Wings/ウイングス
London Town/ロンドン・タウン
ザ・ポール・マッカートニー・コレクション (8)
 1.London Town  たそがれのロンドン・タウン  4'09"
 2.Cafe On The Left Bank  セーヌのカフェ・テラス  3'25"
 3.I'm Carrying  アイム・キャリング  2'43"
 4.Backwards Traveller  なつかしの昔よ  1'08"
 5.Cuff Link  カフ・リンクをはずして  1'58"
 6.Children Children  チルドレン・チルドレン  2'22"
 7.Girlfriend  ガールフレンド  4'39"
 8.I've Had Enough  別れの時  3'02"
 9.With A Little Luck  しあわせの予感  5'44"
10.Famous Groupies  伝説のグルーピー  3'35"
11.Deliver Your Children  子供に光を  4'16"
12.Name And Address  ネーム・アンド・アドレス  3'07"
13.Don't Let It Bring You Down  ピンチをぶっとばせ  4'33"
14.Morse Moose And The Grey Goose  モース・ムースとグレイ・グース  6'24"
〜ボーナス・トラック〜
15.Girls' School  ガールズ・スクール  4'34"
16.Mull Of Kintyre  夢の旅人  4'42"
発売年月日:1978年3月31日(英国・Parlophone PAS 10012)
チャート最高位:英国4位・米国2位
全体収録時間:61'00"
本ページでの解説盤:1995年再発売版(日本・東芝EMI TOCP-3131)
『ロンドン・タウン』

 

 このアルバムの収録曲中14はオリジナル版に収録されていた曲で、1516はCDでのボーナス・トラックです。初CD化の際は15のみがボーナス・トラックでしたが、1993年に「ザ・ポール・マッカートニー・コレクション」シリーズでの再発売に合わせて、16が追加されボーナス・トラックは2曲となりました。いずれも同時期のセッションで録音され、1977年のシングルに収録された曲です。また、15は初CD化の際はDJエディット(ショート・ヴァージョン)が収録されていましたが、「ザ・ポール・マッカートニー・コレクション」シリーズではシングル発売当時と同じフル・ヴァージョンが収録されています。

 収録曲のうち5曲111314がポールとデニー・レインの共作で、残りがポール1人で作曲した曲です。1971年から前作『スピード・オブ・サウンド』までは、ポールの自作曲はすべてリンダとの共作名義で発表されていましたが、このアルバム以降はポールの個人名義に改められています。

 【時代背景】

 1976年6月、ウイングスは初の全米ツアーを大成功に終わらせました。しばしの休息を取った後、ユネスコからチャリティ・コンサートへの参加要請を受けたことをきっかけに計4ヶ国・全4公演の短いヨーロッパ・ツアー(1976年9月19日〜9月27日)に赴きます。そして、本拠地・英国での3日連続の凱旋公演(1976年10月19日〜10月21日、ウェンブリー・エンパイア・プール)で約1年続いたワールド・ツアーを締めくくりました。秋に入るとポールは先の全米ツアーの音源を整理してライヴ盤を制作する作業に入り、3枚組アルバム『ウイングス・オーヴァー・アメリカ(ウイングスU.S.A.ライヴ!!)』として世に送り出しました(1976年12月)。このライヴ盤は全米1位を獲得するヒット作となり、シングルカットされた「メイビー・アイム・アメイズド(ハートのささやき)」も米国で10位まで上昇しています。ワールド・ツアーで世界中を駆け巡り、どこにおいても輝かしい成功を収めたウイングスはまさに絶頂期の真っ只中にありました。

