Jooju Boobu 第91回

(2006.1.21更新)

Calico Skies(1997年)

 今回の「Jooju Boobu」は、ポールのアルバムナンバーでも比較的有名で、ファンの間でも人気の高い1曲を取り上げます。しかも、このコラムではあまり取り上げることのない(笑)'90年代以降の曲です(この時代の曲に私のお気に入りが少ないもので・・・すみません)。『Really Love You』『The World Tonight』に続き、ようやく3曲目の紹介となる、味わい深い名盤「フレイミング・パイ」(1997年)収録曲であります。今回は、そのアルバムの中でもとりわけ高い人気を誇る『Calico Skies』を紹介致します。この曲は、'80年代のきらびやかなサウンドや'90年代初期のバンドサウンドからは一転して、質素でシンプルな作風が持ち味の「フレイミング・パイ」において、その特徴がよく表れた美しいアコースティック・バラードです。そしてそこからは、自身の音楽生活の中で何度か「原点回帰」を見せてくれるポールのルーツ的なものを垣間見ることができます。また追々触れてゆきますが、日本のファンにとっては、誰もが忘れることのないあの感動の大阪公演(2002年11月17日)の思い出が心に残る1曲としても知られています。この特別演奏に至るには奇跡の「サインボード・マジック」があったのですが・・・この辺も交えて、今日はこの曲の深い魅力について語ってゆきます。

 まずは、この曲『Calico Skies』が収録されることになるアルバム「フレイミング・パイ」について。最後にこのアルバムの収録曲を紹介したのはだいぶ前ですので・・・(汗)。今一度おさらいしておきましょう。1993年、2度目となるソロでのワールド・ツアーを完遂したポールは、しばし休憩を挟んだ後精力的な活動を再開します。といってもそれは、前衛音楽やクラシックのプロジェクトだったり、他アーティストのセッションへの参加だったり、ラジオ番組「ウーブ・ジューブ」の放送だったり。さらには音楽面以外の活動もあり、誰もが期待していたニュー・アルバムはなかなか発売されませんでした。一方、ポールにとってこの時期の一大企画となったのが、言わずもがビートルズの「アンソロジー・プロジェクト」です。生存する元メンバー3人が集まってビートルズのドキュメンタリーを制作、さらには新曲『Free As A Bird』『Real Love』のレコーディングを行った、ビートルズ・ファンなら感慨深いこの企画にポールは多くの時間を割き、作業に没頭しました。そのため、ポールのソロ活動はいったん完全に中断してしまいます。ポールは、「アンソロジー・プロジェクト」を片手間でやるような、中途半端なものにはしたくなかったのでしょう。

 ようやくポールの新作のレコーディングが始まったのは、「アンソロジー・プロジェクト」の作業が一段落した1995年初頭。この間、ビートルズ時代を振り返ることによってビートルズのシンプルなサウンドの魅力に今一度開眼したポールは、新作のセッションをごく一部の親しい友人を除いては基本的にポール1人で行ってゆくこととしました。これは、2度にわたるワールド・ツアーを支えたツアー・バンドのメンバーと一緒に録音した前作「オフ・ザ・グラウンド」とは全く対照的です。その結果、アルバムは全体的にシンプルな楽器編成による穏やかな作風の曲で占められ、極めてプライベートな雰囲気が漂うものとなりました。それはどこか、初のソロ・アルバム「マッカートニー」に通じる所がありますが、ポールがビートルズという「原点」に回帰したことが大きく影響しているでしょう。そこに50代のポールが発する円熟味があいまって、年の功が生かされた独特の味わい深さがにじみ出ています。ポールをサポートした面子も、リンゴ・スター、スティーヴ・ミラー、ジョージ・マーティンそしてリンダと、ポールの旧知の仲が集まりプライベート感を強調しています。また、「アンソロジー・プロジェクト」で知り合ったジェフ・リンがプロデュースしたことは話題となりましたが、ここでは癖の強いジェフ色は薄れ、ポールらしさが素直に味わえます。こうして限られた仲間たちとゆっくり、じっくりと楽しみながら完成させていったアルバムは、ビートルズ関連のリリースが終息するのを待って1997年5月に満を持して発売されました。それが「フレイミング・パイ」です。実に4年ぶりのスタジオ・アルバムでしたが、ポールの新作を待ちわびていたファンや、再度のビートルズ・ブームで生まれた新たなファンにとって、ポール節たっぷりの穏やかな作風は大変受けがよく、英米で最高2位を獲得するなど久々のヒットを記録することとなりました。今でも、ポールの「名盤」の1つとしてお気に入りに挙げるファンは多いです。

