Jooju Boobu 第72回

(2005.11.14更新)

Wanderlust(1982年)

 今回も1日遅れの更新となってしまいました、ごめんなさい(汗)。今回は、ファンの間では大変定評の高い「あの曲」を取り上げたいと思います。その曲とは・・・、1982年発売のポールのソロ・アルバムにして、発売当時から今まで「名盤」と称されるアルバム「タッグ・オブ・ウォー」に収録された・・・、そう『Wanderlust』です。この曲は、シングル発売されていなく、世間一般的に知られている曲では決してないのですが、誰もが「名曲」の旗を振るであろう、素晴らしい要素がたくさん詰まった曲です。と同時に、「タッグ・オブ・ウォー」特有の、'80年代の開幕と共に趣を変えたポールの作風も感じることができる曲です。今回は、このポール史上屈指の美しいピアノ・バラードの魅力を余すことなく語ってゆきます。

 それでは、例によって紹介する曲ができた頃のポールの時代背景を振り返ってみます。今回はもちろんアルバム「タッグ・オブ・ウォー」ですね。「タッグ・オブ・ウォー」は、'80年代という新たな時代の節目を迎えたポールにとって、ひさしぶりにスタジオに入ってしっかり作り上げたアルバムであり、久々に発売された本格的なソロ・アルバムでもありました(1980年のソロ・アルバム「マッカートニーII」は自宅録音のお遊びデモが元になっているため、最初から発売を意図して制作されたアルバムではない)。'80年代初頭のポールはご存知の通り激動の人生を送っていました。1980年初頭のポールの日本での逮捕事件によるウイングスの活動停止、そしてその年末に起きたジョン・レノンの衝撃的な死。さらに、元々はウイングスの新作として用意していたこのアルバムを、ジョンの死を挟んでソロ・アルバムに切り替えて制作を再開していた矢先の、デニー・レインのウイングス脱退宣言(1981年4月)。こうした経緯を経て、ポールは盟友であるジョンを失い、さらには自身のグループであるウイングスを失い、すべてを失ってしまったかのような格好で再びソロ・アーティストとして歩み始めていったのでした。その鮮烈な再デビュー作として放たれたのが、紆余曲折の末に時間をじっくりかけて完成させた「タッグ・オブ・ウォー」というわけです。ジョンの死後、ウイングス解散後初のソロ・アルバムということはもちろん、ビートルズ時代の恩師であるジョージ・マーティンを久々にプロデューサーに迎えたことや、スティービー・ワンダーやリンゴ・スターといった豪華アーティストと共演したことも大きな話題となり、世界中で大ヒットを記録しました。社会問題や自らの人生観を歌った詞作や、円熟味を増した大人びた作風やヴォーカルなど、ポールの人間的な「成長」も大きな魅力としてリスナーを感動させ、数あるポールの諸作品の中でも特に「名盤」の誉れ高い会心作です。

 そんな「タッグ・オブ・ウォー」収録曲のうち、最も一般的に知られるのがスティービー・ワンダーとデュエットして一世を風靡した『Ebony And Ivory』であることは確かでしょう。そしてその次がスマッシュ・ヒットとなった『Take It Away』といった所でしょうが、この「タッグ・オブ・ウォー」がすごいのは、収録曲全曲が完成度の高い高品質の「名曲」と呼べる出来であることでしょう!シングルカットされてヒットした曲以外にも、たとえ広く知れ渡っていなくとも素晴らしい内容の曲がここではいっぱいひしめき合っているのです。いわゆる「捨て曲」に該当する詰めの甘いものは一切ありません。ファンの間で大変定評の高い曲が多いのがそれを証明しています。ある人は、ジョンへの追悼歌『Here Today』を推すでしょう。ある人はオールド・スタイルが賑やかな『Ballroom Dancing』を推すでしょう。そしてもう1曲、これらと並んで非常に高い人気を誇るのが、今回紹介する曲『Wanderlust』です。よくファンの間で行われる人気投票でも上位に来ることが多いことがその証拠ですが(下手するとあの『My Love』よりも支持されているほど!)、一聴すればその人気の高さも非常に納得できてしまう・・・この曲はそんな類稀なる「名曲」、いや「傑作」なのです!

