくなりました。特に「ラヴ・カム・タンブリング・ダウン」と「セイム・ラヴ」はポール・ファンならぜひ聴いておきたい佳曲なので、本リマスター盤はそれだけで必携です。
アレン・ギンズバーグと共作・共演した「ザ・バラード・オブ・ザ・スケルトンズ(骸骨のバラード)」も今では廃盤となったシングルにしか収録されていなかった曲で、ポール側でリリースされるのは初めてです。そしてマニアならうれしいのが、ポールがDJをつとめたラジオ番組「ウーブ・ジューブ」のCD版(全6回)が網羅されている点。『フレイミング・パイ』からのシングル曲について、最初に手に入れたギターについて、お気に入りのレゲエについて・・・自らの口で語られるいろんなエピソードを、合間に挟まれるレアな未発表曲と共に1枚のCDで堪能できます。ただし、今回再録された番組はポールの挨拶やテーマ曲の一部がカットされ、シングルに収録されたものよりやや短くなっている点には注意が必要です。
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」のボーナス・ディスクであるCD 5には、『フレイミング・パイ』制作の舞台となった私設スタジオをポールが案内するオーディオ・ドキュメンタリーが収録されています。内容の一部は後述のドキュメンタリー作品「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」やCD版「ウーブ・ジューブ」にも流用されていますが、ここではオリジナルのマスター・テープからノーカットで収録し、なんと!1時間も楽しむことができます。この形で公式発表されるのは無論初めてのこと。スタジオに備えている楽器や機材にまつわる思い出を、ポールが実演とユーモアを交えて紹介してゆきます。もちろんすべて英語ですが、日本盤には対訳がブックレットに掲載されているので英語の聞き取りに自信のない方も安心です。
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」に付属のDVD 1には、ドキュメンタリー作品「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」が収録されています。友人やスタッフたちと一緒に和気藹々と『フレイミング・パイ』を制作するポールに密着取材し、本人への直接インタビューを中心に弾き語りデモからTV出演、プロモ・ヴィデオに至るまであらゆる角度からアルバムの魅力に迫ってゆく約70分の作品です。1997年にVHS及びLDとして一般発売され後年DVD化も済ませていましたが、今回のフル収録で個別に入手する手間が省けるのはありがたいですね。
最後に、「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」に付属のDVD 2には、『フレイミング・パイ』関連の映像が収録されています。既に発表されているものと、これまで公式には未発表だったものとで構成されています。メニューは5つに分かれていて、うち「Music Promos」はアルバム発売当時に制作された4曲のプロモ・ヴィデオを全7ヴァージョン収めています。「ヤング・ボーイ」「ザ・ワールド・トゥナイト」は(後者は単体のプロモとして)初ソフト化で、「ビューティフル・ナイト」のメイキング映像は短いながらコレクターの間でも出回っていませんでした。公式プロモ・ヴィデオ集「ポール・マッカートニー・アンソロジー(The McCartney Years)」に収録されていた残り2作に関しても、ここでは1997年当時に忠実な画面サイズで収録されています。
続く「EPKs」では、『フレイミング・パイ』や「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」を宣伝するために制作された3つのEPK(電子プレスキット)を見ることができます。収録曲のデモが随所で披露されるほか、インタビューではアルバム制作の裏話はもちろん曲作りやビートルズ、私生活についても幅広くたっぷり話してくれます。普段は見る機会のない会議の模様を捉えた「フレイミング・パイ・アルバム・アートワーク・ミーティング」では、ボツになったアルバムのアートワークにポールの細部に至るこだわりが垣間見えます。一方、「TFI フライデイ・パフォーマンス」はコンサート・ツアーに出なかった当時のポールにとっては珍しいライヴ活動の記録であり、とりわけ必見。最後の「デービッド・フロスト・インタヴュー」では、闘病生活にあったリンダが主な話題となっています。
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」には128ページ型ブックとノート「SONGBOOK」、封筒「Flaming Pie Collections」、封筒「Linda & Paul」が付属しています(ディスクは見開き式の厚紙に別途収納されている)。128ページ型ブックでは、『フレイミング・パイ』が完成するまでをポール本人やスティーヴ・ミラー、ジェフ・リンなどの関係者へのインタビューと、貴重な写真・資料で詳しく知ることができます。収録曲にはどんな背景があるのか?友人たちとの共演で思い出に残る出来事とは?「ザ・ビートルズ・アンソロジー」や「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」について・・・など、ファンなら誰もが知りたかったことを教えてくれます。ポール直筆の歌詞シートやジョージ・マーティンによる「サムデイズ」の楽譜なども掲載されています。また、アルバムのアートワークに使用されたものも含め主にリンダが撮影した写真が多数収められていて、視覚的にも制作過程をうかがい知ることができます。リンダが監修した6つのパイのレシピ「FLAMING PIES」もおまけに添付。アルバム本編の収録曲の歌詞と、ボーナス・トラックを含めた全曲の詳細なレコーディング・データは、今回はディスクを収納した見開き式の厚紙に付属のブックレットに掲載されています(1997年当時のライナーノーツが再録されているのはうれしい所)。
ノート「SONGBOOK」は当時ポールのロード・マネージャーをつとめていたジョン・ハメルの所有物の複製。誰がどの楽器を使用したかを曲ごとに詳細にメモしているのが見所で、レコーディング・セッションの研究にも役立つ資料です。随所には実際に使用された楽器の写真が7枚挟み込まれていて興味深いです。
封筒「Flaming Pie Collections」には『フレイミング・パイ』に関連した付録が収納されています。順に見てゆくと、ポールが作詞中に作った手書きの歌詞シートの複製(「リトル・ウィロー」「スーヴェニア」「ザ・ワールド・トゥナイト」「ラヴ・ミックス」「ヤング・ボーイ」「セイム・ラヴ」「ラヴ・カム・タンブリング・ダウン」「ザ・ソング・ウィ・ワー・シンギング」)は、歌詞やタイトルの変遷をたどることもでき見逃せません。『フレイミング・パイ』を特集した4ページの新聞「The Flame」は、ファンクラブ会報「クラブ・サンドイッチ」第82号の付録を再現したもの。ポールの音楽活動の充実ぶりが伝わってくる記事ばかりなので、全編英文ですが読んでみる価値は十分あります。そしてとどめに、燃え盛るパイのイラストが印刷された特製のピックが封入されています。
最後に、封筒「Linda & Paul」には先述のファンクラブ会報「クラブ・サンドイッチ」第82号(1997年夏刊)が収納されています。こちらも『フレイミング・パイ』を大々的に特集していて、ポールによる収録曲解説を筆頭に「ビューティフル・ナイト」のオーバーダブ・セッションのレポートなど気になる記事が目白押し。やはり全編英文ですが一度は目を通しておきたいです。
【管理人の評価】
以上見てきたように、全曲がデジタル・リマスタリングされて高音質に生まれ変わっただけでも、「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズの『フレイミング・パイ』は以前のCDに比べて断然お勧めできます。「スペシャル・エディション」ではアルバム未収録曲や未発表音源も追加収録されています。しかしより強力で、よりお勧めなのは「デラックス・エディション」。さらなるアルバム未収録曲や未発表音源(1時間に及ぶオーディオ・ドキュメンタリーを含む)が追加され、入手困難なものを多く含んだ貴重な映像を収録したDVDに、『フレイミング・パイ』の歴史を詳細に凝縮したブックとノートまでも多彩な付録と共に付いてくるのですから、ファンなら必携のアイテムです!完全生産限定盤のため今後入手が困難になる上、他の仕様に比べて価格も高めですが、苦労して手に入れる価値は十分あります。「なかなか手を出しづらいと思っている」、あまりディープに聴き込んでいない方や、これからポールのソロ・アルバムを集めようとしている方も、せめて「スペシャル・エディション」を入手するようにしましょう。アナログ盤の再生環境がある方には「コレクターズ・エディション」が最適ですが、たった3,000セットしか生産されていないのでこれから入手するのは至難の業ですね・・・。
『バンド・オン・ザ・ラン』に始まり『フレイミング・パイ』までもグレードアップして甦らせた「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズでは、今後もポールの旧作品を継続して再発売するとのこと。数々の名盤が新たなマテリアルと共に帰ってくることを皆さんで期待しましょう!
アルバム『フレイミング・パイ』発売20周年記念!収録曲+aを管理人が全曲対訳!!
【曲目解説】
CD 1
曲目解説はこちらをごらんください。
CD 2
1.ザ・ソング・ウィ・ワー・シンギング
本ボーナス・ディスクには、1993年~1996年にポールが主に自宅で制作した『フレイミング・パイ』収録曲のデモ・ヴァージョンを11曲収録している。その大半が作曲して間もない時期にカセット・テープに直接録音されたと思われ、海外に滞在中書かれた曲が多いだけに、一口に自宅と言っても様々なロケーションが想定される。一連のデモはこれまで公式発表される機会がなかった上に、外部にも一切流出しなかった。ブートを聴きあさってきたポール・マニアも驚きの、まさに今回が完全初登場の音源である。
純然たるアコースティック・ギター弾き語りで聞かせる「ザ・ソング・ウィ・ワー・シンギング」のデモは、1994年頃のものとブックレットに記載されているが、1995年1月にジャマイカで書かれたという従来の解説と矛盾する。この時点では第2節の歌詞は着手しておらず、第1節をひたすら繰り返す。サビは、序盤では公式テイクより1オクターブ低く歌われる反面、後半ではファルセットに転じる。ジェット音のようなノイズが終盤聞こえてきて、まるで飛行機か掃除機の前で歌っているみたいだ。そして何より特筆すべきが、公式テイクではカットされてしまった4拍子のパートが2回登場する点であろう。3拍子のパートとの切り替わりが唐突で不自然に感じられるためボツになったと推測されますが、それにしてはなかなかキャッチーなメロディなのでポールには別の曲に再利用してほしいなぁ・・・と思います。
2.ザ・ワールド・トゥナイト
この曲について、アルバムのライナーノーツは「デモの段階ではフォーク・ソング風だった」と触れているが、それを裏付ける音源である。テンポはさほど変わらないものの、エレキ・ギターを利かせハードに仕上げた公式テイクとは対照的な渋いアコギ弾き語りだ。曲を書くきっかけになった“I saw you sitting at the centre of a circle”で始まる第1節は歌詞を固めているが(タイトルも当初「Saw You Sitting」もしくは「Sitting In The Centre」であった)、その先は徐々に公式テイクと異なってゆく。第3節は完全に別物だし、パパラッチのことを歌った第4節に至っては存在しない。録音時期は1993年6月とされているが、1995年に休暇で訪れた米国で書かれたという従来の解説と食い違う。
3.イフ・ユー・ウォナ
この曲は1993年5月にニュー・ワールド・ツアーのオフ日を利用して書かれたので、ブックレットによればその翌月に早速デモが残されたということになる。これまたアコギ弾き語りで、エレキ・ギターが幅を利かせる公式テイクとは一線を画す。イントロとエンディングが後年の「エヴリバディ・アウト・ゼアー」みたい。最終的にはエレキ・ギターとのユニゾンで弾かれるリフを始め、アコギの各フレーズは既に考え抜かれているようだ。曲構成・歌詞は第2節まで公式テイクと大差ないが、その後のBメロが欠落している(5月29日に米国・サンアントニオ公演のサウンドチェックで一足早く取り上げた際にも、Bメロは演奏されていない)。
4.サムデイズ
公式テイクとの最大の違いはオーケストラの有無だが、それを除けば公式テイクも本デモもシンプルなアコギ弾き語りに徹している。それゆえ、2ヴァージョンを聴き比べた際の印象のギャップが他の曲より小さい。デモの録音時期は1994年3月で、曲が同月18日に書かれていることから本当に生まれたてである。しかし驚くべきがその完成度で、わずかな差分こそあれ曲構成も歌詞ももうすっかり出来上がっているのだ。新たなパートを加えたり歌詞を書き換えたりする必要のない安産だったことがうかがえる。エンディングで「ウー」というスキャットを入れるアイデアは公式テイクでも実践されたが、ミキシングの段階でオフにされてしまった(アルバム発売前に関係者に配布されたカセット・テープ収録のラフ・ミックスで確認できる)。
5.ヤング・ボーイ
1994年8月18日にリンダの仕事が終わるのを待ちながら書き上げたこの曲は、同様の経緯で生まれた「サムデイズ」よりも苦労して完成にこぎつけたようだ。公式テイクよりもテンポがゆったりした本デモは年内に録音されたが、まだまだ磨かれていない原石のような趣がある。何せのっけから“He's just a poor boy”なのだから!仮タイトルが「Poor Boy」で、エルビス・プレスリーの同名異曲を意識して見直したという有名なエピソードの動かぬ証拠だ(後半は一転して“He's just a young boy”と歌われるものの)。また、Bメロが公式テイクと全く異なり、聴き慣れないメロディ・ラインが展開される。デモの方のBメロは月並みで明らかに弱いので、採用されなかったのも納得がいきます・・・。
6.カリコ・スカイズ
この曲と「グレイト・デイ」は、正式なレコーディング(1992年9月)を済ませた後に制作された1993年6月のデモが収録されている。演奏もヴォーカルもこなれているのはそのせいであろう。ブックレットのクレジットを信じれば、アコースティック・ギターとヴォーカルのほかに口笛とパーカッションもポールが1人で担当している(それらが同時に聞こえる箇所があるので、一部はオーバーダブによるものと考えられる)。終盤になって突如繰り出されるマウス・ドラムにも注目。同じ部屋には子供たちがいるのか、話し声や前衛気味な雑音が終始耳に入ってくる。
