Jooju Boobu 番外編(5)
(2006.2.13更新)
Cook Of The House(1976年)
再び番外編の登場です。ソロ時代・ウイングス時代にポールがカヴァーした他人の曲や、ポール以外のウイングスのメンバーがヴォーカルを取る曲を紹介する番外編ではこれまで、デニー・レインのヴォーカル曲を3曲、ジミー・マッカロクのヴォーカル曲を1曲取り上げてきましたが、今回はデニーでもジミーでもありません。では一体誰かと言えば・・・ウイングスのメンバーである以上にポールの愛妻であり、公私共々長きに渡ってポールを支えてきたリンダ・マッカートニーです!・・・と来ると、もう何の曲かお分かりですね(苦笑)。今回ご紹介するのは、ポールにとって大切な人であったリンダが、ポールのアルバムで発表した唯一のヴォーカル曲『Cook Of The House』です。ウイングスのアルバム「スピード・オブ・サウンド」(1976年)の1曲として世に出たこの曲は、夫であるポールがリンダのために書き下ろしたものでしたが、これがいろんな面においてリンダの個性にとっても似合うものに仕上がっていて、まさに「リンダのテーマ」にふさわしい1曲です。そしてそこからは、マッカートニー夫妻がお互い育んできた果てしなき愛がたっぷり感じられるのです。音楽面ではなかなか評価されることのないリンダですが、独特の味わいや聴き所を備えたこの『Cook Of The House』の魅力を、リンダという人についても触れつつお話してゆきたいと思います。
まず、曲そのもののお話に入る前に、このコラムでは初登場のリンダさんについて、その生涯を追ってみましょう。ポール・ファンならもう誰もがご存知のことでしょうが、ポールの奥さんとして30年以上付き添い、私生活でも音楽活動でもポールに多大な影響を与え続けてきたのがリンダ。そんな彼女は1941年9月24日、米国で生まれます(旧姓はリンダ・ルイーズ・イーストマン)。父親のリー・イーストマンは実業家で、そのおかげでリンダは比較的裕福な家庭に育ちました。幼い頃からロックンロールなどのレコードに親しんだことは後にポールとの共通項となります。大学時代の1962年にジョセフ・メルビル・シー・ジュニアという地質学者と結婚し、2人の間にヘザーが生まれますがすぐ離婚(ヘザーはリンダの連れ子に)。その後、ニューヨークを拠点にカメラマンとして活躍を始めます。雑誌などで披露したその手腕はやがて高い評判を得ることとなり、ローリング・ストーンズやジミ・ヘンドリックスをはじめ主にロック・アーティストの写真撮影で'60年代に一世を風靡しました。そんな折、運命的な出会いが訪れます。1967年5月15日、ロンドンのクラブで開催されたパーティーの席で、当時ビートルズで活動していたポールと初対面を果たしたのです。この時の気持ちはポールが『Magic』という曲で述懐していますが、そこでリンダさんに一目惚れしたポールは次第に接近を試みるようになります。当時ポールは女優のジェーン・アッシャーと婚約しており、結婚も間近かと噂されていましたが、ポールはフィアンセと別れてまでもリンダと一緒になりたいと思っていました。まもなくジェーンと破局するとポールはリンダと交際を重ね、ビートルズのレコーディング・セッションにもたびたび誘いました。関係を密にした2人は1969年3月12日についに結婚。同時にリンダはカメラマンを実質上引退し、「リンダ・マッカートニー」として新たな人生を歩み始めます。
'60年代末のポールはビートルズをめぐるゴタゴタに悩まされ、疲れ果てていました。そんな時、リンダはいつもそばにいて励まし、心の支えになりました。どれほどポールが癒され慰められたことか、計り知れないものがありますね。この頃ポールが田舎暮らしを始め、家にこもることが多くなったのも、ポールにとって家族─つまりリンダや子供たち─がもはやかけがえのない存在となっていたことの表れでした。そしてその後も、うれしい時、つらい時、どんな時もずっと2人が一緒に過ごし、お互いを愛し合い続けたことは言うまでもありません。3人の子供(メアリー、ステラ、ジェームズ)も生まれ、温かい家庭が築かれてゆきました。