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『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』(1988年)以来11年ぶりとなる、他アーティストの楽曲のカヴァーに特化したアルバム。このアルバムの収録曲はすべてオリジナル版に収録された曲です。前作『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』は全曲がロックンロールのカヴァー・ヴァージョンでしたが、このアルバムでは収録曲のうち3曲(4・7・10)がポールの自作曲で、残りがカヴァー曲です。
【時代背景】
「数年前までは引退する頃だと思っていた」と形容する50代に突入したポール。ハイライトとなった「ザ・ビートルズ・アンソロジー」プロジェクトを筆頭に、'90年代中期は積極的かつ多岐にわたる活動で充実した日々を過ごしていました。1997年にはオリジナル・アルバム『フレイミング・パイ』とクラシック・アルバム『スタンディング・ストーン』を立て続けにリリースして守備範囲の広さを示した上に、これまでの功績が評価され英国王室からナイト爵位を授与されています。一方、この頃ポールは順風満帆だった人生に暗い影を落とす大きな心配事を抱えていました。誰よりも大切な愛妻リンダが体調を崩したのです。リンダは1995年末に乳癌が見つかり手術を受け、その後の長い闘病生活に耐えて一時は公の場に姿を見せられるまでに回復。しかし、1998年3月に癌が肝臓に転移すると病状が悪化します。すべてを投げ出しつきっきりで看病したポールの祈りもむなしく、4月17日にリンダは56歳の若さでこの世を去りました。
最愛の人を失ったポールは、一切の音楽活動を休止し家族と共に涙に暮れます。当時の心境を「悲しみを乗り越えるには忙しくするのが一番だと言う人もいたけど、それは現実逃避みたいで嫌だった」と後に振り返っていますが、ポールの心痛が癒え仕事に戻る気分になるまでには数ヶ月を要することとなります。ようやくスタジオ入りしたのは7月になってからで、夫妻で長年取り組んできたリンダのソロ・アルバム『ワイド・プレイリー』を完成。その発表に伴うインタビューでは「すぐに音楽活動を再開させるのは難しい」とコメントしたものの、リンダの死を受けて何らかの形で過去に立ち返る必要があると感じたポールは、自分が次に何をすべきか思いを巡らせます。そしてたどり着いたのが、かねてから構想を温め、リンダも生前強く望んでいたロックンロールのカヴァー・アルバムの制作でした。ポールはこれまでもキャリアの転換点に立った時、10代の頃に聴き親しみ強い影響を受けた曲たちを通して、仲間と楽しく演奏することの喜びを再確認してきたことが何度かあり、オールディーズのカヴァーは自らの音楽の原点を今一度見つめ直したいポールの意向に沿うものでした。さらに今回は同じくロックンロールを愛したリンダの願いをかなえるという意味合いも加わり、喪に服した後の復帰作とするにはまさにうってつけのアイデアだったのです。
【アルバム制作】
まず下準備として、カヴァーする予定の楽曲の歌詞を1行ずつ聞き取り、それを封筒に書き留める所から始めました。オリジナル・ヴァージョンを収録したカセット・テープをひたすら聴くこの作業を「15歳の頃以来で懐かしい気分になったよ」とポールは回想します。続いて、アルバムの共同プロデューサーにクリス・トーマスを起用しました。ピンク・フロイドやセックス・ピストルズ、ロキシー・ミュージック、日本のサディスティック・ミカ・バンドなどの作品に携わったことで知られるトーマスは、ポールとはビートルズの『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』以来の知り合いで、過去にはウイングスのラスト・アルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』も手がけています(ポールとの共同プロデュース)。エンジニアにはビートルズゆかりのジェフ・エメリックとポール・ヒックスを指名。