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このアルバムの収録曲はすべてオリジナル版に収録された曲です。明確なクレジットがないものの、アルバムの最後にはラスト・ナンバー12と同じトラックに「コスミカリー・コンシャス」というタイトルのシークレット・トラックが収められています(アルバムでは2分未満だが、フル・ヴァージョンを当時のシングルのカップリングで聴くことができる)。また、日本ではファースト・プレスのみアルバム未収録曲「ロング・レザー・コート」「キックト・アラウンド・ノー・モア」を収録した3インチCDがボーナス・ディスクとして付属していました。この2曲は、英米では先行シングルのB面/カップリングに収録されていましたが、日本ではオミットされしばらく未発表になっていた曲です。収録曲のうち、ポールとエルビス・コステロの共作である4・9を除く全曲がポール本人による作曲です。エルビスは、作曲者としては本名の「デクラン・マクマナス」名義でクレジットされています。
【時代背景】
エルビス・コステロとの共作・共演に刺激を受けつつ、約1年半かけてじっくり作り上げていったアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』(1989年6月発売)で音楽シーンの最前線への復帰を果たしたポール。その新作以上に熱烈な歓迎を受けたのが、計13ヶ国・全102公演という過去最大規模かつウイングス時代以来久々となるワールド・ツアー(1989年9月26日〜1990年7月29日)でした。ノスタルジックな意味合いを込めていつしか「ゲット・バック」ツアーと呼ばれるようになったこのツアーでは、悲願の日本公演の実現(1990年3月)を始め、有料コンサートの観客動員数の世界最高記録を塗り替えたブラジル・リオデジャネイロ公演(1990年4月21日)や、親友ジョン・レノンの曲を初めて人前で披露した故郷リバプールでの凱旋公演(1990年6月28日)など数々の感動的な出来事が起き、累計観客動員数が284万人を突破すると共に、1990年最大のチケット売上枚数を記録する大成功を収めました。ツアーの音源は2枚組のライヴ盤『ポール・マッカートニー・ライヴ!!』(1990年11月発売)としてまとめられたほか、映像の方もドキュメンタリー映画「ゲット・バック」が制作されています(1991年9月公開)。「ゲット・バック」ツアーの成功は、すっかり結束を固くしたツアー・バンドと一緒に音楽活動を続けてゆきたい・・・というポールの思いを強めるばかりでした。
ポールからニュー・アルバムとさらなるコンサート・ツアーの話を切り出されたツアー・バンドのメンバーはさほど驚かなかったそうで、リンダはもちろんヘイミッシュ・スチュアート、ロビー・マッキントッシュ、ポール・“ウィックス”・ウィッケンズは軒並み参加の意思を伝えました。しかし、クリス・ウィットン(ドラムス)だけは「セッション・ミュージシャンとしていろいろ挑戦したい」との理由でツアー直後に円満に脱退(その後ダイアー・ストレイツに合流)。後任のドラマーには、ロビーと同じ元プリテンダーズのブレア・カニンガムが抜擢されます。ブレアの初仕事は、ライヴ盤からのシングル「オール・マイ・トライアルズ」の宣伝のために出演した英国BBCのトーク・ショー「ウォーガン」(1990年12月14日放送)でした。続いて1991年1月25日には米国MTVの音楽番組「アンプラグド・ショー」にバンド揃って出演(米国では4月3日、英国では6月10日に放送)。「すべての楽器をプラグを通さず演奏する」という番組の趣旨から、ポールにとっては珍しく全曲アコースティック・スタイルのセットリストで、オールディーズからビートルズ・ナンバーまで22曲を演奏しました。そのうち17曲は、「どうせ海賊盤が出回るなら・・・」と先手を打つ形でアルバム『公式海賊盤』(アナログ盤25万枚+CD100万枚未満の限定生産)として1991年5月に世に送り出されました。その後はヨーロッパ4ヶ国を回り、アコースティック/エレクトリック半々のセットを引っさげて小規模な会場でのシークレット・ギグ全6公演(1991年5月8日〜7月24日)に臨んでいます。
