Jooju Boobu 第79回
(2005.12.09更新)
Dear Friend(1971年)
昨日更新するとか言いながらまた更新をしませんでした(汗)。もう最近は変な時間に寝てしまうことが多くて・・・。一日遅れの更新となりました。いつもご愛読頂いている皆様、申し訳ございません。昨日はくしくもジョン・レノンの25回忌でしたね。今日も、NHKの夜7時と9時のニュースで「レノン、永遠に・・・」との見出しでちらりと出ていましたが、案の定BGMに『Imagine』が流れていました。しかも“Imagine all the people〜”の箇所だけ・・・。うわべでしかジョンを知らない人たちにとっては、今もなお彼は「愛と平和の人」なのでしょうね・・・(苦笑)。「愛と平和の人」だけではない、ジョンの素顔をもっと知って頂きたいものです。
さて、今回紹介する曲は別に意図していたわけではないのに、そのジョン・レノンにかかわりのある曲です。とはいえ、ジョンはポールのソロ及びウイングスの楽曲に一度もゲスト参加していないので、演奏面・ヴォーカル面での直接的な関係はありません。ですが、前回の『Let Me Roll It』のようにジョンを意識した詞作が特徴的な曲であります。と来れば、大体あの時代の曲だとお分かりかと思います。今回は、いわゆる「レノン=マッカートニー戦争」に終止符を打ったポールの曲『Dear Friend』を語ります。この曲は、1971年12月発売のウイングスのデビュー・アルバム「ウイングス・ワイルド・ライフ」の実質的なラスト・ナンバーとして発表されましたが、そこではポールとリンダの共同名義の前作「ラム」を引き継いだポールの内心をうかがわせる詞作が垣間見れます。それがどのようにジョンに関わりあるのか、そしてジョンに対するどんなメッセージなのか?ウイングスナンバーでは珍しくパーソナルな一面を持つこの曲を、今回は主に詞作を中心に語ってゆきます。
「ビートルズ解散」。それは多くのファンを悲しませた一大事件でした。しかし同時に、ポール・マッカートニーという男にとってはつらい日々の始まりでもあったのです。元々、'60年代後半から迷走と諍いを繰り返してきたビートルズを早くから脱退したがっていたのは、ジョンでした。それは後に伴侶となる恋人オノ・ヨーコへの傾倒が大きな理由でもあり、グループでの活動に関心を失っていたことも一因でした。1969年には、ビートルズの会社・アップルの会議中に、他メンバーの前で「俺はビートルズをやめたいと思っている」と発言するに至ります。しかし、この時の発言はポールの説得によって公には出ませんでした。一方、ポールはビートルズとしてのまとまりを欠いてきていたメンバーの中で一番ビートルズに愛着を持ち、バンドの建て直しに奔走していました。ライヴ活動再開を目指すべく「ゲット・バック・セッション」を企画したのも、他でもないポールでした。そこに、先のジョンの「ビートルズをやめたい」という発言。ジョンの心変わりにポールは大きなショックを受けます。メンバーが相次いで一時脱退する騒ぎも経験し、険悪なセッションも続いた後に訪れたとどめの一言に、ポールは「ビートルズはもう終わりだ」と諦めをつけました。ついにポールも、メンバー4人中一番出遅れてソロ活動を開始します。誰の手も借りず行われたレコーディングから、翌1970年に発売されるソロ・デビュー作「マッカートニー」が生まれたのです。そしてそのアルバムの宣伝用にポールが作った自問自答のインタビュー。ビートルズの新作やジョンとのパートナーシップをことごとく否定する内容は、明らかにポールの「ビートルズ脱退宣言」と取れるものでした。こうして、ビートルズの崩壊は公のものとなり、ビートルズは解散したのでした。このように、元々ジョンの心離れが原因で始まったはずが、実質的にビートルズを“解散させた”のはポールとなってしまいました。ポールにとって「脱退宣言」は苦渋の決断だったわけですが、以来ポールは「ビートルズを解散させた男」として世間から冷たい視線を浴びせられることとなります・・・。しかし、その衝撃はファンやリスナーよりも、ビートルズのメンバーに深い傷跡を残しました。
