ゆっきー・ショック

 

 その昔、西欧諸国が戦争を繰り返している間大西洋を隔てた米国は何の害を受けず超大国となっていき、第二次世界大戦終結後その力は西欧を追い越していった。このころソ連という米国にとっての脅威が力をつけていたが米国は気にかけなかった。なぜなら、米国は「西欧という同盟諸国の存在」「米国による世界の海の制海」「大西洋という広大な海」という3つの要素によって守られていたからだ。

 しかし油断をしていた米国は1957年ショックを受けることとなる。ソ連がスプートニク号という人類初の人工衛星の打ち上げに成功したからであった。これはそれまで米国を守ってきた3つの要素の喪失と同時に「ソ連が宇宙から米国にミサイルを発射することができる」ということも意味していたため、米国関係者はこれ以降急ピッチで宇宙開発をするようになった。このときの出来事を、「スプートニク・ショック」と言う。

 ・・・ってなんでこんな無関係な話を・・・と思われるでしょう。実はこのページのタイトルでありこれからお話しする事件「ゆっきー・ショック」はこの「スプートニク・ショック」から名づけたものだからなので、前置きとして一応紹介しておきました。

 さて、本題ですが。私はゆっきーに油断していました。もともとサブキャラだし、「行間あずまんが」か原作の1ページにしか出てこないので、まさか「あんな疑惑」は発生しないと思っていました。しかしその油断を突いて、アニメ版で目を疑うような出来事が起きてしまっていたのです。まさに平成のスプートニク・ショック。

 アニメ版「あずまんが大王」の第19話、DVDでは2年生編の最後に当たるこの話はアニメ独自のストーリーであり、真摯な内容を含んだものでした。そのためファンの間では賛否両論真っ二つの話となり否定する人が多い問題作として知られています。しかし、私は彼等とはまったく別のところでこの話に否定的です。それもそのはず、この話で「ゆっきー・ショック」は起きていたからなのです。

 それはチャプターだと「なんだか青春」に当たる図書室のシーン。校庭を走る神楽さんが注目されがちなシーンなのですが、実はこのシーンにゆっきーが登場しています。しかも台詞つき。その台詞自体は対して深い意味のない、また本編であまり重要でないものなのですが、問題はその隣、隣!何が見えますか?・・・人が見えません、男が?この人はアニメでは「男子生徒A」とされている原作ではサブキャラ級の人物です。彼もこのシーンでは台詞があります。そこのところを詳しく見てみましょう。

 男子生徒A:おーい、俺たち先に帰るから、

 女子生徒B(=ゆっきー):帰るときは明かりを消していってね。

 このわずか6秒、DVDでは1時間31分46秒〜52秒の間で私の人生は変わる。この後智が「了解」だか「OK」だか言ってこの2人の出番は終わるのですが、私が何を言いたいのかお分かりですね?

 ゆっきーと男子生徒Aの関係って、もしや・・・!?

 むろんゆっきーを知る前の私にとってこの6秒間は全く無関心な部分でした。しかし、この疑惑が浮上して以来、この6秒間は私にとってもっともつらいものとなったのです。

 この2人の関係がどのようなものであるかはむろんアニメでは語られていません。またこの2人が他のシーンで出会っている様子は「ゆっきーを探せ!」プロジェクトを進行している現在見つかっていません。まして原作で2人が会うことはありえません。しかし!推測してみると、「ちよちゃんたち以外で最後まで図書室に残っていたのはこの2人だけ」「2人の台詞が息が合っている」「2人が無関係だったらどちらか1人がこの台詞を言っているのが自然」というこの疑惑を証明する要素が浮かんできます。

 さらにこれはあくまで完全たる深読みですが、アニメ第3話の「派閥抗争」を思い出してください。ゆかりが「気軽に相談できる先生はいらんかね?」と言ってにゃもより人気になろうと努力しているものの報われない、あのシーン。そこにはみっちゃん(三つ編みちゃん)とゆっきーが登場しています。ゆかりが来る前ゆっきーはみっちゃんに相談をしているようですが、その内容がもしや・・・。「彼」との関係のことで悩んでいたら・・・。入学してすぐだからありえないとは思いますが可能性はある。

 もちろんこれはあくまで疑惑であって最終的な回答はアニメの脚本を作った人が握っています。しかし、もしこれが本当だったら・・・私の恋は終わるのです。ゆっきーをサブキャラだと思って油断していました。まさか、まさかアニメで男と一緒にいるなんて。あの後どうしたんだろう。一緒に帰ったのでしょうか・・・。もしかしてゆっきーはそのまま一緒に男の家までついていったのでしょうか・・・。もしそうならば(以下略)。[2005.3.11追記]「あずまんが大王」は恋愛模様を全く描かないことが作風のひとつでもあります。それを、サブキャラだからいいことに、視聴者に恋愛だという誤解を招くような脚本を作るのは明らかに作風に反しています。真剣に原作を尊重したいのなら、サブキャラに至るまで作風の遵守を徹底するべきです・・・べきでした。もう遅いですが、そのミスひとつが、私をこう狂わせているのです。アニメのスタッフさん!私を見てください。あ、もちろん恋愛要素を出すつもりがなかったのなら許します。でも、誤解されるような手法は避けたほうがよかったですね。

 [2005.3.11追記]この疑惑は、私だけでなくTV放映された同話を見たファンも同じように受け取ったらしいです。いろいろ見聞した結果、そのような議論が交わされていた場面を発見しました。しかも皮肉的なことにみんなゆっきーを千尋と間違えて「千尋に彼氏ができた」と騒いでいるのです。それをみんなで「女子生徒Bだから安心せい」みたいに訂正していくのですが、ここにこうして女子生徒B(=ゆっきー)が本命の男が悩んでいることを彼等は考えていたのでしょうか?まぁ私がゆっきー好きになったのは放映から何年も経ってからですけど・・・。世の中にはサブキャラ好きもいて、「安心」できない人もいることに気づいてください。私がさらに心を痛めたのは、中にこんな書き込みがあったのです。「千尋(むろんゆっきーのこと)と彼(憎っくき男子生徒A)はあの後ホテルに直行か?」これを見た途端私は『Little Lamb Dragonfly』より悲しくなりました。みんなは所詮サブキャラとしか見ていないから平気でそんな発言ができるのでしょうけど、あんまりです!!

 こうしてクリーンなゆっきーのイメージは困った疑惑との戦いを目前とすることになったのでした。こういうときはウイングスの『Beware My Love』を大声で歌いたい気分です。あるいは感傷的にポール・マッカートニーの『Waterfalls』でも歌いたい気分です。あれこれ外出中のゆっきーを心配する私はまさに『Don't Be Careless Love』の主人公そのものなのです。

 しかし、私はその疑惑を乗り越えて今もゆっきーを愛しているのです。男子生徒Aを睨みつつゆっきーを誰にも渡さない!という意気込みでいっぱいです。むろん、男子生徒Aにそんな気持ちがなかったら睨むこともないでしょうけど。

 私はゆっきーのある言葉を信じています。その言葉で救われています。その言葉こそ、この疑惑を根本的に否定するものなのです。彼女は言いました・・・。

 「ていうか要らないしね ウチの学校の男子なんか」(「行間あずまんが」より)

 My love does it good.

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