また、リンダの影響でポールは菜食主義者となり、今日に至るまで動物愛護の精神を抱くようになります。ビートルズが解散すると、ポールはリンダと共に音楽活動をすることを強く望み、リンダにキーボードやコーラスを手ほどきします。こうして夫妻の共同名義のアルバム「ラム」(1971年)が制作され、同年には2人を機軸としたグループ・ウイングスが結成されるに至ります。以降、ウイングスの一員として夫と同じステージに立ち続けたのは周知の通りでしょう。リンダが弾くムーグ・シンセのソロや、ポールのヴォーカルを彩る美しいハーモニーは、ウイングスのトレードマークとも言えます。さらにウイングス解散後もポールのレコーディング・セッションに多く参加し、コンサートでは引き続きバンドのキーボディストの役目を担いました。2度の来日公演でリンダを見かけた方も多いはずです(ポールは「ウチノカミサン!」と紹介していましたね)。こうしたリンダの活動に対し、心無いマスコミや一部のポール・ファンは、音楽的に素人同然からスタートしたことを引き合いに激しいバッシングを浴びせます。ポールの相棒であったジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコも相当非難されましたが、実はリンダも攻撃の対象となっていたのです。ウイングスがなかなか理解されなかった'70年代初頭は特にひどい言われようでしたし、その後も陰口のような論調が残ったことは悲しい限りです。しかし、リンダはそうした声に耐え、ポールの音楽活動を全面的に支え続けました。ポールもリンダを精一杯かばい、常に行動を共にしました。
1995年、リンダは乳がんを患い治療に専念します。手術の甲斐あって一時は治りかけましたが、やがて再発し病状は悪化します。米国・アリゾナの別荘で静養した彼女のそばを、ポールは片時も離れなかったと言います。そして1998年4月17日。ポールの献身的な看病もむなしく、病魔に蝕まれたリンダは世界中に惜しまれつつこの世を去りました。56歳という若さで、まだまだこれから・・・という時でした。愛妻の死に深いショックを受けたポールは、しばらく音楽活動を中断。それほどポールにとってリンダさんは大切な人だったわけです。思えば、ビートルズの元メンバーで最初の妻と離婚しなかったのはポールだけ。リンダは、結婚してから亡くなるまで生涯ポールを愛し続けたのです。2002年にポールはヘザー・ミルズと再婚しましたが、関係が上手く行かないまま数年で離婚に陥ってしまっています。再び1人になった今でも、リンダの存在とその偉大な貢献はポールの中に生き続け、永遠に忘れ去られることはないでしょう。もちろん、それはポール・ファンにとっても同じこと。リンダが残した功績はもっと高く評価されるべきです。
さて、リンダは稀代のメロディ・メイカーである夫のポールに触発される形で数曲を残しています。そう、キーボディストやヴォーカリストであるのみならず、れっきとしたシンガーソングライターでもあったのです。元々リンダは、アイデアを提供したりインスピレーションを与えたり、『Maybe I'm Amazed』や『My Love』のようにラヴ・ソングの題材になっていたり、少なからずポールの曲作りに貢献していました。1973年頃までのポールが書いた大半の楽曲の作曲者がポールとリンダの連名になっていることや、「ラム」が2人の共同名義で発売されていることがその証しです。しかし、シングル「Another Day」発売時に版権会社からクレジットについて非難されたことをきっかけに、リンダは単独で本格的な作曲も始めます。最初に書いた曲は『Seaside Woman』で、1973年頃にウイングスと共に録音され、1977年に「スージー・アンド・レッド・ストライプス(Suzy & the Red Stripes)」名義でシングル発売されました。リンダにとってソロ・デビューの瞬間でした(同時に生前唯一のソロ・レコードとなる)。また、当時は発表されなかったものの、ウイングス時代から自作曲を録音しており、それらはリンダの死後の1998年にアルバム「ワイド・プレイリー」としてまとめられました。