Jooju Boobu 第145回

(2006.10.22更新)

Ebony And Ivory(1982年)

 今回は、ひさしぶりに大ヒット曲の紹介です!!前回の『Somebody Who Cares』と同じセッションで録音され、アルバム「タッグ・オブ・ウォー」(1982年)に収録されることとなる、全英・全米1位の大ヒット曲といえば・・・そう、『Ebony And Ivory』です!!言わずと知れた、'80年代ポールを代表する曲で、ポールのファンでない皆さんも一度は聴いたことがあると思います。ウイングス解散後、そしてジョン・レノンの死後初めてのシングルでしたが、結局のところ'80年代から現在に至るまでのポールで一番ヒットした曲であり、最後の全英・全米1位獲得曲でもあります(それはそれで寂しいことではありますが)。

 この曲に関して、もっとも有名な事項はスティービー・ワンダーとの共演でしょう!印象的なプロモ・クリップと共に、世界中が2人のビッグ・スターの共演に注目しました。'80年代に盛んに行われることとなったデュエット・ブームのさきがけとなった曲であり、ポール自身も翌1983年にはマイケル・ジャクソンとのデュエット曲『Say Say Say』(ただしレコーディング時期は『Ebony And Ivory』と同時期)をヒットさせています。しかし、この曲はスティービーとの共演がすべてではありません。スティービーとの共演と共に鮮烈な印象をポール・ファンに与えたのは、これまでほとんど見られなかったスタイルの詞作でしょう。今回はこの辺にもスポットを当てつつ、ポールにとって最後の全英・全米1位獲得大ヒットナンバーについて語ってゆきます。(今回は解説が長くなりそうな予感・・・)

 この曲は元々、ポールが日本で逮捕され、ソロアルバム「マッカートニーII」を発表した後の'80年中頃に、ウイングスの新作用として制作されたデモテープの1曲として存在していたことがブート音源から分かります(私は聴いていませんが・・・)。実は後に「タッグ・オブ・ウォー」「パイプス・オブ・ピース」といったポールのソロアルバムに収録されることとなる曲の多くがこの時期に誕生しています。結局ジョンの死などを経て「新作」はソロアルバムへと転換してゆくのですが、'80年10月にこの曲をウイングスでリハーサルしていることから分かるように、元々はウイングスのための楽曲だったのです。ということは、もしかしたらこの曲も、スティービーとのデュエットではなく、デニー・レインとのデュエットで日の目を見ていた可能性もあり興味深いです。

 しかし、ソロアルバムに転換した後、プロデューサーとして迎え入れたジョージ・マーティン「先生」のアドバイスが、この曲の運命を変えてゆきます。なんでも1人でやろうとするポールに「どうしてある分野では君の上を行く人を使わないのかい?」と、ベテランのミュージシャンを曲によって使い分けてアルバムを制作することを勧めたのです。当時「1人でもグループでもやりたくなかった」というポールはこのアドバイスに従い、中断していた「新作」に多くのミュージシャンを招きいれ、局によって使い分ける手法をとりました。その結果が、「タッグ・オブ・ウォー」「パイプス・オブ・ピース」の2枚のアルバムに見られる豪華ミュージシャンの参加です。リンゴ・スター、スタンリー・クラーク、スティーブ・ガッドといった演奏者や、カール・パーキンス、エリック・スチュワート、そしてマイケル・ジャクソンといったヴォーカル・コーラスでの参加者。2枚のアルバムとりわけ「タッグ・オブ・ウォー」が注目を浴びた理由の1つであり、大きな魅力です。そして、『Ebony And Ivory』を録音する際にポールが白羽の矢を立てたのが、スティービー・ワンダーだったのです。

 「なぜスティービーが?」という疑問に関しては、先に歌詞の話をしないといけません。タイトルにある「エボニー」と「アイボリー」とは、「黒鍵」と「白鍵」のこと。ピアノが音を鳴らすために必要不可欠な鍵盤です。ポールは「キーボードには黒鍵と白鍵が必要で、それによって2つのハーモニーが奏でられる」という文句を何かの本で読んだようで、それが歌詞は元になっています。しかし、この曲における詞作は、ただピアノのことを歌ったわけではありません。この「黒鍵」と「白鍵」の関係を、ポールはもっとマクロ的な見地から見た事柄に対する例えに用いたのです。皆さんお分かりの方が多いかと思いますが、それはずばり「人種問題」です。とりわけ黒人と白人の間に起こる差別などの諸問題を取り上げたのです。そう、この曲は黒人と白人がピアノの黒鍵と白鍵のようにお互い協調しよう、と歌ったメッセージ・ソングなのです。詞作については後でもう少し詳しく語ります。