 ツアーが一段落すると、ウイングスの活動は滞ります。メンバーをグループに縛りつけたくないポールの意向もあって、それぞれ独自の活動を展開していたためです。リンダは年末に写真集「リンダズ・ピクチャーズ」を出版し、かねてから計画していたソロ・アルバムの制作に取りかかります。この時はアルバムが陽の目を浴びることはありませんでしたが、1972年に録音を済ませていた自作曲「シーサイド・ウーマン」がスージー&ザ・レッド・ストライプス名義でシングル発売されました(1977年5月・米国のみ)。デニー・レインはバディ・ホリーのカヴァー・アルバム『ホリー・デイズ』を発表(1977年5月)。バディの楽曲の版権を手に入れ、1976年に「バディ・ホリー・ウィーク」という年次イベントを始めたポールがプロデューサーとして全面協力し、同年夏にスコットランドの農場にあるルード・スタジオで一緒に録音したものでした。ジミー・マッカロクはホワイト・ラインというバンドを結成しライヴ活動を行い、シングル「コール・マイ・ネーム(君をはなさない)」を発売していますが、ホワイト・ラインはほどなく解散してしまいます。ジョー・イングリッシュは故郷に戻り結婚式を挙げ、ハネムーンを満喫しました。そしてポールは、デニーの『ホリー・デイズ』を手伝う傍らで新曲のアイデアをデモ・テープに残し、次なるアルバムへの準備を進めていました。また、自身のアルバム『ラム』の全曲をビッグバンド風にアレンジした1971年制作のインスト・アルバム『スリリントン』をパーシー・“スリルズ”・スリリントンの変名で発表します(1977年4月)。

 【アルバム制作】

 1977年2月7日、ウイングスはロンドンのアビイ・ロード・スタジオに集まり新作のレコーディングを開始します。旧知の仲であるジェフ・エメリックをエンジニアに迎え、3月31日までの断続的なセッションで1115などが録音されました。この頃、リンダがポールとの3人目の子供を宿していることが分かり、ポールはコンサート・ツアーの計画を断念しアルバム制作に専念することに決めました。雨が降り続くロンドンにうんざりし、スタジオでの作業もマンネリ化してきた時、デニーが船の上でのレコーディングを提案。突拍子もないアイデアでしたが、刺激を求めていたポールはすぐ飛びつきます。こうして1977年5月、ポールはメンバーと家族を連れてカリブ海のヴァージン諸島に移り、湾に浮かぶフェア・キャロル号というヨットで1ヶ月に及ぶセッションを行いました。フェア・キャロル号にはニューヨークから24トラックの機材が移送・設置され、一行の宿泊用としては3隻のヨットが用意されました(サマラ号、エル・トロ号、ワンダーラスト号)。なお、この時エル・トロ号の船長と口論になったことをきっかけに「ワンダーラスト」という曲が書かれています(発表は1982年)。レコーディングの合間には海で泳いだり水上スキーを楽しんだり、あるいは食事に舌鼓を打ったりと優雅な生活を送りましたが、ジェフ・エメリックが足にけがをしたり、夜間に大音量を出したとして罰金を払ったりと楽しいことばかりではなかったようです。洋上セッションでは101314などが録音されました。

 気分転換になった洋上セッションを終えると、ウイングスの活動は再び滞ります。なかなかポールの声がかからず、セッション・ミュージシャンのような扱いを受けていると感じたジミーやジョーは苛立ちを見せるようになります。ようやく仕事を再開したのは8月のことで、スコットランドの農場でバグパイプ・バンドを交えてシングル用の曲16を録音しました。しかし、この曲にジミーは参加しませんでした。そして9月8日、ジミーはウイングスを脱退しスモール・フェイセズの再結成に加わります。表向きは円満に別れたとしていましたが、実際はアルコールやドラッグにおぼれたジミーの問題行動に耐えかねたポールが泣く泣く解雇したようです。さらに追い打ちをかけるように、ジョーもウイングスを辞めてしまいます。長いこと故郷(米国ジョージア州)を離れていたことが災いし、ホームシックに陥ったのが原因でした。ジミーとジョーが抜けたことで、アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』以来再び、ウイングスはポール、リンダ、デニーの3人になってしまいました。9月12日にリンダが長男ジェイムズを出産してライヴ活動の予定がなかったこともあり、ポールはメンバー補充をせずデニーと2人でアルバム制作を続行。10月25日〜12月1日にアビイ・ロード・スタジオで12や未発表曲「Waterspout」を録音した後、12月にはロンドンのエア・スタジオで、翌年1月にはアビイ・ロード・スタジオでそれぞれオーバーダブやリミックスが行われました。セッションの開始から1年が経とうとする1978年1月23日、すべての作業が終わりアルバムは完成しました。