ポールはじめウイングスの歴代メンバーや関連ミュージシャンの助けを得ながら完成された曲たちは、大好きなレゲエからカントリー、パンクに至るまでシンプルなメロディながら幅広い作風を見せていて、リンダの知られざる才能が炸裂しています。もちろんいずれもヴォーカルはリンダさん本人。カメラマンからシンガーに転身した経緯があってか、ポールなどと比べるとアマチュアぽさが滲んでいて一概に「上手い」とは呼べませんが(汗)、低音を生かした味のある歌声を聞かせてくれます。特に、ポールがコーラスとして参加している曲は、夫婦で絶妙なハーモニーを生み出していて必聴です。出会うべくして出会った2人、といった所ですね。このように、数こそ少ないですがリンダはしっかりと一介のシンガーソングライターとしての地位を確立しているのです。
そして、リンダさんがリード・ヴォーカルを取る曲で唯一、ポールのアルバムで発表されたのが今回取り上げる『Cook Of The House』です。それまでにもポールがヴォーカルを取る多くの曲でコーラスを入れたり、デュエット・ソング『I Am Your Singer』(1971年)では一部のみながら単独ヴォーカルを取っていたりはしていましたが、全編に渡ってリンダがヴォーカルをつとめる、いわばリンダが「主役」の曲はこれが最初のことでした。そして残念ながらこれで最後となってしまいます(リンダのソロ名義でも生前は他に先述の『Seaside Woman』とそのB面『B-side To Seaside』のみ)。他ならぬポールの愛妻であり、ウイングスのメンバーでもあるので、もっとリンダが歌う曲をアルバムに取り上げてもよかったのでは・・・と思いますが、世間の冷たい風当たりを気にしていたのでしょうか。ポールがソロ活動を開始してから6年、ウイングス結成から5年経った1976年に発売されたウイングス5枚目のアルバム「スピード・オブ・サウンド」に収録されました。このアルバムはよく知られるように、「ウイングスはポールのワンマンバンドだ」と常々言われ続けてきたポールが「ウイングスはメンバー全員が主役のバンドだ!」と主張すべく、当時のメンバー5人(ポール、リンダ、デニー、ジミー、ジョー・イングリッシュ)全員のヴォーカル曲(デニーとジミーは自作曲も)を収録して各自の個性を強調した1枚でした。ビートルズを意識したかのような、この画期的な試みは現在では「ポールのヴォーカル曲が半分しか収録されていない、お楽しみ半分のアルバム」として低評価の要因になってしまっていますが(汗)、メンバー間の絆を大事にする生粋のバンドマン・ポールらしいアイデアですよね。その一環で、アルバムでリンダがついに最前面に躍り出たのです。なお、ポールによればリンダのヴォーカル曲(つまりこの曲)を収録することにした後、ついでにジョーに『Must Do Something About It』を贈ろうと決めたらしい・・・です。
「ワイド・プレイリー」にはリンダが単独で書いた曲の他に、ポールとの共作曲もいくつか収録されていますが、この『Cook Of The House』の作曲にはリンダは関わっておらず、ポールがすべてを書き下ろしてリンダに提供する形となっています。「スピード・オブ・サウンド」におけるいわゆる「ウイングス民主主義」を完遂するため、ポールはデニーやジョーにも書き下ろしの新曲を提供して歌わせていますが、この曲の場合は相手が自分の奥さんだけあって、その想いの入れようも格段に違うものだったことでしょう。単に「提供する」というよりは記念日の贈り物のように「プレゼントする」といった表現がふさわしい、夫婦の愛情あふれる1曲なのです。その証拠に、歌詞の内容は明らかにリンダを意識した、リンダ以外他にふさわしい者がいないようなものに仕上がっています。タイトルを訳すと「お家のコックさん」となり、曲中にも「私はお家のコックさん」という一節が繰り返し登場しますが、マッカートニー一家の台所を引き受ける主婦が歌うにはまさにぴったり。さらに言うと、実はリンダさんは料理研究家という肩書きも持っていて、「Linda McCartney's Home Cooking」をはじめ菜食主義者向けの料理本を複数残したり、野菜料理の冷凍食品の開発に携わったりもしています。ですので、この曲は本当にうってつけなのです!そして、ポールの抱くリンダのイメージは、やはり料理にあったというわけですね(苦笑)。蛇足ですが、ポールがDJを担当し、1995年に放送されたラジオ番組「ウーブ・ジューブ」では、毎回リンダが得意の料理(もちろんベジテリアン料理)を披露するコーナー「Linda's Recipe」が設けられましたが、そのBGMがこの曲でした。・・・ぴったりすぎる。