 『Calico Skies』は、そんな'90年代ポールの英知の結晶とも言える「フレイミング・パイ」に収録されたわけですが、実はこの曲が誕生した経緯は、アルバムの他の収録曲とは大きく異なっています。前述のように、「フレイミング・パイ」セッションは1995年初頭に始まっており、ほとんどの曲はそれ以降に録音されています。リンゴやスティーヴが演奏に参加したのもこの時期です。また、これらが書かれたのも、セッションと同時期か、少し前の1994年頃です。しかし、この『Calico Skies』は例外でした。この曲は、1994年よりも前に書かれているどころか・・・なんと、アルバム発売から遡ること6年も前の1991年には既にその姿を見せていたのです!幸いにも「フレイミング・パイ」収録曲は、アルバムのブックレットに各曲ができるまでの詳しい解説が載っているので、それに基づいてこの曲誕生のエピソードについて語ってゆきましょう。

  

 この曲ができたのは、1991年8月のこと。まだ前作「オフ・ザ・グラウンド」のセッションが始まる前でした!そんな時期に生まれていたこと自体驚きですね。この時ポールは、家族と一緒に休暇で米国に渡っていました。東海岸のニューヨーク州・ロングアイランド。これまでも激務の合間を縫ってゆっくり休暇を取ってきたポールですが、異国の地で仕事のことを忘れるのは大きな気分転換になるのでしょうね。ポールにとって休暇は作曲のインスピレーションを与えてくれる機会にもなっているそうで、思えば「フレイミング・パイ」収録曲の多くが海外に赴いた際に書かれています。今回もそうした流れでつかの間の休息を楽しんでいたわけですが、ここで困ったことが起きます。実はロングアイランドはハリケーンや竜巻が頻発することで知られる場所であり、ポールが滞在していたまさにその時に、運悪く大型ハリケーンの「ボブ」がやって来てしまいます。この「ボブ」、米国東海岸に甚大な被害をもたらした超強力なものだったそうで、下手すればポールも命を落としていたかもしれません(汗)。最悪の事態は免れましたが、それでも案の定自宅は停電し、ポールたちは真っ暗な中での生活を余儀なくされます。行く先々で災難に遭うのはポールにとっては何も珍しいことではないのですが(苦笑)かつての「バンド・オン・ザ・ラン」の時と同じく、予期せぬ不運が思わぬ幸運を呼びます。真っ暗な上に電気も使えず、何もすることがない所に愛妻リンダはじめ家族がポールに要望したのです。「弾き語りで何か聞かせてよ」、と。レコード・プレイヤーが使えないなら楽器の弾き語りを・・・というアイデアですね。そこでポール、早速持参していたアコースティック・ギターを抱えます。既にある曲を単に演奏することもできたのでしょうが、そうしなかったのがポールらしい所か・・・、ギター片手に即興に近い形で何曲かをちゃちゃっと作り、みんなに披露します。家族の機転とポールの才能で、迫り来るハリケーンの恐怖も忘れてきっと和やかなひと時となったことでしょう。そして、その時アコギで作った曲の1つが・・・実は『Calico Skies』なのです。まさか休暇中の災難がきっかけで生まれた曲だったとはこれまた驚きですが、1曲完成してしまったなんてハリケーン「さまさま」だったことでしょう(笑)。実際、この時の出来事はポールにとっていい思い出として残っているそうです。それにしても、危機的状況下で後年まで聴き継がれる名曲を生んでしまうポールもすごいですが、停電中の暇つぶしに曲をせがむリンダたちの思いつきもすごいですね!さすが、「音楽家族」マッカートニー一家だけあります。

 ポールが「停電の時の思い出そのもの」と語るこの曲は、しばらく寝かされた後スタジオで正式にレコーディングされることとなります。何気なく即興で作ったメロディを覚えているなんて、ポールはやっぱり天才です。ポールにしてみれば、それほど素敵なメロディだったのでしょうが・・・。で、ここからがまた驚きなのですが、この曲が録音された日は1992年9月3日。なんと、前作「オフ・ザ・グラウンド」の発売前なのです!さすがに、「オフ・ザ・グラウンド」セッション自体は既に終わっていましたが、それでもほぼ同時期にレコーディングされていたとは。「オフ・ザ・グラウンド」では共同プロデューサーにジュリアン・メンデルソンを迎えていましたが、この曲のセッションでプロデューサーに迎えたのは、ジョージ・マーティン。そう、あのマーティン「先生」です。言わずもがビートルズのプロデューサーとしてあまりにも有名な人であり、ビートルズ解散後もポールの楽曲のプロデュースをたびたび担当した、ポールにとっては恩師に当たる人です。ちょっと前には『C'mon People』(「オフ・ザ・グラウンド」収録)のオーケストラ・スコアを依頼したポール、この曲に関しては「ジョージ・マーティンじゃなきゃ絶対だめだ!」と思ったそうです。何かあると一緒に仕事がしたくて仕方ないポールの熱意には、既に引退の方向に向かっていたマーティン先生もうれしかったことでしょう。喜んでプロデュースを引き受けます。この時のセッションでは、同じく「フレイミング・パイ」に収録されることとなる『Great Day』もレコーディングされています(これまた驚きですが)。再び息の合ったタッグを組むことができたポールは、この後『Beautiful Night』のオーケストラ・スコアもマーティンに依頼します。ポールは本当にマーティン先生が好きなんですね。