7.フレイミング・パイ
ここまではアコースティック・ギターが主役だったが、この曲は打って変わってピアノ弾き語り。ギター・リフを基にしてできた曲ながら作曲はピアノで行われたのかと想像が膨らむ。本デモがいつ制作されたかは不明だが、「スーヴェニア」のレコーディング(1996年2月19日~)中に曲想が浮かんでいるのでそれ以降なのは間違いない。この時点でサビもメロもメロディが固まっている。一方、歌詞は第3節が未完成で、そこは適当にごまかして歌う。公式テイクに受け継がれる鼻にかかったヴォーカルはもちろん、間奏に入る前の「ブム、ブム、ブム」が楽しい。
8.スーヴェニア
アルバムのライナーノーツが紹介する、「ホーム・デモを気に入ったポールは、その演奏を公式テイクのガイド・トラックに使用した上で忠実に再現した」というエピソードで言及されているデモがまさにこれ。その証拠に、電話が鳴る音や激しい雨音がライナーノーツの記述通り聞こえる。ブックレットでは1994年頃の録音とされているが、1995年1月にジャマイカで書かれたという従来の解説と矛盾する。当時のタイトルは「I Will Come To You」であった。再びシンプルなアコギ弾き語りで、ハープのようなアルペジオが美しい。既にメロとサビが出来上がっているが、Bメロはまだない。また、歌詞は第1節しか書き上げられていない上に、しっかり練られたメロに対しサビは公式テイクとかなり異なる。どことなくジョン・レノンの「あいすません(ホーム・ヴァージョン)」に似たたたずまいを持ったデモですよね。
9.リトル・ウィロー
公式テイクでも必要最小限の楽器編成でアコースティックに聞かせる曲だが、キーボード類(ピアノ、ハープシコード、メロトロンなど)をすべて排し、またしてもアコギ1本で臨んだデモは輪をかけてシンプル。録音時期は1995年頃で、作曲もレコーディングもこの年に行われている。曲を書いてからどのくらい経っているかは不明だが、この段階でメロディと歌詞は粗方完成しており、曲構成も間奏がないのを除けば公式テイクとほぼ一致する。第2節の“Grow to the heavens~”を仕上げる前で、ファルセット気味のスキャットで埋めているのが唯一大きな違いと言えよう。
10.ビューティフル・ナイト
この曲のみ宅録ではなく、サセックスにあるポールの私設スタジオ「ホッグ・ヒル・ミル・スタジオ」の設備を使用してデモの制作が行われた。録音日は1995年7月10日で、9年以上放置されていた曲を引っ張り出してきたばかりの頃にあたる。曲が書かれた1986年に一度レコーディングを済ませているだけあって、ピアノの運指にも情感たっぷりの歌声にもたどたどしさは一切感じられない。一方、この後のセッションで見直される要素は反映前で、多くにおいて1986年のオリジナル・ヴァージョンを踏襲している。第2節の歌詞が船乗りをテーマにしたもののままだったり、ミドルエイトが2度登場したりするのはその一例。アップテンポのコーダもまだ加えられていない。オリジナル・ヴァージョンはだいぶAOR寄りに舵を切っていたが、ここから軌道修正が図られてゆく。
11.グレイト・デイ
'70年代初頭からポールが自宅で家族に歌い聞かせてきた曲だけあって、同じ環境下で制作された「カリコ・スカイズ」のデモよりも断然盛り上がっている。一連のデモでは唯一リンダが参加してコーラスを入れているし、「カリコ・スカイズ」では一貫して聴く側であった子供たちもパーカッション(膝をたたく音と思われる)やコーラスでポールのアコギ弾き語りを積極的にサポートする。その曲が流れ始めたら一緒に歌わずにはいられない・・・マッカートニー一家の体中にすっかり染み渡っていることがよーく分かります。
~デラックス・エディションとコレクターズ・エディションのみシークレット・トラック~
* グレイト・デイ(インストゥルメンタル)
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」では、「グレイト・デイ」が終わった後に19秒の無音部分を挟んでこの曲が収録されている(前曲と同じトラックに収められているため頭出しはできない)。タイトルがクレジットされていないシークレット・トラックで、レコーディング・データもブックレットに掲載されていないが、実はウイングスのドキュメンタリー・フィルム「ワン・ハンド・クラッピング」(1974年)から派生したサイド・プロジェクト「Backyard」からの音源である。公式発表されるのは初めてだが、ブートでは聴くことができた。
「Backyard」は「ワン・ハンド・クラッピング」セッション中の1974年8月30日に撮影が行われたショート・フィルムで、ポールがロンドンのアビイ・ロード・スタジオの裏庭に腰かけて様々な曲をアコースティック・ギター1本で弾き語るという内容。映像作品として仕上げるため一部楽曲をオミットして9分の長さに編集されたものの、2024年に「ワン・ハンド・クラッピング」の劇場上映に合わせてボーナス映像として公開されるまでお蔵入りとなってしまっていた。また、大半の曲のオーディオ・トラックは2024年のアルバム『ワン・ハンド・クラッピング』やブートで聴くことができるほか、2010年にアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』が「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズの一環として再発売された際には「カントリー・ドリーマー」がボーナス・トラックとして収録された。映像の方は「ペギー・スー」「アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・トゥ」「ブラックプール」の演奏シーンをドキュメンタリー作品「ポートレイト~プレス・トゥ・プレイ1986~」や、プロモ・ヴィデオ集「The McCartney Years」のメニュー画面でも見ることができる。
「Backyard」セッションは2つのリールに分けて録音されており、うち1リール目で取り上げられた曲は、ビートルズ時代の「ブラックバード」、2024年まで未発表だった「ブラックプール」、ウイングス・ナンバー「カントリー・ドリーマー」、エディ・コクランのカヴァー「トゥエンティ・フライト・ロック」、バディ・ホリーのカヴァー「ペギー・スー」「アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・トゥ」、チャック・ベリーのカヴァー「スウィート・リトル・シックスティーン」、エルビス・プレスリーのカヴァー「ラヴィング・ユー」「引っ越しだ」、そしてこの「グレイト・デイ」である。この曲は「アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・トゥ」と「スウィート・リトル・シックスティーン」の曲間にさわりが30秒ほど爪弾かれるだけだが、曲が'70年代に存在していたことを音楽的に証明する、短いながらも大変意義のある演奏だ。
CD 3
1.グレイト・デイ
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」のみ付属しているCD 3には、『フレイミング・パイ』収録曲などをスタジオに持ち込んだ際に残されたアウトテイクを10曲収録している。そのほとんどはアルバム制作の拠点となったホッグ・ヒル・ミル・スタジオでの録音。軽いリハーサルからラフ・ミックスまで、CD 2のデモ・ヴァージョンに負けず劣らず興味深い顔ぶれだが、全曲が公式未発表だったのはおろかブートですら全く出回っていなかった新鮮なレア音源である。
「グレイト・デイ」と次の「カリコ・スカイズ」は、公式テイクと同日のセッション(1992年9月3日)でのリハーサル・テイクを収録している。冒頭ポールが話しかけている「ジェフ」とは『フレイミング・パイ』セッションに携わったエンジニアのジェフ・エメリックのことだろうか(ただしこの日のエンジニアはボブ・クラウシャールである)。公式テイクと同様にポールはアコースティック・ギターを弾き、膝をたたく音をオーバーダブしている。リンダのコーラスが入るのもそのままだが、ここでは左チャンネルに何のエフェクトもかけずに配置されている(公式テイクではステレオ中央で、リバーブがほんのりかけられている)。演奏を終えたポールは一言、「これをリリースしよう!」と叫ぶ。
2.カリコ・スカイズ
リンダのリクエストを受け、ポールが公式テイクに似たアコギ弾き語りを披露する。しかしキーは異なり、ここでは公式テイクよりも半音上げている(2002年以降のライヴ・ヴァージョンと同一)。テンポが若干速めなのもあいまって、より朗らかに響くのは気のせいか。また、第2節が割愛されてショート・ヴァージョンになっているほか、第1節の“From the moment~”が“From the minute~”と歌われている。演奏後のポールのコメントは「こうやってアルバムを作ろう!」。この日はもう1曲、「ホエン・ウィンター・カムズ」も取り上げられたが、アルバム『マッカートニーIII』で陽の目を浴びるまで28年もお蔵入りの憂き目に遭ってしまった。
3.カモン・ダウン・カモン・ベイビー
今回のリマスター盤で初めて陽の目を浴びた未発表曲(ブートや文献でもその存在は知られていなかった)。とはいえ、真剣に取り組んで書いたというよりは即興で作り上げた感が強い1曲だ。レコーディングは1997年2月20日に行われていて、時期的にドキュメンタリー作品「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」用のセッションと推測される。ポールは足でリズムを取りながらアコースティック・ギターを弾き、イントロではリンダが「オイ!」という掛け声を入れる。歌詞は多分に即興的だが、メロディは他に再利用されなかったのが惜しまれるくらいキャッチー。エンディングは突如として「カリコ・スカイズ」の一節が飛び出す。メロトロンのお遊び曲しかり「リアリー・ラヴ・ユー」しかり、この頃のポールは即興になるとすぐに「カモン・ベイビー」というフレーズが口から出てきますよね。
4.イフ・ユー・ウォナ
この曲はスティーヴ・ミラーを英国に招いてのセッションで取り上げられたが、本デモは作業に着手する6日前の1995年5月5日に録音されている(同日には「ユースト・トゥ・ビー・バッド」を1日で完成させている)。ホーム・デモに続きアコギ弾き語りで、スティーヴに「こんな曲だよ」とざっと聞かせるのが目的のようだ。第1節と第2節のみが披露され、Bメロには至らない。ホーム・デモよりテンポを落とし、「エヴリバディ・アウト・ゼアー」みたいだったイントロとエンディングを見直したため、全体的にイメージが公式テイクに近づいている。この曲は「スペシャル・エディション」には収録されていない。
5.ビューティフル・ナイト
1996年5月13日に実現したリンゴ・スターとの記念すべきセッションより、「とりあえず通しで合わせてみよう」という趣旨のリハーサル・テイクである。参加しているのはピアノを弾くポールとドラムスをたたくリンゴの2人だけで、元ビートル水入らずのシンプルな演奏が繰り広げられる。曲を熟知しているポールに対しリンゴは初挑戦となるわけだが、堅実なドラミングに要所でフィルインを交え、臨機応変に対応していてさすがベテラン。「本当に昔に帰ったようだったよ」とポールが振り返るように、ビートルズのリズム隊だった2人の相性のよさも再確認できる。ここではコーダは省かれているが、1986年のオリジナル・ヴァージョンからの改善点(第2節の歌詞やミドルエイトの回数など)は反映済みである。
6.ザ・ソング・ウィ・ワー・シンギング
ここから4曲は、『フレイミング・パイ』セッションの途中で暫定的に制作されたラフ・ミックスが収録されている。うち「ザ・ソング・ウィ・ワー・シンギング」のラフ・ミックスは1995年11月3日にジェフ・エメリックが手がけたとされているが、同月6日にレコーディングを開始したという従来の解説と食い違う。デモ・ヴァージョン(本リマスター盤のCD 2に収録)を気に入っていたポールは、「スーヴェニア」と同じ要領でデモの演奏をマルチトラック・テープにコピーし、ガイド・トラックとして使用することで忠実に再現したが、その過程がよく分かるミックスである。
ラフ・ミックスでは、中核となるアコースティック・ギターとヴォーカルはデモからそのまま流用されている(公式ヴァージョンでは正式に録音したものに差し替えられた)。ただし曲構成は公式ヴァージョンで聴かれる通りに改められ、各節の間隔が調整されたほか4拍子のパートが削られた。これらの編集作業には、共同プロデューサーのジェフ・リンの人脈でマーク・マンが起用されている。続いて、複数のアコギを新たにオーバーダブして音を分厚くしているが、この時点ではエレクトリック・ギターやキーボードなどはまだなく全編アンプラグドだ。第3節の後に加えられた長いブレイクで、公式ヴァージョンでは他の楽器に埋もれているカウントがよく聞こえる。この曲は「スペシャル・エディション」には収録されていない。
7.ザ・ワールド・トゥナイト
このラフ・ミックスは1995年11月3日にジェフ・エメリックが手がけたとされているが、同月13日にレコーディングを開始したという従来の解説と食い違う。また、イントロや間奏の小節数が公式ヴァージョンより少ないことを考慮すると別ミックスというより別テイクである可能性が高い。ベースとドラムスを2本のアコースティック・ギターが引っ張る4ピースのバンド・サウンドで、エレキ・ギター中心のヘヴィーなロック・ナンバーに変貌する一歩手前にとどまっている。ポールのヴォーカルはシングル・トラックで、1オクターブ下を一緒に歌うコーラスが入っていないため圧倒的に軽い。歌詞は相変わらず第1節と第2節のメロのみが固まっている状態で、サビでは後にボツになった“Love will make me happy”などがそのまま残されている。この曲は「スペシャル・エディション」には収録されていない。
8.リトル・ウィロー
作業に着手して3日目にあたる1995年11月23日に制作されたラフ・ミックスで、エンジニアはジェフ・エメリック。この時点で録音済みの楽器はアコースティック・ギター、ピアノと(ブックレットに記載がないが)バックにうっすらと入るシンセのみで、デモ・ヴァージョンほどではないもののミニマルにまとまっている。ポールのヴォーカルは公式ヴァージョンと同じものに思えてしまうが、微妙な歌い回しの違いで判別できるように別テイクである(さらに終盤は第1節でなく第2節を繰り返す)。ジェフ・リンも加わったハーモニーは、ラフ・ミックスでは間奏とアウトロで展開されるにとどまり、かつこちらも別テイク。この曲は「スペシャル・エディション」には収録されていない。
9.ホール・ライフ
