Jooju Boobu 第13回
(2005.4.21更新)
Rockestra Theme(1979年)
今回の「Jooju Boobu」は、ロック史に名を残すこととなった「あれ」を語ります。・・・といってもそれだけでは何か分かりませんよね(汗)。ポールの提唱により実現した'70年代最後のロック・イベント・・・といえば分かりますか。そう、ポールのファンなら、そしてロックを愛聴する人ならご存知の一大イベント、「ロケストラ(Rockestra)」です。今回は、その名の通りそのロケストラのテーマ曲である、『Rockestra Theme』を語ります。邦題は「ロケストラのテーマ」(そのままですが・・・)。'70年代から'80年代へと移らんとする、まさに時代の変わり目に、幾多のメンバーチェンジの後に再生した新生ウイングスを抱えた1978年のポールが、積極的に呼びかけて実現させたこの壮大なプロジェクトのテーマ曲の魅力、そしてもちろん「ロケストラ」自体について触れてゆきたいと思います。
というわけで、まずは「ロケストラ」は何か?という所から。「今さらそんな説明は不要!」という方は読み飛ばしてくださいな(笑)。「ロケストラ」とは、ポールが考え付いたプロジェクトの名前で、「ロック(Rock)によるオーケストラ(Orchestra)」の略称です。つまり、オーケストラのように大人数のミュージシャンが一斉に演奏を披露するロック・バンドのことです。ポールいわく「ミュージシャンにとっては夢のようなもの」だそうですが、いろんなミュージシャンが一堂に会してひとつの曲を同時演奏する・・・という考えは、ポールでなくとも楽器を弾く人にとってはとっても素敵なことでしょう(楽器の弾けない私が言うのもなんですが・・・)。「とにかくたくさんのミュージシャンを集めて一緒に演奏したい!」とポールはこの壮大なプロジェクトを思い描くわけですが、そんな「夢」を実現してしまうのはさすがポールです。ポールほどの名声を確立した者だからこそ成しえたともいえるでしょうか・・・。
ポールは、実際にロケストラが実現するより大分前からこの考えを胸中に抱いていたようで、ロケストラ・セッションが行われた1978年から遡ること4年前の1974年には、既にこのテーマ曲『Rockestra Theme』を書き始めています。その証拠に、(いきなりマニアックな話になりますが)当時のピアノの弾き語りによるホーム・デモ集「The Piano Tape」(ブートですが・・・)でこの曲の演奏を聴くことができます。この「The Piano Tape」、主にアルバム「ヴィーナス・アンド・マース」(1975年)用の曲をピアノでデモ演奏しているのですが、中にはこの曲や『Getting Closer』、『Mull Of Kintyre』『Girlfriend』など後年ポールが公式発表する曲や、数々の未発表曲が聴けて実に興味深いです。ロケストラ・セッションの4年前にこの曲ができていたこと(つまりポールが1974年にロケストラを構想していたこと)自体驚きですが、既にギター・フレーズやヴォーカル・パートのメロディが完成していることには驚かされます。ポールの頭の中では既に各楽器の演奏パートも浮かんでいたのでしょうか。ピアノ・デモのため、この時点の演奏はまだ他の未発表曲と同じくピアノ練習曲にしか聴こえませんが、それが4年後壮大なロック・シンフォニーに変貌するのです・・・。
具体的にロケストラの計画が実現に向かってきたのは、(結局は最終ラインアップとなった)新生ウイングスと一緒にアルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」を制作中の1978年頃。ちょうど時代がディスコやパンク、ニュー・ウェーヴといった斬新なロック・サウンドを求めていた頃で、ウイングスも積極的にこうした音作りを採用していた頃だったので、「ロック版オーケストラ」を実現するにはもってこいだった・・・ということですね。「バック・トゥ・ジ・エッグ」の共同プロデューサーに抜擢されていたクリス・トーマスと共に、ポールは構想の実現に向けてアイデアを煮詰めてゆきました。