 「名盤」に収録された「傑作」。こう聞くといかにすごい曲であるか想像がつくことでしょう。そして、事実この曲はその名に恥じない大変素晴らしい完成度の曲なのです。シングル発売こそされていませんが、その力量は『My Love』にも負けず劣らず(決して『My Love』が悪いとかそういう話ではないですよ・・・?)。では、そんな「傑作」はどの辺が素晴らしいのか?1つ1つ紐解きながら話を進めてゆきましょう。

  

 まずは、曲のタイトル『Wanderlust』と、歌詞についてその由来と内容を解説します。「wanderlust」とは、「旅にかける情熱」「放浪癖」という意味がありますが、このタイトルは実はポールがとある船の名前を元に名づけたものです。しかもその船、ポールの音楽活動に大きく貢献した船なのです。ポールの音楽活動と船・・・と来れば、コアなポール・ファンの方ならお察しかもしれません(苦笑)。そう、ウイングスのアルバム「ロンドン・タウン」(1978年)のレコーディング・セッションです。「ロンドン・タウン」セッション中の1977年5月に、ウイングスはカリブ海のヴァージン諸島で洋上に浮かぶヨットに機材を持ち込んで1ヶ月かけてレコーディングを行っていますが、その際に実際にポールが使用した船の名前が「ワンダーラスト号」だったのです。元々はデニー・レインの無鉄砲な提案がきっかけで(笑)実現した何とも大胆で優雅なこの洋上セッションは、多くの新曲を生むと同時に絶頂期ウイングスの連帯感に影を落としたとも言われていますが(汗)、この時ポールは計4隻の船(ヨット)を借りています。レコーディングに使用した「フェア・キャロル号」、デニーたち3人のメンバーが宿泊した「サマラ号」、ポール一家が宿泊した「エル・トロ号」、そしてそれに取って代わって使用されたこの「ワンダーラスト号」です。ポールはこの時船を貸してくれてお世話になった船長やクルーたちに相当感謝したそうで、「ロンドン・タウン」のクレジットにもその旨が明記されています。

 ちなみに、ポールと「ワンダーラスト号」にはちょっとしたエピソードがあります。これはポールがインタビューで明らかにしています。先述のようにポール一家は当初「エル・トロ号」に宿泊していましたが、その船長はずいぶん自慢屋の風変わりな性格の人だったそうです。それが癪に障ったのか、ある日ポールは船長と大喧嘩をしてしまったそうです。この時ポールは「誰があんたの小汚い風呂桶なんかにいてやるもんか!」とまで言い放ったそうな・・・(汗)。よほど船長の態度が腹に据えかねていたのでしょうか。そこで仕方なくポールたちは「エル・トロ号」を出ざるを得なくなるのですが、代わりに用意されたのが「ワンダーラスト号」でした。傲慢な船長の顔を見ることもなく(苦笑)ゆったり羽を伸ばすことのできたポールは、乗り換えた「ワンダーラスト号」を気に入り、「憂鬱な気分から救ってくれる自由の象徴」と考えたそうです。険悪な人間関係に煩わされることもなく、気ままに休息できる「ワンダーラスト号」は、ポールにとっては天国のような存在だったことでしょう。

 そんな「ロンドン・タウン」セッションでの出来事を、なぜ数年後に思い出したのかは分かりませんが、ポールはこの幸せな思い出いっぱいのヨットから曲想を得ることとなります。それほど洋上セッション、特に「ワンダーラスト号」での暮らしは心に残るものだったのでしょう。ここはカリブ海行きを提案したデニーに感謝ですな。こうして、ポールは思い出を歌詞に書き上げます。そしてそれが・・・、この曲『Wanderlust』になったのです。この曲の歌詞は、「ワンダーラスト号」とその名が意味する「旅にかける情熱」を掛け合わせ、航海に出る様子を歌ったものとなりました。