それからポールの誘いに応じたミュージシャンを見てみると、ギタリストはデヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)とミック・グリーン(ザ・パイレーツ)で、この2人とは既にポールのアルバムで共演したことがありました(デヴィッドが『ヤァ!ブロード・ストリート』など、ミックが『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』)。一方でドラマーのイアン・ペイス(ディープ・パープル)とキーボディストのピート・ウィングフィールドとは今回が初対面。以上の4人と、ベースとヴォーカルを担当するポールによって基本的なレコーディングは進められることとなります。
当初からポールは、全曲をわずか1週間で録音してしまおうと決めていました。アルバム制作に時間をかけなかった初期ビートルズの働き方に懐かしさを覚え、デビュー当時のようなエネルギーを取り戻したかったためです。そして1999年3月の第1週に、おなじみロンドンのアビイ・ロード第2スタジオを5日連続で貸切った短期集中型のロックンロール・セッションを開始します。1日の流れは初期ビートルズのスケジュールを再現したもので、午前10時にスタジオ入りし10時半からの3時間で2曲を録音。1時間のランチを挟み2時半からの3時間でもう2曲完成させ、5時半には仕事を終えました。曲に新鮮な状態で臨んでもらうため、参加するミュージシャンには予習を許さず、次に何を演奏するかはレコーディング直前に教えました。1日に4曲仕上げるというハイペースでは「ここのアレンジはどうしよう」などと考えている暇は全然なく、いつしか「考えない」が共通の合言葉に。「メンバー間のエゴについて考える時間すらなかった。狂気じみた1週間だったけど、早く上手に演奏することが求められたからみんな楽しめたと思うよ」とポールは語ります。
前述のきついスケジュールを守るべく、各曲一発録りのスタジオ・ライヴ形式でほんの数テイクしか試さなかったこともあり、週の終わりには20曲近いストックができていました。最終的にアルバムに収録される15曲のほとんどがこれに該当します。その後は自身の「ロックの殿堂」入りを記念したセレモニー(1999年3月15日)やリンダの追悼コンサート「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア/ア・コンサート・フォー・リンダ」(1999年4月10日)に出演しつつ休息を取ったポールですが、5月には再びアビイ・ロード・スタジオにて追加のレコーディングを行っています。この時は3・7が取り上げられ、イアンの代わりにデイヴ・マタックス(『タッグ・オブ・ウォー』『フラワーズ・イン・ザ・ダート』などにも参加)が、ピートの代わりにゲラント・ワトキンスが演奏しました。一度録り終えたトラックへのオーバーダブは限定的で、シンプルな5ピース・サウンドを保ったままミックス・ダウンされ、アルバムは完成しました。アルバム未収録に終わった曲のうち、「ファビュラス」はシングルのB面に回されます。残る未発表曲の詳細は不明ですが、「サーチン」「サミン・ア・ライド」「引っ越しだ」「フールズ・ライク・ミー」をカヴァーしたとも言われます。
アルバムは新曲4と同じタイトルの『ラン・デヴィル・ラン』と名づけられました。これはポールがアトランタ(米国ジョージア州)を旅行中に訪れた、ミラーズ・レクソール・ドラッグスというブードゥー・ショップで買った同名のバス・ソルトにインスパイアされたもの。アートワークはノーマン・ハサウェイがデザインし、デイヴ・ファインが撮影したアルバム・ジャケットにはミラーズ・レクソール・ドラッグスの建物が映っています(ただし画像を加工して店名を変えてある)。アナログ盤の裏ジャケット及びインナー・スリーブ(CDではブックレット)にはアルバム解説・曲目解説・使用楽器一覧・クレジットに加え、セッションの模様などを捉えた写真やイラストを複数掲載。少年時代のポールの写真を弟マイク・マクギアが提供したほか、イラストの一部をハンブルク時代からの旧友クラウス・フォアマンが描きました。CDのブックレットにはさらに収録曲の歌詞とレコーディング・データが印刷されています。
【発売後の流れ】