 アルバム・タイトルは当初、洋上セッションを由来とした『ウォーター・ウイングス(Water Wings)』と名づけられていましたが、結局はと同じタイトルでポールのお膝元である『ロンドン・タウン』に落ち着きました。アルバム・ジャケットはオーブリー・パウエル(ヒプノシス)らが協力しポール、リンダ、デニーが自らデザイン。ロンドンの名所タワー・ブリッジを背にたたずむウイングスを捉えたモノクロ写真は、実は3人別々に撮ったものを切り貼りして背景に合成しています。同様の構図の裏ジャケットは一転カラーで、こちらも3人の写真はヴァージン諸島で別々に撮ったものの合成。インナー・スリーブには収録曲の歌詞が印刷されています(洋上セッションで録音された曲には船の絵がマークされている)。また、片面に3人が並んだ写真を、もう片面にレコーディング・セッションやフォト・セッション中に撮影された写真の寄せ集めを配したポスターが付属していました。途中で脱退したジミーとジョーの姿は、アートワークのどこにも見当たりません。

 【発売後の流れ】

 『ロンドン・タウン』セッションからは、まず1615が両A面シングルで発売されます(1977年11月)。16はバグパイプをフィーチャーしたスコティッシュ・ワルツですが、ご当地の英国ではそのサウンドが大いに受けて9週連続1位のヒットとなり、ウイングス初の全英No.1を獲得します。勢いは止まらず、発売から1ヶ月で50万枚、2ヶ月後の1978年1月14日には166万7000枚を売り上げ、それまでビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」(1963年)が保持していた英国でのシングル売上最高記録をあっさりと抜き去ってしまいました。レコード会社のEMIは100万枚目のレコードの購入者(デヴィッド・アクロイドという名の軍人)にゴールド・ディスクを贈り、ウイングスの祝賀イベントに招待しています。最終的に「夢の旅人」は英国だけで250万枚を売り上げ、驚異的な大ヒット・シングルとなりました。一方、米国では15がA面扱いされましたが、33位止まりと全く振るいませんでした。

 アルバムの発売直前には、先行シングルとしてが発売されました(1978年3月)。こちらも全英5位・全米1位と、16には遠く及ばぬものの好調に推移しました。そして、同月末にアルバム『ロンドン・タウン』は満を持して世に送り出されます。スタジオ・アルバムに限ると前作『スピード・オブ・サウンド』以来2年ぶりの新譜です。のヒットにも助けられリスナーも評論家たちも軒並み好意的でしたが、全英4位・全米2位と伸び悩みました。後者ではサントラ盤『サタデイ・ナイト・フィーバー』に首位を阻まれ、セカンド・アルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』以来ウイングスが更新し続けてきた全米No.1が途絶えてしまいました。英国では折しもパンクが台頭していた時期で、ディスコ・ミュージックも含めた音楽シーンの変革に影響されたと考えられます。なお、アルバムからの第2弾シングルとしてが、第3弾シングルとしてが発売されていますが、いずれも中ヒットに終わりました。

 【管理人の評価】

 長期間にわたるレコーディングと再度のメンバーチェンジを反映して、このアルバムでは大きく分けて3つの要素が複雑に絡み合っています。まず、『ヴィーナス・アンド・マース』『スピード・オブ・サウンド』の系譜を継いだウイングスらしいバンド・サウンド。ジミーやジョーが在籍していた洋上セッション以前に録音された曲の多くが該当し、14では当時ツアーに出なかったのが惜しまれるほどの息の合った演奏を堪能できます。