 しかし、ここで面白い現象があります。いつものポールなら、ここでお得意のラヴソングか、はたまた思い出をそのまま歌にした物語風の歌詞にしてしまう所ですが、この曲ではそう一筋縄には行きませんでした。そう、ここに「タッグ・オブ・ウォー」を迎えることになる'80年代初頭のポールの特色が影響しているのです。この曲には、主人公(僕)と船長という2人の登場人物が出てきますが、ここでは主人公に注目です。この主人公は、単に航海を楽しむために船出しているのではなく、誤った人生を見つめ直し、自由な世界に身を解き放つために船出しています。つまり、「ワンダーラスト号」はここでは人生をやり直すチャンスとして描かれているのです。ただ思い出を語るのではなく、ポールはそこに独特の人生観を織り交ぜたわけです。これは、「ワンダーラスト号」を自由の象徴と考えていたポールの1977年当時の心境もあるとは思いますが、さらに一歩踏み込んで人生を見つめ直すという行動はあの時のポールにはなかったものです。そう、これこそ'80年代初頭のポールの人生観なのです。

 面白いことに、こうした人生観を歌った詞作は同時期にポールが作った他の曲にも垣間見れる現象です。「タッグ・オブ・ウォー」収録曲の『Dress Me Up As A Robber』『Somebody Who Cares』『Get It』はそうですし、後に発表される『Keep Under Cover』もその類に入ります。このような詞作は、ラヴソングが主流だった'70年代のポールの詞作にはほとんどなかったもので、微妙に作風を変化させているのが分かります。この背景には、'80年代前後に音楽活動を一休みをしたポールが、落ち着いて自分や周囲のことを考える時間を得ることができたことにより、それ以前よりも精神的に「大人」に成長したことがあるでしょう。ポールも40歳を迎えんとしていた頃、がむしゃらに突っ走ってきた頃と比べて人生や社会についていろいろ思いをめぐらす機会も増えてきたのです。そうした内面の成長が、この曲の詞作に深みを与えることとなったのです。よく人はこの現象を「ジョンの死がポールを社会派にした」と言いますが、ジョンの死が契機かはともかくポールは'80年代に向けて新たな可能性を匂わす変化を遂げたのでした。「タッグ・オブ・ウォー」ではそうしたポールの人間的な成長を随所で読み取ることができます。ヨットからイメージを膨らませたこの曲1つ取るだけでも、それが感じられます。

 一方、もう1人の登場人物である船長は、ここでは酒盛りに浮かれ名声のために船出している姿が描かれています。主人公のピュアな気持ちとは正反対の世俗的なイメージですが、これはもしやあの「エル・トロ号」の船長がモデルなのでしょうか・・・(汗)。「タッグ・オブ・ウォー」といえば、タイトル曲に示されるようにあらゆる物の「二元的対立」をテーマにした内容が多いのもポールの詞作の変化を印象付けているのですが、ここでの主人公と船長の性格の違いも、もしかしたら「二元的対立」の表れなのかもしれません(深読みのしすぎか?)。

  

 歌詞の解説が異様に長くなってしまいました(汗)。さて、そろそろ曲自体の話に移りたいと思います。この曲は、「タッグ・オブ・ウォー」随一のバラード作品であることは周知の通りですが、その基調はピアノが支えています。つまり、いわゆる「ピアノ・バラード」のカテゴリに入るアレンジの曲です。ポールのピアノ・バラードといえば、『Hey Jude』『Let It Be』『The Long And Winding Road』など名曲多し!というのは言わずもがですが、この曲もそうした名曲群に負けないアレンジで聞かせてくれます。印象的なのが、最初は静かに始まり、だんだん音が分厚くなり最後は華やかに締めくくる・・・という構成になっている点。「静」→「動」というダイナミックで壮大な構成なのですが、これは「タッグ・オブ・ウォー」収録曲では常套手段のように使われています(『Tug Of War』『Take It Away』などがよい例)。こうしたアレンジは偶然に発生したものでなく、ポールとプロデューサーのジョージ・マーティンが意図的にそういう展開にしたと言います。そして、その根源となったのが、ビートルズでした。

 ポール自身こういうスタイルを「ビートリー(Beatly)」つまり「ビートルズ風」と形容していますが、確かに『Hey Jude』『Let It Be』といった特に後期ビートルズのアレンジに共通する所があります。'70年代には意識的に避けていたビートリーなアレンジをなぜこの時期ポールが取り上げたのか?については、マーティン先生のプロデュースも大きいですが、やはりジョンの死をきっかけにポールが否応にもビートルズを見直さざるを得なくなったことが一番でしょう。その結果、ポールはビートルズを再評価し、積極的にまずはアレンジ面で取り入れてゆくようになるのですが・・・。ビートリーなアレンジは「タッグ・オブ・ウォー」を名盤と呼ばしめた要因の1つですが、単にビートルズのアレンジが再来したのではなく、ビートルズナンバーの雰囲気を10年経って一回り大人になったポールが再び取り上げてみた、という感じに仕上がっているのがリスナーに受けたポイントでしょう。大人になったからこその落ち着きと貫禄が伝わってくる、壮大で味わい深いアレンジとしてリフォームされたのです。この曲では、そんなビートリーな展開が炸裂しています。