当然ながら、これに激怒したのがジョンです。なぜなら、既に脱退の意思を固めていて、ヨーコとソロ活動を開始していたその身で「脱退宣言」をしたかったのですから。まして、ジョンはビートルズの創始者であり、リーダーでした。自らのグループを自らの手で終わらせたいと思うのは無理もありません。それを、よりによって昔からのライヴァルであり、ビートルズにしつこく固執し続けたポールにその役目を取られてしまったのですから・・・。ジョンは精神療法(プライマル・スクリーム)を受けなければならないほどのショックを受け、落ち込みました。そして、絶望の淵から立ち直ると、今度は一転してポールに敵意をむき出しにするようになります・・・。また、「脱退宣言」は元よりポールにあまりよい感情を抱いていなかったジョージ・ハリスンをも怒らせる始末となり(ジョージは「少しの間活動休止して、それから再始動することもできたのに!」と腹を立てたそうです)、ここに「ジョン&ジョージVSポール」という対立構図が浮き彫りとなったのでした。もう1人のメンバー、リンゴ・スターはどっちつかずといった感じで飄々としていましたが(笑)。
さて、1970年12月にポールがビートルズの法的な解散を求めて他メンバーを訴えたことをきっかけに、当初は裁判の場で争っていたジョンとポール。しかし、それを前後して、2人は争いの舞台を自らの「歌」に変えてゆきます。そう、それぞれが発表するアルバムに、お互いに対する「非難」を添えたのです。先制攻撃はジョンでした。ビートルズ解散後初のソロ・アルバム「ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)」(1970年12月)の収録曲『I Found Out(悟り)』で、「俺はキリストやポールといった宗教も見てきた」と、名指しでポールを非難したのです。さらに『God(神)』では「ビートルズなんて信じない」とまで歌っています。続いて、これに怒ったポールが反論を開始します。愛妻リンダとの共同名義で発売したセカンド・アルバム「ラム」(1971年5月)でのことでした。このアルバムでは、「君がそのチャンスをぶち壊したんだ」(『Too Many People』)、「友達だと思っていたのにお前は僕を裏切った」(『3 Legs』)、「お前のハートなんか誰かにくれちまえ」(『Ram On』)など、ジョンに当てたと思わせる詞作が何度も登場します。『I Found Out』に対しては『Dear Boy』で「何を見つけたのさ?」とまで反論しています(ただし、これに関しては近年ポールから異論が出ている)。
そして、この「ラム」に込められたさりげないポールの反論を読み取ったジョンが、大きな一打をポールに食らわせる事件が起きます。それが、「ラム」に遅れること4ヶ月後に発売されたジョンのセカンド・アルバム「イマジン」(1971年9月)に収録された『How Do You Sleep?(眠れるかい?)』です。この曲でジョンは、あからさまな「ポール批判」を繰り広げます。例えば・・・、「サージェント・ペパーは驚きもんだったろう」「お前が死んだと騒いだ奴らは正しかったようだな(=ポール死亡説への皮肉)」「お前が作った傑作は『Yesterday』だけさ。そして今となっては『Another Day』」「お前の作る音楽は陳腐なBGMにしか聴こえない」といった風に。ビートルズ・ファンが聴いたら嘆き悲しみそうな、痛烈にもほどがある露骨に手厳しい内容でした。さらに、「イマジン」の付録写真ではジョンが豚の耳をつかまえるという、「ラム」のジャケットの痛烈なパロディまで仕込む入念さ。ジョージまでもが『How Do You Sleep?』で怒りのスライド・ギターを披露しており、さすがのポールもこれには大打撃を受けたはずです。
そして・・・、泥仕合となった「レノン=マッカートニー戦争」が激化した1971年の終わりに発表されたのが、ポールが新たに結成したグループ、ウイングスのデビュー・アルバム「ウイングス・ワイルド・ライフ」でした。愛妻リンダと共にステージに立ちたかったポールが、新たな仲間とバンドを組んで再出発を決め、その勢いでたった3日間でレコーディングを済ませてしまったという「ウイングス・ワイルド・ライフ」ですが、その中にアルバムの最後を飾った曲がありました。そう、それこそ今回紹介する『Dear Friend』です。そしてこの曲こそ、「レノン=マッカートニー戦争」にポールが白旗を振った1曲でした。
それでは、気になるこの曲の歌詞を見てみましょう。この曲に登場する歌詞は、たった8行と非常に短いものです。前回の『Let Me Roll It』よりも簡潔です。曲はその歌詞を何度も繰り返すだけなのですが、その内容を見てみると、これまで見た歌詞のようにジョンに対するポールの思いが込められているように取れます。この曲は、タイトルのように“Friend”つまり「友達」に対して歌ったもので、一見すると普通のラヴ・ソングのようにも見えますが、実はその「友達」がジョンだというのです。つまり、ポールが仲のよかったジョンに向けて呼びかけた歌詞ということなのです。では、この曲でポールはジョンにどんな思いをつづったのでしょうか?