1995年頃に書かれたマイナー調のロック・チューンで、その作風は「ザ・ワールド・トゥナイト」にも通じる。同年5月にデイヴ・スチュワート(元ユーリズミックス)をホッグ・ヒル・ミル・スタジオに招いてのセッションで取り上げられ、11月にはデイヴが所有するチャーチ・スタジオ(ロンドン)で追加のレコーディングが行われたが、お蔵入りになってしまった。その後しばらくは忘れ去られていたが、2003年になってデイヴを再び誘い、当時のツアー・バンドのメンバーと共にリメイク。このヴァージョンが、ネルソン・マンデラ南アフリカ元大統領が提唱したHIV/AIDS撲滅キャンペーンのために企画されたチャリティ・アルバム『One Year On 46664』(2005年・スペイン以外ではネット配信のみ)に提供され、10年越しに公式発表された。
今回ボーナス・トラックに選ばれたのは、一度もブートに流出したことがなかった1995年ヴァージョン。同年12月1日にジェフ・エメリックが手がけたラフ・ミックスが収録されている。どちらもストレートなロックであることには変わりないが、テンポを落としているので荒々しい2003年ヴァージョンよりも洗練された印象を受ける。デイヴが弾くギター以外の楽器はポールの1人多重録音で賄っていると考えられ、その無機質な音作りは後年のアルバム『追憶の彼方に~メモリー・オールモスト・フル』さながら。聴き所は2003年ヴァージョンではカットされてしまった“Everybody's soul~”で始まるパートで、終盤になってメロと同時に歌われるのが効果的だ。個人的には、本リマスター盤の未発表音源で最大の収穫でした。ポール・ファンの間でも知る人ぞ知る2003年ヴァージョンが今回未収録なのは惜しまれますが、これがまた絶品なので(入手困難ですが)ぜひ聴いてみてください。
10.ヘヴン・オン・ア・サンデイ
公式テイクのレコーディングから遡ること1ヶ月の1996年8月に、ポールがカセット・テープに直接吹き込んだデモ・ヴァージョン。スコットランドにある自宅に設けられ、'70年代以降数多くのデモ・テープの制作現場になってきたルード・スタジオで録音されている。リズムボックスをバックにポールが人力でドラムスをたたき、さらに1人で他の楽器(この曲の場合はエレクトリック・ピアノ)やヴォーカルを重ねてゆくという工程は一連のルード・スタジオ・デモに共通する。公式テイクよりもアップテンポで粗削りな感は否めないが、左チャンネルにエコーをまぶしたヴォーカルと、それを引き立てるエレクトリック・ピアノの音色は純粋に美しい。メロディは確立されているものの、第2節の歌詞の一部がまだ出来上がっていない。
~デラックス・エディションとコレクターズ・エディションのみシークレット・トラック~
* ビューティフル・ナイト~ユーアー・ア・バスタード
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」では、「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」が終わった後に20秒の無音部分を挟んでこの曲が収録されている(前曲と同じトラックに収められているため頭出しはできない)。タイトルがクレジットされていないシークレット・トラックで、レコーディング・データもブックレットに掲載されていないが、ドキュメンタリー作品「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」のオーディオ・トラックである。ブートでは同ドキュメンタリーから抜き出してきた音源が出回っていたが、公式発表されるのは初めて(曲が終わった後の会話は完全初登場)。
ポールとリンゴが繰り広げるこのおふざけは、「ビューティフル・ナイト」のレコーディング・セッションの合間に録られたものであろう。ポールによるピアノの伴奏にのせて最初はゆったりと「ビューティフル・ナイト」を歌う2人だが、テンポを上げた途端、歌詞はそのままに全く別のメロディで歌い始める。これだけでも面白いのに、“You and me together, nothing feels so good(君がいないと/いい気分には全然なれない)”を字面通り「君と一緒だと/いつも不愉快さ」と受け取って、「お前はろくでなし」と相手を罵倒する展開に飛躍させてしまう(笑)。2人のユーモアのセンスを垣間見ることができると共に、50代半ばに突入したリンゴの円熟味ある歌声も楽しめる。
CD 4
1.ザ・バラード・オブ・ザ・スケルトンズ(骸骨のバラード)
米国を代表するビート詩人として知られたアレン・ギンズバーグのシングル(1996年10月8日発売)に収録された曲。長いこと他では聴くことができず入手困難となっていたが、今回初めてポール名義の作品でのリリースが実現した。曲の母体となっているのはアレンが1995年に書いた詩で、様々な身分・立場・信仰・思想を持つ人間たちを骸骨に見立てて痛烈に皮肉っている。これを朗読会で披露するにあたり、バックで演奏をつとめるギタリストを探していたアレンはポールに助言を求めたが、「僕を試してみない?この詩が大好きだから」との答えが返ってきたという。そしてその言葉通り、ロイヤル・アルバート・ホールで開催されたアレンの朗読会(1995年10月16日)にポールが予告なしに参加し、観客を驚かせた。
その後レニー・ケイのプロデュースでスタジオ・ヴァージョンを制作することとなり、アレンはステージで一緒したポールにも声をかけた。ポールは24トラックのベーシック・トラックが送られてくると、ホッグ・ヒル・ミル・スタジオでギター、ハモンド・オルガン、ドラムス、マラカスをオーバーダブ。その多大な貢献が認められ、アレンとフィリップ・グラス(ピアノを担当)と揃って共作者にクレジットされている。シングルには「Edit」(約4分に縮めたショート・ヴァージョン)と「Clean」(不穏当な単語を無難なものに差し替えている)という2種類の別ヴァージョンも収録されていた。コアなファンでも他アーティストとのコラボレーションまではなかなか手が届かないので、1ヴァージョンのみながらボーナス・トラックに含んでくれたのはうれしいですね。この曲は「スペシャル・エディション」には収録されていない。
2.ルッキング・フォー・ユー
1997年4月に英国で発売されたシングル「ヤング・ボーイ」のB面で、アルバム未収録曲。米国では翌月に発売されたシングル「ザ・ワールド・トゥナイト」のB面であった。また、2007年に『フレイミング・パイ』がiTunesで発売された際にはボーナス・トラックに選ばれている。同日に録音された「リアリー・ラヴ・ユー」のように、リンゴやジェフ・リンとジャムを楽しんでいるうちに生まれた。リンゴのタイトなドラミングに支えられながら、ポールはアドリブで歌詞をひねり出してシャウト交じりのヴォーカルを入れてゆく。この曲についてリンゴは「コンガをたたいたのをよく覚えているよ」と振り返る。共同プロデューサーのジェフによるギターとコーラスのサポートにも注目。
3.ブルームスティック
CDシングル「ヤング・ボーイ」のカップリングで、アルバム未収録曲。これまでシングル以外に収録されたことがなく、長い間正規での入手が困難であった。1995年5月にスティーヴとの2人きりのセッションで取り上げられたカントリー・ブルースで、仮タイトルはずばり「Slow Blues」であった。ブルース・バンド出身のスティーヴの影響が色濃く表れ、渋いギター・フレーズやブルージーなヴォーカルが大人の世界に誘ってくれる。スティーヴが弾くギターを除きポールの1人多重録音。珍しく単音弾きで聞かせる間奏のピアノ・ソロや、やたらとエフェクト処理されたシンバルも耳に残る。プロデューサーはポール。なお、今回の再発売に合わせて、未発表のインスト・ヴァージョンがローリング・ストーン誌の公式サイトで公開されている(「ポール・マッカートニー・アーカイブ・コレクション」シリーズには未収録)。
4.ラヴ・カム・タンブリング・ダウン
1997年12月に英国と一部ヨーロッパで発売されたシングル「ビューティフル・ナイト」のB面で、アルバム未収録曲。これもシングルでしか聴くことができなかった曲で、米国や日本では今まで未発表であった。この曲は『フレイミング・パイ』とは直接の関連はなく、1987年春にフィル・ラモーンをプロデューサーに迎え、『プレス・トゥ・プレイ』に続くアルバム(通称『The Lost Pepperland Album』)の制作を目的としたセッションでのアウトテイクである。一連のセッションでは「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」「バック・オン・マイ・フィート」など10曲ほどが録音されたが、ラモーンとの音楽的見解の相違が原因でアルバムは完成を目前に頓挫してしまった。
少し風変わりな甘いヴォーカルで恋が終わる瞬間を歌いかけるラヴ・ソングで、ポールは起伏の激しいメロディを難なくこなす。エレキ・ギターはティム・レンウィック、キーボードはニック・グレニー=スミス、ドラムスはチャーリー・モーガン。シンセの使い方を始め、ビリー・ジョエルを手がけたラモーンのプロデュースによってAORの雰囲気たっぷりに仕上がっている。'80年代ポールが連発していたAOR系ナンバーの集大成と言っても過言でない隠れた名曲で、この曲を愛するファンも少なくない。私もその1人で、マッカートニー・ナンバー全曲でも屈指のお気に入りに常に挙げるほど大好きです(身も心もフニャフニャです)。それだけに、知る人ぞ知るシングルB面曲にとどまっていたことにじれったさを覚えていましたが、アルバム初収録(日本では初の公式発表)によってより多くのリスナーに聴く機会が与えられたことを大歓迎したいです!
5.セイム・ラヴ
CDシングル「ビューティフル・ナイト」のカップリングで、アルバム未収録曲。これまた長年シングルでしか聴くことができず、米国や日本では未発表曲であった。こちらはアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』セッションのアウトテイクで、1988年6月にポールのセルフ・プロデュースで録音された。同時期の「ふりむかないで」にも参加したニッキー・ホプキンスが弾くピアノがメインのバラードで、「ラヴ・カム・タンブリング・ダウン」に続きAORの影響を感じさせる。ギターは後にツアー・バンドの一員となるヘイミッシュ・スチュアート。ポールにしか書くことのできない美しいメロディにのせて、せつないヴォーカルと感傷的な詞作が涙を誘う。特にミドル以降の高揚する展開は感動的で、ファンならずとも心を鷲掴みにされること間違いなし。9年間お蔵入りにした後シングルの片隅に埋もれさせておくにはあまりにもったいない1曲で、数あるアルバム未収録曲の中でも強くお勧めします。まだ聴いていないという方はこの機会にぜひ!
6.ウブ・ジュブ パート1
ここから6トラックは、『フレイミング・パイ』からの3枚のシングルに分けて収録されていたCD版「ウーブ・ジューブ」である。いずれも他では聴くことができず、正規での入手は困難となっていた。詳しくは各パートの項で説明するが、今回ボーナス・トラックとなった音源は一部がカットされ、シングルに収録されたものよりもやや短くなっている(「パート6」を除く)。CD版「ウーブ・ジューブ」は「スペシャル・エディション」には収録されていない。この「パート1」は、英国ではCDシングル「ヤング・ボーイ」(2種類発売されたうち、ジャケットが緑の方)に収録されていた。一方、米国ではCDシングル「ザ・ワールド・トゥナイト」のカップリングであった。
「ウーブ・ジューブ」はポールが制作・監督し自らDJもつとめたラジオ番組(1995年5月~9月・全15回)で、米国ウエストウッドワンで放送された。プロデューサーはエディ・ピューマ。番組名はフランスの劇作家アルフレッド・ジャリの戯曲「Ubu Cocu」にインスパイアされている。番組は基本的に1回1時間で、ポール自身のレア音源(未発表曲やデモ、サウンドチェック)とお気に入りの他アーティストの楽曲を、トークやリンダのお料理コーナーと共に流してゆくという構成であった。そのスタイルを受け継いだCD版「ウーブ・ジューブ」では、未発表音源1曲を録り下ろし含むトークやジングルで挟んだ約10分・全6回のミニ番組に再編されている。
- サム・フォークス・セイ・ウーブ
駆け足でドアを開ける音と共に、ポールが「ウーブと言うヤツも、ジューブと言うヤツもいるけど、僕はウーブ・ジューブと言うよ!」と番組のスタートを告げる。「ワイドスクリーン・ラジオ」とはポールがこの番組を表現するために盛んに使用していた語句である。
- ウーブ・ジューブのテーマ
番組のテーマ・ソング。ポールとリンダがタイトルコールを繰り返すだけの陽気で楽しい小曲だが、レコーディングは'80年代に済ませていて、さらにその原型となるデモは'70年代まで遡ると言われる。思わず一緒に口ずさんじゃいそうです。
- ファン・パックト・ショー
短いジングルにのせてポールが「ようこそ、今週はお楽しみいっぱいだよ!」とリスナーの期待を高める。
- アイ・ラヴ・ディス・ハウス
「パート1」の未発表音源。アルバム『ヤァ!ブロード・ストリート』を発表した1984年秋に、デヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えたセッションで取り上げられた(この時は他に「幸せなる結婚」「Lindiana」を録音)。共演者は全員「デイヴ」で、フォスターがキーボードを、デヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)がエレキ・ギターを、デイヴ・マタックスがドラムスを担当している。鋭角的で無機質な音作りが強烈なインパクトを残すロック・ナンバーで、翌年に制作を開始する『プレス・トゥ・プレイ』に収録されていても違和感がない。一方で歌詞はストレートな我が家讃歌である。
- クロック・ワーク
時計の音を模した短いジングル。
- ポール・マッカートニー、「ヤング・ボーイ」を語る
「ヤング・ボーイ」のインスト・ヴァージョンをBGMに、曲ができるまでのエピソードをポールが語る。前半は作曲時のエピソード。ニューヨーク・タイムズ紙の取材を受けたリンダがピエール・フラニーというシェフと料理を作っている間、暇つぶしに控え室で書いたのは周知の通り。当初のタイトルが「Poor Boy」だったこと、恋を始めたばかりの若者たちが詞作の念頭にあったこと、いったん離席した後控え室に戻ったら見知らぬ女の子がソファーに座っていたことにも触れる。後半はスティーヴとのレコーディング・セッションについてで、「とっても楽しい時間を過ごしたよ。まるでホリデーみたいだったね」とポールは振り返る。
- ウーブ・ジューブ・ウィ・ラヴ・ユー
「ウーブ・ジューブのテーマ」から派生した、ハワイ風のコーラスワークをフィーチャーした短いジングル。シングルではこの後、「続きは次のシングルで聴けるよ!」という別れの挨拶と「ウーブ・ジューブのテーマ」が続くが、今回はカットされている。
7.ウブ・ジュブ パート2
「パート2」はCDシングル「ヤング・ボーイ」(ジャケットがピンクの方)のカップリングであった。
- ブリリアント、ホワッツ・ネクスト?