 この曲は、まず「静」であるピアノ・ソロから始まります。ピアノを弾いているのはもちろんポール。ピアノ演奏のキャリアの長いポールだけあって、思わず聴き惚れてしまう美しい名演です。歌が始まると、硬質で引き締まったドラムスが入ってきます。演奏はセッション・ミュージシャンのエイドリアン・シェパード。ポールのセッションではこの曲のみの参加です。ベースはかなり重厚な音をしていますが、これはポールの他に元ウイングスのデニー・レインも演奏した多重録音です。セッション中にウイングスを脱退したデニーですが、元々ウイングス用に制作されたという経緯もあり「タッグ・オブ・ウォー」セッションでは目立たないながらも結構参加しています。この前半は伸びやかなメロディと共に実にゆったりした雰囲気です。続くサビでは、澄んだ音色のアコギが入ります(少しシタール風に聴こえるのがミソか)。左右から聞こえていいアクセントですね。徐々に明るくなってきたと思うと、1回目の間奏ではブラス・セクションが入りソロを奏でます。演奏はフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルによるもの。ドラミングも力強くなり、力強く雄大な雰囲気が増してきます。その後も、歌のバックにホーンが登場し、前半に比べると音が分厚くなってゆきます。そして、2度目の間奏でブラス・セクションのソロが以前よりも派手にフィーチャーされ、さらにはパーカッションが大々的に入り、一気に華やかになります。そう、ここで「動」に到達したのです。最後は意外なことにサビに行かずにあっさりと終わりますが、賑やかになった後はブラス・セクションを交えて再び静かに締めくくっています。この辺も、月並みで終わらないポールらしいですね。以上、まさにビートリーな展開であることがお分かり頂けたでしょうか?ここはぜひ一聴されることをお勧めします。その方が私の説明よりもよく分かりますから(汗)。全体的には、リズム隊の生み出す力強さと、ピアノとブラス・セクションの生み出す壮大さが魅力です。まさに船が大海原へ出ようとする様子が思い浮かべられます。ヨットというより、大型船といった印象ですが・・・(苦笑)。中でも、ポールの弾くピアノは絶品でしょう!後半は「動」になるゆえにあまり目立ちませんが・・・。ポールのピアノ・バラードの真骨頂!といった貫禄たっぷりのアレンジと演奏です。

 ちなみに、演奏面では面白いエピソードがあります。実はポール、この曲にジョージ・ハリスンのギターを入れたかったそうです。ジョージといえばもちろんポールと同じ元ビートルズのメンバーであり、ポールの旧友であるのですが、'70年代はビートルズ解散訴訟もあり一時的に仲が悪くなっていました。しかし、時が経つにつれ徐々に険悪な雰囲気も解消され、'80年代にはポールとジョージはある程度仲直りしていました。ジョンの死が皮肉的にも2人の間のわだかまりを埋める役目になったことは言わずもがですが・・・、1981年4月にはリンゴの結婚式でポールとジョージが一緒に演奏するという出来事もありました(ちなみにデニーのウイングス脱退宣言と同日)。そうしたことから、ポールはこのアイデアを考え付いたのでしょう。折しも当時のポールは、様々なキャリアを持つミュージシャンとの共演を積極的にするようプロデューサーのマーティンに助言されていた所。「ある分野では上を行く人間」の中にジョージがリストアップされるのもおかしくない話でしょう。ポールは奥さんのリンダ、当時はまだウイングスのデニー、さらにはマーティン先生まで引き連れてジョージに参加のお願いをしに行きます。しかしここでひねくれ屋で有名なジョージ、参加に当たって1つ条件をつけます。「まずは僕の曲に君たちのハーモニーをつけてくれ」、と。お願いしたつもりが逆にお願いされてしまったわけです(苦笑)。その曲とは、ジョージからジョンへの追悼歌『All Those Years Ago(過ぎ去りし日々)』。ポールは、ジョージのお願いだしジョン絡みの曲ということもあり快諾。リンダとデニーと共に3人で実際にコーラスとして参加し、この録音が公式に発表されました(1981年、アルバム「想いは果てなく〜母なるイングランド」収録)。さて、お次はジョージの番・・・だったのですが、いろいろあるうちに何だかうやむやになってしまったそうです(汗)。結局ジョージのギターがこの曲に入ることはなく、さらにはポールのレコーディング・セッションにジョージが参加することもなく、2001年にジョージは他界してしまいました・・・。これは残念。いつもポールと距離を置いていたジョージが折角共演できるチャンスだったのに・・・。リンゴは「タッグ・オブ・ウォー」セッションに参加しているので、場合によればスタジオで3人の元ビートルが勢ぞろい・・・なんてこともあったかもしれませんね。