実はこの数年間、ポールはバンド活動以外の大きな仕事をもう1つ抱えていました。ロイヤル・リバプール・フィルハーモニー管弦楽団の創立150周年を記念したオラトリオ「リヴァプール・オラトリオ」の作曲です。既に1988年には白羽の矢を立てられていたというポールは、共作者で作曲家・指揮者のカール・デイヴィスと共に、「ゲット・バック」ツアーなどの合間を縫って自身初の本格的なクラシック作品に挑戦。完成には3年を要し、1991年6月28日にオラトリオは満を持してリバプール大聖堂での初演を迎えました(10月にはアルバム化もされている)。「リヴァプール・オラトリオ」に忙殺された結果、ポールが次なるアルバムの制作にようやく着手したのは1991年秋になってからでした。
【アルバム制作】
まず、ウィックスの勧めでジュリアン・メンデルソンが共同プロデューサーに起用されました。メンデルソンはペット・ショップ・ボーイズやケイト・ブッシュなどを手がけたことで知られ、1986年にはポールの「イッツ・ノット・トゥルー」「タフ・オン・ア・タイトロープ」をリミックスしたこともありました。「オファーを受けた時、実は休暇がほしくて仕方なかったのでポールにぐいぐい迫らなかったんだけど、それが好印象になったかな」とメンデルソンは振り返っています。エンジニアにはボブ・クラウシャールを指名。一方ポールは、新作を単なるソロ・アルバムではなくバンドのカラーを前面に押し出したアルバムにしようと決めていました。そのためここでは、前作『フラワーズ・イン・ザ・ダート』のように最初にバッキング・トラックを録音しヴォーカルなどを後からオーバーダブするのではなく、大半の楽器とヴォーカルを同時に録り、そのライヴ・レコーディングの中からベスト・テイクを選び最小限のオーバーダブを施すという手法が採用されました。その象徴的な例が6・7で、この2曲は1991年11月の最終週に始まった2週間のリハーサルで録音されたテイクがベストとされ、前者に至ってはその時のテイクがオーバーダブもなしにそのままアルバムに収録されています。リハーサルではポールが新曲の簡素なデモを聞かせ、大まかなアイデアを伝える以外はバンドのメンバーの自由な発想に委ねました。
本格的なレコーディング・セッションは翌12月に始まり、サセックスにあるポールの私設スタジオ「ホッグ・ヒル・ミル・スタジオ」で平日の正午から夜8時まで作業するというスタイルで数ヶ月間続けられました。スタジオ内のキッチンのおかげでセッション中に体重が増えたというメンデルソンは、ポールとの共同プロデュースについて「とても民主的なプロセスで、意見の対立はほとんどなかった」と話します。レコーディング中に上手く行かない時ポールは「これはバンド全体のアルバムなんだ。ただの年寄りのバンドのじゃないんだ」とメンバーを叱咤激励し、メンデルソンがOKを出しても納得できるまで何度もやり直したとのこと。『フラワーズ・イン・ザ・ダート』とは対照的に外部のミュージシャンの参加は限定的で、2曲を共作したエルビスも今回は不在ですが、管弦楽を加えたい曲(4・8・12)では専門の奏者を招待。そのスコアは、「リヴァプール・オラトリオ」のカール・デイヴィスや、ビートルズ以来気心知れたジョージ・マーティンに依頼しました。
こうして努力の末に完成した新曲は実に23曲に及び、アルバムが2枚作れてしまうほどでした。そこでポールは収録曲を決定するため、メンバーやスタッフを対象に各曲10点満点の人気投票を実施。上位に入った12曲(と、シークレット・トラック「コスミカリー・コンシャス」)がアルバムに収録されることとなりました。アルバム未収録に終わった曲のうち、「ロング・レザー・コート」「ビッグ・ボーイズ・ビッカーリング」「キックト・アラウンド・ノー・モア」「アイ・キャント・イマジン」「ダウン・トゥ・ザ・リヴァー」「キープ・カミング・バック・トゥ・ラヴ」「スタイル・スタイル」「スウィート・スウィート・メモリーズ」「ソギー・ヌードル」はシングルのB面/カップリングに回されます。