リリースの目処がつくとポールは、新作のプロモーションを積極的に展開し始めます。9月には欧米各地を回ってアルバムのリスニング・パーティーを4度にわたり開催していますし、動物愛護団体・PETA主催のイベント「パーティー・オブ・ザ・センチュリー」(1999年9月18日)ではデヴィッド・ギルモアやミック・グリーンらを引き連れて収録曲を6曲(4・5・6・7・9・13)先行披露しました。そして翌10月に、前衛アルバムやクラシック・アルバムを除けば約2年半ぶりとなるアルバム『ラン・デヴィル・ラン』は世に送り出されます。カヴァー曲がメインということもあってかベスト・テン入りは果たせなかったものの、全英12位・全米27位まで上昇し、英国ではゴールド・ディスクを獲得。ローリング・ストーン誌が「ポールの圧倒的な魅力と天性の音楽性を鮮やかに想起させる」と賞賛するなど評論家たちからの反響も上々で、「ポールはクラシックにすっかり傾倒してしまった」という一部の憶測はたちまち払拭されました。同月には5がシングルカットされ、英国でマイナー・ヒットとなっています。
11月からは、レコーディングに参加したミュージシャンに再び声をかけTV番組への出演を精力的にこなし、アルバムを宣伝し続けました。英国BBCの音楽番組「レイター・ウィズ・ジュールズ・ホランド」(1999年11月6日放送、5・9・13・15を演奏)や、ルルがホストをつとめるBBCのゲーム番組「レッド・アラート」(1999年11月13日放送、5・9・15を演奏)はその一例です。そして一連のライヴ活動を締めくくったのが、ビートルズがデビュー前後に演奏した場所として伝説になった故郷リバプールのキャヴァーン・クラブでの一夜限りのコンサート(1999年12月14日)。当日のセットリストは『ラン・デヴィル・ラン』セッションの総決算と呼べる内容で、アルバムから実に10曲(1・3・5・6・7・9・10・13・14・15)と、他に「ファビュラス」「トゥエンティ・フライト・ロック」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」が取り上げられ、会場に詰めかけた300人のファンを熱狂させました。昔懐かしいキャヴァーンで過ごす時間はポールにとっても特別なものだったようで、「戻ってこられて本当にうれしいよ。20世紀をロックンロールで締めくくるわけだけど、これ以上ふさわしい場所はないね」と感想を述べています。
なお、このアルバムは通常の1枚組アナログ盤/CDとは別に3種類の限定盤が発売されています。1つはCD2枚組の初回限定盤で、1枚目にアルバム本編を、2枚目にアルバム制作や収録曲に関するポールのインタビュー(約41分)を収録しています。一方、米国の一部店舗で販売されたものは2枚目のCDにオリジナル・アーティストが歌ったヴァージョンを4曲(1・6・11・15)収録。もう1つは1999年12月に英国で発売されたアナログ盤ボックス・セット(7,000セットの限定生産)で、「ファビュラス」を加えた16曲が8枚の7インチシングルに分けて収録されていました。
【管理人の評価】
本作以前にもポールは『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』というロックンロールのカヴァー・アルバムを制作していますが、そちらと比較しつつアルバムの特徴をいくつか挙げてゆきましょう。まず曲目ですが、数あるオールディーズの中からポールの思い入れが強い曲が選ばれていて、ポールの音楽的ルーツが分かります。最多のエルビス・プレスリー(3・12・15)やファッツ・ドミノ、リトル・リチャードは『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』から引き続きカヴァーされ、殊更強い影響力をうかがわせます。他方、シングルB面曲(2・9・11)や、オリジナル・アーティスト自体知られていない5など、有名どころ中心だった『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』に比べると選曲は全体的にマニアック。この傾向についてポールは「ビートルズ駆け出しの頃は誰も演奏しないようなシングルB面を聴きあさったものだけど、そういう曲をやりたかったんだ」と語っています。また、今回はカヴァー曲に加えてポールの自作曲を3曲(4・7・10)収録しているのが特筆すべき点ですが、チャック・ベリー風の4を筆頭にオールディーズを意識して書かれているため、いずれも「ロックンロール・アルバム」というコンセプトから逸脱していません。