 さて、こうしたメッセージをこの曲にのせて世界に伝えるためには、何か強力なインパクトを与えるものが必要だと思ったポール、歌詞だけでなく歌い手でも「黒鍵と白鍵」の対比を見せればいいのではないかと考えたのでしょう。自分は白人=「アイボリー」だから、この曲は「エボニー」=黒人とのデュエットにしよう!となったのです。つまり、ポールと黒人ミュージシャンとのデュエット形式で世に送り出し、黒人と白人の間の問題を考えてほしいと。そして、そのデュエット候補はすぐに決まりました。それがスティービー・ワンダーです。知らない人はいないと思いますが、生まれてすぐに目が見えなくなるというハンディを背負ったものの、その困難を乗り越えて、類まれな音楽的才能によって'60年代から現在に至るまで数々の大ヒットを世に送り出した盲目の黒人ミュージシャンです。さらに盲目というのにキーボードやドラムス、ハーモニカなども演奏できる驚異的なマルチ・プレイヤーぶりを発揮しています。ポールは、重い困難を乗り越えて自らの人生を成功に導いたスティービーに、黒人差別問題という困難を乗り越えようと歌いかけるこの曲の魂に似通ったものを感じ取ったのかもしれません。早速電話でスティービーにコンタクトを取り、すぐに快諾をもらいました。かくして、ビッグ・スターの華麗なるデュエットが実現したのです。

 さて、ここからがまだ長いのです。実はこの曲、ポール自らが「自分の音楽史の中でももっとも時間をかけて制作した曲」と語るほど、その完成に至るまでは何度も何度もレコーディングセッションを繰り返しています。1981年2月から翌3月まで、主にモンセラット島のAIRスタジオ(ジョージ・マーティン所有のスタジオ)で行われましたが、スティービー抜きで別のスタジオでリハーサルを繰り返しもしたそうです。それだけ手抜きをしたくない、自分のものにするまで何度も演奏して素晴らしいものにしよう、というポールの気概が感じられるエピソードです。面白いことに、このモンセラット島セッションではなぜか元ウイングスのデニー・レイン(当時はまだウイングスを脱退していない)が同行しています。結局レコーディングには全く参加していないのですが、ウイングスが事実上名目だけになっていた時でも、ポール・リンダ・デニーの3人は一心同体だったことが分かります。

 最終的に発表されることになる演奏は、ヴォーカルも含めてすべてポールとスティービーの2人で行われています。2人ともマルチ・プレイヤーなので、演奏者にはさぞかし事欠かなかったことでしょう。2人で試行錯誤しながら進めてゆく作業は双方にとって刺激になるものであり、楽しいものであったに違いありません。ポールがベース、ギター、シンセサイザー、パーカッション、ピアノを、スティービーがエレピ、シンセサイザー、ドラムス、パーカッションを担当しています。改めて盲目なのに多くの楽器を演奏できるスティービーに驚きます。そしてヴォーカルは2人が分け合い、ハーモニーを聞かせています。ポールのソフトな声質と、スティービーのちょっとコクがある声質が、違いを見せながらもまさに「エボニー」と「アイボリー」による極上のハーモニーを歌い上げています。この2人のコンビはまさに相性抜群の大成功だったといえるでしょう。この時期に既に行われていたポールとマイケル・ジャクソンのコラボの方は、あまりうまくいかなかったそうですが・・・(苦笑)。もちろんスティービーを他の「タッグ・オブ・ウォー」収録曲に起用してもいい味は出せないでしょうが、曲によって適材適任の人間を使うポールの作戦はこの曲を最高の状態で完成させたのです。

 お気づきかもしれませんが、実は『Ebony And Ivory』はあくまでもポールとスティービーの「共演」曲であり、「共作」曲ではありません。マイケルとの大ヒットコラボ『Say Say Say』が「共作」曲なのでよく間違いがちですが、'80年の時点で存在しているのですから、この曲はポールの単独作曲曲です。そのため、曲自体にはスティービーの作風は感じられず、ポールらしさが散りばめられています。メロディアスでポップな感じや、誰にでも覚えやすいメロディラインなどは、ポールにしか作れないものです。この曲を聴いた誰もが初めて聴いてすぐに頭の中にメロディがこびりついた覚えがあるように、本当にシンプルで分かりやすい曲です。間奏・アウトロのコーラスも思わず一緒に口ずさんでしまいそうです。そして分かりやすいからこそ、詞作に込められたメッセージが素直に伝わりやすいのです。