 アレンジが壮大なビートリー風味で最高なら、メロディもまた最高です。シンプルで印象的なメロディはポールならでは。無駄なく伸びやかに歌われるのを聴けば、誰しもその美しさに感動してしまうことでしょう!ポールはそんな美しいメロディを情熱を込めて歌いきります。まるで大海原のような開放感あふれる熱唱です。すごく気持ちよさそうで、聴いているこちらも気持ちよくなってきますね。コーラスはポール、リンダそして'80年代ポールには欠かせなくなるエリック・スチュワートが参加。ベースを弾いてジョージにお願いしに行ったデニーでなく、エリックというのがまた微妙なこの時期の位置関係です(汗)。そして、何と言っても聴き所が、メロでしょう!なぜなら、ポールの技巧的な作曲法が痛感できるからです。この曲には、“Light out wanderlust〜”で始まるものと、“Oh where did I go wrong my love〜”で始まるものの計2種類のメロがサビを挟んで登場しますが、実はこれ、同じコード進行で成り立っているのです!一聴すれば全く別のメロディに感じられるのに、それが同じパターンを元にしているとは驚きです。ポールのメロディの引き出しの広さを感じさせます。そして、それだけではありません。この神業的な2つのメロディが、なんと2度目の間奏後に合流します!つまり、2つの異なるメロディが同時に歌われているのです!もちろん同じコード進行なので、違和感なくぴったり重なり合っています。先程アレンジ面の素晴らしさを語りましたが、ビートリーなアレンジを経た最後の最後でこの同時進行が待っている・・・この展開はまさに感動的です。歌っているのは両方ともポールですが、あえてポールの多重録音にしてあるのも曲を通して聴くと効果的です(微妙に2パートの声質が違うのがいい感じ)。かつてポールは似たようなことを「レッド・ローズ・スピードウェイ」の4曲メドレーや『Silly Love Songs』の3声コーラスでも行っていましたが、ここでもそれに負けず劣らずの技巧的で感動的な出来映えです。同じコード進行から成る複数のメロディを自由に操り、さらには重ねて同時に歌ってしまう・・・、そんなポールの才能に脱帽してしまいます。

 以上、この曲のいろんな魅力を語ってきましたが、シンプルで美しいメロディ、ビートリーなアレンジ、2つの異なるメロディが重なる箇所、洗練された効果的な演奏、味わい深い歌詞、伸びやかなヴォーカル・・・と、まさに寸分の隙もない完璧な内容です!ポール史上屈指の傑作バラードであることは、皆さんもう異論ないでしょう!これも、ポールの並外れた才能と、ジョージ・マーティンの名プロデュースの賜物でしょう。「タッグ・オブ・ウォー」の時期には、この曲のような完成度の高すぎる名曲が多く生まれているのですから、ポールのフル回転ぶりは恐れ入ってしまいます。

  