オープニング・ナンバー1をアルバム・タイトルに据えたことについて、ポールはレコーディングを終えた日に娘と電話していた時「すごく素敵なアルバム・タイトルじゃない」と言われたのがきっかけだと説明しています。クレジットはポールのソロ名義ですが、クライヴ・アロウスミス(ウイングスのアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』のジャケットも担当)が撮影したアルバム・ジャケットにはバンドのメンバーも登場。とはいえ、「地上から飛び立つ」というタイトル通り6人とも素足しか写っていません。唯一の黒人であるブレアの足が目立つことが危惧されましたが、いざ撮ってみるとどれが誰の足か判別できない仕上がりでした。「人種差別がいかにくだらないものなのかを示すことができたよ」とはポールの弁。アートワークはオーブリー・パウエル(元ヒプノシス)が監修し、見開きジャケット内側(CDではブックレット)にはエドゥアルド・パオロッツィによるバンドの写真(撮影は主にリンダ)を寄せ集めたコラージュをフィーチャー。アナログ盤のインナー・スリーブ及びCDのブックレットには収録曲の歌詞が印刷されています。アナログ盤とCDではジャケット・サイズが異なるため、前者のジャケットはアートワークの周囲が白で縁取られていました。
【発売後の流れ】
アルバム制作は順調に進んでいましたが、ミキシングに時間をかけたり、ポールが(後にザ・ファイアーマンの変名で発表する)ハウス・ミュージックのリミックスに没頭したりしたため、発表は1993年にずれ込むことになります。収録曲の中から、まず3が先行シングルとして発売されました(1992年12月)。同年初めてのポールの新曲は、米国では伸び悩んだものの英国では18位まで上昇。そして年が変わり、ポールがTVやラジオで積極的なプロモーションを展開する中、ライヴ盤やクラシック・アルバムを除けば3年半ぶりとなるアルバム『オフ・ザ・グラウンド』は1993年2月に発売されます。チャートでは全英5位・全米17位と『フラワーズ・イン・ザ・ダート』ほどの好成績には至りませんでしたが、世界にポールの健在ぶりをアピールしました。面白いことに、英国外のヨーロッパ各国では大好評で、特にドイツではアルバムが最高2位を記録したほか、3も25万枚を売り上げ最高3位まで上り詰めるヒットになっています。この後、英国では第2弾シングルとして12が発売されマイナー・ヒットに。一部の国では1・6もシングルカットされました。
1991年夏のシークレット・ギグ以来久々にポールたちバンドがステージに帰ってきたのは、1992年11月20日にロンドンで収録が行われた英国カールトン・テレビジョンの特別番組「ア・カールトン・ニュー・イヤー」でのこと(1993年の元日に放送)。続いて、12月10日と翌11日にはエド・サリヴァン・シアター(ニューヨーク)でMTVの音楽番組「アップ・クローズ」を収録(米国では1993年2月3日、英国では4月12日に放送)。この時は完成したての新譜から8曲(1・2・3・5・6・7・10・12)も披露される大盤振る舞いでした。それからアルバムのリリース前後に各地のTV番組への出演をこなした後、当初の予定通り、このバンドでは2度目となるワールド・ツアー(その名も「ニュー・ワールド・ツアー」)を敢行します。2月18日のイタリア・ミラノ公演を皮切りに計19ヶ国・全77公演に及んだこのツアーでは「ゲット・バック」ツアーからセットリストを大幅に刷新し、ライヴで初めて演奏される「ドライヴ・マイ・カー」「マジカル・ミステリー・ツアー」「アナザー・デイ」などが話題となりましたが、『オフ・ザ・グラウンド』からも引き続き7曲が取り上げられポールの自信がうかがえます。ツアーはいくつかのレグに分かれながら12月まで続き、ポールは1993年のほぼすべてをライヴ活動に費やしてゆきました。
なお、このアルバムはドイツ・オランダ・日本ではCD2枚組の徳用盤『オフ・ザ・グラウンド ザ・コンプリート・ワークス』として年内に(日本では1994年に入ってから)再発売されています。こちらは、1枚目にアルバム本編を、2枚目に同時期の4枚のシングルに収録されたアルバム未収録曲を12曲収録しています。