 『Ebony And Ivory』のレコーディングでお互いの相性のよさを確認したポールとスティービーは、セッション中にアドリブで作ったフレーズを元に曲を作り上げます。それが同じく「タッグ・オブ・ウォー」に収録されることとなった『What's That You're Doin'?』であり、ここで初めてポールとスティービーの「共作曲」が誕生します。こちらは、スティービーがかなり前面にアピールされ、スティービーのソウルフルな作風が多く反映されています。そういえばこっちはまだこのコラムで紹介していませんね(汗)。

 さて、それでは詞作の話を。先ほど黒人と白人の諸問題を解決し、ピアノの鍵盤のようにお互い協調しようと歌いかけるメッセージ・ソングだと言いましたが、この詞作の誕生はポールの詞作の歴史を考える上で大変重要な記念碑です。というのも、ポールはこの曲を含めて「タッグ・オブ・ウォー」を境に、メッセージ・ソングを盛んに書くようになったからです。ビートルズ時代、ウイングス時代と'70年代までは『アイルランドに平和を』を除けばポールが政治的・社会的なメッセージを帯びた曲は書いてきませんでした。それはポールが政治・社会の諸問題に関心がないわけではなく、そうした意見を発言することと音楽活動は別物、と分けて考えていたのです。ポールがいつしか「ラヴ・ソングばかり書く人」とされていたのには、そういう経緯があります。しかし、'80年12月に起きた「あの事件」を境に、こうした姿勢は変わります。言わずもが、ジョン・レノンの死です。

 ご存知の通りジョンは生前、'60年末ごろから平和運動に目覚め、かなり多くのメッセージ・ソングを世に残しました。妻のオノ・ヨーコの影響が多大であったことは確かですが、自らが社会に対して感じてきたことを歌ったのも紛れもない事実。しかし、そんなジョンも'80年代の社会問題を歌にすることはできませんでした。「その代役に僕が歌おう」と思ったのか、ジョンが世界に発信したメッセージの強力さを痛感したのか分かりませんが、ポールはまるでジョンが乗り移ったかのように'80年代以降しばしばメッセージ・ソングを書いてゆきます。平和を題材にした『Pipes Of Peace』(1983年)、人類の協調を歌った『C'mon People』(1993年)、米国同時多発テロに触発され急遽完成させた自由を希求する『Freedom』(2001年)など、ポールが政治・社会に対して感じたことや、平和と協調への願いを進んで歌にするようにしたのです。そして、ポールが昔から懸念してきた動物愛護・環境問題を含め、様々なメッセージが世界に向けられたのです。

 ずっと「ばかげたラヴ・ソング」ばかり書いてきたポールが突如メッセージソングを多発させたことには、「子供だましだ」「幼稚だ」と難癖をつける人もいました。確かに、一部の曲にはピントがずれているように感じられる曲もありますし、政治家を非難した曲がカントリー風味だったりと、「あれ?」という感じのものもあります。しかし、「子供だましだ」と思うのは我々がジョンと対比してポールは「ラヴ・ソングを書く人」という先入観を持っているからではないでしょうか。ポールだって人間ですから、政治的・社会的な意見を持つことはあります。ただそれを今まで歌詞として発信してこなかっただけで、ポールがビートルズ時代にメッセージソングを出していたとしてもなんらおかしくはなかったのです。そして、「子供だまし」だと言われる理由であるシンプルで過激さを伴わない、いたって楽観的な歌詞ですが、これこそポールならではの「分かりやすい」「希望を忘れない」という長所が発揮されているのではないでしょうか。分かりやすいから、誰にでもその案件の抱える問題が伝わる、そしてそれについて考えることができる。さらに曲も分かりやすければ、世界中の人が歌を通してポールの訴えを簡単に知ることができる。さらに明るく楽観的な曲なら、問題解決の先に希望を見出すことができる・・・。何も過激で深刻なものがリスナーにその思いを伝えやすいわけではないのです。もしかしたら、ポールのメッセージソングのスタイルこそ誰にでも伝わる万人向けなのかもしれません。たまに菜食主義とかピントがずれることがありますが(汗)。そして、『Ebony And Ivory』は、そうしたポールの分かりやすいメッセージソングのはしりにして代表格なのです。今でこそ黒人差別は減りつつありますが、'80年代当時の黒人社会にとってこの曲がどれだけ自分たちの地位改善に貢献したありがたいものだったかは計り知れません。「タッグ・オブ・ウォー」以降のポールは大人に成長したような感じがすると前回の『Somebody Who Cares』の項でお話しましたが、メッセージソングを書き出したこともこうした大人の達観を出しています。