それは、「潮時なの?これで本当に終わりなの?(What's the time?Is this really the border line?)」という出だしのフレーズで分かります。このくだりには、「ラム」で見られたような攻撃的な色合いは全く見られません。ジョンからのメッセージへの反論・非難も読み取ることができません。代わりに読み取れるのは・・・、諦めの気持ちです。「これで本当に終わりなの?」という一節からは、ジョンと険悪な関係になってしまったことにポールが悲しんでいる姿を思わせます。散々お互いのアルバムで言い争いを繰り広げた末に、昔のパートナーシップが取り返しのつかない所まで崩壊してしまったことに気づいたかのように、ここでのポールは失われてしまった仲の終焉を心にかみ締めながら、これまでジョンに向けていた矛を収めているのです。すっかり落ち込んで諦め気分になっていることが、短い歌詞からむなしく伝わってきます。その一方で、「素敵な友達と恋に落ちたんだ(I'm in love with a friend of mine)」という一節も登場します。こちらは結成したてのバンド、ウイングスを含めてポールには公私共々欠かせないパートナーとなるリンダのことを歌ったと思わせます。終わってしまった関係と、新たに築かれた関係。この曲でポールは、昔の「友達」であるジョンとの争いをやめ、新たな「友達」であるリンダと共に前進してゆく・・・、そんな人生の転換点を歌ったのです。
ポールは、この曲に関して当時「ジョンへのアンサー・ソングとして作ったんじゃない」と否定しましたが(後年一転して肯定する発言もしていますが・・・)、直接何に触発されたかはともかく、ジョンを意識したものであることは確かでしょう。そして、この時のポールは既に、「ジョンとこのまま争いを続けるより、和解したい・・・」と願っていたことが、この曲の歌詞で分かります。「ラム」を作った頃は、ジョンの先制攻撃に腹を立ててジョンをなじる歌詞をたくさん書きましたが、「本当にそれでよいのだろうか?」という自責の念が徐々にポールの胸の内で沸いてきたのです。どんなに悪口を言われても、やはりポールにとってジョンは「ディア・フレンド」だったのです。ポールにとっては、ジョンを責めることはとても苦痛であり、それを何年もずっと続けることはできなかったのです。こうして、ポールがこの曲で諦めの気持ちを告白したことにより、それ以降ジョンもポールも、自らの楽曲を通じてお互いを非難することはなくなります。わずか1年ちょっとの間にめまぐるしく展開した激しい言葉の応酬は、この曲で終結したのでした。
アルバムの発表された順番から考えて、この曲はジョンの『How Do You Sleep?』におけるポールへの痛烈な悪口に対してのアンサー・ソングだとされていますが、実はこれは誤りです。というのも、まず「ウイングス・ワイルド・ライフ」のレコーディング・セッション(例の3日間で済ませた、あれ)は、「イマジン」が発表される前の1971年8月に済まされていたからです。さらに、これはあまり知られない事実なのでちょっと驚きですが、実はこの『Dear Friend』、「ウイングス・ワイルド・ライフ」セッション以前に既に録音済みだったのです!それでは、一体いつ録音されたのかと言えば、なんと!前作「ラム」のレコーディング・セッション(1970年12月〜1971年4月)だというのです!つまり、この曲はウイングスで録音したものではなかったわけです!意外でしたか?(苦笑)これは、「ラム」セッションでドラムスを担当し、その後ウイングスの初代ドラマーとなるデニー・シーウェルが証言しています。「ラム」「ウイングス・ワイルド・ライフ」2つのセッションに両方参加したシーウェルが言うことですから、間違いはないでしょう。その「ラム」セッションの終盤、1971年4月頃の録音と言われています。当然、この当時は『How Do You Sleep?』