ポールがこの曲を書いたのは、1975年11月のこと。ウイングスが本国・英国を飛び出してオーストラリアでコンサート・ツアーを行っていた最中でした。アデレード公演を終えた後、借りていた家で家族とゆったり過ごしている時にひらめいたそうです(ということは、11月4日か5日に書かれたと思われる)。しかもそれはキッチンでくつろいでいる間ということで、「私はお家のコックさん」と歌われるこの曲の内容に行き着くのはごく自然な成り行きだったわけです。きっと夕飯をこしらえるリンダを見ながらの作曲だったのでしょうね。そして「よし、これはリンダにプレゼントしよう!」と思ったのでしょう。アットホームで心が温まるマッカートニー・ナンバーの根源を示す恰好の例です!なお、ツアー中に海外での作曲というのは当時のポールには何も珍しいことではありませんでした。というのも、アルバム「ヴィーナス・アンド・マース」を発売して以降のウイングスはさらなる成功に向けてライヴ活動に日々いそしんでおり(もちろん最終目標は全米ツアーの成功にあったのですが・・・)、そんな中でも新譜を送り出してマンネリ化を防ぐ必要があったからです。事実、「スピード・オブ・サウンド」収録曲のうち『Let 'Em In』は英国ツアー中の1975年9月には書かれていたそうですし、10月には早くもデニーに贈った『The Note You Never Wrote』が録音され、オーストラリア・ツアーを挟んで来日公演が中止になった後休暇で訪れたハワイでは『Must Do Something About It』が書かれています。そして、この曲のレコーディングも含め「スピード・オブ・サウンド」のセッション自体も、3月から始まるヨーロッパ・ツアーのリハーサルと並行して1976年1月〜2月に手軽なロンドンで短期間にぱぱっと終わらせてしまっています。これだけ多忙な中でも、質の高い新曲を揃えてライヴのセットリストをさらに強固なものにしてしまうウイングス、特にポールは本当にすごいです。
話をまた『Cook Of The House』に戻して、曲自体はオールドタイプのロックンロールに仕上がっています。かつて流行ったロカビリーにも似ているかもしれません。オーストラリアで書かれロンドンで録音されたのに、'50年代米国の香りを感じてしまうというのが面白い結果です(笑)。でも、これが「スピード・オブ・サウンド」全体にそこはかとなく漂う米国っぽい雰囲気(『Let 'Em In』とか『San Ferry Anne』とか)に妙にはまっていて、そこがまた面白いです。こんなアレンジにしたのは全米ツアーを意識してか、それともリンダがアメリカ人だからか・・・?メロディも構成もシンプルで、シンガーとしての経験が浅いリンダが歌いやすいように配慮されています。ここからも、ただ曲を提供するだけではない、ポールのリンダへの想いが伝わってきますね。青春期に親しんできたレコードにありそうな曲調だし、リンダもきっと喜んだに違いありません。