続いて、ポールが起こした行動といえば、思いついたミュージシャンひとりひとりにとにかく電話をかけまくることでした。親友はじめ、参加してくれそうな人に声をかけていったのです。夢の実現のためなら思いきって大胆な行動に出ることのできるポールにはいつも感心します(笑)。でも、この時のポールは「誰も来ないんじゃないか」という不安にさいなまれていたようです。というのも、「あまりにも単純で、いやがる人もいるかと思った」そうです。確かに、この「ロケストラ」の特徴のひとつに「個人個人の派手なソロ・プレイなしに、全員が一斉に同じメロディを奏でる」ということがあったので、ソロを演奏して目立ちたい!というタイプの人間にとっては面白くない計画に取られるはずで、ポールはそれを危惧していたのです。さすがに「誰も来ないんじゃないか」は心配のしすぎとも思いますが・・・(苦笑)。一大プロジェクトだから、神経質になるのも仕方ないですか。
しかし、蓋を開けてみれば、18名が参加に名乗りを上げることとなったのでした。この18名にウイングス5人(ポールを含める)を加えた、総勢23名が結果的に「ロケストラ・セッション」のために集結したのです。その顔ぶれを見ると、'70年代のロック・シーンを飾った大物ミュージシャンが多数集まった、そうそうたる面子で構成されています。あたかも、当時のブリティッシュ・ロック界を凝縮したかのようです。唐突なポールの電話でしたから(苦笑)、各人の都合もあったでしょうし、構想に否定的な人もいたでしょうし、そもそもポールが声をかけなかった人もいたでしょうし、当然すべて網羅するには到底及びませんが(というよりそれが実現した方がすごい)、この23名が集まったこと自体、それこそロック史に名を残す一大イベントにふさわしい出来事でした。ポールの不安も一気に解消されたはずでしょう・・・!
参加者の内訳は次の通り。ピート・タウンゼント(ザ・フー)、ケニー・ジョーンズ(元スモール・フェイシズ、当時ザ・フー)、デヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)、ハンク・マーヴィン(ザ・シャドウズ)、ジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズ(以上レッド・ツェッペリン)、ゲイリー・ブルッカー(プロコル・ハルム)、ロニー・レイン(元スモール・フェイシズ)、ブルース・トーマス(エルビス・コステロ&ジ・アトラクションズ)、トニー・アシュトン、トニー・カー、レイ・クーパー、スピーディ・アクアイ、モリス・パート、そして1975年〜1976年のウイングスのツアーに同行したブラス・セクションの4人(ハウイー・ケイシー、トニー・ドーシー、スティーヴ・ハワード、タデアス・リチャード)。そして当時のウイングス(ポール、リンダ、デニー・レイン、ローレンス・ジュバー、スティーヴ・ホリー)。これだけ集められたのもポールだからこそ、かもしれません。人脈の広さと人望の高さですね。なお、私自身各演奏者に詳しくないので、名前の誤記ありましたらご了承の程を(汗)。このうち、デヴィッド・ギルモア、ピート・タウンゼント、ジョン・ポール・ジョーンズとは後年もポールのレコーディングに参加しています。
楽器別に見ると、ギター5人(デニー・レイン、ローレンス・ジュバー、デヴィッド・ギルモア、ピート・タウンゼント、ハンク・マーヴィン)・ベース4人(ポール、ロニー・レイン、ブルース・トーマス、ジョン・ポール・ジョーンズ)、ドラムス3人(ケニー・ジョーンズ、スティーヴ・ホリー、ジョン・ボーナム)・ピアノ3人(ポール。ジョン・ポール・ジョーンズ、ゲイリー・ブルッカー)・キーボード2人(リンダ、トニー・アシュトン)・パーカッション4人(トニー・カー、レイ・クーパー、スピーディ・アクアイ、モリス・パート)・ブラス4人(ウイングスのブラス・セクション)という構成になっています。うち、ポールとジョン・ポール・ジョーンズはベースとピアノの両方を担当しています。この面々で、分厚い「ロック版オーケストラ」の音色を一斉に奏でたのです。
