Jooju Boobu 番外編(4)
(2006.1.13更新)
Wino Junko(1976年)
おひさしぶりです、「Jooju Boobu」番外編の登場です。番外編では、ポール以外のウイングスのメンバーによる作曲・ヴォーカル曲や、ポールが取り上げたカヴァー曲を紹介してゆきますが、今回といえば・・・お待たせしました。ウイングスの歴代メンバーではファンの間で人気の高い(デニー・レインよりも人気?)、リード・ギタリストのジミー・マッカロクの曲を取り上げます!ここまで番外編ではデニーのヴォーカル曲が3連続していたので、ようやく路線変更となります(笑)。ウイングス活動期から今まで、ギタリストとしての演奏面はもちろん、ヴォーカル面そしてルックス面でも(苦笑)ファンの注目をひときわ集めているジミーですが、今回はジミーがウイングス時代に残した作曲・ヴォーカル曲の1つ、『Wino Junko』を語ってゆきたいと思います。存在感が薄くあまり一般的には知られることのない曲ですが、その内実、ジミーという人がよーく分かる個性的な内容となっています。ジミー自身のことを紹介しつつ、早速その魅力を探ってみましょう。
では、まずは本コラムでは初登場となるジミーについてご紹介致します。ポール、リンダ、デニー・レインに次いでウイングスには欠かせない存在とも言われているジミーの生涯は、どんなものだったのでしょうか?
ジミー・マッカロク、本名ジェームズ・マッカロクは1953年6月4日生まれ。英国・スコットランドはグラスゴーで育ちました。ジミーとくればウイングスの歴代メンバーでは最も若々しい印象を受け、早熟ぶりに驚く方も多いかと思いますが、ミュージシャンとしてのキャリアはなんと・・・!彼が13歳の頃には既に始まっていたというのだから驚きです。地元グラスゴーでワン・イン・ア・ミリオンというバンドのメンバーでした(このバンドは1967年にほんの少しだけ活躍する)。そして、その後は様々なロックバンドを転々とする生活を送り、力をつけてゆきます。いずれも短命に終わってしまうのが残念な所ですが・・・(汗)。思えば、ムーディ・ブルース脱退後のデニーも一時期そんな感じでしたね。そうしてゆくうちにやがて、未成年ながら腕前を各方面で評価され、徐々に英国で有名な存在となってゆきました。そんなジミーの知名度を上げた2つのバンドが、サンダークラップ・ニューマンとストーン・ザ・クロウズでしょう。前者のサンダークラップ・ニューマンは、1969年にザ・フーのピート・タウンゼントが構想して誕生したバンドで、同年には英国No.1ヒットとなった『Something In The Air』を世に放っています。この時ジミーはまだ15歳だからまたしても驚きです。しかし、これも短命に終わってしまいます(汗)。ジミーは再びバンドを転々とする人生に戻りますが、1972年、今度は当時ギタリストの急逝で空中分解の危機にあったストーン・ザ・クロウズに誘われました。パワフルな歌声で知られる女性ヴォーカリスト、マギー・ベルを筆頭としたこのブルース・バンドでジミーは代役を見事に果たします・・・が、しばらくしてストーン・ザ・クロウズは本当に解散してしまいました(汗)。再度1人になってしまったジミー。腕前は確かなのにずいぶんツいていないなぁという印象ですね・・・。そんな中、ジミーは人生を大きく変えるほどの出会いにぶち当たります。・・・それこそ、ポール・マッカートニーとの出会い、そしてウイングスへの加入でした。
