Jooju Boobu 第122回

(2006.5.30更新)

Big Boys Bickering(1993年)

 今回の「Jooju Boobu」も引き続き、1993年のアルバム「オフ・ザ・グラウンド」の時期に録音されたものの、シングルのカップリングのみで発表された佳曲を紹介してゆきます。しかし、これまで紹介してきた4曲に比べると、今回紹介する曲はそれほどファンの間での人気がないかもしれません。たとえば『Kicked Around No More』のような、「なんでこの曲がアルバム未収録!?」と驚いてしまうようなクオリティが、今回紹介する曲には若干欠けている気がするからです。

 その曲とは、『Big Boys Bickering』。この曲はむしろ、実際にアルバムに収録された曲に歩調を合わせたような作風となっているのが印象的です。つまりは、「あまりぱっとしない、煮え切らない」感じの曲なのです(アルバム収録曲すべてがそうではないのですが・・・)。その最大の要因が、詞作です。ポールがこのアルバムにこめた大いなるメッセージが、この曲の詞作には露骨に表現されているからです。シングルのカップリングのみで発表された曲を収録した「オフ・ザ・グラウンド・コンプリート・ワークス」のCD 2の曲の詞作でも、この曲はやけに浮いているのがその証拠です。今回はこの特徴ある詞作を中心に、この曲の魅力も探求しながら語ってゆきたいと思います。

 詞作の話を出したので、今回は詞作から切り込んでゆきましょう。一体この曲の詞作の何がこの曲を「コンプリート・ワークス」のCD 2から浮き上がらせているのか・・・それは詞作の取り上げた題材です。ポールの詞作といえば、ビートルズ時代より「ラヴソング」と「物語風の詞作」の2つが大勢を占めていて、その2つがポールの詞作の魅力となってきました。しかし、アルバム「オフ・ザ・グラウンド」の時期になると、ポールは意図的にそれとは違う題材の詞作を書くようになります。

 それは、社会的な意味を帯びたメッセージソングです。'70年代、'80年代にもそのような曲が全くなかったわけではなく、たとえばウイングスのデビューシングル『アイルランドに平和を』は明白な政治的メッセージを持った曲でしたし、'80年代の名盤「タッグ・オブ・ウォー」には社会的メッセージを込めた曲がけっこうあります。しかし、'80年代末になるとポールに新たな社会的メッセージを書かせる風潮が世界を包みます。それは、環境問題です。この頃になると地球規模の環境問題が世界的な注目を集め、1992年の環境サミットなど各国が環境問題を直視せざるをえない状況に置かれ始めました。ポールはそうした環境問題のグローバル化と、世界の関心を見守り、懸念してゆくうち、いつしか見守るだけでなく自分で発言しよう─しかも自前の音楽で─と思うようになったのです。

 元々農場を持ち動物を飼い、妻のリンダさんと共にベジテリアンとしても知られたポール。環境問題は人事ではなかったのです。実際、ウイングスを始めたばかりの1971年には『Wild Life』という、野生動物の愛護を訴えたメッセージソングを書いています。しかし、当時は環境問題にそれほどの注目が集まらなかったことや、ポール自体不当な評価を与えられていた時期だけあって完全無視の状態でした。しかし、時は過ぎポールは音楽界の大御所(しかもちょうどアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」でカムバックしたばかり)で、世界的な環境問題への注目が集まっていて、「今ならみんな僕の音楽を聞いて環境問題について考えてくれる・・・」とポールは思ったのでしょう。環境保護運動家へ捧げた『How Many People』(1989年、「フラワーズ・イン・ザ・ダート」収録)を皮切りに次々と環境問題を題材にした曲を発表してゆきます。曲以外でも、「フラワーズ・イン・ザ・ダート」のブックレットに再生紙を使ったり、「オフ・ザ・グラウンド」後のツアーでも大々的に環境保護を訴えたりとことさらにメッセージを発信してゆきました。インタビューの場でもグリーンピースなどの団体を支持する発言をしたり、ベジテリアンぶりを存分に披露したりしています。それは、リンダさんの死後再婚したヘザー・ミルズ(離婚の危機にありますが・・・)との活動にも生かされています。最近ではアザラシ保護を訴えにカナダに飛んだりもしていますね。