なお、興味深いエピソードとして、リンゴ・スターも呼ぶ予定だった、という話がありますが、実現していたらかなりの話題になっていたと思います(結局ポールのセッションでの共演は「タッグ・オブ・ウォー」を待たねばなりませんでしたが・・・)。また、キース・ムーン(ザ・フー)も参加を表明していましたが、惜しくも直前に亡くなっていて、代わりに後任ドラマーのケニー・ジョーンズが参加しています。
1978年10月3日、記念すべき「ロケストラ・セッション」の様子。映像で見るとまた迫力が違います。
そしてポールにとっては運命の1978年10月3日、前述の23名がロンドンのアビー・ロード・スタジオに集結しました。いよいよ「ロケストラ」セッション本番の日を迎えたのです(なお、ビートルズ解散後のポールのレコーディング・セッションで正確な日付が分かっているものは最近を除いては極めて稀)。これがまたポールらしく突拍子ない大掛かりなもので、セッションの様子はレコード用の録音のみならず、映像も同時に録られています。しかも、その撮影が決まったのが本番の1週間前というのだから、エンジニアのマイク・ヴィガーズが慌てたのも無理ありません。そんなヴィガーズの不安をよそに、ポールは「カメラは映像に映らないように」「様々な角度から撮影しろ」「ドラムスの周りには仕切りの衝立を立てるな」「分厚い音を出せるようにマイクを設置しろ」などといろいろ注文をつけているから、熱の入れようが分かります(苦笑)。結局、スタッフはスタジオにカメラ用に窓のついた壁を用意・設置し、その設営に時間を割かれて慌しくマイク(約60本も使用!)の線を引き、24トラックのテープ・マシンを2台用意し、せわしなく動き回る羽目に・・・。ポールの積年の夢の実現のために、たった1日のために、数日間苦労したわけです(笑)。23名のミュージシャンの他に、こうしたスタッフの健闘もたたえねばなりませんね!
その栄えあるロケストラ・セッションの映像は、プロモーション・クリップとして見ることができますが、様々な角度から撮られているのにもかかわらず、確かにカメラが映っていない(笑)。壁の効果ありですね。そして、ポールをはじめ参加者の様子をたっぷり堪能できます。これだけたくさんいると見ているだけで面白いです。スタジオに集まり和気あいあいと会話する様子、何やら打ち合わせをしている様子、そして本番の熱演・・・(ティー・サービスも出ているのがまた面白い)。ちなみに私がぱっと見で誰か分かるのはウイングスのメンバーとブラス・セクションだけ(汗)。当のポールはピアノを弾きつつ歌録りではマイクに向かって思いきりシャウトしています。映像でも一番目立っています(笑)。セッションとは別録りの、部屋でピアノを演奏する姿も印象的。最後はびしっと指差す余裕すら見せています・・・!一方でコンソール・ルームは緊張感にあふれています。なにしろたった一日の一大セッションを、ポールの要望どおり「迫力感あふれる分厚い音」として録らなければならないのですから、非常に神経のいる作業だったことでしょう・・・。レコーディング・スタッフも本当にご苦労様です。
約6時間に渡ったセッションでロケストラ総勢23名は、テーマ曲として準備されていたこの『Rockestra Theme』と、ポールが提供した『So Glad To See You Here』をレコーディング(2曲とも「バック・トゥ・ジ・エッグ」に収録されることに)。こうして「セッションが終わるまで成功するか不安だった」ポールと、彼のわがままを黙って聞き調整にあたったスタッフ(苦笑)の努力の甲斐あり、参加したみんながセッションに満足した様子だったようです。ピート・タウンゼントにいたっては、「毎年クリスマスにはこれをやるべきだ」と発言したほどでした。毎年やったらポールはともかくスタッフの身が持たなそうですが(苦笑)。