 さて、この曲は完成した「新作」ソロアルバムの「タッグ・オブ・ウォー」のトリを飾る曲として1982年4月に発表されるわけですが、その前に先行シングルとして3月に発売されました。ポールとスティービーとの夢の共演には世界中が関心を集め、当然ながらチャートでは全英・全米1位を獲得!他の各国でも1位を獲得する世界的な大ヒットナンバーとなりました。シングルのジャケットも黒と白を基調としたもので、ポールとスティービーが笑顔を見せています。B面にはアルバム未収録の『Rainclouds』が収録されていますが、さらに12インチシングルには、『Ebony And Ivory』のポール1人によるソロ・ヴァージョンが収録されました。演奏は全く同じでスティービーも参加していますが、ヴォーカルはすべてポールによって歌われています。ハーモニーも全部ポールによるもの。面白みは半減していますが、これはこれで味わい深いです。しかし、現在に至るまで未CD化であり、聴くことはきわめて難しいです。なぜアルバム「タッグ・オブ・ウォー」のボーナス・トラックに入れなかったのでしょうか?

 この曲はプロモ・クリップも作られ、ここにもスティービーが登場します。しかし、プロモの制作における日程調整がうまくいかなかったためか、ポールとスティービーは英国と米国で別々に撮り、それを後で合成する、という苦心の作となっています。しかし、あの『Coming Up』のプロモを担当した監督ですから、これくらいのことはお手の物だったのでしょう。全然違和感のない、「これが別撮り!?」と思わせるものに仕上がっています。これぞ神業。ジャケットとおなじく黒と白を基調としたセットや照明をバックにポールとスティービーが並んで同じピアノを演奏する様子がメインで、2人の服も黒と白を基にしています。時々顔を見合わせたりウインクしたりする2人は、あたかも同じ場所にいるかのような演技です。大きな鍵盤の上に座ったり、ダンスをしたりと2人とも楽しそうです。間奏では『Coming Up』さながらにたくさんのポールがいろんな楽器を演奏するという滑稽なシーンも登場します。さらにソロ・ヴァージョンのプロモも存在し、スティービー不参加でポール1人が参加しています。こちらは暗闇の中ピアノを弾くポールと、囚われの身の黒人の様子を交互に映し出したちょっぴり感動的な演出となっています。面白いことに、間奏とアウトロの手拍子をどちらのヴァージョンでも再現しています。

 ポールは'80年代の曲をライヴで演奏することがほとんどないのが残念至極ですが、その中でもこの曲は数少ないライヴで演奏された'80年代の曲です。1989年のいわゆる「ゲット・バック・ツアー」で演奏されたのですが、この時はツアー・メンバーとのヘイミッシュ・スチュワートとのデュエットでした。ヘイミッシュもスティービーに負けないくらいのソウルフルな歌声です。そんな中1989年11月27日のロサンゼルス公演では、観客として公演を見守っていたスティービーが飛び入り参加、デュエットの再現という感動的な場面もありました。

 大ヒット曲だけあって、結局とてつもなく長い解説になってしまいました(汗)。この曲には特筆すべきことが多かったです。スティービーとの共演、ポールにとってほぼ初めてのメッセージソング、シングルB面のソロヴァージョン、そして面白いプロモ・クリップ・・・エピソードもたくさんでここで紹介できなかったものも多々あります。ポールの'80年代を代表する名曲であることは、間違いないです。あれだけ慎重にレコーディングを重ねてきただけあります。そしてスティービーとの相性も抜群でした。きっと後世まで聴きつがれてゆくことでしょう。マイケルとのコラボとは違って(苦笑)。聴いていない方はぜひ聴いてみてください。ベスト盤にも収録されているので簡単に入手できますし(「ウイングスパン」には未収録なので注意!)、アルバム「タッグ・オブ・ウォー」も全曲が完成度の高い名盤なので、ぜひそちらでも聴いてみてください(スティービーとの共作曲も収録!)。それにしても、ソロ・ヴァージョンのCD化は強く希望したいところですね。ポールのソロもなかなかいい感じですよ。私はようやく某所にアップされていたプロモで聴くことができました。「タッグ・オブ・ウォー」をボーナス・トラックつきで再発していただきたいですね。

 さて、次回紹介する曲のヒントですが・・・「複雑なコーラスワーク」。お楽しみに!!

  

(左)当時のシングル盤。12インチシングルのB面にはポールのみ歌うソロ・ヴァージョンを収録。

(右)アルバム「タッグ・オブ・ウォー」。一番有名なのは『Ebony And Ivory』ですが、それ以外にも名曲がいっぱい!'80年代ポールの名盤。

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