 「オフ・ザ・グラウンド」セッションでは、こうした環境保護ソングが何曲か作られていて、ことさら環境保護を訴えたアルバムというイメージが強いです。アルバムには『Looking For Changes』(動物実験へのプロテスト・ソング)1曲しか収録されていませんが、発売前後におけるポールの発言などもあいまってアルバムに「環境保護」臭を漂わせるには申し分ない曲です。シングルのみで発表された曲は『Long Leather Coat』と今回の『Big Boys Bickering』がありますが、他のアルバム未収録曲がほぼラヴソングなので、この2曲はそちらよりはアルバム収録曲と同系列の匂いがします。ポールらしいラヴソングがいっぱいの「コンプリート・ワークス」CD 2でこの曲が浮いて聴こえるのは、この曲が環境保護ソングだからだったのです。この曲に関しては、現行のアルバム本編の方がお似合いだったかもしれません。他の佳曲たちとは違った意味で「アルバムに収録していれば・・・」になっているのです(皮肉的ですが)。

 さて、この曲は純粋な環境保護・動物愛護ソング・・・というよりは、政治的なメッセージの方が濃いものとなっています。タイトルの「政治屋どもが口論している」から分かるように、この曲の詞作では政治家を非難しているからです。では政治と環境保護とどこに接点が・・・?となりますが、それは次のエピソードで分かります。ポールは、先述した1992年の地球環境サミット(UNCED)で、アメリカが気候変動枠組条約に署名しなかったことに大変腹を立てたそうで、そこで環境保護に無関心な政治家を非難する曲を書くに至ったそうな・・・。ご存知の通り、アメリカは何かと環境保護に無関心な国で、自国の産業の発展のためには国際的な環境保護の取り組みに参加しないという身勝手な国ですね(京都議定書にも署名していないし)。ポールはそうした国や、そうした考えをする「政治屋」に腹が立ったのです。確かに、アメリカの行動は環境保護に熱心なポールならずとも目に余るものがあります。最近は中国やインドなども環境悪化が懸念されながらもなかなか環境保護へ足が向かない状態ですが、環境と政治との関係はこういうところで深刻な問題を引き起こすのです。

 しかし、先の「地球サミットでのアメリカの態度に腹を立てたポールが書いた」という説の他にもう1つ作曲に至ったエピソードがあり、どちらが本当かは謎です。もう1つのエピソードは、我々日本人からするととても興味深いものです。なんと、日本の国会中継にインスパイアされたそうなのです。1990年3月に「ゲット・バック・ツアー」で東京を訪れていた際、ホテルのTVで放送されていた国会中継を見たらしいのです。ポールも「確か東京で作った」と発言しています。つまり、この説ではこの曲での「政治屋ども」は日本の政治家のことであり、それに環境保護に無関心な政治家への怒りを加えたというのです。ポールはインタビューで「最近の(='90年代初頭の)日本の政治家は腐敗している」と発言しています。そう言われてしまうと、我々日本人は複雑な気持ちになってしまいますが、確かにポールの言う通りかもしれません。特に最近は「小泉劇場」ですしね(苦笑)。わが国では政治家のみならず官僚も腐敗していますが・・・。

 この曲で非難されている政治屋どもの様子を詞作から見てみましょう。まず「毎日口論している」「夜通し議論し」と、無駄な議論ばかりしていることを非難しています。それから、「国民から金を分捕って、税金なんか仮面舞踏会に投資しちまう」と政治屋の腐敗を歌っています。確かにこの辺は日本の政治にも通じるかも・・・。この曲で繰り広げられている政治屋非難は、ポールからしては過剰なほど辛辣です。それほどポールが政治家に怒りを抱いていたかが分かります。「bickering」も「議論」というよりは「口げんかする」に近い表現ですし、政治家を「big boys」と表現するのにも皮肉のまなざしが感じられます。そしてなんといっても、あの4文字言葉「fuck」を使用したことが大きな注目を浴びました。ポールはこの言葉を使うのに一時躊躇しましたが、「音楽の名にかけて」使用に踏み切ったそうです。案の定、英米では放送禁止処分の憂き目に。しかし、そうしてまでポールの政治屋への怒りは尋常ではなかったのです。