というわけで、本題のこの曲について触れてゆきます。「ロック版オーケストラ」のテーマ曲ということで、歌のないインスト・ロック・ナンバーとなっています(1974年デモでも歌は入っていない)。決めの一節がなくはないのですが、歌というよりは掛け声みたいなもので、しかも明瞭には聞き取れません(“With the bird in the hand, he says why no dinner?”と言っているらしい・・・そう聞こえなくもないですが。日本盤の歌詞カードはこれを無理やり聞き取って迷訳しています・・・!)。その他にヴォーカルといえば、映像版でも確認できるポールのシャウトだけ。「アー」とか「イェー」とか非常にノリノリです(笑)。「ロックへの回顧」を銘打っていた時期だけあって、シャウトにも力が入っています。他の演奏者は黙々と演奏するだけで、決めの一節を除いては声は一切入れていません(この辺りもポールの指示か?)。
曲構成もきわめて単純明快で、節を単にほぼ3回(2.5回?)繰り返すだけ。5人のギタリストによるリード・ギターの奏でる主旋律はすごくキャッチーで覚えやすいもの。ここらへんは、よく思いついた!とポールに素直に感心してしまいます。このギター以外に、ベースやドラムス、ブラス・セクションも数人で同時録音されており迫力満点。さすが23名の同時演奏だけあって、音も重厚に仕上がっています。ポールはこの曲ではピアノを担当(『So Glad To See You Here』ではベースを弾いている)。随所で聴かれるアドリブ演奏もポールでしょうか(残り2人のピアニストかもしれませんが)。元々ピアノで作曲された曲なので、ポールはピアノを弾いているのでしょうね。ブラス・セクションは、『So Glad〜』に比べるとあまり目立っていませんが、エンディングで確認できます(もちろん映像版で演奏の様子が見られます)。エンディングは、ドラムス&パーカッションの乱打と、ギター&ベース&ピアノ&ブラス・セクションと、まさに音の嵐で締めくくります。ドラムだけでも3人分(パーカッションを加えると7人分)なんですから、この迫力は凄まじいです。この迫力が、「ロケストラ」と名づけられるゆえんでしょう。『So Glad〜』の音の分厚さもまたすごいですが、こちらはシンプルだけにより一層それを味わえます。全員ソロ・プレイなしで、しかもメロディが単調、しかもメインで歌えない、ということで、ポールは「参加者がいやがるのでは」と不安だったそうですが、各自それぞれのパートで熱演を聴かせています。といっても、みんな同一の演奏なので、どれが誰の演奏か言われても分かりませんが・・・(汗)。なお、一部ブートにはこの時のアウトテイクが収録されているそうですが、私は持っていません・・・。
そんなこんなで、ポールの夢「ロケストラ」は最高の形で実現しました。そのセッションで彼らが演奏した2曲は、先述のようにウイングスのアルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」(1979年6月)に収録されました。「ロケストラ」という固有グループのレコードでなく、ちゃっかり自身のグループ「ウイングス」のレコードで出している辺りポールも横着な気がしますが・・・(苦笑)。いくらウイングスが参加しているとはいえ、ロケストラの演奏が他のウイングスの楽曲の中に混じっていると聞くと、いかにも2曲だけ浮き上がっているように感じられますが、ちょうどウイングスが「ロックへの回顧」を目指していた頃で、さらに最先端のニューウェーヴやパンクに影響された作風に色濃く傾いていたため、意外とアルバムのカラーにマッチしています。ただ、この2曲が強力なために、アナログ盤B面(つまり「オーヴァー・イージー」サイド)の他の曲が目立たなくなってしまった(バラード曲が多かったため余計に)のは否めませんが・・・。なにしろ、B面のトップが『Rockestra Theme』ですから。次曲の『To You』がアップテンポなのに非常に地味に聴こえるのはそのせいか?アルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」自体、新生ウイングスを率いてのポールの意欲作で、さらにロケストラの話題性はアルバムにとって重要な宣伝要素となったはずですが、アルバムはなぜか英米双方でトップ5入りを逃しました。これにはさすがのポールも落胆を隠せなかったようです・・・。「ポールのチャート七不思議」の1つに数えられそうなチャート・アクションでした。しかしながら、この『Rockestra Theme』は1979年のグラミー賞で最優秀インストゥルメンタル賞を見事受賞、ロック史に名を残すこととなりました。
1979年12月29日、「カンボジア難民救済コンサート」で再結集した「ロケストラ」。
しかし、このロケストラがロックの歴史に華々しく名を刻むこととなった決定的な出来事は、この後に起きます。1979年12月29日、言わずと知れた「カンボジア難民救済コンサート(Concerts For The People Of Kampuchea)」最終日です。このコンサートで、ロケストラが今度はステージで再結集したのです。「カンボジア難民救済コンサート」は、文字通りカンボジア難民を救うためにワルトハイム国連事務総長(当時)とポールが提唱、ユニセフが主催したチャリティ・コンサートで、12月26日〜29日の4日間にわたって、クイーンやザ・フー、エルビス・コステロ&ジ・アトラクションズなど11グループが参加しました。ウイングスが参加したのは29日にロンドンのハマースミス・オデオンで開催された最終公演。当時ウイングスは新曲をひっさげて英国ツアーを終えた所で、このチャリティ・コンサートでもその時のセットリストを披露しました。ポールが提唱者だからか、ウイングスはトリを飾っています。そしてコンサートの締めくくりに、「ロケストラ」がステージ上で再現されたのです!さすがにスタジオと同じミュージシャンは揃いませんでしたが、ウイングスを中心に若干ラインアップを変えて総勢20名の「復刻ロケストラ」が一夜限りで結成されたのです。20名中16名がスタジオ版に続いて2度目の参加です。この時ロケストラが演奏したのはスタンダード・ナンバーの『Lucille』と、当時のウイングスのレパートリーだったポールの『Let It Be』、そして最初と最後の2回、この『Rockestra Theme』が披露されました。つまり、この曲はコンサートの大トリだったわけです。
この「カンボジア難民救済コンサート」と「復刻ロケストラ」の模様は、1981年にオムニバス盤「カンボジア難民救済コンサート」に収録されていて、ウイングスの演奏は『Got To Get You Into My Life』『Every Night』『Coming Up』の3曲、ロケストラの演奏は『Lucille』『Let It Be』そして最後に演奏された『Rockestra Theme』の3曲が収録されています。1979年ウイングス英国ツアーと復刻ロケストラの演奏が聴ける貴重なアルバムですが、残念なことに未CD化です・・・。ただし、このコーナーでも触れたブートの名盤「LAST FLIGHT」(1979年ウイングス英国ツアー・グラスゴー公演を収録)にボーナス・トラックとしてウイングス、ロケストラの演奏がすべて収録されています。
また、「カンボジア難民救済コンサート」は映像としても残されており、復刻ロケストラの演奏も見ることができます。こちらも、スタジオ版のプロモさながらに多数のミュージシャンがステージ上に一堂に会していて、見ていて面白いです。ここでもドラムスは衝立なしで並んでの演奏となっています。面白いのが、主役のポール以外みんなお揃いの衣装を着ているはずが、ピート・タウンゼントだけ違う服を着ている点。なんでも、ピートがお揃いの服を着るのに抵抗を示したためだそうですが・・・(苦笑)。さらに、そのピートの目立ち方が尋常ではありません。