Jooju Boobu 第12回

(2005.4.17更新)

Give Ireland Back To The Irish(1972年)

 毎度おなじみ「Jooju Boobu」。今回は、記念すべきウイングスのデビューシングルにしてプロテスト・ソング(反抗歌)である、『Give Ireland Back To The Irish』を語ります。邦題は「アイルランドに平和を」。数あるポールの曲につけられた邦題の中でも、そこそこいける邦題です(原題は読むには長いし・・・)。ポールが'70年代の活動基盤としたバンド、ウイングスの原点といえる曲が、ポールにしては珍しく過激的な歌詞を持つ。そんな興味深い特徴のあるこの曲がなぜ、どのようにできたのか、当時のポールを取り巻く状況含めその辺を中心に話を進めたいと思います。

 ビートルズ解散後、妻のリンダの支えの元でソロ活動を始めたポールは、1971年の夏に新たなバンドを結成します。それがポールの'70年代の活動基盤となった「ウイングス」です。ソロデビューアルバム「マッカートニー」に続いてリンダとの共同名義のアルバム「ラム」が発売され、ファンの間では「今後のポールの音楽活動の展開は・・・?」と注目されていたわけですが、ポールはビートルズ後期から望んでいた(そしてビートルズ解散の遠因ともなった)「コンサート再開」を実現すべく、矢継ぎ早にバンドを結成したのです。ポールを中心とした急ごしらえのバンド・ウイングスは、ポールとリンダの他に、デニー・レインとデニー・シーウェルの「2人のデニー」が参加、同年末にはもうデビュー・アルバム「ワイルド・ライフ」を発表しています。十分なリハーサルもない中、3日間でアルバムの録音を済ませてしまった辺りからも、ポールの「早くコンサートに出たい!」という気持ちを感じ取れます。

 当時のポールは、1970年にポールが出した例の「ビートルズ解散宣言」もあり、「ビートルズを解散させた男」として大変な非難を浴びていました(といっても、それはファンやリスナーではなく、主につまらない評論家集団でしたが・・・)。ポールがどんな曲を発表しようとも、そのたびに猛烈な非難を浴びせられるという、まさに八方ふさがりの状態でした。現在では想像もつかないことですが、ファンの間で評価の高いあの「ラム」ですら、当時の音楽誌は「'60年代ロックの腐敗」と切り捨てたほどでしたから・・・。そして、急ごしらえの即席バンドによるお世辞にも完成度が高いとはとても言えない、ラフな音作りの「ワイルド・ライフ」、そしてそれを発表したウイングスは、当然ながらすぐに評論家どもの批判の対象にされてしまいました・・・。今でこそそこに大ブレークの予感を感じ取れると言えますが、当時の風潮はポールにとっては逆風そのものだったのです。とにかく、ウイングスはこうした攻撃を向かい風に活動を開始したのでした。

 「新たなバンドでコンサートを・・・」というポールの焦りにも似た希望により、翌1972年に初のコンサート・ツアーに乗り出すことが公表され、それに備えバンドの増強を図るべく、年が変わる前にはもう1人のギタリストとしてヘンリー・マッカロクをウイングスに迎えました。そして年が変わり1972年、ポールとウイングスはいよいよ念願のコンサート・ツアーに乗り出さんばかりでした。

 しかし、衝撃的な事件がポールを驚かせます。言わずもが、1972年1月30日、英国領・北アイルランドのロンドンデリーで、「血の日曜日事件」が起きたのです。この事件についてはこの後詳しく書きますが、ポールにとっては大変ショッキングな事件でした。腹を立てたポールは、事件を非難する曲を一気に書き上げます。それこそ、今回紹介する曲『アイルランドに平和を』なのです。エピソードによると、一日で書き上げられたとの話です。