は発表されていませんし、その引き金となった「ラム」も世に出ていません。これで、この曲が『How Do You Sleep?』に触発されて書かれた、という説が間違いであることが分かります。ということは、ポールは『How Do You Sleep?』を聴いてショックを受けて和解の道を目指したのではなく、既に「ラム」の頃から仲直りできないか模索していたのでは・・・?と考えられます。で、結局『How Do You Sleep?』が世に出て「もう終わりだ」と悟ったポールが、ウイングスのデビュー・アルバムに以前録音したこの曲を忍ばせ、諦めの気持ちをジョンに伝えた・・・という流れではないかと思います。いずれにせよ、結局ポールはジョンを深く憎んではいなかったのです。「ラム」で攻撃的な姿勢を見せても、心の中ではいつもジョンのことを思い続けていたのでした。ジョンはポールに対してかなり憎悪を抱いていたようですが、ポールはジョンほど根深くはなかったのです。
と、ここまで「レノン=マッカートニー戦争」に終止符を打ったこの曲の歌詞についてじっくり味わってみました。それでは、肝心の曲の方はどうなのでしょうか?ここからは、曲そのものについて見てゆきたいと思います。
この曲は、ポールらしい美しいメロディを持ったバラードです。バラードと言えばポールの得意分野であることは言うまでもないでしょう。先ほど歌詞がシンプルだと触れましたが、メロディもとっても簡潔なもので、それゆえにストレートに胸に響いてきます。また、1つのメロのみで成り立っており、単純にそれを繰り返すだけ・・・という点も、この曲のシンプルさを際立たせています。しかし、この曲はポールがいつも書くバラードにはあまり感じられない独特の雰囲気があります。それが、「重々しさ」です。ジョンに対しての諦観を歌った曲だからか、この曲は終始沈鬱とした、暗く重厚な空気で統一されています。いつもはポジティブ節を満開にして明るくやさしい気分になれるバラードを紡ぎ出すポールですが、さすがにこの曲においては気分がそうさせなかったのでしょう。ポールの感情がそのまま表れたかのような悲壮感漂う仕上がりです。その一因となるのが、マイナー・コード中心で進行している点でしょう。物寂しげで影を持ったメロディになっているのは、そのおかげです。メジャー・キーを主流に曲を書くポールにとっては珍しいと言えるでしょう。また、メロを繰り返すという構成も、この曲では何度も何度もしつこく繰り返しているため、全体の演奏時間は5分半と非常に長くなっています。1つのパターンをくどく繰り返すというのはポールの癖・・・というのは前回お話しましたが、この曲では曲を貫く重々しさゆえにずっしりした感じがするのは否めません。
そして、まさにポールのつらい心境を表現したかのような仕上がりになっているのが、演奏面です。この曲は、ポールが弾くピアノを中心としたいわゆる「ピアノ・バラード」のカテゴリに入るタイプのバラードです。ピアノ・バラードと言えば、『Let It Be』『The Long And Winding Road』『Warm And Beautiful』『Only Love Remains』と多くの名曲を残しているポールですが、ここでは低音を重視した弾き語りになっている点と、メロディがマイナー調である点から、それらとはまた違う重苦しい趣を与えています。テンポも非常にスローなので、余計その重さが染み出ています。前半は、ポールのピアノのみによる完全弾き語りで始まりますが、ブレイク部分に響き渡る低音が暗いです。ポールも落ち込めばここまで暗くなるのか・・・と思わせます(汗)。中盤からはそこに、シーウェルのたたくハイハットが入ります。静寂の中で研ぎ澄まされたように刻まれるその音は、ますます憂鬱にさせてゆきます。曲が進むにつれ、ハイハットのみならず、「ぶわ〜ん」というシンバルも入ってくるようになり、さらには荒々しいドラミングも聴かれるようになりますが、いずれも普段のポジティブさとは縁遠いものです。