 このように、この曲(と、『Great Day』)は「フレイミング・パイ」セッションが本格的に始まる以前、それもだいぶ前に録音されたことになります。「オフ・ザ・グラウンド」が発売される前には完成していたのですから・・・!ということは、2曲ともぎりぎり「オフ・ザ・グラウンド」に収録されてもおかしくない状況だったわけです。「オフ・ザ・グラウンド」に収録されているこの曲はなかなか想像しづらいですが(汗)。しかし、ポールは2曲の「オフ・ザ・グラウンド」への収録を見送ります。それには理由がありました。「オフ・ザ・グラウンド」は、先述のように当時のツアー・バンドのメンバーと共に録音したれっきとした「バンドのアルバム」であり、収録曲も快活なバンドサウンドが主流でした。一方、この曲と『Great Day』は、これから触れるようにアコギ弾き語りスタイル。もちろんバンドのメンバーは参加していなく、音も完全にポールの「ソロ」です。ポールは、こうしたアレンジは「オフ・ザ・グラウンド」のコンセプトにはそぐわないと考えたのでした。こうして、2曲ともしばらくお蔵入りされることとなり、結果的には約5年後に次のアルバムである「フレイミング・パイ」に収録されることとなりました。この判断は正しかったでしょう。ストレートなバンドサウンドの中にぽつんと放り込まれていたら、アルバムの中でもひときわ浮いてしまっていたはずですから。さらに奇遇なことに、「フレイミング・パイ」はビートルズを回顧してシンプルなアコースティック・サウンドを中心とした「原点回帰」のアルバム。アコギ弾き語りの2曲にとってはまさに適所だったのです。録音された時期は大きくかけ離れているものの、この曲は「フレイミング・パイ」に違和感なくぴったりと収まったのです。

 さて、レコーディングに至るまでの経緯を見てきた所で、『Calico Skies』について具体的に語ってゆきましょう。まず印象に残るのが、3拍子のリズムをしたワルツ・バラードであること。ポールが書いたワルツ・ナンバーはそれほど多くはありませんが、そのほとんどがポールの本領であるバラードナンバーに集中しています。そして、そのいずれもが実に美しいメロディをしています。『Junk』『Mull Of Kintyre』『Motor Of Love』などなど・・・。これらの曲が証明してくれるように、ポールはワルツでも、リスナーをうっとりさせる甘美なメロディを紡ぎ出してくれるのです。そしてもちろん、この曲も実に美しいメロディを持ったバラードです。半ば即興で作ったとは信じられないようなしっかりとした仕上がりです。メロ&サビを3回繰り返すだけと単純明快な構成でメロディ自体も非常に素朴なものの、そこにはポールらしさがぎっしり詰まっていて、さすが天性のメロディ・メイカー!と思わせます。

 さらに、単なるワルツ・バラードにとどまらず、この曲のメロディからはある匂いがしてきます。・・・それは、ケルト・サウンド。つまり、アイルランドの伝統音楽(トラッド)の香りです。元々、ケルト・サウンドや周辺のスコットランド民謡には3拍子の曲が多く、魅力的な特色の1つなのですが、ポールはワルツ・バラードのこの曲を書くにあたって、この辺のトラッドを強く意識したと思われます。古きよきトラッドの風味が色濃く出ている素朴なメロディもその表れと言えるでしょう。思えば、同じ3拍子の『Mull Of Kintyre』も本格的なスコティッシュ・ワルツを目指して書かれた曲でした。ポールのトラッド嗜好が垣間見れる瞬間です。そして大事なのは、ケルト・サウンドもまたポールにとってルーツの1つであること。母親がカトリックの洗礼を受け、自らもアイルランドの血を引いている所からしてそれは明白です。結局はロック・ミュージシャンに成長したものの、ポールの根底にはいつもケルト・サウンドがあるのです。そんなポールは時折ケルト・サウンドへの原点回帰を見せてくれます。有名なのが、1978年のアルバム「ロンドン・タウン」の頃ですね。ウイングスとして世界中を制覇したポールが自国を振り返った結果が、『Mull Of Kintyre』などの一連のトラッド風ナンバーの発表につながりました。そして、「フレイミング・パイ」の時期にもまた、ケルト・サウンドを見直しているかのような曲を書いています。「フレイミング・パイ」収録の『The Song We Were Singing』(これまたワルツ!)から、どこかフォーキーな雰囲気が漂うのがその証しですね。ビートルズ・サウンドへの回帰を図った時期ですが、その裏では同様にケルト・サウンドへの回帰も図っていたのです。