ポールと知り合うきっかけとなったのは、1973年から1974年にかけてポールの実弟マイク・マクギアのアルバムや、ポールの愛妻リンダのヴォーカル曲(後にリンダの追悼アルバム「ワイド・プレイリー」で発表)のレコーディング・セッションにジミーが参加したことでした。この時ようやく20歳となったばかりのジミーのギターさばきに深い感銘を受けたポールはすっかりジミーにほれ込んでしまい、早速ウイングスに加入するよう誘いをかけました。実は当時のウイングスは名盤「バンド・オン・ザ・ラン」を発表したものの、リード・ギタリストとドラマーが不在の不完全バンドの状態で、アルバム大ヒットの勢いでライヴ活動を再開させたかったポールにとってジミーは新しいリード・ギタリストとしてうってつけの存在だったのです。ジミーはこの申し出を快諾、1974年4月に晴れて新生ウイングスのメンバーとなりました(ドラマーにはジェフ・ブリトンを迎える)。歴代メンバーでは最年少の加入となったジミーの存在は、ウイングスの方向性を大きく変えることとなります。ロック畑での長年のキャリアで蓄積してきたワイルドでハードなギター・プレイは、若さゆえの勢いと迫力が生き生きと満ち溢れていました。これは、ジェフの代わりにドラマーとなったジョー・イングリッシュの存在と共に、ウイングス・サウンドがそれまで以上にロック色を強調する後押しとなりました。その成果が、「ヴィーナス・アンド・マース」(1975年)や「スピード・オブ・サウンド」(1976年)といったアルバムに如実に表れています。もちろん、スタジオ・セッションのみならずコンサートでも大活躍。英国・オーストラリア・ヨーロッパそして米国を回った一連のワールド・ツアーではその力量を最大限発揮しました。1976年の全米ツアーでウイングスが人気の最高潮に達したのは有名な話ですが、その成功にジミーが大きく貢献したのは誰も否定できないでしょう。ジミーがステージで繰り広げた名演の数々は、今でも多くのウイングス・ファンに愛され続ける「伝説」となっています。
しかし、ジミーのウイングスでの快進撃は、残念なことに長くは続きませんでした。しばしの休息を経て始まった次作アルバム「ロンドン・タウン」のレコーディングにまい進していた1977年9月8日、ジミーは突如としてウイングスからの脱退を宣言したのです。その理由として「もっとパワフルな演奏をしたかった」とコメントしていたジミーですが、その内実は、かねてからアルコールとドラッグを好んで服用していたジミーがセッション中にたびたび問題を起こしたため、ポールが泣く泣く解雇したのが原因・・・とも伝えられています。ハンサムなリード・ギタリストの意外な側面が垣間見える瞬間ですね(汗)。「メンバーのソロ活動は大歓迎」をモットーとしていたウイングス在籍中にはホワイト・ラインというバンドを結成(1977年、すぐに解散)していたジミーは、再びバンドを転々とする生活に戻ってゆきました。ウイングス脱退直後には再結成されたスモール・フェイシズにも数ヶ月加入していましたが、結局の所どのバンドにも長くとどまることはなく、1978年〜1979年に活動したザ・デュークスがジミーが姿を見せた最後のバンドとなりました(最後の曲は1979年の『Heartbreaker』)。
・・・というのも、ジミーは1979年9月27日にドラッグ過多による心不全でこの世を去ってしまったからです。ウイングス脱退の原因とも言われた、アルコールとドラッグに入り浸った生活が、こともあろうかジミーの人生を短く終えてしまったのでした。享年26歳。30にも手が届かない、あまりにも若すぎる死でした。これには、当時再三生まれ変わったウイングスを率いていたポールも大きなショックを受けたことでしょう。それはジミーの演奏を愛するファンにとっても同じで、「もしジミーが生きていたら・・・」と早世を惜しむ声は絶えることがありません。そしてあれから30年経った今なお、ウイングスやその他のバンドでの活躍を通じて新たなファンを増やし続けているロック・ギタリストのスターとなっています。