 さて、この曲は発表から少し経った1984年にリメイク・ヴァージョンが発表されています。それは、同年秋に公開された劇場用映画「ヤァ!ブロード・ストリート」でのことでした。この映画はご存知の通り、ポールが主演・脚本・音楽と大活躍した自主制作映画で、並々ならぬ意欲を注いで作られたのにもかかわらず、興業的には大コケに終わってしまいポールの期待通りには芳しい評価を得られなかった失敗作となってしまったのですが(苦笑)、それでも本業の音楽面では一定の評価を受けました。映画中に登場する数々の演奏シーンは秀逸でファンをとりこにしましたし、何と言ってもビートルズ、ウイングス、ソロとポールのオール・キャリアから選りすぐられた挿入歌は話題を集めました。それらは同名のサントラ「ヤァ!ブロード・ストリート」に収録されましたが、いずれもポールが映画のために録り下ろしたリメイク・ヴァージョンでした。まだ始まって間もない'80年代・ソロ時代の曲からは、『Ballroom Dancing』『So Bad』そしてこの『Wanderlust』と3曲が選ばれており、ポールのソロ活動への自信をうかがわせます。と同時に、この曲に対するポールの自信や思い入れの強さも感じることができます。

 映画では、前半のスタジオでレコーディングを行うシーンで登場します。このシーンでは、ビートルズ時代の名曲『Yesterday』『Here,There And Everywhere』のリメイクに続いてメドレー形式で演奏され、その時の演奏がそのままサントラに収録されています。ポールは『Yesterday』『Here,There And Everywhere』ではアコギを弾き語っていますが、この曲では一転してピアノを弾いています(映画ではブラス・セクションが間奏を演奏している間にポールがピアノに移動する様子が見られる)。また、ブラス・セクションが前2曲に続いてフィーチャーされています。演奏しているのはオリジナルと同じフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルです。そして、映画でドラムスをたたくのは・・・、元ビートルズのリンゴ・スターです!オリジナルではジョージの参加がうやむやになってしまいましたが、ここではリンゴとの共演が実現し、図らずもこの曲でのポールと元ビートルとの共演が果たされました。俳優としても活躍しているリンゴは、映画に出演してくれるようポールに熱烈に誘われ二つ返事で応じ(当初は「悪役なら出てもいい」と言ったそうな・・・)、映画の随所で妻バーバラと共に大々的に登場していますが、出演に際してポールに条件を出していました。それは、「ビートルズナンバーは演奏しない」ということ。これはリンゴが「4分の2のビートルズは嫌だ」と反発したためでありジョージへの配慮とも取れますが、面白いことに、この約束のためにリンゴはこの曲の前に演奏された『Yesterday』『Here,There And Everywhere』には参加していません。映画ではその間何をしているかといえば・・・、必死になってブラシを探している(演技をする)という苦肉の策が取られました(笑)。そして、非ビートルズナンバーのこの曲が始まると、リンゴの演奏も解禁されます。ここでようやくブラシを見つけるものの、この曲には不要なためぽいっと投げ捨ててしまい、スティックに持ち替えドラムをたたき始める・・・という流れです。リンゴの頑なな意地が、見ていて面白いシーンを生み出すこととなりました(苦笑)。

 このリメイク・ヴァージョンは、基本的にはオリジナルを踏襲したアレンジで演奏されています。発表されてから年月が経っていないので当然とも言えますが・・・。しかし、一部ヴォーカルを除いてオーバーダブなしで臨んでいるため、オリジナルよりはシンプルな出来となっています。というのも、演奏は先のポールのピアノとリンゴのドラムス、そしてブラス・セクションしか入っていないのです!ギターやベースも一切入っていません。また、スタジオでの軽いレコーディング・シーンという設定のため、オリジナルより荒削りな感があるのは否めません。いわゆるビートリーなアレンジは、ちょっとここでは薄まっている気がします・・・。しかし、完成度では劣るものの、それでも意外なほどにしっかりした音作りになっているのには驚きです。やはりこれはポールとリンゴの相性のよさのおかげか、それともブラス・セクションの華やかさがカヴァーしているからか?楽器の数は少ないのに(特に前半)、面白い結果です。録音状況のせいか、心なしかライヴ感あふれる生々しい演奏になっているのはオリジナルにない味です。リンゴのドラミングはオリジナルの硬い感じとまた違いますが、こちらも堅実にポールのピアノを支えています。ポールのヴォーカルはオリジナルよりは力んでいなく、さらりと流しているかのように歌われています。聴き所である、後半の2つのメロディを同時に歌うヴォーカルは、ポールの多重録音で再現されています(各パートの音量の比率がオリジナルと逆さになっているのが興味深い)。そして、エンディングだけはオリジナルと違う展開を見せており、ポールが1つ前に演奏した『Here,There And Everywhere』をハミングで織り交ぜて、華やかに終わるという仕掛けが込んであります。3曲メドレーの締めくくりとしてはこれ以上ない感動的な締め方ですが、違和感なく実にぴったりはまっているのがニクいです。ポールのアレンジャーとしての力量を再度確認させてくれますね。より生の肌触りの演奏を楽しめるという点や、リンゴの参加、さらに一ひねり効いたエンディングもあって、オリジナルよりこっちのリメイクの方が好き、という人も多いです。