 続いて、ウイングスの結成当初からポールを支え続けてきたデニーの存在。ビートルズ解散でジョン・レノンと疎遠になってからリンダ以外の作曲パートナーを失っていたポールですが、1975年頃からは仕事の合間を縫ってデニーとの曲作りを楽しむようになっていました。その成果が現れたのが『ロンドン・タウン』の時期で、前述の通り収録曲のうち実に5曲がデニーとの共作です(シングルとなった16も)。メロディや歌詞への貢献度は曲によって異なりますが、一連の共作曲には各国のトラッド(伝統音楽)に興味を持つデニーの嗜好が色濃く出ていて、特に英国やアイルランドの香りが漂うものが多いです。ポールが1人で書いた10もこの路線なのは面白い所でしょうか。また11ではデニーがリード・ヴォーカルを取っており、ウイングスの諸作品で最もデニーが目立っている1枚です。

 そして最後に、ジミーとジョーが脱退した後に録音された曲に通じる雰囲気。内省的な詞作が登場するのは、ポールの困惑が滲み出た結果でしょう。わずか1分で唐突に終わってしまうや、リハーサル・テイクをそのまま収録したかのような12など未完成さが残るものも多く、に至っては方向性のないインスト・ナンバーです。音作りの面でもドラムスを含むほとんどの楽器をポールが演奏していて、同じ状況下の『バンド・オン・ザ・ラン』で見られた不安定感が復活しています。

 以上見てきたように収録曲は様々な要素を持ちながらも、アルバム全体を見渡すと散漫さはそれほど感じさせません。確かに『バンド・オン・ザ・ラン』や『ヴィーナス・アンド・マース』のような明確なコンセプトがない分、曲同士の関連性は弱く「小作品集」といった側面も拭えないですが、それでも不思議な統一感があります。その秘訣は多くの曲に共通して流れる穏やかで心温まる空気にあるのではないでしょうか。ポールとデニーの「英国回帰」の思いが生み出したトラッド路線の曲でも、のような非トラッドの曲でもその流れは変わりません。アコースティック・ギターやキーボードを主軸に置いたソフトなサウンドや、散りばめられた美しいメロディも雰囲気作りに寄与しています。そして要所に14といったタイトなロック・ナンバーが挟まれ、聴いている途中でだれるのを防ぐ程よいスパイスとなっています。以外に有名曲がなくウイングスの歴史の中では地味ですが、ウイングスはもちろんポールの全キャリアにおいても最高の癒しを与えてくれます。ポールのバラード・ナンバーを聴きたい方、英国やアイルランドのトラッドがお気に入りという方、デニー・レインのファン・・・あるいは彼のことをよく知りたい方には強くお勧めします。ロック色を求めすぎないのであれば、これからポールのソロを聴こうとしている方にもお勧めです。

 個人的には、初めて聴いて以来ずっとポールのアルバムで一番のお気に入りです。ドライヴする時にマッカートニー・ナンバーをよく聴くのですが、田舎の景色(特に房総半島!)に『ロンドン・タウン』が驚くほどぴったりで、そちら方面へ車で出かける際には必携となっています。私が大好きな曲はずばり「全部!」ですが(笑)、特に(ボーナス・トラックだと16)は輪をかけてお気に入りです。

 

 アルバム『ロンドン・タウン』発売30周年記念!収録曲+aを管理人が全曲対訳!!

 


 【曲目解説】

 1.たそがれのロンドン・タウン

  ポールとデニー・レインの共作。雨が降る午後のロンドンの景色を淡々と歌っているが、曲を書き始めたのは実はウイングスのワールド・ツアーでオーストラリアに滞在していた時である。アルバム・セッション序盤にロンドンで録音された。ゆったりと左右に揺れるエレクトリック・ピアノで始まり、シンセサイザーやフリューゲルホルンなど柔らかで控えめな音作りに徹している。ポール、リンダ、デニーの3人によるコーラスワークも美しい。1978年8月にアルバムからの第3弾シングルとして発売されたが、英国で最高60位・米国で最高39位と中ヒットにとどまった。スタジオ内に設置された道路のセットを舞台にしたプロモ・ヴィデオが制作され、ビートルズの映画に数多く出演した親友のヴィクター・スピネッティが「俳優」役で登場する。