シングルでは冒頭に2つのジングル(「ワイドスクリーン・ラジオ」「ウーブ・ジューブ・ウィ・ラヴ・ユー」)と「ウーブ・ジューブのテーマ」が登場するが、今回はカットされている。「ブリリアント、ホワッツ・ネクスト?」は短いジングルで、タイトル通りポールが「お見事、次は何だい?」と尋ねる。
- アトランティック・オーシャン
「パート2」の未発表音源。フィル・ラモーンとの『The Lost Pepperland Album』セッションのアウトテイクである。「アイ・ラヴ・ディス・ハウス」にも負けない機械的でアグレッシブなダンス・ナンバーで、終始繰り出されるハーフ・スポークンのヴォーカル・スタイルからポール流ラップとも言えよう。エレキ・ギターはマーティン・バー、キーボードはフィル・ピケット、ドラムスはスチュワート・エリオット。完成に至るまで何度も作り直したそうで、間奏以前は1987年当初のヴァージョン(ブートで聴くことができる)とはヴォーカルが大幅に異なる。大西洋を舞台にした物語風の歌詞では黒人奴隷や海賊の人生が描かれ、トリニダード島やペニー・レインといった沿岸の地名が歌われる。
- ポール・マッカートニー、思い出を語る
アコースティック・ギターの演奏をBGMに、父親ジェームズとの思い出をポールが語る。まず、ジェームズが20代の頃にジム・マックズ・バンドというジャズ・バンドを結成し、セミプロながらピアノをマスターしトランペットも少しかじっていたことが紹介される。それから、ジェームズが若き日のポールに誕生日プレゼントとしてトランペットを買い与えた話に移るが、「歯がボロボロになるまで続くかって心配の上に、トランペットを吹きながら歌うことはできないのに気づいた」とのこと。そこでジェームズに頼んで、ラッシュワース&ドレイパーズという楽器店でトランペットと交換してもらったのが、ポールにとって最初のギターとなったゼニスのアコースティック・ギターである。
- ブーレ・ホ短調
ポールがアコースティック・ギターで爪弾くのは、クラシック界の大御所ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1708年~1717年に書いたリュート組曲の一節。この曲についてポールは「ブラックバード」「ジェニー・レン」といった自作曲のインスピレーションになったとたびたび説明していて、コンサートで「ブラックバード」を演奏する際に披露してくれることが稀にある。
- ウーブ・ジューブ・ウィ・ラヴ・ユー
「ウーブ・ジューブのテーマ」から派生した、ハワイ風のコーラスワークをフィーチャーした短いジングル。シングルではこの後、「次のシングルまでチャンネルはそのままでね!」という別れの挨拶と「ウーブ・ジューブのテーマ」が続くが、今回はカットされている。
8.ウブ・ジュブ パート3
「パート3」は1997年7月に英国と一部ヨーロッパで発売されたCDシングル「ザ・ワールド・トゥナイト」(ジャケットが青の方)のカップリングであった。
- イントロ・チャット
リスナーが聴いているのは「ウーブ・ジューブ」というワイドスクリーン・ラジオであることを、ポールが教えてくれる。シングルではこの後「ウーブ・ジューブのテーマ」が続くが、今回はカットされている。
- スクイッド
「パート3」の未発表音源でインスト・ナンバー。これまた『The Lost Pepperland Album』に収録すべく1986年12月に録音されたが、こちらはポールのセルフ・プロデュースでフィル・ラモーンは関わっていない。ポールお得意のワンマン・レコーディングで、アコースティック・ギターの澄んだメロディとエレキ・ギターのハードなメロディが交互に訪れる。ラジオ版「ウーブ・ジューブ」で放送された際には、菜食主義の啓蒙のため「Be A Vegetarian」に改題され、同タイトルを繰り返すポールの声が加えられていた。
- ポール・マッカートニー、「ザ・ワールド・トゥナイト」を語る
「ザ・ワールド・トゥナイト」のインスト・ヴァージョンをBGMに、曲ができるまでのエピソードをポールが語る。歌詞についてポールは「ただのアイデアの寄せ集め」とし、特定の人物のことを歌ったわけでないと明かす。「円の中心に座る君」も「体を揺らす君」も、第4節に登場するパパラッチにもモデルは存在しない。ポールが気に入っている“I go back so far, I'm in front of me(ずっと後ろに戻れば/僕は僕の前にいるよ)”という一節にも触れ、「一体どういう意味なんだい?」と一言。シングルではこの後、「続きは次のシングルで聴けるよ!」という別れの挨拶「リンク」と「ウーブ・ジューブのテーマ」が続くが、今回はカットされている。
9.ウブ・ジュブ パート4
「パート4」はCDシングル「ザ・ワールド・トゥナイト」(ジャケットがオレンジの方)のカップリングであった。
- イントロ・チャット
ポールがディレイをたっぷりかけた声で「昼も夜もちょっとだけウーブ・ジューブ、誰のことも傷つけないよね?」と話す。シングルではこの後「ウーブ・ジューブのテーマ」が続くが、今回はカットされている。
- リンク
ポールから突然電話がかかってくる。不気味なシンセ音をバックに、「僕らこれから曲をやるんだ。準備はいいかい?」とポール。
- ドント・ブレイク・ザ・プロミセズ
「パート4」の未発表音源。'80年代ポールの右腕を担っていたエリック・スチュワート(10cc)との共作で、2人のパートナー関係がより強固なものになった『プレス・トゥ・プレイ』の時期に書かれた。当時はお蔵入りになってしまったが、その後エリックが10ccの再結成アルバム『ミーンホワイル』(1992年)で一足早く公式発表した。一方、ここで聴くことができるのはそのポール・ヴァージョンである(「ソロ・ヴァージョン」と銘打たれている)。レコーディングは『フラワーズ・イン・ザ・ダート』セッション中の1988年6月に、ヘイミッシュ・スチュアートとスタジオ入りして行われた。プロデューサーはポール。
10ccはスケールの大きなバラードに仕上げたが、ポールはなぜかレゲエ調に解釈している。やはりポールとエリックの共作で、1995年に発表された「イヴォンヌこそ我が本命」(10ccのアルバム『ミラー・ミラー』にレゲエ・アレンジで収録。正統派バラードのポール・ヴァージョンは未発表)とは正反対で面白い。さらにサビを除けばメロディも歌詞も全くの別物で、思わず「本当に同じ曲なの!?」と疑いたくなるはず。ポール・ヴァージョンのヴォーカルは終始ファルセットで、コーラスも含めあまりに素っ頓狂である。ラジオ版「ウーブ・ジューブ」では、ポール・ヴァージョンと10ccヴァージョンのメドレー形式で放送された。
- ポール・マッカートニー、レゲエを語る
愛聴するレゲエに関するエピソードをポールが語る。ポールとリンダは、レゲエが英国で人気になりつつあった頃から休暇でジャマイカを訪れ、ラジオやレコードでレゲエ漬けの日々を送っていたという。中でも印象に残っているのがモンテゴ・ベイのファスティック・ロードにあった「トニーのレコードセンター」というレコード店で、巨漢のトニー店長が経営するその店ではレゲエのシングル盤(レーベル面が非常にシンプルで、「Lick I Pipe」「Version」としか書かれていないものもあったとのこと)が無数に陳列されていたと振り返る。BGMのレゲエ・ナンバーは「デイジー・ルーツ・レゲエ」というタイトルで、ポールがコンサート・ツアーのサウンドチェック中に即興で演奏したもの。「ザ・ファースト・ストーン」に似た曲調で、「Ou est samba listen?」という歌詞が聞き取れる。シングルではこの後、「次のシングルまでチャンネルはそのままでね!」という別れの挨拶「リンク」と「ウーブ・ジューブのテーマ」が続くが、今回はカットされている。
10.ウブ・ジュブ パート5
「パート5」はCDシングル「ビューティフル・ナイト」(ジャケットが黄色の方)のカップリングであった。
- アンド・ナウ(ジングル)
ポールが「そして今・・・ウーブ・ジューブ!」と叫ぶ短いジングル。
- ウーブ・ジューブのテーマ
お定まりのテーマ曲をBGMに、ポールがホッグ・ヒル・ミル・スタジオのブースまで案内してくれる(このくだりは本リマスター盤のCD 5「フレイミング・パイ・アット・ザ・ミル」に加工前の音源が収録されている)。シングルではテーマ曲をより長く(CD版「ウーブ・ジューブ」内では最も長く)聴くことができるが、今回は話し声がかぶらない箇所はカットされている。
- ビューティフル・ナイト・チャット
「ニュー・アルバムではたくさんピアノを使ったんだ」と説明するポールがピアノで弾き始めるのは、その好例と言える新曲「ビューティフル・ナイト」。のっけから歌詞を入れ違えてグダグダになり、スキャットで何とかごまかしているのはご愛嬌か。
- ポール・マッカートニーとリンゴ・スター、「ビューティフル・ナイト」を語る
「ビューティフル・ナイト」のインスト・ヴァージョンをBGMに、曲ができるまでのエピソードをポールとリンゴが語る。ポールいわく、曲自体は好きだったものの「これだ!」と思えるヴァージョンができずお蔵入りにしていたが、リンゴとの共演のために引っ張り出して体裁を整えたとのこと。その後実現したセッションについては「本当に昔の頃みたいですごく心地よかったよ」とご満悦だ。ドアマンを真似たリンゴの台詞「さぁさぁお入りください」を気に入って曲の最後に残したというファンの間では有名な話にも触れる。一方のリンゴもポールとのひさしぶりの共演を心から楽しんだようで、「ポールのベースに合わせて演奏するのはいまだにすごく気持ちいいよ」と上機嫌に話す。
- リンゴ・スター・チャット
「一緒に演奏する時、俺たちの長い歴史が音に表れるんだ。それを一蹴するなんてできないよ」とリンゴ。
- ビューティフル・ナイト(『フレイミング・パイ』ミックス)
2人の思い出話を締めるべく、『フレイミング・パイ』収録の公式ヴァージョンよりコーダが引用される。リンゴの「さぁさぁお入りください」もノーカットでばっちり確認できる。
- ビューティフル・ナイト(オリジナル・ヴァージョン)
「パート5」の未発表音源。先ほどのインタビューで言及されている、満足行く仕上がりにならなかった「ビューティフル・ナイト」の最初期ヴァージョン(オリジナル・ヴァージョン)である。そのレコーディングは、『フレイミング・パイ』から10年以上も遡る1986年8月21日にプロデューサーのフィル・ラモーンの提案で行われた(同日には1989年に陽の目を浴びる「ラヴリエスト・シング」も録音)。ニューヨークのスタジオ「パワー・ステーション」に、ラモーンの人脈でビリー・ジョエルのバック・バンドのメンバー(デヴィッド・ブラウン、リバティ・デヴィート、デヴィッド・レボルト)を招集。一晩で完成した後は『The Lost Pepperland Album』の収録曲候補に挙がっていた。
オリジナル・ヴァージョンは『フレイミング・パイ』ヴァージョンよりもAOR色が強く、それに合わせてかポールの歌い方もやや大仰である。また、ミドルエイトが2度登場するほか、第2節の出だしが“I don't need a rowboat, I don't need no wood(ボートなどいらない/薪もいらない)”と船乗りをテーマにしたものになっている(これらは『フレイミング・パイ』セッションで改められる)。エンディングはコーダがなく、代わりにサビを延々と繰り返す。洗練度だと『フレイミング・パイ』ヴァージョンに軍配が上がりますが、個人的にはオリジナル・ヴァージョンの方が好きだったりします。CD版「ウーブ・ジューブ」ではイントロとエンディングが編集で短くなっているが、約6分のフル・ヴァージョン(以前はブートで聴くことができた)が本リマスター盤の発売に合わせてポールの公式サイトで無料公開されている。
- グッドバイズ
ポールが1人で何役も演じながら「もう行くよ、さよなら」とリスナーに告げる。シングルではこの後、「続きは次のシングルで聴けるよ!」という別れの挨拶と「ウーブ・ジューブのテーマ」が(車で走り去る音と共に)続くが、今回はカットされている。
11.ウブ・ジュブ パート6
「パート6」はCDシングル「ビューティフル・ナイト」(ジャケットが紫の方)のカップリングであった。
- ディス・ワン(ジングル)
「ディス・ワン」(1989年)のイントロをモチーフにした短いジングル。
- ウーブ・ジューブのテーマ
番組のテーマ・ソング。
- ウーブ・ジューブ・ウィ・ラヴ・ユー(ジングル)
「ウーブ・ジューブのテーマ」から派生した短いジングル。
- ポール・マッカートニー、アビイ・ロードを語る
ビートルズ時代からポールが愛用してきたアビイ・ロード・スタジオに関するエピソードをポールが語る。ビートルズのサウンドが'60年代としては豊かなのは、アビイ・ロード・スタジオに多彩な楽器が常備されていて、それをいつでも使用できたことが秘訣だとポールは説明する。続いてその一例として、ポールもホッグ・ヒル・ミル・スタジオに所有しているメロトロン(ウイングスも使用したもの)が紹介される。
- ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(ポール・ソロ)
ビートルズがメロトロンを使った最も有名な例としてポールが挙げたのが、1967年発表のヒット・シングル。メロトロンと聞いて相棒ジョンが書いたこの曲が真っ先に思い浮かぶファンも多いはず。ここでポールは、オリジナル通りフルートの音色にセッティングされたメロトロンを弾き、冒頭の一節を歌ってみせる。直後のピッチ・コントロールも音と口で再現している。
- ポール・マッカートニー、アビイ・ロードを語る
「これを弾くのは魔法のようだったよ」「戦時中からタイムスリップしたかのようなグレーの塗装だね」とポールが感想を述べるメロトロンの話が続く。「本来はキャバレーの演奏者なんかに販売するつもりだったんだと思うよ。プリセット音源を使用して簡単にバンドやドラマーの伴奏を再現できるからね」とポールは推測する。
- カモン・ベイビー
メロトロンのプリセット音源を使用した即興曲。古いフランス映画にありそうな伴奏をバックに、「僕と飲みたいかい?」などと女を口説く男の台詞を(女の方も1人2役で演じながら)ポールが乗っけてゆく。本リマスター盤のCD 5「フレイミング・パイ・アット・ザ・ミル」に収録されている完全版で、1962年に英国政界を揺るがしたスキャンダル「プロヒューモ事件」を題材にしていることが分かる。
- ポール・マッカートニー、アビイ・ロードを語る
メロトロンの安っぽさをさらに知らしめるために、ポールがスイッチでプリセット音源を切り替える。
- カモン・ベイビー(続き)
メロトロンのプリセット音源を使用した即興曲。タイトルは同じ「カモン・ベイビー」だが、別の音源に切り替えたため曲調は異なる。ポールは高慢そうな貴族の真似をして「お城へようこそ」「ハンス、お前はよくもてなしてくれるのう」などと台詞を入れる(ドイツ語もどきの単語をでっち上げていることから近世ドイツの貴族を意識しているのであろう)。別の声で「このハンスはどんなキャラクターなんですの?」とツッコミを入れるのも忘れない。先ほどよりもおふざけ度増し増しで、周りにいたスタッフの笑いを誘っている。
- エンド・チャット・アビイ・ロード
「プリセットされたものを使えばこんなにたくさん楽しめるってことだよ」と締めるポールにスタッフの笑いが止まらない。