 この曲を語るには、当然ながら「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」に触れなければいけません。そして、その前に北アイルランド情勢のあらましも知っておかねばなりません。偶然にも、私は以前アイルランドに関して調べたことがありこの分野には(ほんの少しばかり)明るいのですが、知らない方のためにざっと紐解いていきましょう。(参考:「アイルランドの歴史」 「北アイルランド」 「北アイルランド問題」 from wikipedia)

 ご存知の通り、アイルランド島は英国の西に位置します。古くからケルト人の住んでいた地域でしたが、1652年のクロムウェルによる平定以来しばらくは英国の植民地(のちに併合)となっていました。この間、人口が激減したことで有名な「ジャガイモ飢饉」などがあり、アイルランドの人々は英国の支配に苦しみ続けたのですが、1922年念願の独立を果たします(現在のアイルランド共和国)。しかし、北部アルスター地方のうち6州は英国の支配下にとどまりました。これが現在の「北アイルランド」であり、現在も連合王国(いわゆる英国)の領土です。この地域は、従来から住んでいたケルト人(多くはカトリック信者)の他に、英国からの移住者(多くはプロテスタント信者)が多く、英国にとどまることを希望する人の方が多かったのです。

 しかし、アイルランド共和国の国民になりたいと思っていた北アイルランド市民も少なからずいたわけで、彼らはその後もアイルランドへの帰属を主張します。その最たるものが過激派で知られるIRA(アイルランド共和国軍)でしょう。また、少数派のカトリック信者は数の上でプロテスタント信者に負けていたため、社会的な差別を受け続けました。武力をもって独立を掲げる過激派は非合法としても、差別を受けつつ平和的に独立を主張する一般市民の祖国への思いには耳を傾けねばならない、と私は思います。

 そして1972年1月30日の日曜日、公民権を求めて集会・デモ行進を行っていたカトリック系住民たちに向けて英国の兵士(パラシュート連隊)が発砲、一般市民ばかりが14人も死亡、13人が負傷するという事件が起きました。集会は非武装で平和的なものでしたが、英国軍はそんな一般市民に銃口を向けたのです。中には背後から射殺された犠牲者もいたということで、事件の残酷さを物語っています。犠牲者のほとんどが若者だったそうです。これこそが、ポールが取り上げた「血の日曜日事件」です。(参考:「血の日曜日事件」 from wikipedia)

 この事件に対する衝撃は大きく、あくまで平和主義を取り北アイルランド情勢への深い介入を避けていたアイルランド共和国政府も、この時ばかりは非難の声明を出しています。一般市民を虐殺したこの事件にもかかわらず、当時の裁判では英国軍には無罪判決が出されていて、私にはどうにも理解できません(後年再調査がされているようですが・・・)。また、事件の後英国は北アイルランドの直接統治を宣言、IRAの武装闘争もあり情勢は泥沼化します。現在は、1998年のベルファスト合意を受けて英国・アイルランド両政府が協力しながら事態の沈静化にあたっているため、昔ほどの混乱はないのですが、IRAなどによるテロが発生するなど、異なる意見を持つ人々の間には未だに火種がくすぶっています。

 以上が北アイルランド情勢のあらましですが、お分かりになっていただけたでしょうか?私もざっと調べたくらいだったので、今回改めて調べていろいろ驚かされました。もっと詳しく知りたい方はwikipediaなどを参照してください。私よりももっと詳しいですから(笑)。

 さて、この「血の日曜日事件」に、なぜ加害者側の国民・つまり英国人であるポールが怒ったのでしょう?もちろん、ポールが争い事を嫌っているからというのはその理由の大前提ですが(普通の人なら誰でもこうした事件に憤りは覚えますしね)、それだけではありませんでした。実は、ポールの家系にはアイルランドの血が流れています。その証拠に、ポールの姓である「マッカートニー(McCartney)」の「Mc」はアイルランド特有の名前ですし、亡母メアリーもカトリックの洗礼を受けていました。カトリック教徒のアイルランド人(ケルト人)が何の罪もなく無惨にも虐殺された「血の日曜日事件」は、数ある許さざる虐殺事件の中でも、ポールにとってはとりわけ人事ではなかったのです。(ちなみに、偶然にもウイングスの新メンバー、ヘンリー・マッカロクもアイルランド人です・・・!)