 このように、曲作りのエピソードの真偽はともかく、ポールはこの曲の詞作に、環境問題も含めて無関心でおまけに腐敗した政治屋への怒りを露骨に過剰に表現したのでした。これまでのポールの詞作からも、いつものポールの詞作からもかけ離れた題材とインパクトの歌詞です。もちろんそれは、ポールの環境保護や政治的メッセージを歌で表現しようという意思の表れなのですが、しかしこうした詞作はファン─つまり、音楽を聴く者─にとってはあまり受けがよくありませんでした。これは「やはりポールはポールらしくラヴソングを歌ってくれ」という願いがファンの間に根付いているためであり、ポールの考えとは正反対という、なんとも皮肉的な結果でした。中には「政治的な歌はジョン・レノンで十分。ポールは歌わなくてもいいよ」なんて考えもあります。これもジョンの死後、彼の代わりにメッセージを発信したいと思い続けるポールの考えとは正反対です。

 こうしたファンの心理が災いし、事実、この曲への評価が芳しくないのは詞作が大きな要因となっています。詞作が政治的すぎて、過激すぎて、ポールらしくないから嫌い・・・という声が圧倒的なのです。確かに、この曲も環境保護ソングがいつの間にか政治屋非難ソングになっていて、ポールの伝えたいことが分からなくなってしまっている部分もあり、ポールにメッセージソングはふさわしくない・・・と思えてしまいます。でもまぁ、ポールはメッセージソングを書いちゃいけないという法律はないわけですし、ポールから世界へのメッセージに少しは耳を傾けるのもいいかもしれません。「ポールはこんなこと言いたいんだ」って感じで。

 詞作がポールにとって異例だっただけに話が長くなってしまいました。読んでいて眠くなった方、ごめんなさいね(汗)。ここからは純粋に曲について語りますので・・・。さて、このように過激で政治的な詞作のおかげでどうもファンの間で人気のない曲ですが、この曲の本当の魅力は曲そのものにあります。別に政治屋だの環境保護などどうでもよいのです(ポールにとっては不本意でしょうが)。そういう固いこと抜きにしてこの曲を聴くと、背後に隠されていた魅力に気づくことでしょう。

 過激な詞作に比べ、この曲の穏やかさはまさに雲泥の差。英語が分からない人が聞いたら、まさかこの曲が環境保護ソングだなんて思いつきもしないでしょう。なんと、この曲はスローなカントリーなのです。いかにも田舎テイストたっぷりの、のどかな曲なのです。詞作とのギャップありすぎです。ポールのカントリーといえば'70年代前半に大量生産していたことがありましたが、1989年の『Put It There』を契機にこの時期復活しています。さすが本当の田舎に住んでいる人だけあって、こういう雰囲気はよく心得ています。畑や草原の真ん中で歌ったら非常に似合いそうな曲です。

 そして、この曲でも「オフ・ザ・グラウンド」のレコーディングに参加した当時のツアーバンドにふさわしいアンプラグド形式が取り入れられています。前回『Down To The River』の時に解説しましたが、この時期のポールはアコースティックな楽器のみで演奏するアンプラグド形式に凝っていたようで、多くの曲に取り入れています。奇遇にも、ツアーバンドのメンバーもアンプラグドを会得していたようで非常にはまっています。この曲も、ポールの弾くアコギが中心のサウンドとなっています。東京のホテルで書き始めた時もアコギ片手にだったそうなので、その時からこのスタイルは決まっていたようです。ブレア・カニンガムは目立たないドラムス(ポコポコいう音が印象的)、ヘイミッシュ・スチュワートはベース、ロビー・マッキントッシュはドブロを演奏。そして、ウィックスは『Down To The River』に続いてここでもアコーディオンを披露。これがまたなんとも味わい深いです。各人1楽器のみ演奏しているので、もしかしたらこの曲は一発録りかもしれません。「オフ・ザ・グラウンド」セッションではバンドサウンドのライヴ感を出すために一発録りがしばしば使用されているのでその可能性は高いです。ポールのアンプラグドへの興味と、ツアーバンドのアンプラグドへの順応のよさがこの曲からも分かります。