【管理人の評価】
全曲をツアー・バンドのメンバーと一緒に録音したこのアルバムは、ポールがソロ名義で発表した諸作品でも指折りに生のバンド・サウンドを体感できる1枚に仕上がっています。その純度はビートルズにもウイングスにも引けを取りません。しかも本作ではライヴ・レコーディングを基本とし、オーバーダブを必要最小限にとどめたことで、きらびやかな音作りを施すこともままあった'70年代や'80年代よりも圧倒的にシンプルでナチュラルな印象を受けます。コンピュータ・プログラミングや過度なエフェクトを駆使した前々作『プレス・トゥ・プレイ』や前作『フラワーズ・イン・ザ・ダート』と好対照を成しているのは言うまでもありません。アレンジ面では「MTVアンプラグド」の影響も見受けられ、3に代表されるようにアコースティック・サウンドで聞かせる曲が増えました。コンサートやリハーサルで連日培われてきたバンドの一体感も最高の状態で、ゆったりした曲調の多さもあいまって和気藹々とした雰囲気に余裕を感じられます。
もう1つ特徴的なのが詞作面。ポールが書く歌詞は第三者の恋愛や物語を描きエンターテインメント性が高いとよく言われますが、この時期のポールはいつまでもキュートでいようとするのでなく、自分が関心を寄せている事柄について正直に書こうと考えていました。それゆえ、このアルバムでは地球環境問題や動物愛護など社会性を帯びたテーマが意識的に取り上げられ、いつになくメッセージ性が増しているのです。動物実験に異を唱えた2や、人類の団結を訴えた12はその一例です。希望を捨てずによりよい未来を目指そう─という呼びかけが一貫している辺りは楽観的なポールらしいでしょうか。また、歌詞を書き上げた後は友人の詩人エイドリアン・ミッチェルが添削し、推敲を手伝っているのは特筆すべき点。ポール流に言えば「宿題を見てくれる英語の先生みたいな」プロの詩人のお墨付きを得て、普段よりも歌詞の端正さに磨きがかけられています。
ストレートな演奏にのせてストレートに言いたいことを表現していて注目に値するこのアルバムですが、難点もあります。中でも、シングルになった4曲(1・3・6・12)を除くアルバム・ソングがことごとくパンチに欠け、アルバムを通して聴くとどこか煮え切らない物足りなさを覚えてしまう点はマイナス要素。これらは決して駄作ではないのですが、ロック・ナンバーが力みすぎて空回りしている感が否めなかったり、過去の曲にメロディが似通って二番煎じの節があったりと人によって好き嫌いがはっきり分かれそうなものばかりなのです。また、エンディングを決めずに行き当たりばったりで録音したのが災いして、単調な繰り返しが冗長に感じられる曲(5・7・11)もあり、聴きづらさを与えています。不思議なことに、アルバムから収録漏れになりシングル送りとなった曲の方が総じてクオリティが高く、「アイ・キャント・イマジン」や「スウィート・スウィート・メモリーズ」のようにキャッチーなメロディを持つ佳曲が多いように思えます。票を投じたスタッフたちの見る目がなかったということでしょうか(汗)。
以上を踏まえると、強力な内容の前作『フラワーズ・イン・ザ・ダート』や次作『フレイミング・パイ』ほどにはお勧めできませんが、適度にリラックスしたバンド・サウンドと、夢・希望・愛を高らかに歌い上げた詞作の世界観で、聴く者すべてが前向きな気持ちになれること間違いなしの1枚です。欠点も挙げましたが決して悪いアルバムではありません。明るいポップやロックと美しいバラードを交互に、のんびりくつろぎながら堪能したい方にはうってつけでしょう。ヘイミッシュとロビーの参加、エルビスとの共作曲などの共通項がある『フラワーズ・イン・ザ・ダート』を気に入った方は特に手を伸ばしてみてください。可能であれば『オフ・ザ・グラウンド ザ・コンプリート・ワークス』でアルバム未収録曲とペアで聴くのが一番なのですが、そちらは廃盤なのが困った所ですね・・・。ちなみに、私は1・3・12が特に好きです。
アルバム『オフ・ザ・グラウンド』発売20周年記念!収録曲+aを管理人が全曲対訳!!