昔懐かしいロックンロール色を強めるのが演奏面です。この曲の演奏に参加しているのはウイングスのメンバーのみで、外部のミュージシャンをほとんど起用しなかった「スピード・オブ・サウンド」セッションならではです。ウイングスの魅力であるストレートなバンド・サウンドを楽しめます。いい味を出しているブラス・セクションが一番耳に残りますが、実はこれはポールがメロトロンで弾いているもの。1975年以来ウイングスは常に4人組ブラス・セクションを率いてツアーに出ていて、「スピード・オブ・サウンド」でもこの4人組の演奏が随所で曲を引き立てていますが、なぜかこの曲では彼らの起用はありませんでした。いかにも“本物の”音色をしているので意外すぎます。ポールとリンダのプライベートな曲だから参加させなかったのか・・・?(汗)短いソロをはじめ'50年代ぽくて曲にマッチしているので、まぁよしとしますか。ピアノを弾いているのもポールで、少し聞こえづらいですが終始曲を支えてゆきます。中盤からは高音の連打やグリッサンドもあって盛り上げ役となります。さらには本業であるベースも無論ポールが弾いていて、奥さん以上に旦那さんの力の入れようが十分伝わってきますが(苦笑)、ここで面白いエピソードがあります。この曲では普段使っているエレキ・ベースではなく、ウッド・ベース(クラシック・シーンでのいわゆるコントラバス)が使われています。曲調を考えると正解の選択ですが、そのウッド・ベース・・・なんと!エルビス・プレスリーのヒット曲「Heartbreak Hotel」(1956年)でバックバンドのビル・ブラックが弾いていたものと同じといういわくつきだそうです!「Heartbreak Hotel」といえば、エルビスが初めて全米No.1を獲得したロック史に燦然と輝く名曲であり、多くのロック・アーティスト(もちろんポール含めビートルズのメンバーも)に影響を与えた曲ですから、そこで実際に使われたものが20年経ってウイングスのレコーディングに登場するなんて驚きです。しかも、そのウッド・ベースをどこから仕入れてきたのかリンダが持っていて、ある時ポールにプレゼントしたとのこと。面白い縁で、エルビスを敬愛する世界一のベーシストの手に、愛妻を通じて渡ったというわけです。世の中本当に何が起きるか分かりませんね!そんな貴重なベースによる演奏を聴ける非常に貴重な1曲になったのが、リンダがヴォーカルを取るこの曲。きっとリンダへの「ありがとう」の気持ちを込めたポールなりの最高のお返しの意味があるんでしょうね。おしどり夫婦の深い愛情があふれていて、とっても微笑ましいです。ポールが思い入れたっぷりに弾くベースラインにブラス・セクションやピアノが絡まって、全体的に低音が中心のモコモコとした音になっているのが特徴的です。これには「ぱっとしない」といった意見も聞かれそうですが・・・(汗)、そこもどこかオールディーズのレコード(それこそエルビスみたいな!)にありそうでポールの計算済み、なのです。ポール以外のメンバーでは、リンダは楽器を弾かず歌に専念し、デニーがエレキ・ギターを(ただしほとんど聞き取れない)、ジョーがスイングの効いたドラムスを担当しています。そしてジミーは・・・「ワイド・プレイリー」のクレジットによると不参加の模様です。ハードな演奏が持ち味のジミーに出番はなしということなのでしょうか・・・?
そして、この曲の主役であるリンダさんのヴォーカル。ここでもおなじみの低音交じりの声で聞かせてくれます。初めて単独リード・ヴォーカルを披露した『I Am Your Singer』ではそれがメロウな方向に作用していましたが、一転してオールド・ロックンロールということで、実に明朗で楽しい感じです。ちょっととぼけた所があるのが、また楽しさを倍増させています。思えば、リンダのソロでも『Seaside Woman』をはじめ『B-side To Seaside』『Wide Prairie』『New Orleans』のように陽気で若干コミカルなものが目立っていて、まるでリンダという人を表現したかのようでした。音楽的にリンダの歌唱力について見てみると、この曲においてもお世辞にも「上手」とは言えない、どちらかと言うと「下手くそ」という論評が飛び交いそうな未熟さが滲んでいるのは否定できません・・・(汗)。しかし、だからと言って敬遠するにはもったいない、アマチュアならではの独特の味わいをリンダは持っています。シリアス系の雰囲気の曲では「場違い」と思われても仕方ない面も無きにしも非ず、ですが、この曲のように楽しい曲ではその楽しさを倍増させるという長所を発揮させているのです。プロのシンガーとしての素養がないなどと批判調子で聴くのではなく、リンダさんのとぼけた響きを純粋に楽しみつつ聴くことを皆さんにはお勧め致します。そうすれば、この曲でのヴォーカルも「オールディーズにありそう!」と思えて面白くて仕方なくなってくるはずでしょう。