 映画では、ポールとリンゴがこの曲を演奏する様子を間近で観察することができます。ポールがピアノを弾く所なんて、指の動かし方がよーく分かります。リンゴも、前2曲で演奏できなかった鬱憤を晴らすかのようなドラミングを見せてくれます。ドラムセット、いろいろあって面白いですね。ポールとリンゴだけのセッションは、ビートルズ・ファンとしては見ていて単純にうれしいものがあります。また、コンソール・ルームの様子もたくさん映されており(映画の音楽監督もつとめたジョージ・マーティンが登場している)、「こうやって録音してゆくんだなぁ」と感心してしまいます。こちらも機材がいろいろあって面白いですね(笑)。ブラス・セクションの面々も映画に登場します(中には休憩のティータイムの様子も・・・)。また、スタジオでポールやリンゴがマーティンと打ち合わせする様子も挿入されており、どこかビートルズをほうふつさせます。リンゴの手振りが面白いですね(苦笑)。レコーディング中はこんな風に試行錯誤をしているんだなぁと思わせます。演奏が終わると早速テープを巻き戻してプレイバックしようとしますが、その際にリンゴがシンバルにぶつかってシンバルが倒れてしまう音がサントラにそのまま収録されているのが面白いです。「ヤァ!ブロード・ストリート」は、映画自体はポール自作のストーリーが災いして見ていられない部分もありますが(汗)、演奏シーンは興味深いものがいっぱいで、演奏も上質で捨てたものじゃありませんね。この曲のシーンなんかまさにそうです。

 なお、アルバム「ヤァ!ブロード・ストリート」は、収録時間の関係上アナログ盤とCDとでは演奏曲目が違う上に一部楽曲の演奏時間も違うのですが、実はこの『Wanderlust』もアナログ盤とCDでは演奏時間が異なります。CDには映画で聴けるのと同じ長さの完全版が収録されているのに対し、アナログ盤にはエディット・ヴァージョンが収録されています。これは歌詞カードを見れば一目瞭然ですが、最初のサビが終わった後いきなり2度目の間奏に飛んでしまうように編集されているのです。CDや映画から入ると、「あれっ?」と思ってしまうことでしょう。アナログ盤「ヤァ!ブロード・ストリート」は、このようになるべく多くの曲を収録するために部分部分をカットしている例があるのです・・・(『Good Day Sunshine』『Eleanor's Dream』なども)。アナログ盤で聴けるこのエディット・ヴァージョンは未CD化です。「アナログ盤を完全復刻!」をうたい文句にして売り出された紙ジャケット盤も、CD版の曲目と同じ内容のため、これを再現しておりません・・・。まぁ、CD化された所でマニアくらいしか喜ばなさそうですが(苦笑)。また、当初このリメイク・ヴァージョンはアルバムからのシングル第2弾「Ballroom Dancing」のB面に収録される予定でしたが、結局シングルが映画の興業不振を受けて発売中止になったため実現しませんでした・・・。