と、ジミーの生涯を振り返ってみました。数々のバンドを行き来しつつも、そのいずれもで確かな業績を残し、若いながら実力は折り紙つきという、ロック史上稀に見る天才であったことがよく分かりますよね。それゆえに、今彼のギターさばきを堪能できないのが非常に残念ですね・・・。さて、そんなジミーはウイングス在籍中に自作曲を2曲発表しています。それが、「ヴィーナス・アンド・マース」に収録された『Medicine Jar』と、「スピード・オブ・サウンド」に収録された、今回ご紹介する『Wino Junko』です。リード・ヴォーカルは共にジミー本人が取っています。そして、元はと言えばこの2曲、ウイングス加入前に在籍していたストーン・ザ・クロウズ時代に既に書いていたものでした。さらに、どちらもストーン・ザ・クロウズ時代の盟友であったコリン・アレンとの共作でした。コリンは、ストーン・ザ・クロウズではドラムスを担当しており、他にもミック・テイラーやフォーカス、ボブ・ディランやロッド・スチュワートのセッションでもドラマーとして参加したベテランですが、1972年〜1973年当時はジミーとタッグを組んでいろいろ曲を書いていたそうです。ちなみにコリンは、デニー・レインがウイングス時代に発表したソロ・アルバム「アー・レイン!」(1973年)にも参加しているのが面白い話です(デニーはさらに、1985年に元ストーン・ザ・クロウズのマギー・ベルをゲスト・ヴォーカルに迎えた『Street』という曲を発表している)。『Medicine Jar』『Wino Junko』は、当初はウイングスでは取り上げるつもりがなかったそうですが、セッション中に2曲を演奏していたジミーを見てポールが「それいいね!」と感動、正式にレコーディングする運びとなったらしいです。演奏のみならず、作曲面でもジミーにほれ込んでいたポールらしいエピソードですね!
『Wino Junko』が収録されたアルバム「スピード・オブ・サウンド」は、よく知られるようにポールがウイングスのワールド・ツアーのハイライトと見込んでいた全米ツアーの成功をもくろんで急遽制作した1枚です。英国やオーストラリアを巡って日々コンサートを重ねる中で新曲を書き溜め、ツアー中で多忙だったため1976年初頭にロンドンのアビー・ロード・スタジオで手軽にささっと録音してしまいました。そして全米ツアーの直前、1976年3月に堂々と発売されるわけですが、シングルヒット『Silly Love Songs』『Let 'Em In』の大健闘や、収録曲4曲を全米ツアーのセットリストに追加したこともあり、全英2位・全米1位の大ヒットを記録するに至りました。アルバムの成功で弾みをつけた全米ツアーはもちろん大成功、ツアーが進み高評価を得るにつれアルバムもますます売れ続けるという相乗効果を生みました。そんなアルバムでポールが打ち出したのが、「ウイングス民主主義制」でした。結成当初から、ウイングスを「ポールとそのバックバンド」ではなく、「メンバー全員が主役のバンド」として見てもらうべく、自分以外のメンバーにスポットを浴びせる機会をたびたび設けていたポールでしたが、「スピード・オブ・サウンド」ではそこからもう一歩進めて、当時のメンバー5人全員のヴォーカル曲を収録したのです。つまり、ついに全員が主役となりえる機会をアルバムで作り出したのです。デニーの歌う『Time To Hide』『The Note You Never Wrote』(前者はデニーの自作曲)、リンダの歌う『Cook Of The House』、ジョーの歌う『Must Do Something About It』。そしてジミーが書き歌う『Wino Junko』が収録されたのも、そうした政策の一環でした。収録曲11曲中ポールが歌う曲は6曲のみという構成には、何かとポールばかりにしか注目せず、さらには「ビートルズ再結成」の噂を撒き散らしビートルズの「幻影」を付きまとわせた世論に対するポールの奮闘ぶりがよく伝わってきます。しかし、今ではそんなポールの思いとは裏腹に、「ポールのヴォーカルをたっぷり聴くことのできない、お楽しみ半分のアルバム」として低評価されてしまっているのは、皮肉的な所ですね(汗)。