1.オフ・ザ・グラウンド
アルバムのタイトル・ソング。この曲のみポール・“ウィックス”・ウィッケンズの提案でコンピュータ・プログラミングが大々的に使用され、演奏のほとんどはポールとウィックスの2人だけで1日で録音を済ませてしまった。デモの段階ではフォーク・ソング風だったが、重厚なギターと打ち込みドラムスを利かせたポップ・ナンバーに変貌している。後で追加されたロビー・マッキントッシュのギター・ソロや、キャッチーなコーラスワークが聴き所。愛の大切さを説き「地上から飛び立とう/空を飛び回ろう」と歌いかける開放的な詞作がポールならでは。
米国では1993年4月にアルバムからの第2弾シングルとなったが、チャート・インせず。一部ヨーロッパや日本で発売されたシングルには、コーラスとドラム・ソロのみで始まるリミックス・ヴァージョンが収録されていた。プロモ・ヴィデオでは、ワイヤー・アクションと合成技術を駆使してポールが空を飛んで世界中を旅する。1993年のニュー・ワールド・ツアーで披露した際には、エンディングにニューオーリンズのスタンダード・ナンバー「アイコ・アイコ」をくっつけていた。
2.ルッキング・フォー・チェンジズ
動物を愛するポールがウイングス時代の「ワイルド・ライフ」から一歩進んで、動物実験を「虐待」とみなし怒りをあらわにした明確なプロテスト・ソング。「頭に機械を埋められデータを収集されている猫の写真に触発されて書いたんだ。実験が必要なら自分の体でやればいいんだよ」とポールは語る。そんな憤りを表現したかのような力強いアメリカン・ロックに仕上げている。1993年のニュー・ワールド・ツアーでは米国公演からセットリスト入りした。また、2015年には動物愛護団体・PETAの35周年記念イベントで再演されている。ポールの言いたいことは理解できるものの、歌詞が鼻について個人的にはどうしても好きになれない曲です(苦笑)。
3.明日への誓い
ポールが屋根裏部屋で12弦ギターを爪弾いていた時にひらめいたアコースティックなポップ・ナンバー。そのギターの音色がクリスマスの鈴や聖堂を連想させたことで、「希望」という言葉が浮かんだという。ポールとロビーが幾重にもオーバーダブした「ギターの壁」が美しい。そこにリンダが弾くオートハープや、3人のセッション・ミュージシャンによるパーカッションが華を添える。「僕たちは解放の希望に生きている」と心強いフレーズを歌うポールが(特に間奏のアドリブで)実に楽しそう。
アルバムからの先行シングルとなり、英国で最高18位・米国で最高83位を記録。ドイツを筆頭にヨーロッパ各国でトップ10入りしたほか、カリプソっぽい曲調から中南米でも根強い人気を誇る。日本ではバラエティ番組「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」のエンディング・テーマに選ばれた。1993年1月には「デリヴェランス」というタイトルで原形をとどめないリミックスも発売されている。プロモ・ヴィデオは、森の中でたくさんのエキストラに囲まれて演奏するバンドをフィーチャー。1993年のニュー・ワールド・ツアーで最新ヒットとして演奏された後、2011年〜2012年の「オン・ザ・ラン」ツアーと2013年〜2015年の「アウト・ゼアー」ツアー(いずれも一部公演のみ)で復活した。ベスト盤『ザ・グレイテスト』にも収録。軽快な所が大好きな曲です!