 この曲のアウトテイクが発見されており、「Rude Studio Demos」「Tug Of War & Pipes Of Peace Sessions」といった「タッグ・オブ・ウォー」関連のブートで聴くことができます。このテイクは、1980年8月にパークゲート・スタジオでポールが1人デモ録音した時のもので、「タッグ・オブ・ウォー」や姉妹作「パイプス・オブ・ピース」に収録されることになる新曲が数多く取り上げられています。ということは、この曲が既に1980年夏には存在していたことの裏付けとなります・・・。デモ・テイクでは、ポールがアコギ、ベース、エレピ、ドラムスを多重録音しており、マルチ・プレイヤーぶりを発揮していますが、ピアノとブラス・セクション中心の公式テイクとだいぶ印象が違うのは、エレピが中心のシンプルなアレンジになっているからでしょう。構成は未完成で、メロも1つしかできていませんが、歌詞は一部ながら完成しており曲想は既にポールの脳内でできていたのかな、と思わせます。ポールはハーモニー・ヴォーカルも多重録音していますが、これが実に美しいです。まだ公式テイクのような熱唱ではないですが、エレピのシンプルさと共に思わず溜息が出てしまいそうです。ちなみに、かの名曲『Ebony And Ivory』もこのデモ・セッションで取り上げられていますが、これまたエレピのシンプルなアレンジとハーモニーが美しくてたまりません。このデモ・セッションではこの2曲が双璧と言えるでしょう。

 あらゆる面を考慮しても、どこから見ても完璧なこの曲は、まさしく「傑作」と呼ぶにふさわしいことは皆さんお分かり頂けたと思います。ですがこの曲、なぜかベスト盤に収録されていません。割と最近出た2枚組の「ウイングスパン」ですら収録漏れになっている有様です・・・。これはちょっと惜しい話です。あれほどの名曲を未収録とは・・・。まぁ、これは元々ウイングスのベスト盤だから百歩譲って仕方ないとして(汗)、もう1つ驚きの事実があります。なんと、ポールは一度もこの曲をライヴ演奏したことがないのです!これはもったいない!バンドスタイルでも十分演奏できる曲だし、まして一度再演したほどだし、セットリスト中盤のピアノ・コーナーで披露したらすごく感動的だと思うのですが・・・。なぜかライヴで演奏してくれたことはまだありません。ポールは当時の自信の割には、スタジオワークに凝っていた'80年代の曲をライヴで取り上げることがほとんどないのですが、特にこの曲を演奏しないのはただただもったいないの一言です。下手にビートルズナンバーやるよりこっちの方がどれだけいいか・・・(苦笑)。なかなかこの曲が一般的に知られるまでに行かないのは、こういった事情があるからなのかもしれません。

 私は、これまで紹介してきた曲を見ても分かるように、どちらかといえばバラードよりアップテンポの曲の方がお気に入りなのですが、そんな私でもこの曲の素晴らしさには素直に脱帽してしまいます。ホントにこれは傑作です!隙のなさで言ったら『Silly Love Songs』に匹敵するのではないでしょうか?何もかもが美しくて、何もかもが感動的で・・・。歌詞の世界のように実際に洋上の船で聴くときっと爽快なんでしょうねぇ・・・。さっきも書きましたが、ぜひコンサートで聴きたい曲ですが、ポールはこの曲のことを忘れてしまったのでしょうか・・・?オリジナルに参加予定だったジョージと、映画で共演したリンゴと3人でステージで再演なんてあったらよかったのに・・・!残念ながらジョージの参加はかないませんでしたね。この曲は日本ではカラオケでも歌えますが(苦笑)、私が歌いこなすにはまだ数年かかりそうです(汗)。2つのメロディが重なる箇所は2人で歌うとさぞ気持ちいいことでしょう。オリジナルと映画のリメイクとでは、後者の方が人気があるようですが、個人的にはオリジナルの方が好きです。しっかりした音作りになっている所が理由でしょうか(アコギの音色がたまらない)。でも、余分なものを省いたリメイク・ヴァージョンも心を揺さぶるものがあるのかもしれませんね。ポールとリンゴの共演も見られますし。

 この曲は、聴かないと絶対損します!ポールのバラード作品でも珠玉の名曲なんですから!「タッグ・オブ・ウォー」自体も名盤で超お勧めですので、ポールを聴き始めの方もぜひ買って聴きましょう!嫌いになることは、絶対ないはずです。保障します!

 さて、次回紹介する曲のヒントですが・・・「不安症」。またもやマニアックに戻りますので(苦笑)、お楽しみに!

 (2009.11.07 加筆修正)

  

(左)アルバム「タッグ・オブ・ウォー」。大人に成長したポールが繰り広げる「ビートリー」の世界!ジョージ・マーティンのプロデュースによる、歴史的名盤!

(右)アルバム「ヤァ!ブロード・ストリート」。リメイク・ヴァージョンが収録されています。ドラムスはあのリンゴ・スター!映画も必見!

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