スタジオ・ライヴ形式を採用し、極めて短期間にほぼすべてを一発録りで仕上げるというこのアルバムでの手法は『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』と共通していますが、そこに至るまでの過程には決定的な違いがあります。気ままなジャム・セッションの延長線上に生まれた『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』に対し、こちらは最初から公式発表を念頭に録音されているのです。全員が気合十分の状態で臨んだことは、タイトで力強く、若々しさを感じられる迫力満点の演奏につながりました。さらにはポールのヴォーカルも最高のコンディション。当時56歳という年齢が信じられないほどのエネルギッシュなシャウトを随所で繰り広げていて、アルバムの大きな魅力になっています。アレンジ面では「ラジオで最近の曲と一緒に流れても違和感のないサウンドにしたんだ」とポールが説明するように、原曲を'90年代の視点で大胆に解釈したモダンな味付けが大半の曲に施され、衝動的な「考えない」プレイもあいまって強烈な印象を残します。
ポールの自作曲が少ないというアルバムの性質上、これからポールのソロを聴こうとしている方にとってはオリジナル・アルバムを一通り聴いてから手を伸ばす1枚になってしまいますが、一連のカヴァー・アルバム(ジャズ・スタンダードを取り上げた『キス・オン・ザ・ボトム』含む)では最も広くお勧めできる作品と言えるでしょう。ポールにロック色を求めている方、痛快なシャウト・ヴォーカルをパワフルな演奏と共にたっぷり浴びたいという方にはドンピシャです。ポールのロックンロール節を堪能する上でこれ以上のアルバムはありません。ほとんどの曲が3分未満の演奏時間に収まっているので冗長さは皆無ですし、アップテンポの曲が多く終始ハイテンションで突っ走る構成は耳にとっても楽しいですよ。ポールの自作曲も、「傑作」とまではいきませんがかっこよくきまっています。ちなみに、私は4・7・9・13が特に好きです。
アルバム『ラン・デヴィル・ラン』発売20周年記念!収録曲+aを管理人が全曲対訳!!
1.ブルー・ジーン・ボップ
ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスが1956年に同名のデビュー・アルバムで発表した曲。シングルとしては、ジーンの母国である米国ではチャート・インしなかったが、英国では最高16位まで上昇した。「ジョン(・レノン)が持っていたレコードで聴いたのを覚えているよ」とポールは語る。収録曲の中でもひときわオリジナルに忠実なアレンジで、ヴォーカルにうっすらかけられたエコーも再現している。キャヴァーン・クラブでのライヴ(1999年12月14日)では2曲目に演奏された。
2.シー・セッド・イェー
オリジナル・アーティストはラリー・ウィリアムズで、1959年のシングル「バッド・ボーイ」のB面に収録された。'60年代中期にはアニマルズとローリング・ストーンズが相次いでカヴァーを残している(この曲をミック・ジャガーに紹介したのは他ならぬポールとのこと)。「バッド・ボーイ」「スロウ・ダウン」「ディジー・ミス・リジー」といった曲から、ビートルズ時代のジョンが十八番にしている印象が強いラリー・ナンバーを、ポールが元気いっぱいに歌う。
3.オール・シュック・アップ
1957年に発売されるや否や米国で200万枚を売り上げ8週連続1位に輝いた、エルビス・プレスリーの大ヒット・シングル。原曲はエルビスの甘い歌声が引っ張る割とソフトな仕上がりだが、ポールはエレキ・ギターをガンガン鳴らしたアップテンポのハードロックに消化していて、まるで対照的である。1999年5月の録音で、ドラムスはデイヴ・マタックス、キーボードはゲラント・ワトキンスが担当。デヴィッド・ギルモアが加えるバッキング・ヴォーカルが楽しい。TV番組「マイケル・パーキンソン・ショー」(1999年12月3日放送)とキャヴァーン・クラブでのライヴで取り上げられた。ポールのヴァージョンは「空耳アワー」の空耳「あ!孟子か」で有名かもしれません(苦笑)。