決して上手くはないけど楽しく歌うリンダを支えるのがポールとデニーの2人(「ワイド・プレイリー」のクレジットにはデニーの名前がないものの、それらしき声が聞こえる)。いつもはメインで歌うポールも、今回ばかりは奥さんを立ててバックに下がっていますが、負けじと楽しげなコーラスを入れています。リンダが「私はお家のコックさん」と歌うとすかさず「彼女はお家のコックさん」と返すのが何とも面白いです。また、出だしではポールが“Ah,you're rockin' that cat!”という一声を入れています。しかも、ずいぶん間の抜けた声で(苦笑)。蛇足ですが、日本盤歌詞カードの対訳が「ノってるじゃないか お前さん!」となっているのがリンダさんに妙に似合っていて笑えます(笑)。一方、最後はリンダが“Take it,fellows”というアドリブ・ヴォーカルでかっこよく(?)締めくくります。これまた日本盤の対訳は「さあ、みんなやってね!」。これもどこかリンダさんぽくて笑えます・・・。歌詞は、先述のように「私はお家のコックさん」と繰り返し歌われる、料理名人リンダ・マッカートニーにふさわしい内容です。のっけから数々の調味料(特にスパイス類)が列挙されていますが、これはすべて作曲の舞台となったアデレードの家のキッチンにあったもの。ポールいわく「キッチンに並んであったスパイスを片っ端から歌詞に詰め込んでみた」そうですが、異国の地での家族の思い出を克明に記録したかったのでしょうね。その時実際に料理を作っていたリンダさんが歌うのだから、本当にぴったりです。「どこにしたって お客様をもてなせば/みんな私の料理に満足」という一節にリンダの自信をうかがわせますが(無論ポールが書いたものですが)、ポールが愛妻の手料理をとっても気に入っていたことの証明と言えます。特筆すべきが、曲の前後に肉を焼いたり揚げたりするような音がSEとして入っていること。肉といっても、マッカートニー家はベジテリアンですから動物の肉ではなさそうですが(苦笑)。もしかしたら肉ではないのかもしれません。というのも、このSEは実際にリンダがキッチンで料理している時の音を、ポールがモービル・レコーディング・ユニットを使って録ったものだからです。安易に見知らぬどこかから切り取ってくるのではなく、我が家の音をしっかり用意してくる・・・ポールの徹底ぶりが伝わってきますね。同時に和気藹々としたアットホームな雰囲気も強調しています。そして実においしそうな音で、歌詞とあいまって聴いているだけでお腹がすいてきます(笑)。
ここでいくつか補足を。まず、この曲は「スピード・オブ・サウンド」からのシングルカット第1弾である「Silly Love Songs」のB面にも収録されています。アルバム・ヴァージョンと同じものがそのまま収録されているだけですが、シングルでもリンダが歌手デビューを果たした瞬間となりました。ご存知のように、「Silly Love Songs」は1976年のビルボード年間シングルチャートでNo.1に輝くほどの空前の大ヒットを記録しているので、この曲もアルバムと合わせて世界中に大量に出回ったわけです。また興味深いのは、A面の『Silly Love Songs』が、ポールが得意とするラヴ・ソングの大切さを真摯に訴えた「ポールのテーマ」とでも呼べる詞作を展開している点。それも、どこにも隙の見当たらない傑作にしてポールの代表曲。そしてそのB面が、料理名人リンダに焦点を当てた「リンダのテーマ」とでも呼べる『Cook Of The House』・・・ということで、シングル「Silly Love Songs」はマッカートニー夫妻を象徴するような選曲になっているのです!偶然なのかもしれませんが、ポールとリンダの「バカげたラヴ・ソング」ぶりが満開です。それから、この曲はリンダ没後に編纂・発表された例のソロ・アルバム「ワイド・プレイリー」にも再度収録されています。当時未発表だった曲が大半の中、『Seaside Woman』『B-side To Seaside』と共に珍しく既発表の曲でした(当時CD化されていたのはこの曲のみ)。ここでもアルバム・ヴァージョンと同じものが収録されていますが、リンダの全曲集という観点ではもちろん外せない1曲ですね。