  

 そんな素朴で美しいメロディと、アイリッシュな香りを強く打ち出したのが、今「フレイミング・パイ」で聴くことのできる演奏です。ハリケーンに襲われつつアコギ片手で書いた経緯をそのままに、ポールは正式なレコーディングにおいてもアコギ1本の弾き語りスタイルを取ることにしました。ポールいわく「『Blackbird』みたいなアコースティックな曲に仕上げたかった」そうで、ドラムスを入れたりバンドサウンドにしたりといった凝ったアレンジは施したくなかったのでしょう。ビートルズ時代にポールが書いた『Blackbird』もアコギ弾き語りナンバー。そのイメージ通りの仕上がりです。この曲では、ポールがアコギを弾く以外は、ポール自らがパーカッション代わりにひざをたたく音しか入っていません。これはまさにシンプルそのもの。シンプルなアコースティック・サウンドが目立つ「フレイミング・パイ」でも最もシンプルなアレンジで、その真髄とも言えます。必要以外の音は一切入っていません。それゆえに、元より素朴なメロディがひときわ美しく響きます(・・・これも計算されてのことなのでしょうか)。また、アコギ弾き語りというアレンジは、昔懐かしいトラッドの雰囲気を表現しきっていて、曲想によくマッチしていますね。楽器が他に何も入っていないので、アコギの澄んだ音色を十二分に堪能することができます(当然ですが)。間近で演奏しているかのような臨場感が伝わってくるミックスで、フィンガーピッキングが生々しいです。じっくり聴いていると、ポールのギターテクニックの妙が分かってきます。この手の弾き語りでは毎度そうなのですが、ポールの熟練ぶりに感心してしまいますよね。こんなに上手に、しかもいとも簡単に弾けたらいいのに・・・と思ってしまいます。

 よりシンプルな演奏へ・・・という方向性はビートルズ・サウンドへの回帰の表れですが、この曲も明らかにビートルズ時代を意識しているはずです(『Blackbird』をイメージしたと語っていますし)。また、曲構成も単純明快で、演奏時間も2分半とあっさり目。これも、何のてらいもなかったビートルズ時代を念頭に置いたのは確かでしょう。原点回帰の大きな後押しとなったのは先述の通り「ビートルズ・アンソロジー」ですが、本格的にビートルズ肯定派になり始めた1989年頃から既にポールは簡潔に抑えるアレンジをしばしば導入していました。それは、この曲のようなアコギ弾き語り小品の推移を見てみるとよく分かります。ビートルズ解散後、ウイングスでの成功から特に'80年代の混迷期にかけてアコギ弾き語りナンバーがぐっと減っていたのが、ちょうど1989年を境に再復活しているからです。『Put It There』はその代表例でしょう。そして、1992年に録音されたこの曲と『Great Day』もそうした試みの延長線上にあるのです(だからこそ「フレイミング・パイ」にぴったりはまっている)。その流れの中で、「ビートルズ・アンソロジー」をきっかけにいよいよシンプルさに磨きがかかったわけなのですね。この傾向はその後も『Your Way』『Jenny Wren』『Dance Tonight』と着実に現在へとつながってゆきます。