- オーケー・アー・ユー・レディ(ジングル)
短いジングルにのせてリンダが「準備はいいかしら?」とポールに尋ねる。リズムが似た次曲とすっかり同じ曲に溶け込んでしまっているのが面白い。
- ラヴ・ミックス
「パート6」の未発表音源。またしても『The Lost Pepperland Album』セッションのアウトテイクで、プロデューサーはフィル・ラモーン。ピアノを基調とした陽気なブギウギ・ナンバーで、覚えやすいポップなメロディがポールらしい。後にツアー・バンドの一員となるロビー・マッキントッシュがギターをオーバーダブしている。スタジオで取り上げたのは1987年のことだが、サビは1974年頃には既に存在し、「Waiting For The Sun To Shine」のタイトルでピアノ・デモも残されていた。「ウーブ・ジューブ」で発表するにあたりリミックスが施され、曲の長さも若干短く編集されている(編集前のヴァージョンはブートで聴くことができる)。
- ワイドスクリーン・ラジオ(ジングル)
「ワイドスクリーン・ラジオ!」というシャウトから成る短いジングル。
- グッドバイ
ポールが「番組を楽しんでくれたかな。僕は間違いなくここで番組をやって楽しかったよ!」とCD版「ウーブ・ジューブ」を締めくくる。変な口調で「ウーブ・ジューブ!」と叫んでいるのが大変面白い。
- ウーブ・ジューブのテーマ
お定まりのテーマ曲にのせて、「次のシングルまでチャンネルはそのままでね!」と別れの挨拶をする。しかし、CD版「ウーブ・ジューブ」は結果的にこれが最後となってしまった。
CD 5
1.フレイミング・パイ・アット・ザ・ミル
「デラックス・エディション」と「コレクターズ・エディション」のみ付属しているCD 5には、1時間に及ぶオーディオ・ドキュメンタリーを収録している。ポールがホッグ・ヒル・ミル・スタジオを案内し、楽器や機材を次々と紹介してゆく本ドキュメンタリーは、元々は英国BBCのラジオ番組「フレイミング・パイ・ラジオ・スペシャル」(1997年5月5日放送)のために録音されたものであった。「ウーブ・ジューブ」に続きエディ・ピューマがプロデューサーをつとめ、マイク係も担当している。内容の一部はCD版「ウーブ・ジューブ」にも流用されたほか、同時に撮影した映像の方はドキュメンタリー作品「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」で見ることができるが、今回収録された音源は未編集のマスター・テープから直接転送してきたもので、これまで未発表だった箇所を多く含む。ここまでまとまった形での公式発表は音声・映像共に初めてである。
- イントロ
ポールがホッグ・ヒル・ミル・スタジオのブースまで案内する冒頭のくだりは、CD版「ウーブ・ジューブ」の「パート4」「パート5」に流用されている。アビイ・ロード・スタジオに常備された多彩な楽器をいつでも使用できたことがビートルズのサウンドの豊かさにつながったとする解説も、CD版「ウーブ・ジューブ」の「パート6」に抜粋された。その後は「ウーブ・ジューブ」に登場しない箇所で、ポールがビブラホンで即興曲を披露する。「あまり上手く演奏できないけど、時々曲の一部でビブラホンを使うんだ」とポール。歌詞は相変わらず「カモン・ベイビー」だが、どことなくウイングス・ナンバー「ディア・フレンド」を想起させるメランコリックな雰囲気が漂う。
- メロトロン、シンセサイザー、ミニ・ムーグ
メロトロンを紹介するくだりはCD版「ウーブ・ジューブ」の「パート6」にほぼそっくり流用されているが、そちらは解説に加えて即興曲「カモン・ベイビー」も所々カットされていることが本トラックを聴くと分かる。続いて、ウイングスが多用していたミニ・ムーグに話題は移る。こちらもピッチ・コントロールを駆使しながら実際に演奏してみせるが、先の「カモン・ベイビー」で作り上げたハンスというキャラクターを引き合いにおふざけしている(笑)。ウイングスのムーグ担当といえばリンダで、彼女の指1本弾きはしばしば「下手くそだ!」と非難されたが、実の所ムーグは同時に1つの音しか出せない単音楽器なんだとポールは強調する。
- ハープシコード
次なる楽器はハープシコード。コードを際立たせたい時に使用するとポールは語る(『フレイミング・パイ』では「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」で弾いた)。「'60年代を思い出すね」と言いながら披露するデモ演奏は「フィクシング・ア・ホール」「フォー・ノー・ワン」といったビートルズ・ナンバーをほうふつさせる。ザ・ビーチ・ボーイズ風と称する荒っぽいデモも興味深い。ハープシコードを入手した経緯については、アビイ・ロード・スタジオで懇意にしていたスタジオ・マネージャーから「古い機材を処分するけどほしいかい?」との連絡があったことを明かす。その途中、ロード・マネージャーのジョン・ハメルがアンプの電源を落としたことからアンプとジェフ・ベックの話に一時的に脱線してしまう(苦笑)。
- チェレスタ
ポールがビートルズ時代から演奏したことのあるチェレスタは、メインの楽器としてでなくコードの出だしなどで少しばかり使用したという。例としてポールが弾き語る短いデモは何となくビートルズ・ナンバー「恋におちたら」に似ている。「シンセサイザーばかりだと没個性的になっちゃうけど、チェレスタなんかを使うことで新鮮さが保たれるんだ」とはポールの弁。
- ピアノ
『フレイミング・パイ』でピアノを多用したことを説明した後「ビューティフル・ナイト」を弾いてみせる・・・というくだりは、CD版「ウーブ・ジューブ」の「パート5」にも収録されているが、そちらはやはり短く編集されていた。ここでは、ほどなく歌詞を忘れて仕切り直される1度目の演奏も登場し、かつ完奏するヴァージョンを聴くことができる。演奏後は特定のメイカーの名前を出し「宣伝しておきましたよスタインウェイさん!」と冗談を飛ばす。
- ビル・ブラックのベース
お次はウッド・ベース。これが貴重品で、エルビス・プレスリーのバックをつとめたビル・ブラックが所有・愛用していたものである(1974年にリンダがビルの遺族から譲り受け、ポールの誕生日にプレゼントした)。「このベースはエルビスのアルバム・ジャケットや映画にも登場するよ」と話すポールは、エルビスの代表曲「ハートブレイク・ホテル」(1956年)を実際に弾き語る。意外なことに、名ベーシストとして知られるポールがマスターできていない楽器で、「シンプルなベース・ラインなら弾けるよ。もう少し複雑なフレーズの場合はエレキ・ベースの方が満足できる」と釈明する。
- ドラムス
ポールが所有するドラム・セットは、リンゴのキットを正確にコピーしたレプリカである。「ビューティフル・ナイト」「リアリー・ラヴ・ユー」ではそのドラムスをリンゴがたたいているのだから面白い。まず、ビートルズのデビュー前からドラマーを兼務する機会があったというポールが、当時出入りしていたクラブでのエピソードに触れる。続いてドラミングをいくつかのリズム・パターンで披露するが、シャッフルだけは今でも苦手とのこと。後半は「リアリー・ラヴ・ユー」とジャム・セッションについてで、「ジャムをやっていると役者が悪夢を見る時みたいに頭が混乱してしまうんだ」と打ち明ける。
- ヘフナー・ベース
ヘフナー・ベースといえば初期ビートルズにおけるポールのトレードマークで、長いブランクを挟み、『フラワーズ・イン・ザ・ダート』で共作・共演したエルビス・コステロの勧めにより再び手にするようになった・・・という歴史的経緯は周知の通り。『フレイミング・パイ』では至る所で使用されている。前半は「リアリー・ラヴ・ユー」の話の続きで、演奏と同時にアドリブで歌詞をひねり出すのに苦労したと振り返る。本題のヘフナー・ベースに関しては「ジョン(・ハメル)が改造してくれたおかげでどのフレットもチューニングがいい感じだよ」「他のベースに比べて本当に軽いのが長所だね。演奏も重々しくならず、リード・ギターのソロみたいになるんだ」と大満足の模様。
- ギター
ポールがギターのコレクションを紹介してゆく。最初に取り上げるのは'60年代に入手したエピフォン・カジノで、ポールいわく「エレキ・ギターを1本選ぶとすればこれ」。ビグスビー・アーム付きなのは、エディ・コクランが弾いていたギターに憧れたからと語る。ビートルズ・ナンバーから「ビューティフル・ナイト」まで様々な曲で愛用してきたギターで、ポールはブルースのスタンダード・ナンバー「ミルク・カウ・ブルース」(1934年)やビートルズのシングル曲「ペイパーバック・ライター」(1966年)のさわりなどを演奏する。
お次はグレッグ・スモールマンという職人が作ったスパニッシュ・ギターで、『フレイミング・パイ』では「サムデイズ」の間奏で使用された。複数のスタイルでデモを聞かせるが、中にはフラメンコ風の掛け声を交えたお遊びも。3本目はジャズ・ギターで、リンダからプレゼントされたギブソンL-5である。「ジャズっぽいのを弾きたい時にはこれだね」とポール。最後に、ポールが14歳の時に初めて手に入れたアンプが紹介される。これはギター用に販売されたものではなく、接続先は蓄音機やマイクが想定されていた。「ギターにファズをかけたい時に使用するよ」とポールは説明する。
- スピネット
スピネットとは小型のハープシコードのことだが、ホッグ・ヒル・ミル・スタジオに設置されているのは電子楽器のエレクトリック・スピネット。ビートルズはアルバム『アビイ・ロード』収録曲の「ビコーズ」(1969年)で大々的に使用していて、早速ポールが同曲を再演してみせる。弾き方を忘れ、運指がたどたどしいのが微笑ましい。このスピネットもアビイ・ロード・スタジオからのお下がりで、ポールは「ちょっとしたコレクターズ・アイテムだね。これに付いている赤いふわふわを記念品に持ってゆく?オークションで15,000ポンドになるよ」とスタッフの笑いを誘う。
- ベル
チューブラーベルもまたアビイ・ロード・スタジオからのお下がりである。これは全米No.1ヒットのビートルズ・ナンバー「ペニー・レイン」(1967年)で聴き覚えがあるはず。一通り楽器を紹介した所でポールは、アビイ・ロード・スタジオに関する思い出話をする。ビートルズ時代、スタジオを所有するレコード会社のEMIの社長ジョゼフ・ロックウッドから「何か力を貸そうか?」と声をかけられたので、スタジオの備品のトイレットペーパーについて苦情を言うと、1週間後には上等なトイレットペーパーに交換されたとのこと。また、サイケデリックな曲を書く時の雰囲気作りにカラフルなライトがほしいと注文したことにも言及し、ホッグ・ヒル・ミル・スタジオに現存するピンクのライトを点灯させる(他に緑と赤のライトも用意させたという)。
- コントロール・ルーム
ブースを出たポールはコントロール・ルームを案内する。まず紹介されるのはニーヴのミキシング・コンソール。「ノブやボタンがたくさんあるけど、ユニット1組の仕組みが分かっていれば大丈夫だよ」「僕は技術方面には疎いけど、アビイ・ロード・スタジオ出身のエディ(・クライン)のおかげで『フレイミング・パイ』セッション中に機材の深刻なトラブルはなかったよ」とポールは語る。続いてはステューダーの4トラック・レコーダーで、ビートルズがこの機材を駆使して行ったピンポン録音(バウンス)の手順と短所を分かりやすく解説してくれるのがありがたい。ポールは「ベースやドラムスが太い音になるのは4トラック録音の長所だね」と付け加える。先のミキシング・コンソールのもとに戻ると、『フレイミング・パイ』でエンジニアをつとめたジェフ・エメリックや、ファンならご存知であろうアルバム・タイトルの由来について触れる。
それからポールはコンピュータの前に座り、Cubaseという音楽制作ソフトを操作する。このソフトはEMI100周年のため依頼された交響詩「スタンディング・ストーン」(初演は1997年10月)を作曲すべく、数年前に導入したものであった。鍵盤で演奏して音を入力したり、既に作成したデータを再生したり編集したり・・・しばしばおふざけモードに突入しつつ操作方法を楽しく実演してくれる。テンポの目安となるクリック・トラックを無視して曲を作り続けた結果、出力された譜面がメチャクチャになってしまったという面白いエピソードも明かされる(楽譜の読めないポールのために専門のスタッフが修正作業を行うことで解決した)。楽譜が読めないことに関しては「古代エジプトの王様は自分では文字を書かず筆記係を使っていたし、僕のルーツのケルト人は記譜の習慣がなかったんだよ」と言い訳している。
ポールは他にも、昔ながらのメトロノーム、アナログの24トラック・レコーダー(2台つなげて同期させている)、フェアチャイルドのコンプレッサー/リミッターなどを矢継ぎ早に紹介してゆく。「若い人たちもこういうアナログの機材を探しているよ」と話すポールは例としてレニー・クラヴィッツの名を挙げるが、「レニー・クラディック」と言い間違えてしまう(笑)。時間をかけてコントロール・ルームを一回りした所で、スタジオ・ツアーの最後はサンドイッチとお茶が待つキッチンで締めくくる。実はここも、音が響くことを利用してスタジオ代わりにすることがあるとのこと(『フレイミング・パイ』ではドラムスをオーバーダブする際に役立った)。
DVD 1
1.イン・ザ・ワールド・トゥナイト(ドキュメンタリー)
主にホッグ・ヒル・ミル・スタジオで撮影された、『フレイミング・パイ』を特集したドキュメンタリー作品。監督はビートルズの「ザ・ビートルズ・アンソロジー」やポールの「プット・イット・ゼア」などを手がけたジェフ・ウォンフォー。1995年に始まった『フレイミング・パイ』セッションの模様を、ポールへの直接インタビューや同時期の様々な活動の記録を交えつつ映し出してゆく。本ドキュメンタリーは1997年5月13日に開催された英国アカデミー賞の記者会見の場で初公開された後、同月16日に米国VH1で、18日に英国ITVで約55分のダイジェスト版が放送された。また、1997年10月には約73分の完全版がVHS及びLDとして一般発売されたほか、翌年にはDVD化も果たしている。今回のリマスター盤には過去の商品と同様に完全版が収録されている。以下では、チャプターごとに区切って解説を掲載してゆきます。
- イントロダクション~サムデイズ
冒頭のインタビューでは、「映画の制作について話し合っているけど、作り方なんて分からないよ!」と映画制作の経験者であるポールが冗談を飛ばす。続いて『フレイミング・パイ』以前のポールを象徴するシーンとして、2度行われた大規模なワールド・ツアーの映像の抜粋(中には日本公演の観客席も)が登場。ライヴでの定番曲「007/死ぬのは奴らだ」の演奏シーンをバックに、燃え盛るパイが本ドキュメンタリーのタイトルと共に映し出される。
お次は一転して『フレイミング・パイ』期のポールで、森の中を歩き回り、チェーンソーで切った木でたき火をするワイルドな姿を見ることができる。「40代になってジョギングと絵を始めたよ」という話を裏付けるように、ポールが自作の絵画を紹介するシーンが続く(途中からは『フレイミング・パイ』収録曲「サムデイズ」をBGMにスライドショー形式で表示)が、どの作品も独創的で割と抽象的だ。ポールいわく「絵は安らぎの一種なんだ」。そしてBGMは「サムデイズ」のまま、映像は森で乗馬を楽しむポールとリンダへ。育てているセコイアの苗木を「巨木」と称する一こまが面白い。かぶさるインタビューでポールはリンダのことを「ずっと僕を支えてくれている。愛しい人だよ」としみじみと語るが、『フレイミング・パイ』発売の翌年にリンダが亡くなることを考えるとじんと来てしまう。