 

 2.セーヌのカフェ・テラス

  ヴァージン諸島での洋上セッションで最初に取り上げられた曲。ウイングスらしいバンド・サウンドを堪能できるマイナー調のロック・ナンバー。川沿いのカフェ付近の情景を描いた絵画的な歌詞が印象に残る。場所について直接的な言及はないが、「シャルル・ド・ゴールの演説を聴くフランス人の人だかり」という一節からフランスと想定できる。

 

 3.アイム・キャリング

  繊細なメロディが美しいバラードの小曲。ポールのアコースティック・ギター弾き語りがメインで、その上にストリングスとギズモ(10ccのメンバーが開発したギター・アタッチメント)が重ねられている。洋上セッションで録音されたが、演奏にはポールしか参加していない。シングル「たそがれのロンドン・タウン」のB面でもあった。また、2003年の映画「セイブ・ザ・ワールド(The In-Laws)」のサントラにも収録されている。ジョージ・ハリスンは『ロンドン・タウン』について問われた際、この曲をお気に入りに挙げている。私もお気に入りで、メロディや演奏もさることながら歌詞が大好きです。

 

 4.なつかしの昔よ

  ジミー・マッカロクとジョー・イングリッシュの脱退後に録音されたため、ドラムスを含むほとんどの楽器をポールが演奏している。デモ・テープを制作した段階では3分半の曲だったが、アルバムではわずか1分で唐突に終わってしまう。「歌いながら航海し、月に向かって泣きむせぶ」など、絶頂期ウイングスの崩壊にショックを受けるポールの気持ちが浮き彫りになっている。次曲「カフ・リンクをはずして」とのメドレーはシングル「しあわせの予感」のB面でもあった。

 

 5.カフ・リンクをはずして

  前曲に間髪入れず始まるインスト・ナンバー。当初のタイトルは「Off The Cuff Link」で、邦題の由来となっている。ジミーとジョーの脱退後に取り上げられたポールのワンマン・レコーディングである。様々な音色のシンセサイザーが使用されている辺りは後年のソロ・アルバム『マッカートニーII』に通じる。ブブブブブン、ミョミョミョミョミョー。

 

 6.チルドレン・チルドレン

  デニーが書いた曲をポールが手伝って仕上げた。リード・ヴォーカルはデニーで、第3節はポールが一緒に歌う。アイルランドの香りが漂うアコースティック・フォークで、バイオリン(演奏はポール!)や木管楽器のアレンジが雰囲気作りに貢献している。デニーはウイングス解散後に弾き語りの形でこの曲をセルフ・カヴァーしている。

 

 7.ガールフレンド

  元々は1974年頃にジャクソン・ファイブのために作った曲で、ピアノ・デモも残されている。翌年にはマイケル・ジャクソンに会って直接この曲を贈っているが、結局はウイングスが先に発表してしまった。一方マイケルは、事情を知らないプロデューサーのクインシー・ジョーンズによる偶然の勧めでようやくカヴァーし、アルバム『オフ・ザ・ウォール』(1979年)に収録した。この後、ポールとマイケルが大ヒット曲「セイ・セイ・セイ」「ガール・イズ・マイン」で共演を果たすのは周知の通り。

  ウイングス・ヴァージョンのレコーディングはアルバム・セッション序盤に行われ、ほとんどの部分でポールはマイケルを真似たファルセット・ヴォーカルを披露する。穏やかな曲調だが間奏は一転してハードなギター・ソロがフィーチャーされる。好きな女の子をボーイフレンドから奪ってしまおう、という歌詞は「ガール・イズ・マイン」をほうふつさせる(「ガールフレンド(仮)」のことを歌っているわけではありません)。ポールのお気に入りのようで、『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(後者はデラックス・エディションのみ)の各ベスト盤に収録している。

 