 ポールの相棒であったジョン・レノンは、ビートルズ時代の『Revolution』以降、ソロ時代には政治的なプロテスト・ソングを多数発表したことでとても有名ですが、ポールはその歴史を見ても元来政治的な歌を書かない人です。ただ、それは決してポールが政治に関心がないわけではありません。ポールは、行動に移せないのに発言だけするのは偽善だと思っているからです。事実、ジョンは音楽でその態度を表明するのみならず、実際に平和運動などに参加して行動に移していました。そこがジョンとポールの違いであるのですが・・・。戦争や殺人など、理不尽なことに対しては、もちろんジョンもポールも決して賛成はしていませんが、ジョンが自分の生活を犠牲にしてまで強く抗議したのに対し、普段のポールはあくまで心の中で(あるいは音楽以外の場面で)抗議しているのです。しかし、この「血の日曜日事件」に関しては、ポールがインタビューで語っているように、ポールに身近なことだったため、歌の中で直接的に怒りをあらわにしたのです。自分の国の軍隊が、隣国の(そして自らのルーツの国の)一般市民を虐殺したことは、ポールにとっては非常にショッキングで、非常に憤りを感じるものだったのです。この後も、まれにポールの楽曲に政治的な内容を含むものが登場しますが、それらもポールにとって身近な問題で、大変許しがたいものに対しての怒りが込められています。環境問題、動物虐待問題などがそれですが、行動を起こすべき時にはポールは音楽でもそのメッセージを伝えています。

  

 この曲ができるまでの背景を見てきましたが、ここからは本題であるこの曲自体について語ってゆきます。こうしたメッセージ・ソングによくありがちなのがロックンロール・スタイルですが、この曲もギター・サウンドを中心にしたロックナンバーです。ただ、ジョンなどに比べるとメロディにポップさ・キャッチーさが目立つのはポールらしい所でしょうか。メッセージをこめつつも、音楽はあくまで自分流に行くポールの信念が貫かれています。ポールの曲の中では結構ロック寄りに傾いているとは思いますが・・・。作曲と同様、レコーディングも一日で終えてしまったというのがポールの事件への憤りを感じさせますが、そのためか極めてシンプルなバンド・サウンドとなっています(もちろんこの時点でのウイングスの実力がこれで限界だったということもありますが)。あまりにもの短期間で書き上げられメンバーたちに提出された曲だけに、リハーサルもままならずの録音だったと容易に想像できますが、面白いことに、その割にはデビューアルバム「ワイルド・ライフ」のような散漫さは感じられず、逆にまとまりのある、引き締まった演奏にすら聴こえます。結成して半年しか経っていないのに、この団結力はすごいです。だからこそ、後に大活躍を果たす程に成長したのでしょう・・・。エレキギター、ベース、ドラムスにピアノ、オルガンというシンプルな編成ですが、新加入のヘンリーのギターが際立って活躍しています。ほのぼのとした雰囲気だった結成時の作風から、鋭さとハードさが加わったのはヘンリーの貢献が大きいと言っていいでしょう。勢いあるイントロ、間奏でのギター・ソロなど、既にバンド内で頭角を現しています。デニー・シーウェルのドラミングもいつもより心なしか力強さを感じます。間奏と終盤に登場する手拍子がいいアクセントとなっています。なお、レコーディングは「血の日曜日事件」の翌々日の2月1日に行われたようです。