 素朴な雰囲気はヴォーカルにも出ています。ここでは最初から最後まで全部ポールが1人で歌っています。まさに「ソロ」といった趣で、アコギ弾き語りにはぴったりのスタイルです。興味深いのは、やや訛りの入った癖のあるアクセントで歌っている点。独特の節回しですが、これはポールがアイリッシュ・フォークを意識していることのもう1つの証明と言えそうです。以前にポールが書いてきたトラッド風ナンバーもそうですが、メロディだけでなくしっかり歌い方にもトラッド風味が出るように工夫しています。声はややかすれ気味なのが耳に残りますが、同時期の「オフ・ザ・グラウンド」収録曲のラインアップや、この曲のレコーディングの翌年にワールド・ツアーに出向いて目一杯シャウトを聞かせていることを考えると、1992年のポールらしからぬちょっと珍しい所があります。寂しさすら感じさせる細い声は曲の雰囲気に合わせたからなのかは不明ですが(汗)、面白いことにこれが見事「フレイミング・パイ」にマッチしているのです。「フレイミング・パイ」セッションでのポールは、加齢の上にリンダの病状悪化に伴う心労が重なり、声に張りと艶が消えかけていました(それを、よく「老けた」と指摘されてしまうのですが・・・)。その分円熟味は増したのですが、か細くハスキーなヴォーカルで歌っている曲がほとんどです。アルバム全体を包むそんな声質と、この曲で聞かれるかすれ気味の声。この2つが偶然にも非常に似通ったスタイルなのです。サウンド面でも違和感なく「フレイミング・パイ」に溶け込んだこの曲、ヴォーカル面でも一致してしまうとは恐るべし・・・。本当に、「オフ・ザ・グラウンド」に収録しないで正解でしたね。これは、『Great Day』にも当てはまる現象です。

 歌詞は、ポールならではの楽観的なラヴ・ソングです。ファンなら、やはりポールにはこういった内容の歌詞を期待してしまう所でしょう。カリコの空の下での幸せな恋の世界が描かれています。ちなみに、「カリコ」とは平織りの白木綿のこと、らしいです。そうとは知らずに聴いていました(汗)。数々のラヴ・ソングを生んできたポールですが、この曲は愛妻リンダに向けて直接歌われていることは確かでしょう。ポール自身のコメントはないですが、特に「お気に召すまま君を抱こう/これからいつまでも君を抱こう」という一節からは、ポールのリンダへの深い愛があふれているように感じられます(蛇足ですが、1度目だけこの箇所の“I'll hold you〜”が“I will hold you〜”になっているのがいい感じだと思います)。そういえば、この曲ができたのもリンダたち家族の要望のおかげでした。そのことへの感謝の念もあるのでしょう。ポールに素敵なラヴ・ソングをプレゼントしてもらえるなんて、リンダさんはホント幸せな奥さんでしたね。この曲は後にポールのクラシック・アルバム3作目「ワーキング・クラシカル」(1999年)にストリングス・カルテットのアレンジで再録されますが、その収録曲のほとんどがリンダへ向けたラヴ・ソングということを考えると、やはりこの曲にはリンダへの愛が詰まっているのでしょうね。

 すべての作業をたった1日で済ませてしまったことや、近年のポールのセッションのアウトテイクがなかなか流出しないこと(苦笑)があって、この曲のスタジオ・アウトテイクは発見されていませんが、アルバム「フレイミング・パイ」ができるまでを紹介した映像作品「In The World Tonight」では、ポールがこの曲をアコギで弾き語る様子を見ることができます。この映像は、レコーディング当時の1992年ではなく、恐らく「フレイミング・パイ」セッションの際と思われます。寒々しい林の中で焚き火をしながら歌う姿と、スタジオ内で隣に座るリンダに聞かせる姿が交互に登場して、アットホームなポールが垣間見れます。ポールとリンダの仲のよさがこの歳になっても微笑ましいものの、どこか寂しげな雰囲気が全体に漂っているのは、曲調のせいだけではないでしょう。「フレイミング・パイ」発売の翌年にリンダが他界してしまうことを知っていると、余計そう感じさせます・・・。

  

 ・・・さぁ、お待たせしました。日本のファンにとって、この曲を語る際に絶対忘れてはならないのがライヴです。「フレイミング・パイ」発売当時コンサートを行わなかったこともあり、しばらくはライヴで披露されることのなかったこの曲。しかし、数年経った頃にようやく演奏されることとなりました。それも、何の前触れもなく、唐突に!そしてその初演となったのが、2002年11月17日。場所は、言わずもが・・・日本の大阪でした。

 2001年にアルバム「ドライヴィング・レイン」を発売した後、2002年4月よりポールは再び大規模なワールド・ツアーに赴きます。その中には、ソロとしては3度目となる日本公演・通称「Driving Japan」ツアー(2002年11月11日〜18日、全5公演)もありました。現時点で最後のポールの来日公演です(2010年6月現在)。東京で3回、大阪で2回コンサートを行い、日本のポール・ファンを熱狂の渦に包んだことは言うまでもないですが、5公演中4番目に登場したのが17日の大阪ドーム公演。まさかこの日が、日本のファンにとって思い出深い感動の一日になろうとは・・・。もう皆さんご存知ですね。そうです、まさにその大阪公演で、『Calico Skies』のライヴ初披露が行われたのです!来日公演前に行われた米国やメキシコでのツアーはもちろん、数日前の東京ドーム公演ですら姿を見せなかったこの曲が、予告なしに突如として大阪の地で特別に演奏されました。これまでも日本公演では他国でのコンサートでは演奏しなかった曲を特別演奏することはありましたが、今回は日本公演でも大阪のみ。ポールがこっそり仕掛けたこのサプライズに、日本のファンは歓喜し、外国のファンは驚きを隠せなかったことでしょう。さて、ここからが深い話なのですが、実は、この感動的な特別演奏の舞台裏には、ある日本人ファンによる「サインボード・マジック」があったのでした。