- フレイミング・パイ
『フレイミング・パイ』というアルバム・タイトルの由来(ビートルズのグループ名についてジョンがマージー・ビート紙に投稿した伝記エッセイにインスパイアされた)をポールが解説する。続いて、ポールがホッグ・ヒル・ミル・スタジオのミキシング・コンソールに燃え盛るパイのイラストを落書きしてゆく様子が映されるが、このイラストは描かれた金属板を取り外す形で後日保存された。BGMはタイトル・ソング「フレイミング・パイ」。その後のインタビューでポールは「リンダと出会った頃、エレキ・ギターを弾くことに驚かれたよ」と振り返る。それから『フレイミング・パイ』でロック色が強い曲として「ザ・ワールド・トゥナイト」を挙げ、「ギター・リフがいい感じなんだ」と自賛する。
- ザ・ワールド・トゥナイト
ジェフ・ウォンフォー監督による「ザ・ワールド・トゥナイト」のプロモ・ヴィデオ。本リマスター盤のDVD 2に収録されているものと基本的に同じ内容だが、映像の一部が差し替えられ、間奏のワン・シーンにおいて夜空にデジタル・エフェクトで流れ星が加えられたヴァージョン違いである(本ドキュメンタリーではさらにイントロが欠落)。ポールは低予算で制作した理由を「大金をかけて撮影するより、ホーム・ムービーのような質感が曲に合っていると思った」とコメントする。
- ヘヴン・オン・ア・サンデイ
『フレイミング・パイ』収録曲中最後に書かれた「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」に焦点を当て、休日に小型ヨットでセーリングを楽しんでいた時に曲想が浮かんだことや、長男ジェイムズとの共演についてポールが語る。また、セーリング中のポールを始め、各自歌入れに臨むポールとリンダ、(画質は粗いものの)ポールとジェイムズのギター・バトルといった映像が同曲をBGMに登場する。ポールが説明する通り、サンフィッシュと呼ばれる小型ヨットは1人乗りで、まさに「僕とボートと風しかない」状態なのが映像でも確認できる。一方、スタジオでのリンダの顔をアップで見ると、加齢や闘病生活の影響ですっかり痩せ細ってしまっていて、往時を知る者には衝撃的だ。
ポールが後期ビートルズの写真(中にはジョンの愛車を前に撮影されたものも)を何枚か見せるシーンを挟み、次に挙げられる『フレイミング・パイ』収録曲は「リトル・ウィロー」。家族ぐるみで仲良くしていた友人への追悼歌で、書く決心をしたのは訃報を受けた日の午後だったという。ここでは名前は伏せられているが、その友人とはリンゴの前妻モーリンである。「思いを伝えることで、残された子供たちを慰めたかった」とポール。
- リトル・ウィロー
「リトル・ウィロー」のプロモ・ヴィデオは、本ドキュメンタリーの公開から5ヶ月後に制作された。そのためここでは代わりに、屋外を散策するポールとスタジオ入りするポールを交互に映しただけのシンプルなヴィデオとなっている。前者はポールがカメラに背を向けて砂地を1人歩く姿がメインで、曲調もあいまって寂しさが際立つ。後者では、コントロール・ルームで曲をプレイバックしながら口ずさみ、ブースで歌入れを行う模様をフィーチャー。こちらも表情は終始穏やかでいて、悲しみをこらえているかのようだ。
- フレイミング・パイ・アット・ザ・ミル
冒頭、車内でポールが聴いているのはラジオ番組「ウーブ・ジューブ」のCD版。手にするカセット・テープにはCDシングル「ヤング・ボーイ」の曲目が書かれている。続く「ウーブ・ジューブ」の特別編は、本リマスター盤のCD 5「フレイミング・パイ・アット・ザ・ミル」の収録と同時に撮影された映像の抜粋。それゆえ「フレイミング・パイ・アット・ザ・ミル」やCD版「ウーブ・ジューブ」と内容が重複するが、メロトロンやビル・ブラックのベースなどの実演、ポールが初めて手に入れたアンプ、アビイ・ロード・スタジオに注文して用意させたピンクのライトを視認することができる。レニー・クラヴィッツを「レニー・クラディック」と言い間違えてしまうくだりを受け、ポールが帰りの車内で「彼は僕をマッカーシーと間違える」とつぶやくオチ付き。
- トロピック・アイランド・ハム
『フレイミング・パイ』と並行して制作され、1997年10月に英国で劇場公開された短編アニメ映画「トロピック・アイランド・ハム」が特集される。2004年にはDVD化も果たす同作がお披露目されるのは、本ドキュメンタリーが初めてであった。この時点で一部は完成していて、同名の主題歌(2004年にシングル発売されるに至る)のシーンも少し見ることができる。ドキュメンタリー・パートでは、企画・脚本・音楽・声優を兼任したポールがジェフ・ダンバー監督のスタジオを訪れ、作業の進捗を確認してゆく。昔ながらの手作業で描かれた着色前の原画や、それがアニメとして動く様子、作画の修正手順などが興味深い。「動物を殺して食べたい人がいる」という台詞を気に入っているとポールが発言しているが、その一言が象徴するように、映画には動物愛護のメッセージが強く込められていた。
その後は『フレイミング・パイ』に話を戻し、発売を控えたアルバムのプロモーションの舞台裏に迫る。ポールと電話しているのは広報担当のジェフ・ベイカー。「世界中からインタビューの依頼が殺到している」との報告を受けたポールは「各国につき1つのメディアまで受け付ける」と答える。そして、セッション中たびたび口にしてきた「汗水流すのではなく楽しもう」というモットーを引き合いに出し、「力まず穏やかに宣伝してゆこう」と提案。制作が進行していた本ドキュメンタリーの公開に関しても、「大規模な会場ではなく簡素な感じでいい」と伝える。
- ヤング・ボーイ~フォースリン・ロード20番地~スタンディング・ストーン
『フレイミング・パイ』からの先行シングル「ヤング・ボーイ」をBGMに、同曲のレコーディング風景が映し出される。歌入れが中心だが、ドラムスをたたくポールもちらっと登場。合間のインタビューで「この曲ではスティーヴ・ミラーに声をかけたんだ。彼のギターは素晴らしいからね」とポールが触れると、スティーヴが米国アイダホ州にある私設スタジオでギター・ソロを弾く姿やさらなるレコーディング風景が続く。やがて話は切り替わり、リバプール時代に家族と共に数年間住んでいたフォースリン・ロード20番地の家についてポールが語る。映像でも確認できるこの建物は1995年にナショナル・トラストに指定されたばかりで、「いまだに笑っちゃう話だよ。何の変哲もない連棟住宅だからね」と感想を述べる。思い出の曲として、同地で10代の頃に書いたビートルズ・ナンバー「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」をポールがピアノと口笛で再演し、それをBGMに若き日のポールのモノクロ写真が次々と表示される。
話題はさらにクラシック分野へ。まず、ロイヤル・リバプール・フィルハーモニー管弦楽団の創立150周年を記念したオラトリオ「リヴァプール・オラトリオ」(1991年6月初演)より第3楽章「教会堂地下室」の演奏シーンが抜粋される。自身初の本格的なクラシック作品を完成させたポールはすぐに次の作品を書きたい衝動に駆られたが、依頼が来るのを待つことにしたとのこと。そして2年後に舞い込んできたプロジェクトが、『フレイミング・パイ』発売と同年に初演を迎える交響詩「スタンディング・ストーン」につながる。ポールがコンピュータの前に座って音楽制作ソフトCubaseを操作するくだりは、本リマスター盤のCD 5「フレイミング・パイ・アット・ザ・ミル」で全貌を知ることができる。
- ポール・マッカートニーのタウン・ホール・ミーティング
先述の「スタンディング・ストーン」より第4楽章「ストリングスがかき鳴らされ、ホルンが吹かれ、ドラムスが叩かれる・・・」のラストを飾る「セレブレーション」が一部初披露された後、打って変わって始まるのはVH1の特別番組「ポール・マッカートニーのタウン・ホール・ミーティング」(1997年5月17日生放送)。ロンドンのビショップスゲート・メモリアル・ホールで収録されたこの番組では、当日招待されたゲストのほかにインターネット経由で全世界から質問を募集したが、結果的に300万通もの質問が寄せられ「一度に最も多くの人が参加したインターネット・チャットルーム」としてギネス世界記録に認定された。司会者のジョン・フーゲルサングの横に着席すると、ポールは膨大な量の質問に積極的に答えてゆく。
最初の質問「ビートルズ解散後のソロ・キャリアで一番気に入っている曲は?」には少し迷うが、「恋することのもどかしさ」(1970年)を選ぶ。「新世代のアーティストで影響を受けた人はいますか?」という質問には、「子供たちが流しているのを聴いて知ることが多いけど、ベックは好きだよ。ザ・ポアというバンドもちょっと聴いた」と返す。さらにすかさず、ビートルズをもろに意識した作風が注目されていたオアシスの名も挙げ、会場が笑いの渦に包まれる。「路上インタビューで質問を寄せる男性」として紹介されるのがどう見ても女性だったという一こまを挟み、「ビートルズの最高傑作が何であるか個人的意見を主張したい米国人のポール・ファン」としてVTR出演するのは、なんと!米国・クリントン大統領(当時)本人。アルバムは『サージェント・ペパー』(1967年)、曲は「エリナー・リグビー」(1966年)をそれぞれ最高傑作に推している。ジョンからは「子供たちも多忙?」と尋ねられ、ポールが各自の近況を報告する。
- ザ・ワールド・トゥナイト~ビショップスゲート
引き続き「ポール・マッカートニーのタウン・ホール・ミーティング」より。娘メアリーの近況に触れた所で、後にメアリーと結婚するアリステア・ドナルド監督が手がけた「ザ・ワールド・トゥナイト」のプロモ・ヴィデオが上映される(本ヴァージョンはこの日が初公開であった)。ここではイントロを欠きエンディングも完奏しないが、本リマスター盤のDVD 2にフル収録されている。その後は再びポールへの質問コーナーで、「世界を変えられるなら何をします?」という質問に「暴力をなくすよ。みんなが肉食をやめて動物の権利を守れば世界はよくなる」と答える。
それからジョンがビートルズ・ナンバー「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」を引き合いに出し、会場のあるビショップスゲートに話題を移すと、ポールは「さっき楽屋でビショップスゲートの歌を思いついたんだ。一緒に歌ってほしいな」と切り返す。そして渡されたアコースティック・ギターで弾き始めるのは、後日「ビショップスゲート」と名づけられる即興曲。「米国からVH1のクルーがやって来て、ビショップスゲートでTV番組を撮影する」という状況をそのまま歌詞にしている。ポールはキャッチーなサビの“Come on back, come on back”で加わるよう観客に促すが、(事前に少し練習したこともあり)3回登場する彼らのコーラスは完璧だ。「ポール・マッカートニーのタウン・ホール・ミーティング」はここまで。
- ナイト爵位~カリコ・スカイズ
『フレイミング・パイ』が発売された1997年に、ポールは音楽界への貢献を理由に英国王室からナイト爵位を授与され、3月11日に行われた叙勲のセレモニーを経て「サー」の称号を手にした。そのことについて「想像したこともなかった。何かのジョークかと思ったよ」「ナイトの妻はLady(レディ)になるけど、リンダは昔からlady(お嬢さん)だった」とポール。セレモニー当日のバッキンガム宮殿前の様子が時折映し出されるが、大勢のファンが詰めかけ、一部は黄色い声を上げている。
続いて、ポールが『フレイミング・パイ』収録曲「カリコ・スカイズ」をアコギ弾き語りで聞かせる。森の中でたき火をしながらの演奏シーンと、ホッグ・ヒル・ミル・スタジオでリンダの傍らに腰かけての演奏シーンが交互に登場。前者では炎が強風に煽られギターに燃え移らないか心配になってしまう。後者でのリンダは、「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」の歌入れの時より健康そうに見える。合間にはポール夫妻のハグ&キスや、先述のセレモニーを終え真新しい勲章を報道陣に見せる姿も。なお、本リマスター盤の発売に合わせて、森の中での演奏シーンのオーディオ・トラック(2分半に及ぶ未編集ヴァージョン)がポールの公式サイトで無料公開されている。曲が終わると最後はもう一度バッキンガム宮殿前の様子へ。ポールが車で現地を後にするや否や、待ち構えていたファンが大声で叫び、無数のカメラマンが追いかけてゆく。
- カミング・アップ
『フレイミング・パイ』から遡ること7年、1989年~1990年に敢行したワールド・ツアー(通称「ゲット・バック」ツアー)よりブラジル・リオデジャネイロ公演(1990年4月21日)を振り返る。ナレーションが解説する通り、当日は会場のマラカナン・スタジアムに18万4000人もの観客が集まり、有料コンサートの観客動員数の世界最高記録を塗り替えた。当時のツアー・バンドはポール、リンダ、ロビー・マッキントッシュ、ヘイミッシュ・スチュアート、ポール・“ウィックス”・ウィッケンズ、クリス・ウィットンの6人編成。
ライヴのハイライトとして、ここではアルバム『マッカートニーII』(1980年)収録曲「カミング・アップ」の演奏シーンが抜粋される。ライヴ盤『ポール・マッカートニー・ライヴ!!』でおなじみだが、「ゲット・バック」ツアーでは打ち込みドラムスを駆使したハウス・ミュージック風にアレンジされていた。リンダとキーボードを乗せた迫り上がりステージなど派手な演出も目を引く。途中挟まれるインタビューでポールは、「ゲット・バック」ツアーとニュー・ワールド・ツアー(1993年)で世界を2度駆け巡ったことについて「異国でのホテル生活が続くと家が恋しくなるよ」と打ち明ける。反動で数年にわたりライヴ活動を停止した心境がよく理解できるが、一方で根っからのライヴ好きであることも認め「結局は人前で音楽をやるのが好きなんだ」と付け加える。
- グレイト・デイ~ビューティフル・ナイト(ホッグ・ヒル・ミル・スタジオ)
お次は『フレイミング・パイ』のラスト・ナンバー「グレイト・デイ」。先の「カリコ・スカイズ」と同様、森の中でたき火をしながらのアコギ弾き語りと、夫婦水入らずのスタジオでのアコギ弾き語り(音声は公式テイク)を交互に映してゆく。壮大な前曲「ビューティフル・ナイト」よりも、シンプルでアコースティックな「グレイト・デイ」の方がアルバムを締めくくるにふさわしいと思ったとポールは説明する。ポールがスタジオに到着する短いシーンに続き、次の話題は日々の生活について。「自分の人生に余裕はあると思う?」という質問にポールは「ノー」と即答し、「やりたいことをするには1日が短いと感じるけど、要領はいい方だよ」と釈明。仕事に関しては「特にチームワークが好きだよ。でもオフとのバランスは大事だね」とコメントする。