4.ラン・デヴィル・ラン
アルバムのタイトル・ソングで、ポールが書き下ろした新曲。バス・ソルトの商品名から曲想を得て、早口でまくし立てるようなメロディや物語風の詞作など、チャック・ベリーを意識したノリのいいロックンロール・ナンバーに仕立てている。サビ終盤のコーラスは、そこにいるはずのないリンダが歌っているように聞こえることが話題になった。意外にもコンサートではリリース前のイベント「パーティー・オブ・ザ・センチュリー」でしか演奏されていない。2014年にはワンダ・ジャクソンがカヴァー・ヴァージョンを発表している。
5.ノー・アザー・ベイビー
1957年に作曲者のディッキー・ビショップがザ・サイドキックスと共にひっそり発表したシングル曲。翌年には英国のスキッフル・バンド、ザ・バイパーズがカヴァーした。ポールが聴いたのは後者のヴァージョンで、そのプロデューサーは後にビートルズを手がけたジョージ・マーティンである(この事実をポールは知らなかった)。あまりに無名なためポールは誰が歌っているのかすら知らずにいたが、'90年代のコンサート・ツアーのサウンドチェックでたびたび披露し、ロックンロールのカヴァー・アルバム第1弾『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』のセッションでも取り上げたほどこの曲がお気に入りだった。今回はテンポをぐっと落とし、じっくり聞かせるアレンジに変更して再挑戦している。
アルバムから唯一シングルカットされ、英国で最高42位を記録(米国では未発売)。大海原で1人ボートを漕いでゆくポールを映したプロモ・ヴィデオは、そばにリンダのいない喪失感を表現したかのよう。キャヴァーン・クラブでのライヴを含め、アルバム発売前後に出演したステージの大半でセットリスト入りした。
6.ロンサム・タウン
俳優としても活躍したリッキー・ネルソンが1958年にヒットさせたバラードで、ポールのみならずリンダもお気に入りに挙げていた。孤独な人々の傷心をつづった歌詞について「リンダを失った今の自分にはとても意味深いね」とポール。1999年3月に録音したベーシック・トラックに、後日デイヴ・マタックスがパーカッションをオーバーダブしている。ポールは原曲より1オクターブ上の音程で歌っているが、最初に試した際にハイ・トーンが続くミドルエイトでミッキーマウスみたいな声になってしまったというエピソードが残る。リンダの追悼コンサート「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア/ア・コンサート・フォー・リンダ」(1999年4月10日)や「パーティー・オブ・ザ・センチュリー」、キャヴァーン・クラブでのライヴなどで演奏された。
7.トライ・ノット・トゥ・クライ
このアルバムのためにポールが用意した新曲で、かつてのアルバム『プレス・トゥ・プレイ』をほうふつさせる硬派な音作りは「ロックンロール」より「ロック」という言葉を連想させる。オフ・ビートを避けるように書かれたメロディと、語呂を優先した歌詞、悲しみを振り切るかのような力強いヴォーカルが印象的。1999年5月の録音で、デイヴ・マタックスがドラムスを、ゲラント・ワトキンスがピアノを演奏している。「パーティー・オブ・ザ・センチュリー」とキャヴァーン・クラブでのライヴで取り上げられた。私の大好きな曲の1つですね。
8.ムーヴィー・マグ
「キング・オブ・ロカビリー」ことカール・パーキンスのデビュー曲(1955年)。恋人マギーとラバに乗って映画館に出かけたカールの実話を基にした詞作が面白い。ポールはカントリー・フレーバーを加えてカヴァーしているが、楽器編成は収録曲中最もシンプル。ポールが弾くアコースティック・ギターを作中で唯一フィーチャーしている。ビートルズのメンバー全員のアイドルで、「ゲット・イット」(1982年)でポールとの共演を果たしたカールは、『ラン・デヴィル・ラン』の前年にあたる1998年に脳卒中による合併症でこの世を去った。アナログ盤はここまでがA面。
9.ブラウン・アイド・ハンサム・マン