 何だか物々しい文章になっていますが(汗)、その「日本人ファン」とは、ポールの最新情報や楽曲紹介など充実したコンテンツが掲載されているファン・サイト「Jash's Homepage」(当サイトからもリンクさせて頂いております)の管理人さんであり、関西で活動しているウイングスのコピーバンド「FLYING HORSES」のリーダーでありドラマーであるJashさんです。私もご縁があって交流させて頂いており実際にお会いしたこともありますが、ビートルズ、特にポールに関しては最新情報からブートに至るまで大変深くマニアックに精通しており、日本におけるポール・マッカートニー研究の第一人者と言っても過言ではない方です。実はそんなJashさんが、この『Calico Skies』特別演奏の奇跡を生み出しました。知る人ぞ知る「サインボード・マジック」です。詳細は、Jashさんのサイトに「DRIVING JAPAN MEMORIAL」として掲載されておりますので、ここでは概略だけご紹介致します。

 熱心なポール・ファンであるJashさんは「Driving Japan」ツアーの全公演に足を運んだのですが、その際にポールへのメッセージを書いた数種類のサインボードを用意し(サインボードの写真はサイトに掲載されています)、演奏後などのタイミングを見計らって掲げました。その中に、「PLEASE PLAY CALICO SKIES」というサインボードがありました。先述のように、「Driving Japan」ツアー以前にはライヴで一度も演奏されたことのなかった『Calico Skies』ですが、少し前に行われた全米ツアーのリハーサルでこの曲が演奏されていたという情報をJashさんは事前に入手していて、「ぜひ本番で聴いてみたい・・・」と思ってこれを作成したそうです。そして早速東京公演(11日・13日・14日)でこの「PLEASE PLAY CALICO SKIES」を掲げます。ところが、東京では努力の甲斐なくこの曲が演奏されることはありませんでした。ポールはサインボードに気付いたものの、失笑されてしまったそうです。

 しかし、場所を大阪に移して行われた17日のコンサートで、ついに奇跡が起きます。ライヴ中盤、アコースティック・コーナーで『Here,There And Everywhere』を歌い終えたポールが、「今日だけの特別な曲を演奏します!」と発言しました。これを聞いたJashさんは、書き下ろしの新曲を演奏すると思ったそうです(来日前のインタビューでポールがそのような趣旨の発言をしていたため)。そして演奏が始まるのですが・・・なんと!その曲こそ、Jashさんがサインボードで演奏してくれるよう願い続けてきた『Calico Skies』だったのです!願いがかなっただけでも大変すごいことなのですが、さらに感動が待ち構えていました。演奏が終わった後、Jashさんがうれしさのあまり例の「PLEASE PLAY CALICO SKIES」のサインボードを掲げると、なんとポールがJashさんの方を指差して“Yeah!For You!(君のためだよ!)”と言ったのです!つまり、大阪で突如この曲が特別演奏されたのは単なる偶然の産物ではなく、Jashさんが東京で掲げたサインボードでのリクエストに答えたもの、だということが証明されたのです!これぞ「サインボード・マジック」。Jashさんの熱意が、ポールの心を大きく動かしたのです。Jashさんは翌18日、この日のコンサートのために大阪ドームへ入ってゆくポールにあのサインボードを見せたのですが、ポールはそれを指差して親指を立ててくれたそうです。このことからも、「サインボード・マジック」が起きたことは確かでしょう。さらには、17日の大阪公演のツアー・スタッフ用セットリスト表には『Calico Skies』の表記が後から手書きで追記されています(これも写真がサイトに掲載されています)。当初セットリストに含まれることは全く想定されていなかったことが分かります。ちなみに、18日の日本公演最終日・大阪ドーム公演でもこの曲は披露され、「サインボード・マジック」の生みの親であるJashさんも客席からその演奏を見守りました。