ジミー・マッカロク(中)とポール(右)、リンダ(左)。
それでは、「スピード・オブ・サウンド」でジミーが主役となった『Wino Junko』について、いよいよ詳しく語ってゆきましょう。まず、この曲について触れる際に一番キーになるのが、ずばり詞作です。歌詞も、ジミーとコリンが共同で書いたものですが、これが実に意味深なのです。タイトル「Wino Junko」は、邦題(!?)では「ワイノ・ジュンコ」となっており、「順子さん?どこの日本人?」といった思いに駆られてしまいます(笑)。[それを元に「この歌は、ジュンコという日本人女性について歌ったもので、ずばり“ワイの順子(my Junko)”である」といった説も流布しているようです・・・。]が、実際の意味は「Wine Junky(酒飲み野郎)」のもじりであり、発音も「ワイノ・ジャンコ」です。さて、酒飲み野郎ときて真っ先に思い浮かぶのは、何を隠そう曲を書いたジミー本人であります。というのはもちろん、先述したようにジミーはアルコールを多用する性格があったからです。ジミーのプライベートがそのまま出たような、「らしい」タイトルですね。しかし、この曲はそれだけで終わりません。恐ろしいことに、この曲で歌われている内容には、アルコールはもちろん・・・ドラッグも含まれているのです!つまり、この曲はドラッグ・ソングなのです!ポールを中心にポジティブでクリーンな印象があるウイングスらしからぬ側面に、皆さんはきっと驚きを隠せないことでしょう。
歌詞を読んでみると、“pill freak(錠剤中毒)”という一語が出てくるように、酒飲み野郎の他にドラッグ中毒者のことをも歌っていることが分かります。最初から最後まで歌詞で表現されているのは、アルコールやドラッグのもたらす効果や感情。それらが実に生々しく描かれています。今まで普通だった人間が、危険なものに手を染めることによって徐々に人格が壊れてゆくさまが克明に歌われます。「火をもてあそび、ハイになってゆく」「僕は回転して、苦笑いする」など、興奮状態に陥って狂ってしまった酒飲み野郎・ドラッグ中毒者の姿は刺激的であると共に衝撃的であります。そして、節の最後に必ず登場する「また気分が沈んでゆく(go down again)」が示すように、ハイになった後は鬱状態に返ってゆく・・・という所が彼らの悲しい現状を示しているかのようですね。これらはやはり、アルコールやドラッグに浸る生活が多かったジミーの実体験が元になっているのでしょうか。そう思うと寒気がしますね。かっこいいパフォーマンスを見せてくれたジミーも、裏ではこんなにも人格が崩壊していたと考えると・・・。ポールが問題行動に見かねて解雇したというのも納得できてしまいます。さらに、こうしたドラッグの恐ろしさについて警鐘を鳴らす、というのならまだ分からなくはないですが、この曲の第4節を読むとぞっとします。「出血するまで服用する、だって僕には必要なもの」「死なんか怖くない、ただの興奮さ」と歌われているのですから・・・!ドラッグの存在を肯定しているのはもちろん、もはや末期症状的な展開すら見せています。驚きを越してあっけに取られてしまいますね(汗)。まして、これを書いて歌った当のジミーが、ドラッグ中毒によって実際に死んでしまったのですから・・・。末恐ろしすぎます。ジミーも、この曲を書いた時にはいずれ訪れるであろう死を予期していたのでしょうか・・・?