 歌詞は言うまでもなく「血の日曜日事件」を引き起こした英国政府への非難そのものです。「グレート・ブリテン」と名指しまでしています。サビからスタートする構成ですが、タイトルにもなった「Give Ireland back to the Irish(アイルランドをアイルランド人に)」の繰り返しが印象的です。「今日からアイルランドはアイルランド人のものさ」というくだりは、当時のカトリック系北アイルランド人の願いと一致するでしょう。その後、「国民はみんな自由だ」と言いつつもアイルランド人を弾圧・差別する英国政府の矛盾を非難していきますが、第1節の「同じことをされたら(=兵隊に邪魔されたら)どうする?どう思う?」というくだりは、ポールにしてはなかなかいい一節だと思います。何か行動を起こす前に、相手の立場になって考えるということは、この事件に限らず、あらゆることに通じる大切なことだと思います。ただ、ポールの姿勢のせいか、全体的にあまり迫力がなくいまひとつ心細いメッセージになっているのがちょっと残念です。まぁそこがポールらしいともいえますが・・・(苦笑)。どうせ言うのならもうちょっと強硬に主張してもよかったかな、とも思います。元々この手の政治的な詞作が下手なポールには無理な注文ですし、そこまでやったららしくないですから、仕方ないんですけどね。

 ヴォーカルにもポールの怒りが伝わってきます。事件の不当性を訴えるようなヴォーカルは、曲調とあいまって当然シャウト系となります。出だしのサビは穏やかな歌い方ですが、2回目以降は渾身のシャウトとなります。サビに戻る部分での高揚感もなかなか。終盤はリフレインとなり「アイルランドをアイルランド人に!」というメッセージが繰り返しシャウトしながら歌われます。そして、ウイングスで忘れてはいけないのはコーラス隊の美しさ。政治的なメッセージソングであるワイルドなこの曲でも、その美しさは健在です。影ながらポールを支えるリンダとデニー・レインのハーモニーを、この曲でも聴くことができます。満足なリハーサルもなしでのレコーディングで、ましてリンダは当時音楽的にど素人なのに、コーラスでも手抜きをしていないのはすごいです。だからこそ、この後約10年ウイングスで終始活躍できたのでしょうね(さっきも同じことを言ったような)。

 まさに急遽書かれ、急遽録音されたこの曲は、2月9日に始まったウイングス初のコンサート・ツアーで早速取り上げられました。このツアーは、ポールの意向により国内の大学をあちこち巡り、その場で交渉しコンサートを開催する、その繰り返しといったもので、まさに「ゼロからのスタート」といった趣でした。計11大学でコンサートを開いたのですが、ホテルの予約すらせずバンドと共にヴァンで放浪するその様は、元ビートルズのポールからは想像もできないものでした。レパートリー不足もありスタンダード・ナンバーを交えての12曲の披露でしたが、その中でも話題性抜群のこの曲は人気を博したようです。この時の音源は、リハーサル時の音源も含めブートで聴くことができますが、私が聴いたリハーサル音源では、スタジオ版よりもかなりラフでワイルドな演奏でした。

 この大学ツアーの話題をかぎつけたのか何なのか知りませんが(笑)、大学ツアー2日目の2月10日には早くも国営放送BBCなど各放送局で「政治的に議論の余地がある」などの理由で放送禁止処分を受けています。ジョン・レノンはともかく、ポールの楽曲で放送禁止処分が出たのは初めてではないでしょうか?事件の直後で神経をとがらせていたのでしょうが、公式発表前の放送禁止という措置はこちらもスピーディーな展開でした。ポールはこれに対し反発、コンサートでこの曲を演奏する前に「次は放送禁止になった曲をやります」と必ず触れていたそうです。そして、集まった観客(主に学生?)から盛大な賛同の拍手をもらったそうです。

 そして大学ツアーを終えた翌々日の2月25日には、ついにこの曲がシングル発売されました。当初、「ワイルド・ライフ」から『Love Is Strange』(B面は『I Am Your Singer』)がシングルカットされる予定でしたが、この計画を急遽ボツにしての発売でした。一気に書き上げ録音し、候補シングルをボツにしてまでみんなに聴いてもらいたかったこの曲・・・くしくもそれがウイングスのデビュー・シングルとなり、ヘンリーがウイングスに加入してから初めての楽曲となったのでした。「血の日曜日事件」が起きてからシングル発売まで26日しか経っていません。まさにめまぐるしくポールが、ウイングスが動いた1972年2月でした。なお、デビュー当時は「ウイングス」名義でしたが、このシングルからは「知名度が足りない」ことを理由に「ポール・マッカートニー&ウイングス」名義での発売となっています。英国盤シングルには、アイルランドのシンボルであるクローバーの模様があしらわれていました。(それにしても、レゲエ調のほのぼのしたカヴァー曲『Love Is Strange』がウイングスのデビュー・シングルだったら、また印象も違っていたでしょうね・・・)