4.ミストレス・アンド・メイド
1987年秋にエルビス・コステロと共作したワルツ・ナンバー。ヨハネス・フェルメール作の絵画「婦人と召使」に着想を得て、珍しく女性の視点から冷えきった夫婦関係を歌っている。ヘイミッシュ・スチュアートとロビーが弾いていたギター・パートを基に、カール・デイヴィスがオーケストラ・スコアを書いた。チャリティ・コンサート「ポール・マッカートニーとその仲間たちの夕べ」(1995年3月23日)ではポールとエルビスのデュエットが実現した。
5.アイ・オウ・イット・オール・トゥ・ユー
フランス旅行中に訪れた「イメージの大聖堂」という建物で目にした、いくつものプロジェクターが巨大な壁に映し出してゆく様々なイメージにインスパイアされて書いた曲。歌詞に登場する「エジプトの寺院」や「黄金の渓谷」は、ポールがそこで見た光景そのものである。ポールが弾くアコースティック・ギターが曲を引っ張り、メロトロンやチェレスタが神秘的な雰囲気を醸し出す。ライヴでは特別番組「ア・カールトン・ニュー・イヤー」と音楽番組「アップ・クローズ」で演奏されたきりで、その後はサウンドチェックで何度か取り上げられた。
6.バイカー・ライク・アン・アイコン
『オフ・ザ・グラウンド』セッションで最初に録音されたロック・ナンバー。ポールいわく「50テイクも重ねるとだめになる曲」で、粗削りだが勢いのあるリハーサル・テイクがそのままアルバムに採用された。レコーディングは1時間で完了したという。タイトルは写真家でもあるリンダが口にした“I like a Leica(私はライカが好き)”をヒントに、カメラ・メイカーの「ライカ」と「ニコン」をもじって生まれたもので、バイク野郎を慕ってどこまでも追いかける少女を描いた物語風の詞作になっている。
一部ヨーロッパでシングル発売され、ドイツでは最高62位まで上昇。プロモ・ヴィデオは歌詞を再現していて、物語の舞台・ハリウッドがあるロサンゼルスで実際に撮影された。1993年のニュー・ワールド・ツアーではコンサート中盤のアコースティック・コーナーで演奏された。ポールが同名映画のために書き下ろした「バニラ・スカイ」(2001年)のメロディが、この曲に酷似しているのは気のせいでしょうか・・・?アナログ盤はここまでがA面。
7.ピース・イン・ザ・ネイバーフッド
この曲もセッション開始当初のリハーサル・テイクが採用され、そこにギターなどを追加で録音している。「ドラムスの音が好きなんだ。本物のR&Bだね」とポール。肩の力を抜いた演奏が心地よく、間奏で聞こえる会話も楽しいが、歌詞では夢で見た平和な町に対し現実はそうでないことを嘆いている。曲が終わった後の会話はエンジニアのキース・スミスとエディ・クラインによるもので、英国の地方税法について話している。1993年のニュー・ワールド・ツアーでセットリスト入りした。
8.ゴールデン・アース・ガール
かつての「やさしい気持」や「ワンダーラスト」をほうふつさせるピアノ・バラード。美しい自然に囲まれた生活を送る少女はリンダのことであろう。ポールはオーケストラをバックに歌うつもりだったが、結局はシンプルなバンド・サウンドに、カール・デイヴィスがスコアを書いたオーボエとフルートが加わるアレンジに落ち着いた。サビの“In eggshell seas(卵の殻の海で)”は教会ラテン語の“In excelsis(非常に高い所に)”との言葉遊び。リンダに捧げたクラシック・アルバム『マイ・ラヴ〜ワーキング・クラシカル』(1999年)にはストリングス・カルテット用にアレンジされたヴァージョンが収録されている。
9.ザ・ラヴァーズ・ザット・ネヴァー・ワー
ポールとエルビスの共作で、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズを意識して書かれた。1987年9月にエルビスと2人でデモを録音後(この時のポールのヴォーカルをエルビスは絶賛している)、アルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』のセッションで取り上げたが上手く行かずお蔵入りになっていた。このアルバムに収録されたリメイク・ヴァージョンでは、ポールのアイデアでブレア・カニンガムが3拍子の曲に4拍子のバス・ドラムを入れている。前曲のやさしさをかき消す荒々しいピアノのイントロに圧倒される。個人的には、エルビスとのオリジナル・デモ(リマスター盤『フラワーズ・イン・ザ・ダート』のボーナス・トラックに収録)の方がお気に入りですね。
10.ゲット・アウト・オブ・マイ・ウェイ