 以上が、ファンの間で伝説として語り継がれている「サインボード・マジック」です。日本のファンにとって感動のプレゼントとなった特別演奏は、実は1人の日本人ファンのサインボードによる懸命なリクエストが実を結んだものだったのです。2002年11月17日が、誰もが忘れることのない感動の思い出として残ってゆくのは、このマジックあってこそなのです。これを実現できたのも、Jashさんがポールに対して並々ならぬ敬意と愛情を持つ方だったからでしょう。同じようにサインボードでアピールするという手法を使っても、強くて深い「気持ち」がなければマジックは成立していなかったはずです。マッカートニー・ナンバーを誰よりもこよなく愛聴し、日本一濃い内容のポール・サイトを運営し、さらには自らウイングスやポールの曲をバンドで演奏する・・・心からポールがお気に入りで、ポール好きを体現するJashさんらしい、Jashさんだからこそ実現できたエピソードだと思います。ちなみに、Jashさんは「Driving Japan」ツアー前の米国ツアーに赴いた際にも来日公演の実現を願ってサインボードを掲げていますが、その数ヶ月後に「Driving Japan」ツアーの開催が決定しています。また、2003年のヨーロッパ・ツアーを見に行った際はセットリストから外された『Maybe I'm Amazed』をサインボードでリクエストしましたが、この曲は翌日に見事復活を果たしています。Jashさんの「サインボード・マジック」は他にも奇跡を起こしているのです・・・!(このエピソードの詳細もJashさんのサイトに掲載されています。)

 「サインボード・マジック」が生んだ感動の特別演奏は、公式にCD化もされています。2003年に一連のワールド・ツアーを総括すべく発売されたライヴ盤「バック・イン・ザ・ワールド」です(全米ツアーの模様を収録した「バック・イン・ザ・US」には未収録なので注意)。日本のファンにとってはそれだけでもうれしい話なのですが、演奏後にポールが発したあの“Yeah!For You!”もそのまま収録されているのが大変うれしいです!「サインボード・マジック」がかなった歴史的瞬間が、その場に居合わせることのできなかった人たちのために再現されています。・・・と、こう書いておいて大変不覚なのですが、実は私は「バック・イン・ザ・ワールド」をまだ入手していないため、この特別演奏も入手していません・・・(汗)。ファンならマストアイテムだとはもちろん承知しているのですが、あいにく「バック・イン・ザ・ワールド」がCCCDなので・・・(通常CDでの早急な再発売を要求したいです!)。

 なお、ライヴではオリジナルのスタジオ・テイクとは異なるアレンジで演奏されているのが興味深いです。オリジナルは散々述べてきたようにアコギ1本の弾き語りですが、ライヴではツアー・バンドが一緒にいるためかしっかりとしたバンド・スタイルに再構築しています。アコギ主体なのはそのままですが(ポールとラスティ・アンダーソンの2人で演奏)、ブライアン・レイが弾くベースも入っている上にドラムスまでもフィーチャーしています。そのため、オリジナルよりは圧倒的に賑やかな音作りです。こう聞くと何だか雰囲気ぶち壊しといった感じに取れてしまうのですが、実はそうはならないどころか、オリジナル以上にアイリッシュな香りが色濃く出る結果となっています。面白いですね。最大の勝因は、キーボード担当のポール・“ウィックス”・ウィッケンズが演奏するアコーディオンでしょう!これが実にケルト・サウンドっぽいです。昔懐かしい匂いがぷんぷんしますし、流麗なメロディはドラムスのリズムとあいまって思わずワルツを踊り出したくなる気分にさせてくれます(笑)。ウィックスのアコーディオン演奏の腕は以前のワールド・ツアーでも証明済み。また、オリジナルでは寂しげだったポールのヴォーカルも、ライヴでは実にはつらつしていて、そこが朗らかなアイリッシュ・ワルツらしさを強調しています。サビでは他メンバーのコーラスも入り、楽しい雰囲気が伝わってきます(ちなみに、ライヴでは第2節以降も“I will hold you〜”になっているのがいいアクセント)。当初ポールが意図していた『Blackbird』風の素朴な味付けとは違いますが、ライヴで楽しい気分になるにはこのバンドサウンドの方がうってつけですし、アレンジもぴったり決まっているので正解だと思います。