 シングルは放送禁止処分を受けたままの発売でしたが、英国で16位・米国で21位を記録しました。先述の大学ツアーもあったし、英国ではもっと上昇してもよかったのでは?とも思いますが、波乱の展開の割には、ウイングスのデビュー・シングルとしてはまずまずの成績でした。そしてもちろん、アイルランドのチャートでは1位を記録(ちなみにスペインでも1位だったらしい)。なお、この曲について、当時米国で平和運動を展開していた相棒のジョンは「幼稚だ」と評価しながらも「歓迎すべきだ」というコメントを残しています。ビートルズ解散後、険悪なムードだったジョンとポールの仲を考えれば、極めて異例な発言です。そしてそのジョンはといえば、同年6月に愛妻オノ・ヨーコとの連名アルバム「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」で『Sunday Bloody Sunday』『The Luck Of The Irish』の2曲を発表、ポールと同様に「血の日曜日事件」を取り上げ英国政府を非難し、アイルランド人の悲惨さを告発しています。当時の状況を踏まえれば異例の、ジョンとポールの共通項でした。なお蛇足ですが、アイルランド出身のロックバンド・U2も後に「血の日曜日事件」を楽曲に取り上げています。

 ほとんどのシングルにプロモーション・ヴィデオがあるウイングスですが、この曲に関しては放送禁止処分を受けたためプロモは制作されませんでした。ただし、当時のTVインタビュー(だと思う)でポールがこの曲を語る合間でウイングスのリハーサルシーンを見ることができます。

 当初は穏やかにウイングスの活動を開始しようと計画していたポールでしたが、「血の日曜日事件」の発生により、こともあろうか放送禁止処分を受けたプロテスト・ソングでバンドのデビュー・シングルを飾る結果となりました。しかし、先述したように普段は政治的発言をしないポール、その3ヶ月後には今度はほのぼのした童謡ソング『Mary Had A Little Lamb(メアリーの子羊)』をシングル発売します。ポールに冷淡な評論家どもは、ここぞとばかりに「一貫性がない」「軟弱だ」と非難しますが、これこそポールの信念、そしてポールの幅広さが分かる格好の例といえるでしょう。(しかもその次のシングルはドラッグ・ソングとしてまたもや放送禁止ですから・・・!)

  

 さて、この曲のシングルのB面には、この曲のインスト・ヴァージョンが収録されました。それが『Give Ireland Back To The Irish(version)』です。インスト版といっても、純粋なカラオケではなく、オリジナルとは別録音された音源です。構成は同じですが、アレンジも若干変更されており、なぜかアイルランド民謡風のアレンジがされています(笑)。ヘンリーの鋭いエレキギターが取り払われているのでロック色が薄れ、余計そう感じさせます。逆に新たに追加されているのが、(ここでもなぜか)リコーダーとフルート。これがアイルランド民謡風に聴こえる要因となっていますが、何と言いますか・・・すごくとぼけた感じに聴こえます(笑)。たぶんポールとデニー・レインの演奏でしょう。他にも、所々でポールの声が聴こえるなど、A面のまとまり方に比べたら圧倒的にラフで力が抜けています。恐らく、B面用の曲がなかったためこんな演奏を入れたのでしょうが、現在ファンの間では「陳腐だ」「散漫だ」「未発表にすべきだった」という意見が大勢を占めています(汗)。私は好きなんですけどね、とぼけていて(笑)。そして、このインスト版は現在に至るまで未CD化。そのため手に入れることは容易ではありません(企画もののブートには収録されていることが多い)。確か、ネット配信はされていたと思いましたが・・・。ウイングスでも数少ない未CD化曲です。ちなみに、タイトルの「version」は、レゲエ・アーティストのシングルB面に、A面のインスト版を収録する際「version」と記載する習慣がある所から名づけたようです。ポールはレゲエ好きですし、ね。