その後は「ビューティフル・ナイト」がしばらく時間を割いて特集される。冒頭のインタビューでは、1986年に録音されたオリジナル・ヴァージョンについてファンならご存知のエピソードに触れてゆく。『フレイミング・パイ』ヴァージョンに参加したリンゴが言及された所で、ポールとリンゴがセッションの合間に「ユーアー・ア・バスタード」というおふざけを繰り広げる一こまを挿入(オーディオ・トラックは本リマスター盤のCD 3に収録)。それから、ホッグ・ヒル・ミル・スタジオでリンゴやジェフ・リンと共に臨んだベーシック・トラックのレコーディング風景が、楽器別に順を追って紹介される。ポールのピアノ弾き語りに始まりリズム・セクション→アコースティック・ギター→エレキ・ギターと重ねていって、徐々に完成形へと近づいてゆくのを確認できる。
- ビューティフル・ナイト(アビイ・ロード・スタジオ)
1997年2月14日の午後、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオで行われた「ビューティフル・ナイト」のオーバーダブ・セッションの模様に切り替わる。この日ポールとスタジオ入りしたのは、オーケストラ・スコアを書いたジョージ・マーティン(言わずもがなビートルズのプロデューサーである)。2人が第1スタジオのコントロール・ルームで落ち合う頃には、計38名のオーケストラ奏者がリハーサルを開始している。それを一通り聴くと、ポールはストリングスの強弱やホルンの吹き方など気になった点や新たなアイデアを次々とマーティンにぶつけ、フレーズの細かな変更を楽譜に落とし込んでゆく。ビートルズ時代から培われてきた師弟の厚い信頼関係を再び垣間見ることができるのがうれしい。横に長く貼り合わせた楽譜を布のように肩にかけたマーティンを、ポールが「ヴェルサーチェ(イタリアのファッション・ブランド)をまとっています」と茶化す場面も。
- ビューティフル・ナイト
先述のオーバーダブ・セッションでポールが「バイオリンのリズムの歯切れが悪い」と訴えるシーンを経て、舞台は再度ホッグ・ヒル・ミル・スタジオへ。ついに曲が完成して、ポールもエンジニアのジェフ・エメリックもご満悦だ。そして一連の特集を総括すべく、「ビューティフル・ナイト」の様々なレコーディング風景が最終ミックスをBGMに映し出される。ポールはブースでピアノを弾き語り、時にはコントロール・ルームで曲をプレイバックしながら歌い、あるいはオーケストラの演奏をマーティンと見守っている。ポールとリンダの歌入れや、パーカッションを加えるリンゴなどここでしか見られない映像も登場。テンポ・アップするコーダではさらにお茶目なオフ・ショットの数々がふんだんに盛り込まれる。
誰もいなくなったホッグ・ヒル・ミル・スタジオが静寂の中しばらく映された後、ラスト・シーンは森。車で待機しているのはロード・マネージャーのジョン・ハメルで、近寄ったポールが「止めたのに・・・」と話しかけた所でエンド・クレジットが流れ始める(BGMは「ビューティフル・ナイト」のコーダのインスト・ヴァージョン)。やがて背景は「ザ・ワールド・トゥナイト」のプロモ・ヴィデオや燃え盛るパイに変わってゆき、最後はポールの楽曲版権会社(MPL)のロゴとなり約73分のドキュメンタリーは終わる。なお、次の16チャプター目はほんの一瞬で内容は何もない。
DVD 2
~Music Promos~
1.ビューティフル・ナイト
メニュー「Music Promos」には、『フレイミング・パイ』発売当時に制作された4曲分のプロモ・ヴィデオを収録している。アルバムからの第3弾シングル「ビューティフル・ナイト」のプロモ・ヴィデオは、1997年10月~11月にロンドンとリバプールで撮影された。監督はジュリアン・テンプル。オリジナルのレコーディングに参加したリンゴとリンダのほかに、スパッドというバンド(ロンドン出身の高校生4人組で、地元のクラブで演奏していた所をテンプル監督にスカウトされた)が共演している。リンダは翌1998年4月に亡くなったため、結果的にこれが最後のヴィデオ出演となってしまった。完成した当初のヴァージョンでは女優エマ・ムーアの裸が大々的に登場していたため各TV局の顰蹙を買い、米国ABCのトーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」(1997年11月24日放送)で初公開するにあたり大幅な編集を強いられたという逸話も残る(人はこれを「Hey Nude」と言って揶揄した)。
本作でのポールは「世界を正したい科学者」という設定で、大型カメラ・オブスキュラを通して夜の街を眺めている。ある家庭では子供たちをよそに夫婦喧嘩が始まり、あるアパートでは上階のバンドの騒音にリンゴ扮する夜警が腹を立て、あるカップルはすれ違いの生活を送る・・・そんな市井を観察していたポールは手元のスイッチを次々と切り、あっという間に一帯を停電させてしまう。住民たちは暗闇の中困惑するが、やがてロウソクなどで灯りを確保し、それまで漂っていた険悪な空気を自然と和らげてゆく。リンゴはバンドと合流し、カップルの方は彼氏が彼女を追う形でマージー川へ(リンダが電話ボックスから見守る)。曲がコーダに差し掛かると2人は服を脱ぎ川で泳ぎ始め、喧嘩していた夫婦は家族でピアノを囲んで合唱し、リンゴはすっかりバンドの一員になり、夜の街は幸せで満たされてゆく─という筋書きだ。一方、コーダではポールがスパッドと演奏を楽しむ昼間のシーンも挿入される。空から無数のTVが降ってくる光景がシュールだが、これは実際に建物の11階と12階から本物のTVを落としているとのこと。なお、本DVDには検閲が入る前のヴァージョンが収録されており、既にプロモ・ヴィデオ集「The McCartney Years」でも見ることができたが、今回は天地をカットせず1997年当時に忠実な画面サイズとなっている。
2.メイキング・オブ・ビューティフル・ナイト
このヴィデオは厳密にはプロモ・ヴィデオではなく、「ビューティフル・ナイト」ができるまでのエピソードをポールが語るメイキング・ドキュメンタリーである。1997年に制作されたものの当時は未使用に終わり、ブートでも今まで一切流通していなかった。監督はドキュメンタリー作品「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」と同じジェフ・ウォンフォーで、映像の大半は「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」のワン・シーンからそのまま流用している。インタビューの冒頭ポールは、「ビューティフル・ナイト」は10年前(1986年)にピアノで書いた曲だと述懐する。続いてリンゴとのセッションを振り返り、「一緒に仕事ができたことは光栄だよ」と満足そうに話す。途中挟まれるリンゴのインタビューはCD版「ウーブ・ジューブ」の「パート5」からの抜粋。作風がビートルズっぽい点に関しては「ビートルズの音は避けていないけど特別意識したわけでもない」と説明している。そして最後に取り上げるのは、エンディングにわざと残したリンゴの台詞。「リンゴらしさが出ていると思う。ビートルズでもよくやっていたお遊びだよ」とポールはコメントする。
3.リトル・ウィロー
この曲はオムニバス盤『ダイアナ・トリビュート~ダイアナ元英皇太子妃追悼アルバム』(1997年12月発売)に提供されることが決まったため、故人への追悼をテーマにしたプロモ・ヴィデオが10月に撮影され、「オプラ・ウィンフリー・ショー」(1997年12月19日放送)でお披露目された。監督はジョン・シュレシンジャー。不治の病に侵された母親の最期の日々を描いたドラマが中心で、そこにホッグ・ヒル・ミル・スタジオでポールがアコースティック・ギターを弾き語る姿を織り交ぜている。余命わずかながら2人の子供の前で気丈に振る舞う母親と、日に日に弱ってゆく母親を最後まで看取る幼い子供たち・・・どちらの視点で見ても胸を締めつけられ、曲との相乗効果で涙が滲んでしまう。タイトルを象徴する柳の木も儚さを増幅させる。既に「The McCartney Years」にも収録されているが、今回は下部をカットせず1997年当時に忠実な画面サイズとなっている。
4.ザ・ワールド・トゥナイト[Dir. アリステア・ドナルド]
「ザ・ワールド・トゥナイト」は3種類のプロモ・ヴィデオが存在し、うち2つが本DVDに収録された。まず、こちらのプロモは2番目に制作されたことからファンの間では「ヴァージョン2」の名で知られている。1997年春にポールが家族旅行でイタリア中部のムジェロを訪れた際に撮影が行われた。プロデューサーは娘メアリーで、監督は翌年に彼女と結婚するアリステア・ドナルド。「ヴァージョン2」で最も印象に残るのは回転する黄色いパラソルであろう。ポールはその前に立ち、後述の「ヴァージョン1」のようにラジカセを担ぎながら歌う。また、別のシーンでは自身もパラソルを持って至る所でくるくる回す。ポールの顔立ちはさすがに老けた感が否めないが、サングラスをかけると途端に渋くてかっこいい。出番は少ないながらリンダも登場し、エンディングではポールとの仲睦まじいキスも披露する。「ヴァージョン2」は既に「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」で見ることができたが、フル収録での公式ソフト化は今回が初めてである。
5.ザ・ワールド・トゥナイト[Dir. ジェフ・ウォンフォー]
続いては通称「ヴァージョン1」で、その名の通り「ヴァージョン2」に先行して制作された。こちらの監督はジェフ・ウォンフォー。「ヴァージョン1」の映像の大半は、1997年3月にサセックス州のヘイスティングスで行き当たりばったりに撮影され、ラジカセを担いで夜の街をさまよい歩くポールをフィーチャーしている。分厚いコートに身を包み、ラジカセから流れる曲に合わせて歌いながら繁華街に出没するポールは、ゲームセンターをうろつき回ったり行き交う車にヒッチハイクを試みたり(しかもことごとく失敗している)と不審者さながらだ。モノクロとカラーを使い分ける演出が効果的。このほか、日中に海岸沿いの砂地で遊ぶ姿や、ホッグ・ヒル・ミル・スタジオでの一こまなども随所に加えられている。「ヴァージョン1」も既に「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」で見ることができたが、本DVD収録のものはそちらとは映像の一部が異なり、2'40"付近でデジタル・エフェクトによる流れ星が夜空に現れない(このヴァージョンはコレクターの間でのみ以前から出回っていた)。なお、今回未収録に終わった「ヴァージョン3」では、「ヴァージョン1」「ヴァージョン2」を組み合わせた映像に、この曲を主題歌に起用した映画「ファーザーズ・デイ」のハイライトがふんだんにミックスされていた。
6.ヤング・ボーイ[Dir. アリステア・ドナルド]
英国での先行シングル「ヤング・ボーイ」もまた、監督が異なる2種類のプロモ・ヴィデオが存在する。うちアリステア・ドナルド監督によるプロモは、制作順に鑑みれば「ヴァージョン2」である。「ザ・ワールド・トゥナイト」の「ヴァージョン2」と同様、ポールのムジェロ滞在中に撮影された。この「ヴァージョン2」では暗い部屋を舞台に、いろんなイメージが映し出されるスクリーンの傍らでポールがアコースティック・ギターを弾き語る(スクリーンの前方に立つ間はイメージがポールにかぶさる)。イメージは休暇を連想させるもので占められ、大波に乗るサーファーやプールに飛び込む人、リラックスした表情で歌うポールとリンダなどが登場。そこに色鮮やかな花も合成技術で添えられ大変美しい。間奏ではギター・ソロを弾くスティーヴの姿をばっちり見られる。このプロモは今回が初のソフト化。
7.ヤング・ボーイ[Dir. ジェフ・ウォンフォー]
一方の「ヴァージョン1」は1997年2月に撮影が行われ、映像の一部は「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」にも使い回された。監督はジェフ・ウォンフォー。「ヴァージョン1」はレコーディング・セッションの模様がメインで、ポールがホッグ・ヒル・ミル・スタジオで歌入れに臨み、コントロール・ルームで曲をプレイバックする姿を捉えている。中でも、あまりお目にかかれないポールのドラミングを堪能できるのはおいしい。「ヴァージョン1」では間奏にスティーヴは登場せず、代わりにポールがエア・ギターを披露。また、周辺を散策したり移動中の車内でカセット・テープを聴いたりするポールのオフ・ショットが多数挟まれ、終盤にはポールが青春の一時期を過ごしたフォースリン・ロード20番地の家(リバプール)もモノクロで紹介される。このプロモも今回が初の公式ソフト化となる。
~EPKs~
8.フレイミング・パイ EPK 1
メニュー「EPKs」には、『フレイミング・パイ』発売当時に制作された3つのEPKを収録している。EPKとは「Electronic Press Kit(電子プレスキット)」の略で、メディア向けに音楽サンプルやインタビューなどの関連情報をまとめたデジタル・パッケージのこと。うち『フレイミング・パイ』を宣伝するためのEPKはポール本人による収録曲のデモ演奏とインタビューで構成されたヴィデオで、1997年6月に2種類が制作・配布されると世界各地のTV番組で素材が早速活用された。監督はジェフ・ウォンフォー。ブートでは既に全編出回っていたが、公式にソフト化されるのは2種類とも今回が初めて。先に登場する「EPK 1」は、ここでは2つのチャプターに分かれている。以下では、チャプターごとに区切って解説を掲載してゆきます。
- チャプター 1
「傑作を生もうと意気込んで作曲してはいない。深く考えずに即興で音を出すだけだよ」という発言に続いて、タイトル・ソング「フレイミング・パイ」についてポールが語る。4時間で録音してしまおうと共同プロデューサーのジェフ・リンに提案したと振り返っている。録り下ろしのピアノ・デモも少しだけフィーチャー。次に、アルバムが全米2位に躍り出たことに触れ「うれしかったね」と感想を述べると、前曲「カリコ・スカイズ」に話題を移す(同時に、アコギ弾き語りによるデモを披露)。ハリケーン・ボブに遭遇した際停電の中書いたという話はおなじみだが、バッハのような美しい曲を目指して、ビートルズ時代の「ブラックバード」を意識したと付け加える。ビートルズっぽい音作りとの向き合い方を説明するくだりは本DVDの「メイキング・オブ・ビューティフル・ナイト」と同じ内容だが、ここでは初期ビートルズの写真がいくつか表示されるのが大きな違いだ。それからポールがエレキ・ギターをかき鳴らし歌うのは「ザ・ワールド・トゥナイト」。同曲の「ヴァージョン2」のプロモ・ヴィデオが抜粋されると共に、ナンセンスな詞作について「曲作りは何が生まれるか分からない所が好きだよ」と見解を示す。