 さらにはポールのヴォーカルや残りメンバーのコーラスまでものどかそのもの。これのどこが環境保護ソングだ!?といった感じです。ポールのヴォーカルには少し詞作の影響を受けて力んだ感じがありますが、いかにもみんなで歌ったようなコーラスには能天気さすら感じます。特に最後のリズムチェンジ後のヴォーカルとコーラスの掛け合い!最後の騒ぎ声やドスンという音にいたるまでの展開は楽しげなカントリーに他なりません。これのどこが政治屋非難ソングですか?と思わずツッコミたくなります。そう、詞作以外は、全く環境保護とは無縁の世界なのです。

 つまりこれを逆説的に言えば、詞作さえ目をつぶればそこにはポールらしいアンプラグド・カントリーの世界が待っているということ。そしてそれこそ、この曲の隠された魅力なのです。過激な詞作にばかり耳が行きがちですが、この曲の本当の魅力に注目してみましょう。詞作で拒否反応を出したくなったら、ぜひ一度ぼけ〜っと聴いてみることをお勧めします。そうすれば「あ、意外といい曲じゃん」と見直せることでしょう。もっとも、歌詞の意味をしらなければ拒否反応以前の問題ですがね。ポールにとっては不本意ですが(苦笑)。そしてたまには、ポールのメッセージにも耳を傾けてやってください。別にベジテリアンにならなくても、グリーンピースを支持しなくてもいいですから。

 個人的には、この曲は詞作と曲とのミスマッチがおかしくておかしくて好きです(何と皮肉的な楽しみ方ですが)。詞作も、政治屋を痛烈に皮肉ったもので面白いと思います。ポールらしくはないですが、大体は的を得ていると思います(環境問題からは離れてしまっていますが、『アイルランドに平和を』よりは言いたいことを的確に表現していると思います)。なので私はこの曲は「環境保護ソング」というより「政治屋非難ソング」として見ています。日本の国会中継にインスパイアされたとは驚きですが、日本の腐敗した政治とこの曲は確かにぴったりですね(苦笑)。何のための選挙か分からず、滑稽なシーンばかりが目に焼きついて、官僚たちの不正が連日報道される今日の日本政治はまさに「政治屋どもが口論している」世界ですよね、皮肉にも。ポールが「それ見たものか!」と言ってきそうです。曲的には、非常に穏やかで楽しげな感じが面白いですね。特に最後の盛り上がり!政治屋どもがどんちゃん騒ぎで歌っている姿が思い浮かんでおかしくてたまりません。私がこの曲を聴けたのはだいぶ後のことで、最初歌詞だけ見たときは「露骨な歌詞でいやな曲・・・」という印象だったのですが、今は曲とのギャップを楽しんでいます。

 この曲は、シングル「Hope Of Deliverance」のCDにのみカップリングとして収録されました。ですので現在は入手困難です。取り立てて「聴くべき!」曲でもないですが、この時期のシングルのみの曲を網羅した限定版「オフ・ザ・グラウンド・コンプリート・ワークス」のCD 2はぜひ聴いておきたい曲が多く収録されているのでそれとあわせてどうぞ。

 やたらと詞作に関しての文章が長くなって申し訳なかったです(汗)。もっと簡潔に書けるように注意します。

 さて、次回紹介する曲のヒントですが・・・「粋なロックンロール」。また「コンプリート・ワークス」からです。お楽しみに!!

  

(左)シングル「Hope Of Deliverance」。CDシングルにのみ収録。

(右)限定版「オフ・ザ・グラウンド・コンプリート・ワークス」。CD 2のアルバム未収録曲は感動の連続です!

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