 8.別れの時

  洋上セッションで取り上げられたシャッフル調のロック・ナンバー。ジミーとジョーを含めた5人編成によるタイトなバンド・サウンドに仕上がっている。『ロンドン・タウン』では当時流行していたパンクにあえて迎合しなかったが、この曲に限ってはその影響を感じさせる。ハーフ・スポークンも交えたポールの熱いヴォーカルが素晴らしい。歌詞はヴァージン諸島からロンドンに戻ってくるまで未完成で、ラフ・ミックスでは適当に歌っているのを確認できる。

  1978年6月にアルバムからの第2弾シングルとなり、英国で最高42位・米国で最高25位。プロモ・ヴィデオは薄暗い室内でのスタジオ・ライヴで、ジミーとジョーの代わりにウイングスに加入するローレンス・ジュバーとスティーヴ・ホリーが参加している(ローレンスにとっては初仕事であった)。また、ウイングスの1979年全英ツアーでセットリスト入りした。私の大好きな曲の1つです。アナログ盤はここまでがA面。

 

 9.しあわせの予感

  ポールの本領が発揮されたキャッチーなポップ・ナンバーで、洋上セッションで録音された。当初の邦題は「愛の幸運」。ウイングスとしては珍しくシンセサイザーが全面に押し出されていて、かわいらしいソロ・フレーズや波のような音がソフトで心地よい。2分近くも続く長い間奏ではその魅力をたっぷり楽しむことができる。「ちょっとした運があればうまくいくよ」と歌われる前向きな詞作もポールならでは。リンダとデニーによるユニークなコーラスをバックに、ポールがシャウト気味のヴォーカル(これが意外にもイメージを崩していない)を繰り広げる箇所がこの曲のハイライト。

  アルバムに先行してシングル発売され、英国で最高5位、米国では2週連続1位に輝いた。演奏するウイングスの周りでたくさんの人たちが踊るというシンプルな内容のプロモ・ヴィデオには、スティーヴ・ホリーがウイングスでの初仕事として参加。ウイングスの1980年日本公演で演奏される予定だったが幻となり、今もライヴでは一度も演奏されていない。『ウイングス・グレイテスト・ヒッツ』と英国盤『オール・ザ・ベスト』(アナログ盤のみ)にもフル・ヴァージョンが、米国盤『オール・ザ・ベスト』と『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』の各ベスト盤にはDJエディットが収録されている。私が一番好きなマッカートニー・ナンバーで、当サイト名や私のHNも元々はこの曲のタイトルから命名していました。

 

 10.伝説のグルーピー

  「グルーピー」とは有名人を追いかける女の子集団のことで、ポールは実際にツアーで目撃した少女たちにインスパイアされた。洋上セッションでの曲で、演奏はスコットランド民謡風、歌詞はナンセンスな物語風という奇妙なスタイル。ポールのヴォーカルはほとんどハーフ・スポークンである。

 

 11.子供に光を

  アルバム『ヴィーナス・アンド・マース』を制作していた1975年に書き始めた曲で、当初は「Feel The Love」というタイトルだった。大部分はデニーが書き、ポールが一部手伝っている。リード・ヴォーカルはデニーで、終始ポールのコーラスが入る。デニーの嗜好が色濃く出たフォーク・ソングで、歯切れのよいリズムで疾走してゆく。スパニッシュ・ギターと手拍子のせいでどこかフラメンコっぽさも。シングル「別れの時」のB面でもあった。デニーのお気に入りで、ソロ・ライヴでは定番となっているほか、味わい深いセルフ・カヴァーも残している。

 

 12.ネーム・アンド・アドレス

  ジミーとジョーの脱退後に録音された'50年代風のロックンロール。ドラムスを含むほとんどの楽器をポールが演奏している。1977年8月16日に42歳の若さで亡くなったエルビス・プレスリーをしのんで、彼そっくりにポールは歌う。全体的に中途半端で投げ出された感があり、まるでリハーサル・テイクのよう。この曲を聴くと、個人的にはエルビスよりも日本のロカビリー歌手・ささきいさおの顔が思い浮かんでしまいます(苦笑)。

 