「スピード・オブ・サウンド」セッションでのアウトテイクは、長い間発見されず「幻の音源」と言われ続けてきましたが、2010年に突如としてブート業界に一挙流出し(ウイングスのローディだったトレバー・ジョーンズが所有していたテープが出所)、ファンを震撼させました。今では「スピード・オブ・サウンド」収録曲のほとんどのアウトテイクを聴くことができます。・・・しかし、リンダが歌うこの曲は残念ながら含まれておらず、現在に至るまでこの曲のアウトテイクは発見されていません。『San Ferry Anne』と『Warm And Beautiful』も同様にアウトテイクを聴くことができないままです。
さてさて、前述のようにリンダさんはウイングス時代・ソロ時代を通じてポールのコンサートで共にステージに立ち続け、キーボードやコーラスを披露しました。リンダの存在を快く思わない人たちからは非難が浴びせられましたが、れっきとしたウイングス(ないしはソロ時代のツアー・バンド)のメンバーだし、それ以上に一番大事にしている奥さんですから、ポールはリンダを退かせることはありませんでした。それどころか、デニーやジミー、ヘンリー・マッカロクといったポール以外のメンバーがスポットライトを浴びるコーナーが設けられていたウイングスのコンサートにおいて、リンダが主役のコーナーももちろんしっかり設けていました。そもそもリンダと一緒に音楽活動をしたくてウイングスを結成したポールです。デビューしたての1972年から1973年にかけてリンダが必ず歌っていたのは処女作『Seaside Woman』。公式未発表ながら初期ウイングスにおいてリンダの代名詞になりました。メンバー編成が変わり1975年にツアーを再開すると、さすがにマンネリ化したのか『Seaside Woman』はセットリストから外されてしまいます。ここで一時リンダ・コーナーは消滅してしまいます。そこに現れたのが、しっかりレコーディングして公式発表もされたこの『Cook Of The House』。元々「スピード・オブ・サウンド」がセットリスト増強のために制作されただけあって、1976年のワールド・ツアー(ヨーロッパ・ツアー&全米ツアー)では当然のごとくセットリスト入りするのが自然な流れ・・・のはずなのですが、なぜかこの曲が披露されることはありませんでした(汗)。このため、1976年もリンダ・コーナーがまたしてもない状態に。かの有名な全米ツアーでも、リンダは脇に回ってポールをサポートする役目に徹しています。
さぁ、このままこの曲も忘れ去られてしまうのか・・・と思いきや。思いがけないことに、その次に行われた1979年・全英ツアーで突如この曲が取り上げられ、リンダさんが主役の時がようやく復活しました!公式発表から3年後のライヴ初登場です。背景には恐らく、リンダに対する理解が高まってきたことや、ステージでリード・ヴォーカルをつとめることへのリンダの自信がついてきたことが挙げられるでしょう。また、この時のツアーでは最新曲に加え『I've Had Enough』『Hot As Sun』『No Words』といった過去に発表したマイナー・ナンバーが意表をついて大量にセットリスト入りしていたので、その一環とも言えます。全英ツアーではコンサートの前半に登場し、会場の盛り上げに一役買っています。当時の最新アルバムは「バック・トゥ・ジ・エッグ」であり、ウイングスが「ロックへの回顧」を目指してハード・ロック色の濃い曲を多く残していた頃。その影響でセットリストも全盛期に負けじとロック色を強めたものでした。そして、この曲もその例に漏れず、スタジオ・ヴァージョンよりも心なしか力強いアレンジに生まれ変わっています。'50年代オールディーズ風のモコモコサウンドとは一線を画す鋭角的な演奏です。デニーとローレンス・ジュバーのエレキ・ギターが目立つことや、ポールがエレキ・ベースを弾いていることは一因でしょう。