どこまでもピアノの重々しさを強調してゆきます。部分部分でパターンを変え、シンバルに強弱をつけている辺りが絶妙ですね。さすが初代ウイングスのドラマー。ベーシック・トラックは、このピアノとドラムスそしてわずかなベースのみで、ギターは収録されていません。ウイングスのメンバー、リンダとデニー・レインが参加していないのは、この曲が「ラム」セッションでの録音と考えれば納得ですね。なお、ベーシック・トラックはたった1テイクで完成したそうです。まぁ、ほとんどポールのピアノ弾き語りでできた曲ですから。
そんなどんよりした演奏を助長しているのが、オーケストラ・アレンジです。この曲では、オーケストラが大々的に挿入されています。即席バンドでラフに仕上げたアルバム「ウイングス・ワイルド・ライフ」にしては異例の凝ったアレンジですが、まぁそこは「ラム」セッションでの録音ですから(苦笑)。オーケストラは、ストリングス、ブラス・セクション、ハープそしてビブラホンと本格的な割り振りで、しつこく繰り返されるメロを効果的に彩っています。アレンジを変えつつ後半になるにつれ徐々に盛り上がってゆく構成が美しく感動的です。前半のほぼピアノ弾き語りの箇所には、ビブラホンが登場します。ブレイク部分の低音を補強していて、暗さがますます際立っています・・・。前半のオーケストラはビブラホンのみで、よってピアノ&ハイハットのシンプルさがよく出ています。2分半からは、今度はストリングスが入ってきます。ポールのオーケストラ入り作品でよく聴かれる流麗な演奏ですが、マイナー調ということでどこか不気味な雰囲気をも漂わせます。低音で弾く箇所は特にそう感じさせますね。後半からは、管楽器も入ってきて物悲しさを醸し出します。これまた場所によってアレンジが違い気が利いています。エンディング近くになるとブラス・セクションも大々的にフィーチャーされ音が分厚くなりますが、あくまでも渋めなテイストで明朗さは微塵もありません。最後は、再びピアノ弾き語りにビブラホンが重なって静かに締めくくります。こんな風に、文字通りの「重々しさ」を体現したアレンジのオーケストラです。ポールの弾くピアノだけ取っても重いのに、さらに重く重く聞かせます。それほど、ポールはジョンのことで滅入っていたのでしょうか・・・。しかし、単に重いだけでなく、美麗に、さらにしっかり効果的に聞かせているのが素晴らしいです。緻密に計算された演奏には思わず聞きほれてしまいそうですね。
そんなオーケストラ・アレンジを手がけたのは、リチャード・ヒューソン。実はこの人、あのビートルズのラスト・アルバム「レット・イット・ビー」(1970年)で『The Long And Winding Road』『I Me Mine』『Across The Universe』のオーケストラ・アレンジをしていました。ポールに相談もなく、当時のプロデューサーのフィル・スペクターが分厚く大仰なストリングスを加えた『The Long And Winding Road』のアレンジにポールが激怒したことは、今では語り草となっていますが、その問題作をアレンジした人物をポールがこの曲で起用しているのは面白い現象です。つまり、ポールは別にヒューソンのアレンジに恨みがあるわけではなく、自分のいない所で勝手にアレンジを決めたスペクターに怒りを覚えているというわけですね。ヒューソンの腕前をポールが評価していることは、その後も「ラム」のインスト・カヴァー・アルバム「スリリントン」(1977年)や、名バラード『My Love』(1973年)のオーケストラ・スコアにヒューソンを起用していることが証明しています。そして、ヒューソンはこの『Dear Friend』では間違いなく素晴らしいアレンジを施したのでした。ポールもきっと出来に満足したことでしょう。ポールの気持ちを見事に代弁したアレンジですから!