このように、酒飲み野郎とドラッグ中毒者を歌っていて、聴くたびにジミーの死因を否応なく思い起こさせてしまうのですが、実はジミーがウイングス時代に残したもう1つの自作曲『Medicine Jar』も、タイトルから推測できるようにドラッグ・ソングなのが興味深いです。結果的に、ウイングスでのジミー・ナンバーは全部ドラッグ・ソングということとなり、他メンバーの曲と比べても極めて特徴的となっています(苦笑)。『Medicine Jar』の方は、「薬びんに手を突っ込んでいちゃだめだよ」と薬物中毒者をいさめるような内容だったのがまだ救いでしたが、こちらはドラッグ肯定派に回ってしまっています・・・。
共にドラッグ・ソングだった『Medicine Jar』とこの曲ですが、一方で曲調や作風は2曲間で異なります。どちらもジミーが数々のロックバンドに在籍していた経験を生かして、自分が得意とするロックナンバーに仕上がってはいるのですが、印象はかなり違います。『Medicine Jar』はシャッフル調のリズムを激しくしたかのようなアグレッシブなハード・ロックですが、この『Wino Junko』の方はブルース・ロック風に仕上がっています。ちょっと渋めでマイナーな雰囲気は、ブルース・バンドであるストーン・ザ・クロウズの元メンバーゆえでしょうか?ブルースといっても重々しくはなっておらず、結構聴きやすさはあります。メロディがシンプルで、ポールほどではないもののキャッチーという点も影響しているかもしれません。ミドル・テンポでどこかけだるい感じが『Medicine Jar』とは趣が違い、そちらで聴き慣れていると新鮮です。
演奏は、当時の絶頂期ウイングスの充実ぶりを示したかのように基本的にはストレートなバンドサウンドで構成されていますが、その上に幻想的なアレンジが施されている点が同時期の他の曲にはない特色です。まるで、歌詞に登場するドラッグ中毒を表現したかのように。その根幹を担うのが、ベルやクリスタルのような金属質の音をしたキーボード(グロッケンかも?)です。イントロからその音が入っていて、夢うつつの世界にいざなってくれます。中盤のリズムチェンジの部分でもたっぷりフィーチャーされています。曲のイメージを決めてしまうほどに重要かつインパクトたっぷりのサウンドです。この音のせいで、どこか'60年代後半に隆盛を極めたサイケデリック色も出ているのが面白いですね。ジミーが在籍していたワン・イン・ア・ミリオンやサンダークラップ・ニューマンはサイケデリック・ポップを得意としたバンドだったそうなので、その頃学んだ知恵が応用されているのかもしれません。全米ツアーを意識して、アメリカン・テイストがあふれる曲を多く輩出した「スピード・オブ・サウンド」でも異色の存在です。
その他の楽器は、ポールがベースとキーボード、リンダがキーボード、デニーがアコースティック・ギター、ジミーがエレキ・ギター、ジョーがドラムスというウイングスに典型的なラインアップです。ちょっと聞こえにくいですが、ポールが弾くエレピ(ローズ・ピアノ)が意外と曲を引っ張っていて結構重要な存在です。そして、デニーのアコギも同じく地味ながら重要です。ブルース・ロックにアコギというのもやはり意外な気がしますが。アコギを弾くデニーは実に絵になりますね(笑)。ポールによるベースラインはシンプルながらツボをついていて、他人のヴォーカル曲でベースを張り切るポールらしいです。ジョーのドラミングは、いつものダイナミックさはあまり見られませんが、堅実にバンドを支えてゆきます。そしてもちろん、この曲の主役であるジミー自らによるギター・ソロもしっかりフィーチャーしています。ディストーションとはまた違う、独特の味があるゆがんだ音色は「これぞジミー!」というもの。『Beware My Love』『The Note You Never Wrote』などでも聴かれるこの時期のウイングス特有のサウンドです。間奏のギター・ソロが印象に残りますが、このソロが後の1983年にポールとマイケル・ジャクソンが共演した『The Man』のギター・ソロに酷似しているのは気のせいでしょうか?