 13.ピンチをぶっとばせ

  ポールとデニーの共作で、洋上セッションで取り上げられた。アイルランド風のワルツで、イントロでポールとデニーが演奏するリコーダーとフラジョレット(縦笛)が哀愁を漂わせる。基本的にアコースティックだが、ジミーが弾くゆがんだ音色のエレキ・ギターが大々的にフィーチャーされていて、不思議と曲調にマッチしている。高低幅広くカヴァーするポールの声域にも注目。ベスト盤『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』(デラックス・エディションのみ)にも収録。

 

 14.モース・ムースとグレイ・グース

  ポールとデニーの共作。洋上セッションでのジャムから生まれた壮大なハードロック・ナンバーで、こうした系統の曲をアルバムの最後に置くのは『バンド・オン・ザ・ラン』での「西暦1985年」に共通する。海の精霊「モース・ムース」が登場するバンド・スタイルのパートが、空飛ぶ船「グレイ・グース」が登場するトラッド風のパートを挟む構成になっていて、デニーの貢献は後者にあると思われる。曲後半のスリリングな展開と、ポールのシャウト・ヴォーカルは圧巻。2005年のリミックス・アルバム『ツイン・フリークス』には、この曲の演奏にのせて「カミング・アップ」が歌われるという面白いマッシュアップが収録されています。

 

 〜ボーナス・トラック〜

 15.ガールズ・スクール

  1977年11月11日に「夢の旅人」との両A面シングルとして発売された曲で、「夢の旅人」は売れ線でないとのキャピトル・レコードの判断で米国ではこちらがA面扱いとなった(ただし最高33位と振るわず)。「ジェット」や「ジュニアズ・ファーム」の系譜を継ぐ軽快なロック・ナンバーで、『ロンドン・タウン』セッション序盤に録音された。1975年秋に休暇でハワイを訪れた際に書かれ、歌詞は同地で見た新聞のポルノ広告にヒントを得た。ユキという架空の日本人教師が「東洋のお姫様」として登場する。なお、初CD化の際には1分半ほど短いDJエディットが収録されたため、フル・ヴァージョンは一時入手困難になっていた(現在は逆にDJエディットの方が入手困難)。

 

 16.夢の旅人

  9週連続1位を獲得し空前の大ヒットとなった、英国でのウイングス最大のヒット曲。タイトルの「キンタイヤ岬」とは、ポールの農場があるスコットランド南西部にある半島の岬のこと。新しいスコットランド音楽がないことに気づいたポールは、このスコティッシュ・ワルツを1974年頃書き始めた。その後デニーが歌詞を手伝い、バグパイプを入れることを提案した。レコーディングは1977年8月にキンタイヤ岬の農場の納屋に機材を持ち込み、地元のキャンベルタウン・パイプ・バンド(パイプ奏者7人・ドラム奏者10人)を招いて行われた。ポールとデニーはアコースティック・ギターを弾き、途中からバグパイプ・バンドの演奏が加わる。さりげない転調が効果的で感動を誘う。

  プロモ・ヴィデオは2種類制作され、実際のキンタイヤ岬と、スタジオに設置された森のセットでそれぞれ撮影された(どちらもバグパイプ・バンドが登場)。ウイングスは1977年末の「マイク・ヤーウッド・ショー」と、1979年全英ツアーでこの曲を演奏した。ポールのソロ・ライヴではスコットランドやカナダなどの地域限定で、バグパイプ・バンドと共演する形で披露されている。共作者のデニーのソロ・ライヴでも頻繁に取り上げられている(版権はポールに売却してしまいましたが・・・)。『オール・ザ・ベスト』(英国盤のみ)『ウイングス・グレイテスト・ヒッツ』『ザ・グレイテスト』『夢の翼〜ヒッツ・アンド・ヒストリー〜』『ピュア・マッカートニー〜オール・タイム・ベスト』の各ベスト盤にも収録。私の大好きな曲で、ドライヴでよく訪れる房総半島にある守谷海岸(勝浦市)付近の風景にぴったりだなぁと思います。

 

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