チャック・ベリーが1956年のシングル「トゥ・マッチ・モンキー・ビジネス」のB面で発表したのがオリジナルだが、ポールが参考にしたのは翌年に録音されたバディ・ホリーのヴァージョン(バディの死後陽の目を浴び、全英3位を記録)である。「バディとは少し違う感じにしたいと思ったんだ」とポールが語るように、ここではクリス・ホールによるアコーディオンをフィーチャーして陽気なケイジャン風に仕上げている。シングル「ノー・アザー・ベイビー」のB面でもあった。プロモ・ヴィデオは若者から老人までたくさんの人たちが一心不乱にラインダンスを踊るというシュールな内容で、曲に負けじと楽しい。キャヴァーン・クラブでのライヴを始め、アルバム発売前後のステージで頻繁に聴くことができた。このアルバムで私が一番好きな曲です。
10.ワット・イット・イズ
ポールの自作曲。リンダが亡くなる数ヶ月前に、ピアノでブルージーなリフを弾いているうちにメロディが浮かんできたという。オールディーズを念頭に置きつつ、ブギウギのリズムを導入するなどポールのオリジナリティも同時に感じられる。愛する人を「世界を動かしてくれる存在」と形容する歌詞はリンダに捧げたもの。キャヴァーン・クラブでのライヴで演奏された。
11.コケット
この曲は1928年にガイ・ロンバード&ヒズ・ロイヤル・カナディアンズが世に広めた後、インク・スポッツやフランキー・レインらが取り上げてスタンダード・ナンバーとなった。1958年にはファッツ・ドミノがシングル「ホール・ロッタ・ラヴィン」のB面でカヴァー。ポールはドミノのヴァージョンを参考に、原曲にかなり忠実に録音している。ポールいわく「パブのシンガーっぽい」野太いヴォーカルは、もちろんドミノのスタイルを意識したもの。こういうニューオーリンズ風の曲もポールはこなれていますね。
12.アイ・ガット・スタング
兵役に就いたばかりのエルビス・プレスリーが1958年に「ワン・ナイト」との両A面シングルとして発表した曲。米国では8位止まりだったが、全英No.1を獲得している。ポールはこの曲をあまり好きでなかったが、歌い出しには惹かれていたようだ。元々激しめのエルビス・ナンバーを、輪をかけて騒々しい演奏とシャウト・ヴォーカルでぐいぐい聞かせる。英国BBCのラジオ番組「レット・イット・ロック」最終回(1999年7月5日放送)で「スペシャル・ミックス」と称して先行公開されたが、その音源がインターネット上で無断配信され問題となった。
13.ハニー・ハッシュ
オリジナル・アーティストはブルース・シンガーのビッグ・ジョー・ターナーで、1953年に発売されたシングルはミリオン・セラーとなった。チャック・ベリーやエルビス・コステロなどカヴァー・ヴァージョンが多いが、ポールが聴き親しんでいたのはジョニー・バーネット・トリオによるヴァージョン(1956年)である。ここでは後者に近いアレンジで、原曲をパワーで凌駕する荒々しいバンド・サウンドと、サビの「ハイホー、ハイホー・シルバー」が痛快極まりない。キャヴァーン・クラブでのライヴなどアルバム発売前後のステージのほとんどでセットリスト入りし、2002年以降は現在に至るまでサウンドチェックでの定番となっている(本番でも稀に披露された)。
14.シェイク・ア・ハンド
1953年に米国の女性歌手フェイ・アダムスがヒットさせたR&Bの名曲。1958年にはリトル・リチャードがカヴァーを残していて、ポールは彼のヴァージョンを愛聴してきた(ビートルズのハンブルク巡業中に訪れたバーのジュークボックスにレコードがあったとのこと)。3連符のピアノ伴奏や、ポールが繰り広げるリトル・リチャード直伝の絶叫ヴォーカルは「オー!ダーリン」「コール・ミー・バック・アゲイン」といったマッカートニー・ナンバーにも通じる。キャヴァーン・クラブでのライヴで演奏された。
15.パーティ
映画「さまよう青春」(1957年)でエルビス・プレスリーが歌ったのがオリジナル。翌年にはワンダ・ジャクソンが「レッツ・ハヴ・ア・パーティ」のタイトルでカヴァーしている。ポールはビートルズ時代の「のっぽのサリー」よろしくノリノリのロックンロールに仕上げたが、アルバムのエンディングに持ってくるには最適の1曲と言えよう。アウトロでも最後の最後までアドリブで延々とシャウトし続けるのがかっこいい。リリース直後に出演した3つのTV番組で披露されたほか、キャヴァーン・クラブでのライヴではラスト・ナンバーに選ばれた。