ポールのヴォーカルは、ジョンへの諦めに似た思いを歌っただけあって、せつなげに歌われます。そこがまた、この曲の物悲しさにはぴったりなんですよね。先述した短い歌詞を微妙にニュアンスを変えつつ繰り返し歌います。ファルセットに近い高音で若干か細く歌われている所に、ポールの疲れ果てた当時の心境が表現されているかのようです。この曲は5分半という演奏時間の中に間奏が何度も登場するのですが、そこでは時折スキャットを入れています。これもまた、「終わりなんだね・・・」という諦観が滲み出ています。あたかも感情が高ぶったあまり歌詞にならなくて、スキャットで歌っているかのようです(実際はそうじゃないかもしれませんが)。コーラスなどは全く入っていなく、終始ポールのシングル・ヴォーカルで淡々と歌われています。この点は、ピアノ弾き語りの色合いを濃くしていますね。
さて、この曲はデモ・テイクが発見されています。これを録音した時期というのがまた興味深いもので、なんと!1970年後半と言われているのです。ここまで来るともはや「『How Do You Sleep?』に触発されて書いた」説はますますありえないものとなってしまいます。同時に、ビートルズが解散して間もない頃から、既にポールはジョンとの和解も模索し始めていたのか・・・?と思わせます。だとしたら「ラム」での非難合戦は何だったのか・・・ということにもなりますが(汗)。いずれにせよ分かっているのは、このデモ・テイクはポールの自宅にてピアノ弾き語りしたものだということです(後にウイングスのライヴで取り上げられる未発表曲『1882』も演奏している)。ポールの曲作りの裏側を垣間見れる貴重なテープです。この曲のデモ・テイクは3種類発見されており、いずれもピアノ弾き語りという所や、ファルセット気味に歌う所などは、公式テイクそのまんまのアレンジです。歌詞も完成しています。後ろではリンダが電話していたり、子供たちがはしゃぎ回っていたりしており、いかにもホーム・レコーディングという印象です。オーケストラが入っていないので完成度は低いですが、ポールのピアノ弾き語りの魅力がたっぷり堪能できます。この貴重なテイクは、「Wild Life Sessions」など「ウイングス・ワイルド・ライフ」関連のブートで聴くことができます。
この曲の解説はまぁこんな所でしょう。すみません、もう語ることが尽きました(汗)。この曲は、いわゆる「レノン=マッカートニー戦争」を終わらせたと言える位置付けですが、ジョンはこの曲にポールからのメッセージを嗅ぎ取れたのでしょうか・・・。歌詞からは、ポールの「争いごとはやめようよ!」という悲痛な叫びが聞こえてきそうです。同時に、「もうだめかもしれない・・・」という諦めの溜息も聞こえてきそうです。そんな複雑な気持ちが、曲のメロディやアレンジによく表現されていると思います。だって、こんなに重々しい曲というのもポールでは珍しいことですから・・・。誰もが、この曲を聴けば沈鬱な、悲しい気分に陥ることでしょう。ポールの気持ちが痛く分かるはずです。この曲は、ポールの'70年代初頭当時の心境、特にジョンとの関係を知る上で大変重要な1曲と言えるでしょう。歌詞に加えてメロディもアレンジも美しく、ポールらしい感動的な仕上がりですので、ぜひ一度聴いてみてください。その寂しげな美しさを買われてか、ポールをよく知るリスナーの間では隠れファンの多いちょっとした名曲となっています。ベスト盤には収録されていませんしライヴでも演奏されていない、別段有名でもない曲ですが、お勧めです!公式テイクはもちろんですが、デモ・テイクもいい味出しています。
私個人的にも、「ウイングス・ワイルド・ライフ」では上位に入るほど好きな曲です。ピアノがメインで、そこにオーケストラが被さるという効果的で感動的なアレンジがお気に入りなのですが、特にブラス・セクションの渋めな音がツボにはまっています。これがどこか、日本の戦前〜戦後の歌謡曲のような雰囲気がするんですよね(苦笑)。ムード歌謡のちょっと前辺りの曲の雰囲気、です。もっと具体的に言えば個人的には、二葉あき子の『フランチェスカの鐘』(1949年)と『古き花園』(1939年)を足して2で割った感じがします(苦笑)。なぜ私がそんなに古臭い曲を知っているかは別として(笑)。後半に入るストリングスとブラス・セクションの渋さ、さらに全体に流れる重々しく悲壮感漂う雰囲気・・・ここら辺が似ているんですよね。というわけで、今回のイラストも二葉あき子さんです(笑)。なぜそんな人の名前を知っているかは、どうかツッコまないでくださいね(汗)。
さて、次回紹介する曲のヒントですが・・・「枯れた味わい」。お楽しみに!今度はちゃんと更新できるようにします(汗)。
(2010.1.05 加筆修正)
アルバム「ウイングス・ワイルド・ライフ」。ラフながらも隠れた名曲の多いウイングスのデビュー・アルバム。この曲や『Tomorrow』がお勧めです。