ポールが「書くのが一番難しいタイプ」と語るオールド・スタイルのロックンロールで、バンドの熱演を堪能するには最適の1曲だ。曲が終わったかと思いきや、リンダが演奏する汽笛を挟んでまだ続くという構成も面白い。ザ・ミッドナイト・ホーンズ(デビューから1999年までDREAMS COME TRUEのレコーディングに参加したマーティン・ドローヴァーとニック・ペンテロウも)によるブラス・セクションがいいアクセントになっている。ストレートなスタジオ・ライヴを捉えたプロモ・ヴィデオが存在する。1993年のニュー・ワールド・ツアーでは序盤のオーストラリア公演とニュージーランド公演で取り上げられたが、その後は「ルッキング・フォー・チェンジズ」に替わられてしまった。
11.ワインダーク・オープン・シー
小型ヨットも趣味とするポールがセーリングをテーマに書いたバラード。余計な音をそぎ落とし、ゆったりとしたテンポで聞かせるものの、スケールの大きさも感じられる。一方、ツアー・リハーサル中にはテンポを大幅に速めたジャムっぽいテイクも試された。夕焼けがきれいな大海原の真ん中に1人浮かんでいるような不思議な感覚を味わえますが、うっとり聴いていると最後に怖い目に遭います(苦笑)。ベスト盤『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(デラックス・エディションのみ)にも収録。
12.カモン・ピープル
ビートルズ時代の「ヘイ・ジュード」にも匹敵する壮大なピアノ・バラード。よりよい未来のために全人類が一丸となって世界の問題に取り組もうと訴える。この曲がビートルズっぽいことはポール自身認めていて、間奏の“Oh yeah”というコーラスをヘイミッシュと録音した時はそこにジョン・レノンの魂が宿っているのを感じたとのこと。また、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンがスコアを手がけたオーケストラをビートルズゆかりのアビイ・ロード・スタジオでオーバーダブしたが、マーティンが譜面に記した日付が「1962年6月30日」(正しくは1992年)と無意識に誤記されていたというエピソードも残る。
英国・日本ではアルバムからの第2弾シングルとして、米国では第3弾シングルとして発売され、英国で最高41位(米国ではチャート・インせず)。ポールが通常の速度で弾き続けるピアノを職人たちが超高速で解体修理するシーンが印象的なプロモ・ヴィデオもメッセージ性が強い。1993年のニュー・ワールド・ツアーで演奏された際には、ジョンを含む様々な人物の写真(撮影はリンダ)がスクリーンに映し出される感動的な演出が施された。これは有無を言わさぬ名曲です。
* コスミカリー・コンシャス
「カモン・ピープル」が終わった後、6秒の無音部分を挟んで収録されているシークレット・トラック(アルバムの裏ジャケットに「and remember to be..... ...COSMICALLY CONSCIOUS」という記載があり、その存在が示唆されている)。1968年にビートルズが瞑想旅行のためインドに滞在していた頃にポールが書いた曲で、歌詞は当時の導師マハリシの言葉を引用したもの。ポールが演奏するシタールやオカリナが、中期ビートルズのサイケデリックなカラーを再現している。起伏の激しいメロディ・ラインにも注目。
アルバムには1分50秒しか収録されていないが、シングル「オフ・ザ・グラウンド」及び徳用盤『ザ・コンプリート・ワークス』では約4分半のフル・ヴァージョンを聴くことができる。そちらは最後に突如としてアルバム未収録曲「ダウン・トゥ・ザ・リヴァー」に転じる。一方、アルバム・ヴァージョンの1'34"付近で聞こえる誰かの話し声は、フル・ヴァージョンには入っていない。
〜日本盤ファースト・プレスのみボーナス・ディスク〜
1.ロング・レザー・コート
'70年代以来久々となる、ポールとリンダ2人きりの共作。歌詞は動物愛護の観点から、毛皮のコートを着た恋人を攻撃する女性が主人公の多分に過激な内容に仕立てている。そんなどぎつい詞作の反面、曲調は軽めのロカビリーで素直に楽しめる。ポールのシャウト・ヴォーカルも痛快だ。英米ではシングル「明日への誓い」のB面(CDシングルにも収録)だったが、日本では3インチCDでの発売だった影響でオミットされてしまったため、本ボーナス・ディスクで初めて公式発表されるに至った。その後、徳用盤『ザ・コンプリート・ワークス』にも収録されている。
2.キックト・アラウンド・ノー・モア
打ち込みパーカッションとコーラスの繰り返しが印象に残る、'80年代の雰囲気たっぷりなAORバラード。ほろ苦い失恋を体験した時の心境をポールが切々と歌う。『オフ・ザ・グラウンド』と同時期のシングルに回された曲の中でも、アルバム未収録なのがとりわけ不思議に思える隠れた名曲で、お気に入りに挙げるファンも多い。この曲も日本では本ボーナス・ディスクで公式発表を果たした。英米ではCDシングル「明日への誓い」のカップリングであった。徳用盤『ザ・コンプリート・ワークス』にも収録。