 その後、1972年7月よりウイングスはヨーロッパ・ツアーに出かけるわけですが、そこでもこの曲が取り上げられました。この頃の音源もやはりブートで聴くことができますが、私の持っている「WINGS OVER SWITZERLAND」では、結構ラフな演奏となっています。ポールのシャウトは相変わらずですが。まだ「血の日曜日事件」の余韻が残る中でしたが、このツアーでも「放送禁止になった曲をやります」とアナウンスしていたようです。コンサートで取り上げられたのは、このヨーロッパ・ツアーで最後となり、その後はいろいろ不遇な扱いを受けることとなります・・・。

 というわけで、この曲をめぐるその後の展開を。この曲はウイングスのデビュー・シングルであるのにもかかわらず、なぜか(というより、過激的な歌詞のせいでしょう)ベスト盤に収録されていません。ウイングスのベスト盤「ウイングス・グレイテスト・ヒッツ」でも無視されていますし、ポールの「オール・ザ・ベスト」にも未収録。それどころか、1993年にアルバム「ワイルド・ライフ」がリイシューされるまでCD化すらされていませんでした(汗)。そしてようやく、2001年のベスト盤「ウイングスパン」のDISC-1「HITS」の方に収録される予定が立ち、曲目リストまで公開されたものの、土壇場で外されてしまいました・・・。ポールいわく、ロンドンで起きた北アイルランド過激派によるテロが起きた影響、だそうですが、デビュー曲の割にはずいぶんとひどい扱いを受けていると感じます。そのため、「ワイルド・ライフ」のボーナス・トラックでのみ聴くことができます(もちろん「version」は未CD化)。

 先述の通り、私は少しばかりアイルランドについて調べたことがあるので、この曲は聴く前から興味がありました。そして実際に聴いてみて、ポールなりのポールらしい方法での抗議だなぁ、と感じました。「血の日曜日事件」は非合法だと私も思いますので、ポールの意見に賛成です。この程度の過激さなら、英国の人たちも事件や北アイルランド情勢について冷静に考えるきっかけになったのかな、と思います(実際の所どうだったかは分かりませんが・・・)。ジョンの書いた2曲の方は、歌詞がポールの何倍も過激です・・・。ジョンらしいですが、個人的に賛同しがたいところもあります。

 この曲は、歌詞はともかく曲もお気に入りですね。程よくロックしていて、程よくキャッチーで。バンドで演奏するとすごく楽しそうです。最近の扱いの悪さがなんだかかわいそうでなりません。いい曲なのに。個人的には、「version」の方も大好きです(笑)。

 時が経つにしたがい北アイルランド情勢も沈静化し、この曲のメッセージも薄れつつありますが(まして日本では)、「ポールもプロテスト・ソングを歌ったことがあるんだよ」程度でいいので、一度聴いてみてください。「政治的」という印象は強くなく、曲は非常にとっつきやすいので。「ワイルド・ライフ」でしか聴けないんですけどね・・・。

 さて、次回紹介する曲のヒントですが・・・「スーパー・セッション」。お楽しみに!

 (2008.3.16 加筆修正)

  

(左)当時のシングル盤(日本)。B面はインスト・ヴァージョン(未CD化)。それにしてもこのポール(「ワイルド・ライフ」のジャケットと同じ)はとぼけた顔しているなぁ(苦笑)。

(右)ウイングスのデビュー・アルバムとなった「ウイングス・ワイルド・ライフ」。この曲はボーナス・トラックに収録。現在ここでしか聴けません。

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