(苦笑)もしかしたら、ポールはジミーのギター・サウンドを自然と会得していったのかもしれませんね。さて、前半〜中盤はジミーのギター・ソロを除いてはほぼ淡々とした表情のまま進んでゆく曲ですが(その辺がまた幻想的っぽい)、後半になって意外な展開を迎えます。なんと急にテンポアップして、シャキッとした雰囲気になるのです!また、この部分の主役楽器は一転してアコギになります。澄んだ音色によって研ぎ澄まされるフレーズは、これまでもやっとした感じだった中で登場するのですごく新鮮に響きます。また、淡々としていたドラミングもフィルインを交えた激しいものに変わりアップテンポに拍車をかけます。ジョーの本領発揮といった所ですね。ジミーも負けじと渾身のギター・ソロをバックで披露し続けます(またもやあの「これぞジミー!」サウンド)。ここでようやく、迫力のロック・ショーを世界中で繰り広げた絶頂期ウイングスのロック・サウンドが解禁されたといった感じでしょうか?そして、エンディングは力強くしっかりきめて、次の「一大ヒット曲」へとつながる・・・というわけです(アナログ盤ではA面→B面の交換作業がありますが)。
秀逸なギター・ソロと共にジミーが披露しているのが、もちろんヴォーカル。ジミーのリード・ヴォーカル曲といえば、ウイングスでは『Medicine Jar』とこの曲でしかお目にかかることができませんが、曲調に続いてこちらも2曲間ではかなり違うスタイルであり、思わず「歌っている人同じなの?」と疑ってしまうほどです(苦笑)。『Medicine Jar』では、映画「ロック・ショー」などでおなじみのように野太くて力のこもった歌いっぷりですが、この曲では打って変わって静かに、そして丁寧に歌われています。ワイルドなギターさばきの印象でどうしてもワイルドな歌い方を想像してしまうジミーですが、実はこんなやさしい歌い方もできるわけです。よく言えば耳障りのよい、悪く言えば印象に残らない(汗)声です。微妙にハスキーがかっていて、けだるさが出たような感じなのが、幻想的なドラッグ・ソングのイメージにはぴったりです。内容ゆえに、やろうと思えばもっと過激にもできたのかもしれませんが、そうならない辺りがいい感じに曲調にはまっていると思います。実は歌詞は高頻度でリズミカルに韻を踏んでいるので、聴いていると韻が結構癖になります。後半〜終盤のタイトルコール“Wino Junko,Wino Junko”の繰り返しも発音とあいまって面白く響きます。そして興味深いのが、リズムチェンジする中盤の“Till you go down again〜”という箇所でヴォコーダーを使用している点でしょう。ヴォコーダーとは、シンセサイザーの一種の電子楽器で、録音した声の質を変えて楽器音にすることができるものです。機械的な声を生み出すことができることで注目され、日本ではYMOが好んで使用していたそうです。ポールも後に『Be What You See(link)』(1982年)のヴォーカルにヴォコーダーを使用していますが、ウイングスを含めてポールの音楽史ではこの曲が初めてのことでした。ポールの新し物好きの成果とも言える実験的な導入ですが、これがまた幻想的な雰囲気を強調するにはぴったりなのです。ジミーのヴォーカルを追っかけるように、“Till you go down〜”“again〜”と歌っていますが、やけに低音で、やけにメカニカルな声です。ちょっとコミカルさがあるものの、ドラッグ過剰摂取で昏睡状態に陥り、幻聴を体験する・・・という情景を想起させます。ちなみに、ヴォコーダーで歌う声の主はポール、らしいです。ジミーが自らやればよかったのに・・・。