曲作りの話がしばらく続く。ポールは「アイデアが浮かんできたら自然の流れに任せてひたすら弾いて歌うよ。気に入らないフレーズは後回しにしてまた考えるんだ」とその流儀を解説した上で、ビートルズの代表曲「ヘイ・ジュード」の一節“The movement you need is on your shoulder”(ポールは書き直そうとしたがジョンの助言を受けそのままにされた)に言及する。同曲の演奏シーンは過去のコンサート・ツアーより。エンターテイナーとしての顔が素の自分と乖離していることに関しては「自分を忘れることで健全な精神を保っているよ」と明かす(BGMは「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」の再演)。再びエレキ・ギター1本で弾き語る「イフ・ユー・ウォナ」のデモを交えつつ、次のインタビューでは「富や名声のために有名になりたい人もいるけど、それだけが目的だといずれ楽しくなくなる。僕は楽しんで音楽を作りたいな」と仕事に対する姿勢を語り、さらに『フレイミング・パイ』を制作して気づいたこととして「スタジオ内の雰囲気がリスナーに伝わる」点を挙げる。ポールいわく「何度も歌い直したヴォーカルを聴くと、技術的には完璧だけど楽しそうな感じが伝わってこないんだ」。
- チャプター 2
「ビューティフル・ナイト」とそのレコーディング風景に、独創的な考えを広める人たちについてポールが私見を述べるインタビューがかぶさる。自分の考えを音楽で表現することの多いポールは「自作曲で他人に影響を与えられたらうれしいね」と話している。音楽で世界を変えた例として、ジョンがプラスティック・オノ・バンド名義で発表した反戦歌「平和を我等に」(1969年)を引き合いに出すのが印象深い。「人の心を変えたいなら、何を伝えたいか、何が大切かを考えることは重要だよ」とも。続く「フレイミング・パイ」のピアノ・デモは1チャプター目のものと同じ演奏だが、そちらよりもずっと長く、かつ完奏する。鼻にかかった歌い方はそのままに、オリジナルではフェードアウトしてしまうエンディングを、ブギウギ調のアドリブに置き換えてユーモラスに締めくくる。その後のインタビューはこれまで見てきたものと内容が重複するが、先ほどは編集でカットされてしまっていた箇所を含むほか、BGMやイメージ映像を排し純粋にポールのインタビューだけを楽しめる。また、「フレイミング・パイ」というタイトルの曲を書くに至った経緯はここでしか触れられていない。
9.フレイミング・パイ EPK 2
「EPK 2」もまた、ここでは2つのチャプターに分かれている。以下では、チャプターごとに区切って解説を掲載してゆきます。
- チャプター 1
「ザ・ビートルズ・アンソロジー」をきっかけに聴き直したビートルズ・ナンバーを「シンプルでストレート。今度の新作ではあの頃のスタイルに戻ろうと思ったんだ」と評するポールが最初に取り上げるのは「ヤング・ボーイ」。アコギ弾き語りによるデモに始まり、2種類あるプロモ・ヴィデオの抜粋を挟みながら、作曲時のエピソードやプロモの見所を紹介してゆく。「ヴァージョン2」のプロモに登場するサーファーは長男ジェイムズとのこと。また、「特定の誰かを思い浮かべて曲を書くことは稀だよ」と自身の詞作を分析する。お次は一転して「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」。エレクトリック・ピアノのみの美しいデモを聞かせる一方、セーリングが生んだ曲想や、ジェイムズとのギター・バトルも話題に上る。「平日の天国は騒がしいけど、日曜日は平和で穏やかなんだ」とポール。ジェイムズについては「名字のせいで僕の息子だとすぐにばれてしまうんだ。でも子供たちはみんな慣れているよ」「常識を学んで育ってくれたから、僕も常識的でいられる」と成長ぶりに満足そうだ(BGMは「リトル・ウィロー」)。ビートルズはメンバー全員が冷静で、お互い言葉をかけ合って落ち着かせていたというこぼれ話も飛び出す。
「ビューティフル・ナイト」はまずピアノ・デモが披露される。続くインタビューでは作曲の過程やリンゴとの共演に焦点が当たるが、「メイキング・オブ・ビューティフル・ナイト」と同じ内容である。その後公式テイクをBGMに映し出されるレコーディング風景も「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」からの引用。マッカートニー・ナンバーに関して「汚い言葉を使っていないことを誇りに思うよ」と自負する一こまを経て、最後は再び「ヤング・ボーイ」のプロモへ。社会に変化をもたらすことの可能性をポールが説き、「昔から常に偉大な人々が現れるものだよ。'60年代は僕らの世代全体が代弁者となっていたんだ」と述べた上で「どんな時代でも変化を起こせると思う」と結論付ける。
- チャプター 2
本チャプターで見ることができる3つのインタビューは前チャプターや「EPK 1」と内容が重複するが、編集が入る前の状態でより長く堪能できる。ポールが子供たちの成長を語るくだりでは、普通の公立学校に通わせたおかげで人付き合いが上手い大人に育ったことが明らかに(ジェイムズにイートン校を勧める人もいたがその進路は選ばなかった)。社会に変化をもたらすことの可能性を力説するシーンでは、人々がその教えに耳を傾ける偉人の例としてイエス・キリストの名を挙げ、「人の言葉というものには影響力があるんだよ」と話している。「意味のないような言葉でもちゃんと意図が伝わるのが人間の面白い所で、恵まれている点だね」とポール。EPKの終わりには「ヤング・ボーイ」のプロモ・ヴィデオ(「ヴァージョン2」)がノーカットで追加されているが、本DVDの6トラック目と基本的に同じ内容である。
10.イン・ザ・ワールド・トゥナイト EPK
「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」を宣伝するために制作されたEPKで、同作のハイライトを約9分半にまとめたダイジェスト映像である。ドキュメンタリーの公開に先駆けて1997年4月にメディアへと配布された。監督はジェフ・ウォンフォー。本EPKはコレクターの間では既に知られていたが、今回が初の公式ソフト化となる(ここでは2つのチャプターに分かれている)。以下では、チャプターごとに区切って解説を掲載してゆきます。
- チャプター 1
EPKは「アルバム制作に苦労はなかったよ。夜中に起きる必要もなかったしね」というポールの回想で始まる。1チャプター目では「ヤング・ボーイ」の歌入れ、「ビューティフル・ナイト」のオーバーダブ・セッション、「ウーブ・ジューブ」の特別編よりビル・ブラックのベースの実演、ポールとリンダの乗馬(BGMは「サムデイズ」)、「カリコ・スカイズ」の演奏シーン、ナイト爵位叙勲のセレモニー当日の様子、「ザ・ワールド・トゥナイト」のプロモ・ヴィデオ(「ヴァージョン1」)、自分の人生に余裕はあると思うか問われ「ノー」と答えるポールなどを矢継ぎ早に抜粋。
- チャプター 2
本チャプターで取り上げられる映像は、ミキシング・コンソールの金属板に落書きされてゆく燃え盛るパイのイラスト(BGMは「フレイミング・パイ」)、リンダと2人で歌う「グレイト・デイ」、「リトル・ウィロー」のイメージ・ヴィデオと、「ヘヴン・オン・ア・サンデイ」の間奏をプレイバックするポール。さらに、最終的にドキュメンタリーに採用されなかったシーンもいくつか登場するが、ポールがビートルズの「新曲」に言及するインタビューや、『フレイミング・パイ』の作風を「手作り感があって親しみやすい」と形容するくだりはその一例である。
11.フレイミング・パイ・アルバム・アートワーク・ミーティング
未発表映像。『フレイミング・パイ』のアートワークを任せられたグラフィック・デザイナーのリック・ウォード(ザ・チーム)が、粗方完成した成果物を提示すべくポールとリンダを訪ねた際に撮影されたフィルムである。監督はジェフ・ウォンフォー。会議は1997年2月28日にホッグ・ヒル・ミル・スタジオの階上にあるオフィス部屋で行われ、ポールのソロ・アルバムのアートワークに数多く携わったデザイナーのロジャー・ハゲットや、ロード・マネージャーのジョン・ハメルが同席している。映像は当初「イン・ザ・ワールド・トゥナイト」のワン・シーンとなる予定だったが、結局は使用されなかった。
まず手始めに、リックがアルバム・ジャケットをポールにプレゼンする。机には最終ヴァージョンと同じ写真を使ったいくつかのバリエーションが置かれている。ポールが口にする第一印象は「色が少ないのが気になるけど、なかなか上出来だ」。それを聞いたリックはすかさず赤っぽい別のジャケット(シングル「ザ・ワールド・トゥナイト」にデザインが似ている)を取り出す。しばらくジャケットをレビューした後、議題はブックレットの内部へ。文字や写真のサイズは調整可能だとリックは説明する。ライナーノーツと自身のコメントの両方を載せたいというポールの願いは最終的に実現に至った。ポールは色の少なさがなおも引っかかり続けたようで、ジャケット写真を手描きでカラフルに彩色した代替案を用意(これは無論ボツになった)。また、熱い炎のイメージを表現するため色鮮やかな花や葉っぱの写真を使おうと提案する。やがて一同は「ジャケットが小さすぎる」「音飛びすると世界一ひどい音になる」などとCDをけなし始めるが(笑)、ジョージ・マーティンが「絶対に割れない」と紹介しながらCDをテーブルにたたきつけた所見事割れてしまった・・・という笑い話が面白い。会議の終わりにポールは「熱く燃え上がるイメージだけど、美しく落ち着いた感じに見せたい」とリックに改めて要望を伝える。
12.TFI フライデイ・パフォーマンス
ポールが英国チャンネル4のトーク番組「TFIフライデイ」(1997年6月27日放送)に生出演した時の映像で、ロンドンのリバーサイド・スタジオで収録された。この日ポールは番組の第2部から姿を見せ、司会者のクリス・エヴァンスと『フレイミング・パイ』について歓談したり、リンゴやボノ(U2)ら著名人から寄せられた質問に答えたりした後、第3部の後半でステージへ移動して新曲「フレイミング・パイ」「ヤング・ボーイ」を人前で初披露した(演奏後はクリスと共にモーターボートに飛び乗ってテムズ川に消えてゆくというオチ付き)。今回はその2曲の演奏シーンのみが抜粋されている。
ウイングス・ナンバー「007/死ぬのは奴らだ」をBGMにステージに現れたポールがまず取り上げるのは、アルバムのタイトル・ソング「フレイミング・パイ」。オリジナルのスタジオ・ヴァージョンからリード・ヴォーカルを抜いたものを流し、そこにポールがピアノ(サイケデリックな塗装が施された通称「マジック・ピアノ」)の生演奏とライヴ・ヴォーカルを加えてゆく。背後のTV画面には、ほとんどの楽器をポールが1人で担当したことにちなんでエレキ・ギター/ヘフナー・ベース/ドラムスをそれぞれ演奏する3人のポールが映し出されるが、この映像は前日にリバーサイド・スタジオであらかじめ撮影されていた(ブックレットでは6月23日と翌24日にホッグ・ヒル・ミル・スタジオで撮影されたとあるが誤り)。リズムにのせてノリノリでピアノを弾くポールの手つきを随時確認できるのがおいしい。スタジオ・ヴァージョンのエンディングはフェードアウトだが、ここではしっかり完奏している。
2曲目は当時の最新ヒット「ヤング・ボーイ」で、この曲ではポールはアコースティック・ギターを弾きながら歌う。「フレイミング・パイ」同様リード・ヴォーカル抜きのバッキング・トラックに合わせたパフォーマンスで、ポールのライヴ・ヴォーカルとスタジオ・ヴァージョンのバッキング・ヴォーカルが絶妙に絡み合う。TV画面には引き続き3人のポールが映りマルチ・プレイヤーぶりを堪能できる。ポールは歌っている間はマイクの前にとどまっているが、間奏ではステージを歩き回り大仰なポーズをきめる。「フレイミング・パイ」も「ヤング・ボーイ」も5ヶ月後の「オプラ・ウィンフリー・ショー」で(「TFIフライデイ」と似通った演出で)再演されたが、その後は前者が2004年~2009年にわたりセットリストに復帰したのに対し後者はそれっきりとなってしまい、明暗が分かれた。
13.デービッド・フロスト・インタヴュー
1997年11月3日にMPLのオフィス(ロンドン)で収録が行われたインタビュー。インタビュアーは長年ポールと親交のあったTV番組司会者のデヴィッド・フロスト。その模様は同月28日に米国PBSのインタビュー番組「トーキング・ウィズ・デヴィッド・フロスト」で公開された後、12月28日には英国チャンネル5でも「Paul McCartney In Conversation With Sir David Frost」のタイトルで放送されたが、ソフト化されるのは今回が初めて。約1時間の番組から9分半ほどを抜き出してきたものが今回収録されている(ここでは2つのチャプターに分かれている)。以下では、チャプターごとに区切って解説を掲載してゆきます。
- チャプター 1
まずデヴィッドに促される形で、リンダと運命的な出会いを果たした日(1967年5月15日)をポールが振り返る。バッグ・オーネイルズという音楽クラブで飲んでいた時、近くの席でアニマルズと一緒にいたリンダに目が行き、店を出ようとした彼女に勇気を振り絞って声をかけたという。一目ぼれだったとポール自ら認める。出会いから結婚までの期間を尋ねられると「'60年代の記憶があやふやだけど、1年くらいだったと思う」と答えるが、実際には1年10ヶ月を要している。「交際しているうちに、今までの誰よりもリンダのことが好きだって気づいたのさ」とポール。リンダと他の女性との違いに関しては、リンダは「女の子(girl)」でなく「女性(woman)」だったと分析し、シングルマザーならではの決断力と行動力、そしてやさしさを魅力に挙げる。それから動物好きという共通点があったことに触れ、2人揃って菜食主義者に転じるきっかけとなった食事中の出来事や、肉を食べなくても困らなくなるまでの経緯を明かす。
- チャプター 2
続いて、当時のリンダの健康状態が話題に上る。1995年末に乳癌が見つかり手術を受けたリンダは、回復に向けて長い闘病生活に入っていた。これについてポールは計り知れないほどの衝撃だったと語る。その上で「人生で大切なことを考えるようになり、時間を無駄にしなくなったのは唯一悪くなかったよ」と付け加える。『フレイミング・パイ』が高い評価を受けたのは、最高のアルバムを作ろうと集中したおかげだとも。なお、リンダはこの後癌が肝臓に転移し、本インタビューから半年も経たない1998年4月にこの世を去った。
ここからのお題はビートルズ。デヴィッドが「ビートルズが存在しなかったら今の音楽は違うと思いますか?」と問うとポールは「きっと変わっていただろう」と肯定し、ビートルズが果たした役割を「僕らは多くの人にとっての代弁者だったんだ。'60年代には斬新なアイデアを考案して文化に影響を与えた人が大勢いたからね」と説明する。また、「僕らの世代は自由があって経済状況もよかった頃に独立できて幸運だったよ」「ビートルズはメンバー4人の相性も特別だったと思う」と成功の秘訣を教えてくれる。ジョージ・ハリスンが書いた「サムシング」(1969年)をフランク・シナトラがレノン=マッカートニー作品だと勘違いしていたというエピソードも飛び出す。最後に、今後の音楽活動についてデヴィッドが「これからまた名曲を書いて最高の作品を世に送り出したいとのことですが、書けそうですか?」と質問。これに対しポールは「過去に名作を生んだからと諦めるのは嫌なんだ。毎朝仕事のことを考えるけど、楽しい仕事が常にあるよ」と並々ならぬ創作意欲をうかがわせ、この年発表した交響詩「スタンディング・ストーン」を念頭に、ロックと並行してクラシック作品も書き続けることに前向きな姿勢を見せる。「終わりに見えても、常に音楽の仕事は続いている状態だよ」という締めの一言は、それから23年が経った2020年も現在進行形で精力的に音楽活動をこなすポールを思うととても感慨深い。