スティーブ・ホリーによるドラミングもよりリズミカルで、荒々しさも感じられます。そして何より、ブラス・セクションが今度こそウイングスのツアーに同行した4人組による“本物の”音であることが決定的な違いです。メロディラインはそのまま再現しつつも、メロトロンによるもどき演奏よりも明らかにはきはきして華麗に響きます。『Call Me Back Again』『Letting Go』『Got To Get You Into My Life』など、1975年以来ブラス・セクションを引き連れたことがライヴ・ヴァージョンで功を奏した曲はいろいろありますが、この曲もその1つではないかと思います。見事にライヴ映えする曲に変身しましたから!リンダさんのヴォーカルは相変わらずですが(苦笑)。全英ツアーの音源は公式発表されていませんが、名盤として知られる「LAST FLIGHT」(12月17日・グラスゴー公演を収録)などのブートで楽しむことができます。グラスゴー公演ではリンダが最後のアドリブを“Take it,Glasgow!”に変えて締めくくっているのが気が利いていますね。曲前のMCでポールがおどけた声でリンダを紹介するのも微笑ましいです。なお残念なことに、この曲がライヴで演奏されたのは1979年のみ。ウイングスの終焉と共にセットリストから外されてしまい、その後の2度に渡るポールのソロ・ツアーでリンダ・コーナーが復活することはありませんでした・・・。そして、今となってはリンダの歌声を生で聴くことはできず、悲しい限りです。
・・・と、こんな所でしょうか。リンダの魅力を再確認しながらこの曲の特徴や聴き所を見てきました。シンガーとしての技量は十分に満たしていなかったリンダさんですが、「上手い下手」という色眼鏡を外して考えてみると、この曲の雰囲気とリンダの味わい深いヴォーカルは非常によくマッチしていると思います。リンダの歌声が最もよい方向に発揮される、陽気でコミカルな作風だからでしょう。リンダに苦手意識を覚えている方も、ぜひ肩肘張らずに聴いてみてください。いきなり「ワイド・プレイリー」を買って聴けとは言いませんから(苦笑)。[とはいえ、「ワイド・プレイリー」にもリンダらしい佳曲がいっぱい詰まっているのも事実ですが・・・]アルバムでは、大ヒットした『Silly Love Songs』の高い完成度の後に来るだけに、リラックスして楽しむことができます。そして何より、この曲からはポールとリンダのお互いへの愛情がたっぷり感じられます。数々のエピソードはその証明ですし、ポールが贈ったこの曲は曲調・詞作共にリンダにぴったりの内容ですから。リンダ亡き今、世界で最高の夫妻だった2人の足跡をしのぶ上で大切な1曲と言えます。リンダがポールの音楽活動に参加してきたことに対しては今も賛否両論ありますが、様々な側面からの貢献を考えると、ポールにとってリンダという存在は他のどんなものよりも明らかに重要なものでした。ポールが生み出した名曲たちは、リンダなしにはここまでのクオリティには完成しえなかったと言っても過言ではありません。リンダあってこそのポールなのです。
最後に蛇足ですが、リンダがヴォーカルを取る曲では個人的には『B-side To Seaside』『I Got Up』『The Light Comes From Within』辺りがお気に入りです(全体的にアップテンポの曲に固まっているような・・・)。あと未発表曲だと『Mr.H Atom』も(苦笑)。もちろん、『Cook Of The House』も「スピード・オブ・サウンド」ではかなりのお気に入りです。後期ウイングスを推しているだけあって、全英ツアー・ヴァージョンの方が好きかもしれません。一般的なポール・ファンよりはリンダ・ナンバーを抵抗感なく好んで聴いていると思います。
さて、いよいよリンダさんも登場して、次回の番外編はいつになるか・・・?デニーかジミーかジョーか、それともカヴァー曲か!?お楽しみに!
(2011.1.11 加筆修正)
アルバム「スピード・オブ・サウンド」。リンダ含め、当時のウイングスのメンバー全員がヴォーカルを担当したスマッシュヒット・アルバム。