さて、早くも語ることが尽きてきましたが(汗)、アウトテイクについて触れておきます。この曲含め、アルバム「スピード・オブ・サウンド」セッションのアウトテイクは長年発見されず、ブートでも聴くことができず、「短い期間で録音されたので、存在しないのではないか?」と言われ続けていました。ところが、2010年になってこの常識が覆される事件が起きます。なんと、ウイングスのローディーをしていたトレバー・ジョーンズのコレクションであった未発表音源が流出し、その中で「スピード・オブ・サウンド」セッションでの数々のアウトテイクがついに陽の目を浴びたのです!この中にはポールが歌う(!)『Must Do Something About It』や、『Silly Love Songs』のベーシック・トラック、『Beware My Love』の別テイクなどがあり、ファンなら驚愕に値する初登場音源が目白押しなのですが、そんな中でこの曲のアウトテイクもようやく発見されました。めでたくブート化され、「Wings At The Speed Of Sound Sessions」などで聴くことができます。この曲のアウトテイクはレコーディング初期段階の別テイクと言われていますが、基本的には公式テイクと同じ演奏&アレンジで他のアウトテイクに比べると衝撃度は劣ります(汗)。しかし、随所で違いがありやはり新鮮感を覚えざるを得ません。まず、イントロには公式テイクにはないカウントがついています。それから、ジミーのヴォーカルは公式テイクとは全く違う別ヴァージョンです。大きな違いがないので分かりづらいですが、よく聴けば歌い回しの違いなどが分かるはずです。どちらかと言うと、アウトテイクの方がはきはきと歌っている感があります。中盤の“Till you go down again〜”の部分では、まだコーラスがなくジミーの声が生々しく響きます。2度目の“Till you go down again〜”の後の“Wino Junko,Wino Junko”の始まるタイミングも異なります。あとは取り立てて異なる箇所はないのですが、ミックス違いのため各楽器がいろいろ新鮮に聞こえます。「スピード・オブ・サウンド」収録曲のアウトテイクというだけでも待望の音源ですので、マニアならぜひブートで入手して聴いてみてください(笑)。
こんな所で一通りこの曲の魅力を語れましたでしょうか。ジミー・ナンバーでは一般的には『Medicine Jar』の方が有名で人気ですが、個人的にはこっちの方がお気に入りです(苦笑)。マニアックですけどね。最初タイトルを見た時は、「ポールが日本人について歌った!?」と驚いてしまいましたが(当時はジミーの「ジ」の字も知らず・・・)、まさかその正体はドラッグ・ソングだったとは・・・。邦題で大きな勘違いをしてしまいました(笑)。この時期のウイングスらしからぬ幻想的で力が抜けた具合が面白いなぁと思います。メロディも結構キャッチーで印象に残るし。ヴォコーダーのアレンジも楽しいし。ジミーの死が心の隅に引っかかって、どうしても素直に「面白い!」とは言えないんですけどね(汗)。まぁ、その点は『Medicine Jar』もお互い様ですけど。『Medicine Jar』とは違い、こちらはライヴ演奏されませんでしたが(恐らくアレンジと、末恐ろしい歌詞のせいでしょう)ライヴ・ヴァージョンも聴いてみたかったですね。ジミーが早世したから余計そう思います・・・。ジミー亡き今、この曲をライヴで歌う姿を見ることは不可能というのが残念でなりません。演奏面でもヴォーカル面でも、そしてルックス面でも(苦笑)十分人気と貫禄のある人だったのに・・・。『Medicine Jar』よりは一般受けしにくく、アルバムがアルバムゆえに(汗)目立たない存在の曲ですが、ジミーらしさたっぷりですので、ジミーのファンはもちろんウイングス・ファン、ポール・ファン皆さんに聴いて頂きたいですね。忠告しておきますが、お気に入りになったからといって歌詞の世界は絶対真似しないように(汗)。
さて、次回の番外編はいつになるのか・・・?2連続でジミーが来るか?(←あと1曲しかないけど・・・)それともデニーに戻ってゆくのか?それともリンダさんかジョーかカヴァー曲か?その日をお楽しみに!
同時紹介の「Jooju Boobu」第89回『However Absurd』も合わせてどうぞ。
(2010.5.22 加筆修正)
アルバム「スピード・オブ・サウンド」。メンバー全員がヴォーカルを取り、バンド色を濃くしたウイングス絶頂期のアルバム。ジミーもこの曲で主役になっています。