ポールの隣に陣取ってみたり、デニーやローレンスに囲まれてギターを演奏したり、シルクハットをかぶらされてそれを観客に放り投げたり、もうやりたい放題です(笑)。お得意の「ウィンドミル奏法」まで披露しています。まるで、ロケストラでなく「ポール・マッカートニー&ピート・タウンゼント」といった趣です。歌い出さなかったのがせめてもの救いか(苦笑)。ウイングスのメンバーより存在感を発揮しています。復刻ロケストラも、音の分厚さはスタジオ版に劣らぬ魅力があります。ライヴ演奏のためでしょうか、スタジオ版よりも迫力があるように感じられます。ブラス・セクションは圧倒的にこちらの方が目立っています。ポールのシャウトも健在で、こちらでも随所でシャウトしまくっています。最後は、年末にちなんで「Happy New Year!」で締めくくります。こうしてポールの、ウイングスの、そしてロック史の'70年代は「ロケストラ」で華やかに幕を降ろしたのでした・・・。ポールにとって来る「新年」が全然「ハッピー」なものではないとは知る由もなく・・・。
(そして皮肉にも、この日のステージがウイングス最後のライヴとなってしまったのですが・・・。)
同じく「カンボジア難民救済コンサート」より、目立ちすぎのピート・タウンゼント(苦笑)。
'70年代の終わりを、英国ロックシーンを代表するミュージシャンたちと共に華やかに飾った、ポールの一大プロジェクト「ロケストラ」。おりしも同時期にはパンクやテクノといった新たな流行音楽の台頭があり、さらには'80年早々にウイングスの日本公演が中止、そのまま空中分解の末解散してしまうことを考えると、「ロケストラ」=「ロック史の一時代の終焉における、'70年代の最後の輝き」という風に取れてしまい、実に皮肉的です(汗)。ポールにはそのつもりは全くなかったでしょうけど・・・。しかしながら、もしロックンロールをひとつの本にしたとしたら、「'70年代」という章の最後のページは「ロケストラ」であり、「カンボジア難民救済コンサート」であることは間違いないでしょう。そうした歴史的位置を確かめた上でこの曲を聴くと、また違った味わい方ができますよね。
現在この曲は「バック・トゥ・ジ・エッグ」の他、ベスト盤「ウイングスパン」にも収録されています。同ベスト盤は、ポールとウイングスの歴史にとって重要な曲を集めた趣が強いのですが、このことからもこの曲はウイングスにとっても重要な曲であったということが伝わってきます。
ロック・ファンならきっとお気に入りであろう『Rockestra Theme』。私もお気に入りの曲です。聴いていて(あと映像を見ていて)素直に楽しいですし、ロックだけどポールらしくキャッチーなメロディをしている点もいいですね。スタジオ版と「カンボジア難民救済コンサート」の演奏だと、個人的には前者の方が好きなのですが、迫力で言うと後者ですね。「バック・トゥ・ジ・エッグ」も「LAST FLIGHT」もお気に入りの曲がいっぱい詰まった愛聴盤なのでどっちも好きです。映像では、ピート・タウンゼントの異常な目立ち方が見ていて毎度面白いです(笑)。1974年の「The Piano Tape」の演奏の存在は意外でした。
この曲は、ウイングス、ポール、そしてロック史においても重要な曲として聴き継がれてゆくでしょう。そしてその曲が、ポール(ウイングス)のアルバムに収録されていることを忘れてはいけません!ポール・ファンのみならず、ロケストラの演奏者それぞれのファン、一般のロック・ファンにもぜひ聴いていただきたい曲だと思います。アルバムもポールには珍しく前傾的なロック・テイスト満開で必聴ですよ!!
さて、次回紹介する曲のヒントですが・・・「陽気な一人宅録」。お楽しみに!!
(2008.4.21 加筆修正)
(左)アルバム「バック・トゥ・ジ・エッグ」。ロケストラの演奏による2曲の他にも、ロック・テイストあふれる佳曲がいっぱい!
(右)オムニバス盤「カンボジア難民救済コンサート」(未CD化)。ウイングスの演奏と「復刻ロケストラ」の演奏は、ブートの名盤「LAST FLIGHT」で聴けます!