 日本でサインボードによるリクエストを受けたことに気をよくしたのか、ポールはあの日以降しばしばこの曲をライヴで演奏するようになりました。まず、2003年のヨーロッパ・ツアーでセットリストに初めてレギュラー入りします。この時の演奏は、3月にロンドンでリハーサルした際の音源がオムニバス・アルバム「Hope - For The Children Of Iraq」(2003年4月発売)に提供されています。入手困難のため私は未入手です(汗)。このアルバムは、当時のイラク戦争で犠牲となった子供たちを支援するために企画されたチャリティ・アルバムですが、この曲を提供したのは第3節の歌詞がきっかけでしょう。「兵器を使ってはいけない」というメッセージが込めてあるからです。続いて、2004年のヨーロッパ・ツアーでもセットリスト入り。翌2005年は残念ながら演奏されませんでしたが、2007年に復活。2008年の単発コンサートを経て、2009年の全米ツアーまで定番ナンバーとなりました。2009年全米ツアーの演奏は、公式ライヴ盤「グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ」に収録されています。2009年冬のヨーロッパ・ツアーから再びレパートリーから漏れてしまいましたが(汗)、それでもリハーサルやサウンドチェックではしょっちゅう演奏しています。このことを考えると、ポールもこの曲が相当お気に入りなのでしょう。何せ、その時々の新曲以外はソロ時代の曲をほとんど演奏しないポールが珍しく長期間ライヴで取り上げている1曲ですから・・・。そうなるきっかけを作ったのがJashさんのサインボードと考えると、我々ファンはこの曲をライヴで聴けることをJashさんに感謝しないといけませんね(笑)。

 というわけで、『Calico Skies』の魅力や関連エピソードをたっぷり語ってまいりました。ポールは、きらびやかなサウンドに向かうこともあれば極めてシンプルなサウンドを追求することもある人で、そこがポールの幅広く奥深い魅力だと思いますが、この曲では後者のシンプルなサウンドを存分に堪能できます。アコギ弾き語りアレンジは、何もない分メロディやギター演奏の素朴な美しさが率直に伝わってきます。奇をてらった装飾を一切施していない所は、ポールの原点そのものですね。シングル発売こそされていないものの、数あるアルバムナンバーの中では最も必聴の曲の1つと言えますし、ポールらしさはシングルナンバーに負けず劣らず。ぜひ一度聴いてみてください。バラード系やアコースティック系が好きな方には特にお勧めです!そして、日本のポール・ファンなら、「サインボード・マジック」が実現した感動の大阪公演(「バック・イン・ザ・ワールド」収録)はぜひチェックのほどを!(未入手の私が言うのもなんですが・・・)ライヴ・ヴァージョンも、スタジオ・テイクとは違う味わい深さがたっぷり詰まっています。ケルト・サウンド風味を堪能したければライヴ・ヴァージョンの方がお勧めです!

 この曲は、「フレイミング・パイ」を聴いた当初は「美しくていい曲だなぁ」程度でしたが、徐々にお気に入り度が増してきています。特に、ライヴ・ヴァージョンのアレンジを覚えてからはそうですね。スタジオ・テイクよりライヴ・ヴァージョンの方が個人的にはお気に入りです。ウィックスのアコーディオンが特にアイリッシュぽくていいですね。「サインボード・マジック」の生みの親・Jashさんと実際に知り合いである身としては(苦笑)、やはり「Driving Japan」ツアー・大阪公演の音源が一番気になります。それなのに未入手というのが実にはずかしいです(汗)。CCCDに抵抗感があるものの、何とかして入手したいですね。2002年当時からポール・ファンだったら、あの感動を生で体験できたかもしれなかったのに・・・惜しいことをしたと思っています(汗)。それゆえに、次回ポールが来日公演を行う時は、ぜひこの曲を演奏してほしいです。マンネリ化したビートルズナンバーはたくさんなので(笑)、この曲が初めてライヴ演奏された日本の地で再び聞かせてほしいですね。Jashさんは、このたびポールの「アップ・アンド・カミング・ツアー」英国公演にはるばる参戦し、来日公演の実現はもちろん、日本のファンがライヴで一番聴きたい曲(Jashさんのサイトで絶賛開催中の人気投票で1位に選ばれた、ポールが1989年以降ライヴ演奏していないソロ&ウイングス時代の曲)をサインボードでポールにリクエストするとのことです。もしかしたら、またしても「サインボード・マジック」が起きて、ポールが日本のファンの願いをかなえてくれるかも・・・?期待しましょう!

 今回のイラストは、まさしく「カリコの空」ですね。「カリコ」の意味がよく分からなかったので少し適当ですが・・・。しかもポールは「オフ・ザ・グラウンド」しているし(笑)。もちろん、“For You!”付きでございます(笑)。

 さて、次回紹介する曲のヒントですが・・・「心の動揺」。お楽しみに!

 (2010.6.12 加筆修正)

  

(左)アルバム「フレイミング・パイ」。シンプルで味わい深い曲がいっぱいの'90年代ポールの名盤。

(右)ライヴ盤「バック・イン・ザ・ワールド」。「サインボード・マジック」が起こったあの感動の大阪公演(2002.11.17)の演奏を収録!

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